エナミの決断(二)

「おいご主人……、変なこと考えてないよな?」


 姉キサラの泣き顔を眺めながら思い詰めた顔をしたエナミを見て、シキはこいつがこの表情をした時はヤバイぞ、と心中で密かにおののいていた。

 普段は冷静で物事を広く見ることが出来るエナミ。しかし時々極端に視野が狭くなって無茶をすることが有る。二年間エナミの近くに居たシキは、エナミの思考と行動パターンについてだいぶ詳しくなっていた。


「シキ、セイヤ」


 振り返ったエナミの瞳には決意の炎が宿っていた。エナミはキッパリと言い放った。


「しばらく俺の代わりに小隊の管理を頼む。俺は姉さんの元へ行く」


 やっぱりだ。予感が的中したことでシキは眩暈めまいを起こし、軍医のアキラが首を傾げた。


「エナミくん、キミはもうお姉さんの傍に居るじゃないか」

「はい。ですがここに在るのは姉の肉体だけで、はおそらく別の場所へ行っています」


 それを聞いてセイヤ、更にはマサオミまでもが血相を変えた。


「え、ええ!? 魂って……」

「ちょい待ちエナミ、おまえさんはまさか……!」

「………………」


 セイヤが詰め寄った。


「エナミ……どうしたよ? なぁ、変なことをする気じゃないよな?」


 シキと同じ質問をセイヤからもされたが、エナミは躊躇ちゅうちょなく返した。


「姉さんの魂はきっと、俺達がに居るんだ」

「あ、あの世界ってあそこだよな!? あそこにまた行くってのか!?」

「そうだ。これから姉さんを追い掛ける」

「どうやって!? あっちには死にかけた人間しか行けないんだぞ?」

「……死なないギリギリの傷を負えばいい。幸いアキラ先生が居るからその後の処置を頼める」

「「「馬鹿野郎!!!!」」」


 セイヤ、シキ、マサオミの声が見事に重なった。三方向から上がった大声に怯えて衛生兵達が身体を縮こめた。


「マサオミ、ここは医療現場だ。落ち着いてくれ」


 アキラが静かにいさめたものの、マサオミは怒りを抑えなかった。


「エナミおいコラ、くだらねぇコトを言ってんじゃねぇよ。そんな真似は俺が許さん。違ってたらどうする気なんだ、無駄にテメェの命を危険に晒すだけだろうが!」


 腹の底から響く大将の低い声にもエナミは動じていなかった。


「すみませんマサオミ様。命令違反となっても俺は行きます」

「エナミくん、早まるな!」


 アキラが慌てて止めに入った。軍では上官への命令違反は重罪だ。しかも相手はこの師団の最高責任者である司令なのだ。


「そもそも、キミ達は何の話をしているんだ。あの世界とは何処のことだ」

「地獄だよ」


 即座に答えたマサオミに、アキラに衛生兵、そして親衛隊長のリュウイがギョッとした。


「マサオミ様……? 地獄とはいったい何のことですか?」

「地獄は地獄。比喩ひゆ表現じゃねぇ本物のあの世のことだよ。俺とエナミとシキにセイヤ、みんな揃って二年前の戦いで重傷負ってさ、魂だけ一時期あっちの世界へ行ってたんだ」

「は……?」


 リュウイの眉間のしわが濃くなり、アキラが呆れたように溜め息を吐いた。


「二年前にも聞かされたね、その話。だけど僕には未だに信じられないよ、地獄や極楽が実際に存在するなんて。イザーカ国から高度な技術がもたらされて、これからどんどん文明が発展していくというこの時代にさ」

「だが事実なんだアキラ。州央スオウの不敗の将軍、真木マキイサハヤも同時期に地獄へ落ちた」

「えっ……」


 イサハヤの名前が挙がったことで、アキラとリュウイは言葉に詰まった。

 真木マキイサハヤは戦争をしている敵国の将だった男だ。しかし今は州央スオウを変革する為に国王軍と戦っている。そして桜里オウリ兵団第六師団は国の承認を受けて、州央スオウまでイサハヤ達の加勢に駆け付けたのだ。


「おかしいと思わなかったか、アキラ。二年前まで互いに殺し合っていた俺とイサハヤが、急に和睦わぼくして連盟関係になるなんて」

「それは……」


 桜里オウリの国王と大臣を説得して出兵許可を取り付けたのは、他でもないマサオミだった。

 軍事国となった州央スオウ相手に、農業国である桜里オウリがまともに戦っても勝ち目は無い。桜里オウリが存続する為にイサハヤ達の革命軍を支援すべきだと、マサオミは一年に渡って国と交渉し続けたのだ。


「確かに……、何でキミ宛てに真木マキイサハヤから何度も、州央スオウの情勢を記した書簡が届くのか不思議に思っていた」

「俺とイサハヤはな、二年前の戦いで重体となった後に地獄で再会したんだよ。地獄はそれこそ命が幾つ有っても足りねぇ過酷な世界だった。現世へ生還するには敵味方にこだわってる場合じゃなくてな、それで手を組んでイサハヤとも共闘したんだ」

「それまで敵だった相手に、背中を預けて戦われたのですか?」


 リュウイの問いにマサオミは不敵に笑った。


「そうさ。それであの人が決して裏切らない、信頼できる相手だと実感できた。だから現世へ戻った今も連盟関係が続いている」


 地獄での日々をマサオミは思い出して懐かしんだ。しかし視界の隅に装備品を取り外して服を脱ぎ始めたエナミが映り、笑みを消したマサオミは再び怒鳴った。


「勝手に何してんだゴルアァ!!!!」


 軍服を脱ぎ捨てて上半身が完全に裸となったエナミはシキをじっと見た。嫌な予感がしたシキが後退あとずさったがエナミは逃がさなかった。


「頼む、シキ。あんたなら上手くやれるだろうから」


 それはエナミに命を拾われて以来、彼を護ろうと誓ったシキにとってとても残酷な依頼となった。


「ああ……確かに俺は上手くやれるだろうさ。忍びとして拷問の技術も身に付けた。殺さないギリギリまで相手を痛めつけることが可能だ」


 シキの声は怒りで震えていた。


「だがな! この技はあくまで敵の尋問用なんだ。自分の主人を傷付ける為に有るんじゃねぇ!!」

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