エナミの決断(一)

 現世。

 フタゴカミダケのふもとには、桜里オウリ兵団第六師団が張るテントが群生したきのこのようにズラリと並んでいた。その中でも立派な青い布を使用した広いテントの前に、弓隊を率いる小隊長エナミが部下のセイヤと共に詰めていた。


「エナミ、俺がここに居るから自分のテントで休んでろよ」


 落ち着きなくテント前で行ったり来たりを繰り返すエナミを気遣ったセイヤ。彼はエナミと同じ村で育った幼馴染みでもある。

 普通の農夫であったセイヤは二年前に始まった州央スオウとのいくさ急遽きゅうきょ、狩人として生計を立てていたエナミと共に徴兵されてしまった。当時は戦争に対して恐れと嫌悪感を抱く新兵だったが、激戦を見事に生き残り現在は優秀な弓兵の一人として活躍している。


「気持ちがいてどうせ休めない。それならここに……姉さんの近くに居たい」

「そっか……」


 青いテントは医療用テントだった。この中で現在キサラの手術が行われているのだ。


「司令に説明してきた」

「うおっはぁ! ビビった!!」


 いつの間に来たのか背後にシキが居た。忍びであるこの男は足音と気配を消す習性が有る。知り合って二年経つのでエナミはいい加減慣れたが、未だにセイヤは神出鬼没なシキ相手に毎回大げさに驚いていた。


「後で司令もこっちへ来るそうだ。ご主人の姉に会っておきたいってさ」


 司令とはこの第六師団の師団長、上月コウヅキマサオミのことを指す。敵の隠密であるキサラの手当を許可してくれたマサオミは、話の解る懐の広い将として部下から慕われている。


(マサオミ様がここに居てもいいって認めてくれたんだよ。だから頑張ってくれ、姉さん……!)


 医療の心得が無いエナミは祈るしかできなかった。

 そんな歯痒はがゆい想いで待つこと十五分。ついにテントの入口から、眼鏡を掛けた男が顔を覗かせた。従軍医師である霧島キリシマアキラその人である。


「お待たせ、傷は閉じたから中に入ってもいいよ。ただし消毒させてね」


 言うや否やエナミ達は頭からアルコール液をスプレーされた。シキは何とかまぶたつむれたが、遅れたエナミはちょっぴり、セイヤの目は盛大にみた。


「ぎゃあぁぁぁ!! 目が、目がぁぁ!!!!」

「ちょっとセイヤくん、消毒液は目に入れちゃ駄目なんだよ?」

「知ってますよ!! 誰のせいっスか、先生の馬鹿ぁ!!」


 アキラの手伝いをしている衛生兵がヤレヤレと水を持ってきてくれたので、エナミとセイヤは即座に目を洗い流した。

 霧島キリシマアキラは腕の良い医師なのだが時々こういうことをやらかす。名字を許された名家の子息でありながら、庶民出のセイヤの軽口にも目くじらを立てない温厚さはありがたいのだが。


「キミ、マサオミに手術が終わったって知らせてきて」


 アキラは衛生兵の一人に言いつけた。アキラとマサオミは少年期からの友人同士。師団内で司令のマサオミに気安くできるのはアキラのみだ。

 消毒を済ませて医療用テント内へ入ったエナミは、長方形の台の上に敷かれた布団に寝かされている姉────キサラへ近付いた。


「姉さん……」


 縫合手術は成功したようだがキサラの顔色が悪かった。不安げに佇むエナミにアキラが声を掛けた。


「医師として出来るだけのことはやった。後は彼女の体力と気力次第だね」

「………はい。ありがとうございました、先生……」


 暗い表情のエナミを左右からセイヤとシキが励ました。


「大丈夫だよ、おまえの姉ちゃんなんだからきっと強い人だよ!」

「ああ。キサラは六歳の頃からずっと隠密隊で揉まれながら育った。そう簡単に諦めるタマじゃない」


 そうであって欲しいとエナミは強く願った。出会ったばかりでもう別れが来るなんて哀し過ぎる。


「うぉーいアキラ、入んぞ」


 新たにテント内へ合流したのは司令の上月コウヅキマサオミだった。この大将はいつも物言いが軽い。親衛隊長の朱雀スザクリュウイも連れていた。


「ご苦労だったな。エナミの姉ちゃんの具合はどうだ」

「その前にマサオミ」

「ん?」

「消毒」


 アキラは司令と親衛隊長に向かって消毒液を散布した。


「あがあぁぁ目が!! アキラくそったれ、この野郎!!!!」

「軍医殿! やるならやると事前に言って下さい!!」


 悶絶する二人の元へ水を持った衛生兵が走った。

 瞳を洗浄したマサオミが改めてアキラに尋ねた。


「キサラ……だっけ? 彼女はどういう状態なんだよ?」

「うん……」


 ここでアキラは顔を曇らせた。


「決して良い状態ではないよ。この数時間が峠となる。早く処置できたのは幸いだったけれど、かなり深く斬られていて内臓も傷付いていた」

「!…………」


 目を見開いて下げた両手に握りこぶしを作ったエナミ。親衛隊長のリュウイがいかつい顔を更に険しくした。


「おいセイヤ、エナミこそ倒れそうだ。自分のテントに戻して休ませてやれ」

「俺もエナミにはそうしてもらいたいんですけど……、ここに居たいって言うんです」

「………………」


 一個小隊を任されてはいるものの、エナミとセイヤとシキは親衛隊の一員でもある。当初リュウイはこの三名の親衛隊加入を渋った。

 二年前の戦いで活躍したとはいえ、まだまだ若く徴兵に過ぎなかったエナミとセイヤ。シキに至っては敵国の隠密だった男だ。「ま、頼むわ」と凄く軽い調子でマサオミに言われたが、到底納得はできなかった。

 尊敬する上司の命令だったので嫌々面倒を見たが、数ヶ月もするとエナミとセイヤが高い潜在能力を秘めた超逸材だと判った。そして既に一流の戦士として完成されていたシキは、自分を拾ってくれたエナミに深い忠誠心を捧げていた。

 公平な男リュウイは三名を認め、今では先輩として温かい目で彼らを見守っている。


「気を落とすなエナミ。回復を信じて待つんだ」

「…………はい」

「姉の傍に居たいのならここで休ませてもらえ。軍医殿、宜しいでしょうか?」


 アキラは眼鏡を布で拭きながら答えた。


「うん。清潔にしてくれるなら僕は構わないよ。今は他に怪我人が居ないことだしね。…………ん、エナミくん? どうかしたかい?」


 アキラの指摘で全員が再びエナミに注目した。彼は驚いたようにキサラの顔へ手を触れていた。


「姉が……、姉が泣いているんです」


 弱い呼吸音で眠っているキサラの閉じた両の目から、涙が溢れて顔を伝っていた。

 アキラが付け足した。


「ああ……お姉さんね、手術中も泣いていたよ。哀しい夢でも見ているのかな」


 キサラのそれはアキオを失った涙だった。

 彼女はアキオと決別した後に行動を起こす気になれず、地獄のあの林で丸一日泣き続けていた。

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