別れ(二)

「キサラ……キサラ、冷静になるんだ」

「なれっこない! だって隊長は居なくなっちゃうんでしょう!?」


 アキオは私の目を真っ直ぐに見て肯定した。


「そうだ……俺はもうすぐ完全に……死ぬ。だからここからはおまえだけの力で、生き抜か……なければならないんだ……」


 いよいよ呼吸が弱まってきたアキオ。言葉をつむぐだけでも苦労している。それなのに私の今後ばかりを心配する彼へ、私は感情を爆発させて叫んでしまった。


「馬鹿! 隊長の馬鹿! こんなに親切にしてくれるんなら、どうして現世で私を連れて隊を抜けてくれなかったんですか!!」

「キサ……ラ……?」


 アキオは信じられないものを見るように私を窺った。


「足抜け……? おまえが……俺と一緒……に?」


 隊から脱走した者は捕まったら死罪だ。お互いに余程の覚悟と信頼が無ければ実行できない。汚れ仕事に耐えられなくなって何人もの隊員が足抜けに挑んだが、隠密隊の二十年を超える歴史の中で成功したのはシキ唯一人だそうだ。


「隊長となら私、逃げてましたよ!」


 隠密隊は仇だからと目を逸らさずに、もっとしっかり隊のみんなを見ていれば良かった。そうすればきっと、もっと早くアキオの優しさに気づけていたはずなんだ。

 アキオはフッと笑った。


「おまえが……そんな風に思っていてくれた……なんてな」


 私はアキオの手を強く握った。アキオも握り返そうとしてくれたのか、僅かにだけ指が動いた。


「だが……シキのように器用に立ち回れない……俺では駄目だ……。失敗すると判っている……足抜けに……、おまえを連れては行けない……」


 失敗して一緒に殺されても後悔しなかったと思う。隠密隊で過ごした長い日々には喜びも感動も無かった。足抜けを決行していたらたとえ短い期間だったとしても、自分を想ってくれた人と一緒に未来へ希望を抱けていたかもしれない。


「隊長……」


 私は聞いた。


「隊長は私のこと……好きでした? モロさんみたいに誘ってこなかったけど、男として私を意識していましたか?」


 サエも居るというのに踏み込んだ質問だ。でも聞いておきたかった。これによって余計に未練が生じるとしても。

 アキオは苦笑した。


「そこまで……図々しくはない……。ただ俺は……おまえの目を見ていたかった……」

「目、ですか?」

「ああ……。隠密隊へ入る人間のほとんどが……大きな失敗をして表舞台を去ったり、そもそも貧しくて出世できるコネを持たない……武芸者達だ。優れた技を持ちながら……の下を歩けない人間は皆、死んだような目をするようになる……」


 それは解る。モロもそうだった。任務が無い日は酒と女に溺れていた。あれも現実逃避の一種なのだろう。


「でもキサラ……おまえは、目の輝きを失わなかった……。汚れ仕事をしても心を保ち続け……、他の隊員達の堕落した空気に……染まらなかった」

「………………」

「俺は……おまえの目をずっと……見ていたかったんだ……」


 そう言ってくれたのに、アキオは表情がぼんやりとして目の焦点が合わなくなっていた。さっきから私と視線が交わらない。彼はきっともう見えていないのだ。


(そんな……!)


 別れが来るのだと私は悟り、胸が苦しくなって呼吸のリズムが乱れた。


「キサラ……、おまえ……は生き延びろよ。そして弟と……一緒に……これか……らは…………」

「………………」

「………………………………」


 アキオは話すことをやめてしまった。次の言葉が待っても出てこない。


「…………隊長?」


 握った手から指がダラリと垂れた。半分落ちたまぶた、開いたままの口。


「隊長……!」


 サエがそっとアキオの首筋に指を伸ばして脈動の有無を確認した。そして彼女は頭を左右に振った。


「駄目、そんなの駄目……。隊長、起きて!」


 私は握っていた手を放し、両手でアキオの肩を掴んで揺さ振った。


「起きて下さいよ、起きて! やだ、お願い、私を置いていかないで……!」


 アキオから何かが返ってくることはもう無かった。


「い……や。嫌あぁぁぁぁぁ…………」


 馬鹿なアキオ。絶対にあなたは私のことが好きだったよね?

 隊長の権限を使って性技指南とか適当に理由をつけて、一度くらい私を抱いておけば良かったのにさ。何で隠密隊なんかで見守る愛を発動させてんのよ。もっとズル賢く生きなさいよ。

 本当、不器用な人。


「隊長……隊長……」


 私はアキオの胸に顔を埋めた。泣いた時に慰めで抱きしめられたけど、男としても触れて欲しかったなと今は思う。

 イサハヤおじちゃんに対する憧れとは違う、熱い感情が血潮に乗って頭と胸を駆け巡っている。もしかして、これが恋と言うものなのだろうか?

 ……気づくのが遅いんだよ。私も馬鹿野郎だ。


「どうして隊長さんは……消えないの?」


 アキオとの別れを惜しむ私の横でサエが呟いた。消える? 何言ってんの?


「痛っ!?」

「きゃ!」


 バチッ!と痺れる感じがしたと思ったら、見えない《何か》に私とサエが弾かれた。二人してゴロンと後ろの大地へ転がった。


「隊長!?」


 身を起こした私の目の前で、アキオの身体が空中に浮かんでいた。


「は? な……何なの?」


 私は浮遊するアキオの身体へ腕を伸ばして、再度バチッと弾かれた。そしてアキオの身体はゆっくりと上昇した。


「待って! 隊長、何処へ行くの!?」


 すぐにアキオの身体は手が届かない上空まで運ばれた。


「何これ、おかしいよ! 案内人は完全に死んだら魂が下層へ落ちるって言ってた!」

「は、はい……そのはずです。実際に管理人に殺されてしまった人達は、肉体が消えた後に魂と思われる光が地面に吸い込まれていきました」


 他の魂達の最期を見届けたサエが同意した。それならば何故!


「隊長だけどうして上へ行くのよ!?」


 サエと議論している間にもアキオの身体は速度を増して上昇を続け、ついには雲の中へ消えていった。負傷して逃亡した管理人のように。


「何で……」


 ここで私は一つの可能性を見出した。


「極楽!? 隊長はイイ人だったからゆるされて極楽へ運ばれたとか!?」


 そうだったらどんなに良いか。


「……でしょうか?」


 サエは懐疑的だ。本音を言うと私も。

 アキオが根は優しい男だと知った。だけど彼は忍びとして、現世で大勢の人間を殺めている。そんな彼が極楽へ行けるとは思えなかったのである。


(隊長…………)


 私はしばらくアキオが吸い込まれた雲を眺めていた。そうしていても答えは出なかったけれども。

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