別れ(一)

 てくてくてく。丘を越えた先は樹木の数が増えて林のようになっていた。


「……あそこへ入ろう。木の葉が傘となって上から見えにくいはずだ。空を飛ぶ管理人けになるだろう」


 アキオの提案に賛成だ。林へ入る手前で私は後ろをチラリと振り返った。


「あの人、付いてきてますね」


 少し離れてサエが追ってきていた。

 忍びの私達がかなり速足で歩いてきたというのに、一般人のサエが勾配の大きい丘にもめげず、二十メートル程度後ろを付いてこられたのは凄いと思う。看護師は体力勝負の職だと聞いたことが有るが本当だな。

 戦闘力は無いが連れ歩くだけなら、サエは足手まといにならないんじゃないかな。


「……構うな。くれぐれも仏心は出すなよ。非戦闘員を護りながらの任務は難易度が跳ね上がることは……、おまえも重々承知しているな……?」

「あ、はい」


 むしろアキオの方こそ疲労の色が濃かった。


「隊長、少し休憩にしませんか?」

「駄目だ。あの管理人が復活する前に……、監視体制が緩い内にできるだけ歩き回って、地獄の地形を……知っておかないと」


 言っていることは解る。でもアキオあなた、肩で息をしているじゃない。岩山を降りた時は余裕が有ったのに、今は倒れそうに顔色が悪いよ?


「……ぐっ」


 林の中ほどまで進んだ所で、ついにアキオは片膝を地面に付けた。


「隊長!」


 私は彼に駆け寄った。


「無理しないで休みましょう。いや強制的に休ませます!!」


 私は強引に彼の身体を押し倒して寝転がらせた。それが簡単にできてしまったことに驚いた。私より数倍強い彼がされるがままになるなんて。……これはただの疲労ではないの?


「隊長……さっきの戦いで何処か負傷したんですか? それか、もしかして持病とか有ります?」


 私は不安になった。アキオは苦しそうではなく、弱々しかった。管理人を退けた勇ましい彼と同一人物とはとても思えない。見たところ怪我は無いようなんだけど……。

 アキオは右手で拳を造ったり開いたりを繰り返した。そして悔しそうに顔を歪めた。


「くそ……力が入らない……」


 怖い。アキオの身体に何が起きているというのか。後方を見るとやはり付いてきていたサエが、何が有ったのかとこちらを窺っていた。


「サエ! 看護婦! 仲間にするから手を貸して!!」


 私が大声で呼び掛けると嬉しそうにサエが駆けてきた。まだ走る体力を残していたとは大したものだ。


「馬鹿者が……キサラ、無駄な荷物をしょい込むな」

「今は隊長の身体の方が大事です!」


 怒鳴った私へアキオが意外そうな表情を返した。

 ハハハ、私も意外だよ。でもね、あなたのことけっこう好きになっちゃったんだ。放っておけない。


「どうしたんですか?」


 サエが隣に来て屈んだ。


「判んない! でも隊長の具合が悪そうなの。お願い、医療従事者として彼をてちょうだい!」

「は、はい。失礼します!」


 サエはすぐにアキオの衣服を緩めて、彼の肌に直接触れた。


「熱は無し、浮腫むくみも無し、怪我も……見当たりませんね」


 アキオの左手首に人差し指と中指を添わせてから、サエは困り顔で私へ言った。


「原因は判りません。でも……脈がとても弱いです」

「そんな……どうして? 隊長……」


 何をしてあげればいいんだろう。熱が有れば冷ましてあげればいいし、怪我が見つかれば手当ができるのに。

 アキオは悟ったように微笑んだ。


「そうか……、その時が……来たんだな」


 意味が解らない。でも追及するのが怖くて私は黙った。

 だというのに、ああ、アキオの馬鹿。彼は自ら最悪な事態を告げてきたのだ。


「……現世に残した俺の肉体が、……生命活動を停止しようとしているんだろう」

「そんなこと!」


 私は即座に否定した。


「私はまだピンピンしています! 隊長だって大丈夫ですよ! ちょっと疲れちゃっただけです!!」


 アキオは小さく頭を横へ振った。


「射貫かれて俺の方が先に倒れた……。それに……あの小隊長殿はおまえの弟だったんだろう? きっとおまえはモロに斬られた後に……手当を受けられたんだ……」

「あ……」


 そうかもしれない。私は弟に背負われて桜里オウリの軍医の元へ運ばれた。


「管理人と戦った時……、最後の一太刀で勝負を決めるつもりだったのに……」


 あの水平斬りか。


「力が……思ったように入らなかった。それでもしやと思って急いで行動したんだが……、予想よりも……早く限界が来てしまったみたいだ」


 アキオは予測していたのか。自分の命のともしびが間もなく消えることを。


「ど、どうすれば、どうすれば隊長は良くなりますか!? 休めばいい? 指示を下さい!」


 焦りで我を忘れそうになった私の左手を、アキオの右手が握った。弱い力で。


「落ち着け。もう……どうしようもない。現世の肉体には手を出せない……」


 嘘だ。ちょっと待って。急にそんなこと言わないで。

 アキオは真剣な眼差しを私へ向けた。


「キサラ、よく聞け。おまえ一人では……管理人に勝てないだろう。身を隠して進むんだ……。運悪く……出会ってしまっても戦わずに……」

「聞きません!」


 私が欲しいのはそんな指示じゃない。それは隊長としての最後の言葉……、遺言じゃないか! 聞いてしまったら全てが終わる気がした。


「キサラ、聞け」

「やだ! やだやだ!!」


 駄々をこねる私を見てアキオは困惑した。そりゃそうだろう、隠密隊では洗脳された振りをしていたから、聞き分けの良いキサラしか彼は知らないのである。

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