望まぬ邂逅(一)

「……とにかくここから下へ降りるか」

「そっスね」


 硬い地肌の岩山ではまともに戦える気がしない。こんな所で死神と呼ばれる管理人に襲われたら大変だ。

 私とアキオはゴツゴツした斜面を慎重に下った。

 整備された下山道など無い。滑り落ちないように、いつでも手を付けられるように身体を低くして進んだ。かと思えば、岩壁にへばり付く姿勢を取らなければならない難所も有った。


「握力がたな~い! 命綱が欲し~い!!」

「愚痴てないで集中しろ! 気を抜くと落ちるぞ!!」


 別方向に飛んでいった案内鳥から推測して、魂はいろいろな場所に落ちているようだ。そんな中で岩山に落ちちゃった私達はすこぶる運が悪いと言えよう。幸い身のこなしが軽い忍びだから何とかなっているが、一般人や子供だったら始まりの時点で詰んでたよ?


「ひいい……。腕と脚がガクガクします……」


 岩山と格闘すること数十分、ようやく草の生える土の地面に足を着けた。これで滑落して死ぬ危険が回避できたと、緊張から解放されたら抑えていた疲れがドッと湧き出た。


「五分間の休憩とする。身体を楽にしろ」

「え、でも現世の肉体がいつ生命活動を停止するか判らないから、一秒も無駄にはできませんよ」

「五分だけだ。疲労した状態で無理をしても満足な動きはできん」


 休憩は完全に私の為だった。体力的にアキオにはまだ余裕が残っていそうだもの。彼だって肉体のタイムリミットのことが気掛かりだろうに。

 ……イイ男なんだよなぁ。何度も一緒に任務をこなしてきたくせに、今日まで全く気づけなかった。


(きっとこう思えるのは、エナミに会えたからだ)


 私はずっと心にふたをしていた。家族をバラバラにした隠密隊、命令を下した国防大臣の京坂キョウサカレイ、洲央スオウの頂点に立つイズハ国王。周囲全てを敵だと思って誰にも心を許してこなかった。

 でも弟が生きていて、ずっと私を想ってくれていたと知った途端、それまで抱えていた恨みの感情が彼方かなたへ吹っ飛んでいった。闇が晴れて、狭かった視界が急に広くなった感覚だ。

 今はただエナミと話したい。父さんや母さんのこと、彼自身のことを。


 エナミは幸せな少年時代を過ごせたのだろうか。

 再会した時、エナミは忍びとなっていた私を見ても驚いていなかった。父さんがおおよその事情を伝えていたのだろうか。それとも前隊長のシキが話したのだろうか。

 そもそもシキは何でエナミと一緒に居るの? しかも「ご主人」とか呼んでいなかった? 何が有ったん?


「時間だ。行けるな?」

「はいっ!」


 私の呼吸はもう整っていたのですぐに立ち上った。休憩中、草の上で柔軟体操をしていた私はあることに気がついていた。


「隊長、この草にアブラムシが付いてますよ。虫も罪を犯して地獄に落ちたんでしょうかね?」

「虫がかぁ? こいつらに罪を犯せるだけの知能が有るのか?」


 地獄に落ちる基準が判らない。考えていても答えが出ないので出発することにした。

 改めて周辺を窺う。背後には下ってきた岩山、前面には深いやぶ。右手には草原。左手にはポツポツと木が生えた丘。


「どっちへ進みます?」

「……丘方向へ。藪は進むのが困難だ。草原には隠れる場所が無い」

「そうですね……」


 山を下ったばかりなのに、今度は丘を登ることになるのね。だけど私もアキオの意見に賛成だった。藪は蛇とか猪とかが潜んでいる雰囲気で断固パスしたい。虫が居るのだ、獣だって存在しているだろう。

 そして草原で桜里オウリ兵の奇襲を受けた私達は、心情的にそちらを避けたかった。見通しの良い場所はコリゴリだ。


「そう言えば、管理人ってどうやって見分けたらいいんでしょう。元は私達と同じ人間なんでしょう?」


 消去法で丘へ向かった私達は、なだらかな斜面に地味に体力を削られていた。気を紛らわせたくて私は並んで歩くアキオに話し掛けた。


「そうだな。案内人に聞いておけば良かった」

「あいつ終盤、質疑応答を終わらせる為に急かしてきましたからね。クソですよ」


 丘の一番高いと思われる地点まで来た。目を凝らして遠くまで見渡す。


「……白い塔らしきものは見えたか?」

「見えないです。近くには無いみたいですね。それとも思っているより小さいのかな」


 塔と言うので五重塔みたいな立派な建造物を想像していたのだが……。


「どうします? 燈籠とうろう並みにしょぼかったら」

「阿保か。現世に還るには中に入って石板に手をかざすらしいじゃないか。燈籠の中にどうやって入るというんだ」

「そっか、そうですよね! そんな小さい塔に無理して入ったら着ぐるみの埴輪はにわみたいになりますね。アハハハハ!」


 自分のお馬鹿な発言が可笑しくて私は笑ってしまった。そんな私をアキオが意外そうに見つめた。


「……何ですか?」

「いや、そんな風に笑うおまえを初めて見たから。いつもは愛想笑いだけだっただろう?」


 そうかも。お腹の底から笑ったの、言われてみればずいぶんと久し振りだ。


「隊長だっていつもとは違いますよ。ここでは私の為に時間をいてくれてますよね?」


 泣かせてくれたし、休ませてもくれた。


「現世では指示を出して報告を聞くだけで、素っ気無い態度だったのに」


 私の指摘にアキオは顔を曇らせた。彼はらしくない小声で言った。


「それは……俺が隠密隊に所属する忍びだから」

「はい?」

「おまえは親の仇の隠密隊を憎んでいるだろう? 俺ともあまり関わりたくないと思っていたんだ」

「え……」


 もしかしてアキオ、あなたの現世での私への態度は……。


「隊長は……、私を気遣って距離を置いてくれていたんですか?」

「………………」


 アキオは答えなかったが、そうなんだろうと私は確信した。

 うわあぁぁぁぁ何この人、滅茶苦茶イケオジだったよ! 現世でもっと親しくなっておくんだった!!


 私はシキのように隠密隊を抜けたいと思っていた。でも私一人の力では確実に追っ手に殺されると思って諦めていた。足抜け仲間を募ろうにも、私は他の隊員を信用できなかった。

 でもこの人なら。私を殺そうとしたヒサチカに「俺を殺せ!」と庇ってくれたこの人なら。

 アキオ……、私がもっと素直にあなたになついていたら、あなたは私を連れて逃げていてくれた?


 アキオを見つめ返したのだが、すぐに彼に目を逸らされてしまった。

 照れたのではない。私より気配の察知が早いアキオは、空へ視線を定めていた。


「キサラ……気をつけろ」


 言われて私も空を注視する。曇り空を飛ぶ黒い影が見えた。案内鳥が戻ってきたのかな?


「!」


 違う。影は鳥よりも大きい。あれは翼を生やした人間(?)だ。こちらへ急降下してくる。


「二手に別れろッ!!」


 私とアキオは左右に飛び退いた。そこへ……


 ズガンッ!


 大きな鎌が振られて、二人がさっきまで居た地面が削られた。

 砂埃がもうもうと上がる大地へ、顔を覆う仮面と白い衣装を身に着け、背に大きな黒い翼の生えた男性が降り立った。

 瞬時に悟った。人でありながら人ならざる者、これが死神──────管理人なんだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る