地獄と現世

地獄の第一階層へようこそ(一)

 世界が始まった瞬間はどんな感じだったのだろう?

 何も見えない何も聞こえない無の空間に、初めて生まれたのは光だったのか音だったのか。

 昔、神様が世界を造った絵本を誰かが読んでくれた気がする。でも神様を信じていない私はその内容を思い出せなかった。


「…………! ……!」


 私の閉じた世界へ最初に届いたのは、音の方だった。


「…………きろ、しっかりし……、……ラ!」


 せわしなく誰かが叫んでいる。


「……サラ! おいキサラ!!」


 それが私に対する呼び掛けだと理解した途端、身体に有った浮遊感が消えて背面が硬い何かに支えられた。


「……………………」


 うっすらと目を開けて見ると、逆光になってるが見知った男が私の顔を覗き込んでいた。


「………………。隊長?」


 そこには隠密隊の現隊長であるアキオが居た。

 ええ? 彼はセイヤと言う弓兵に胸を矢で射られて絶命したんじゃなかったの? 右肩にも矢が刺さっていた記憶が有る。


「隊長……? あ、あの……平気なんですか?」


 アキオの胸や肩に矢は刺さっていなかった。そして彼は渋い表情を作ってはいるものの元気そうだ。死に瀕した人間には見えない。

 目を動かして辺りを観察すると、私のふくらはぎを貫通した矢も無くなっていた。


「……夢を見ていたのか……」


 自分がゴツゴツした岩肌の上に寝そべっていることに気づいた私はそう結論づけた。いてて。寝るには適さない場所だ。何だってこんな所で横になっているんだろう?

 ここが何処かは判らないが、周辺に私達以外の人間は見当たらなかった。桜里オウリ兵も、シキ前隊長やキキョウにヒサチカ……、全部私が夢で造り出した幻だったんだな。

 ……………………エナミのことも。


 あ、ヤバイ。エナミのことを考えると涙が出そうになる。

 良かったじゃない、夢でさ。アキオは生きているし、生き別れの弟と再会した直後に殺されるって哀しい現実は無かったんだから。


「あの隊長、ここは何処ですか? それにモロさんは?」


 夢の中で私の背中を斬ったモロの姿が無いので聞いた。三人で任務に当たることになったのは現実だよね? どこまでが夢だったのか寝起きで頭がイマイチ働いていない。


「……モロに関しては判らん。俺がまずここへ来て、ちょっとしてからおまえが落ちてきたんだ」

「落ちてきた? 何処からですか?」


 アキオは顔を上げた。目線の先には雨を含んでいそうな暗い曇が広がる空が在った。


「…………はい?」


 まさか空から私が降ってきたなんて言わないよね。童話じゃあるまいし。ざっと見渡してみた感じ、ここは岩を多く含む山の中腹っぽい。高い所から落ちて岩盤にぶち当たったら死ぬでしょーよ。

 私のいぶかしむ視線を受けたアキオは決まりの悪そうな顔をした。


「疑われようが真実だ。小さな光の玉が空から落ちてきて、大地と接触したと思ったらおまえの姿になったんだ」

「え…………」

「自分のことは見えなかったが、たぶん俺も同じように落ちてきたんだろうな」

「え、ええ?」


 何だよそれ。落ちてきた? 凄く凄く嫌な予感がした。


「……隊長、私はどうしてここに居るんですか……? 私達の身に……何が起きたんですか?」


 アキオは一度唇を噛んだ。そしていつもの険しい雰囲気を消して、憐れむように私を見た。


「残念だが、おまえ死んでしまったんだろう。シキのあの口振りだと、おまえは殺されずに済むと思ったんだが」

「………………は?」


 シキ? シキってあのシキ? 彼は夢の中の登場人物でしょう?


「すまない、俺のせいだ。桜里オウリの忍びにまんまと騙されて、敵の狩り場に全員で踏み込んでしまうとは大失態だ。おまえ達は待機させて俺一人で向かうべきだった」


 謝罪するアキオの弁を聞いて、私は身体がまた冷える感覚に陥った。


「待って、待って下さい隊長! シキに桜里オウリの忍びって……あれ、あれは現実に遭ったことなんですか!?」


 アキオはもう一度唇を噛んだ。そして忌々しい事実を言葉にした。


「……現実だ。俺はシキに刀を向けたが矢で射られて死んだ。おまえについては判らない。俺が知る限りでは脚の負傷だけだったんだが」


 私は上半身を起こして手を背中に当てて傷を探した。服は破れていない。指先に血も付かない。


「背を斬られたのか!? シキめ、身柄を預かると言っておきながら卑怯な真似を……!」

「違う……、私を斬ったのはモロさん……」

「なっ、モロがおまえを斬ったのか!? 何故!?」

「モロさんが斬ろうとした人を私が庇ったから……。ねぇ隊長、私に傷は無いよ! だから死んでなんかない!! ね、死んでないよね!?」


 半狂乱となった私は隊長への敬意を忘れた。だって、あれが現実だったら私はエナミと…………。


「俺にも傷は無い。消えた。でもあの状況で生きていられるとは思えない。きっとここは……」


 アキオは一旦言葉を切ったが、意を決して言った。


「死後の世界なんだ」

「!…………」


 全身を雷に貫かれたような衝撃が走った。モロに斬られた時よりも痛く鋭い。


「…………嫌」

「キサラ……」

「嫌だっ、そんなの嫌ぁぁ!!」


 取り乱した私の肩をアキオが両手で押さえた。


「キサラ、落ち着け」

「弟なの!」

「?」

「弓小隊のエナミ小隊長、彼は私の弟だったのぉぉ!!!!」


 アキオが目を見開いた。


「弟…………? あの小隊の隊長は行方不明だったおまえの弟だったのか? 本当に……?」

「そう言ってるじゃない!」

「おまえを姉と知って、だから俺達の命を護ろうとしたのか……?」

「やだよ、死んじゃったなんて嫌。せっかくエナミに会えたのに、もう二度と会えないなんて嫌だ────!!」

「キサラ……!」

「嫌ぁ────────!!!!」


 死んでいるはずなのに目が熱くなって涙が溢れた。あれが現実だったなんて。私は子供のように大声を出して泣きわめいた。

 叫ばなければ気が狂いそうだったのだ。

 私を見て涙をこぼしたエナミ。おんぶしてくれたエナミ。思い出してしゃくり上げた。息が苦しい。胸が痛い。


(どうして。どうして。どうして)


 自分の不運を呪うしかなかった。モロは忍びとしての職務を果たそうとしただけだ。隠密姉弟も。悪いとしたらそれはめぐり合わせだ。


 二、三十分は泣いていたんだと思う。

 泣き疲れて冷静になって、ふと気づいたのは人の温もりだった。私が泣いている間中ずっと、アキオが無言で私を抱きしめていたようだ。

 死後の世界だってのに、アキオの服は私の涙と鼻水でグシャグシャになっていた。

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