眠り姫(二)

 タタタタタタタ。

 怪我のせいで疾走とまではいかないものの、割と速足で私は深夜の街を駆けていた。そんな私に、脇道から合流してきた男が影のようにくっついて並んで走った。


「始末できなかったとは失態だな、キサラ」


 私の名前を呼んだ男へこたえた。


「すみません隊長」


 並走男は私が所属する隠密隊を束ねるアキオだ。目立たぬように服装は何処にでも居る町人風だが、鋭い眼光は一般人のそれとは違った。自己申告によると確か来年四十路よそじに入る。耳に掛かる髪に白髪が出始めていた。


「あの赤い髪の侍はそれ程の手練れだったのか?」

「でした」


 あいつの剣士としての強さはまだ判らない。でも実力を測れなかったと答えると余計に怒られそうなので誤魔化した。まー、性欲方面では強かったら噓は言っていない。


「情報は得られたか?」

「……侍は四日後に、真木マキ派のリーダーにこの街で会うとか言っていました」

真木マキイサハヤがこの街へ来るのか!?」


 真木マキイサハヤは反乱軍の中心人物の一人だ。王国兵団の高官で「不敗の将軍」の二つ名を持っている。彼に憧れて反乱軍に参加する若者が後を絶たない。

 隠密隊が真木マキイサハヤを暗殺できれば、反乱軍の勢いを大きくげるだろう。そんなことは私が絶対にさせないけれど。


「でもあの赤髪、私のことを最初から怪しんでましたからガセネタの可能性が高いです。もし本当だとしても、私がくのいちだってバレたので予定を変えるでしょうね」


 隊長アキオはこれ見よがしに大きな溜め息を吐いた。走っている途中に呼吸を乱すと疲れるよ? 来年初老なんだし。


「つまり今夜の収穫はゼロだった訳だ」


 すいませんねぇ。

 アキオは今夜、宿屋の下の部屋で私と赤髪の動向をずっと窺っていた。いざという時の助っ人として待機していたのだ。

 でも私はアキオに礼を言う気分にならない。補佐という名目で、彼が私を監視していることを知っているからだ。


 隠密隊は優れた腕を持ちながらも、道を踏み外してでは活躍できなくなった者達をスカウトして集めた組織だ。隊長のアキオも以前は名の知れた剣豪だったらしいが、護衛任務に失敗して仕えていた主を死なせてしまい信用失墜、それで闇稼業へ流れ着いた。

 ほとんどが他に行き場所の無い連中なので、忍びという汚れ仕事専門の職でも甘んじて受け入れている。


 しかし私は違う。私は六歳の時に隠密隊に親を殺された。そして仇である彼らにさらわれて組織へ強制加入させられたのだ。

 まだ死にたくないから表面上は洗脳されたように装っているが、内面では反抗心が天井知らずにニョキニョキ育っている。

 私が二十三歳になった今では、家族を襲った当時のメンバーのほとんどが戦死してこの世に存在していない。それでも組織として存続する限りは親の仇だ。隊の人間に心を許せる訳がない。


 アキオは私が従順なフリをしているだけだと見抜いている。そしていつか隊を足抜けするのではないかと危惧している。実際抜けたい今すぐにでも。

 だから私が任務に当たる際には補助役として必ず監視を付けてくる。今回のように隊長自らが出てくることも珍しくない。


 そんなに心配なら私を殺してしまえばいいのにね。でも勿体なくて踏み切れないんだなこれが。

 私はね、真木マキイサハヤに対して強力な切り札にり得る存在なんだよ。実は反乱軍リーダーの彼と繋がりが有る。


(イサハヤ……。私のこと忘れてないよね?)


 彼は亡くなった父の親友だった。昔は家に何度も遊びに来てくれて、私のことをとても可愛がってくれた。

 ここだけの秘密だが、凛々しく男前なイサハヤおじちゃんは私の初恋の相手だったりする。


(おじちゃんに会いたいなぁ。でも今の私を見たらガッカリされるだろうなぁ)


 暗殺者になった点ではない。優しかったおじちゃんなら私を取り巻く環境に憤慨して涙を流してくれるだろう。

 ガッカリポイントは私がれた女になってしまった所だ。くのいちは女の肉体も武器の一つとして使う。おじちゃんが知る六歳までの純真無垢なキサラとは違い、今の私は男の裸を見ても動揺しないし、何なら拷問で股間に生えているモノを掴んで引っ張ることもできる。蛇を振り回す野生児のように。


「……どうした」


 私も大きな溜め息を吐いたのでアキオがいぶかしんだ。


「いえ、任務に失敗したことが悔しく…………ごふっ」


 やっぱり呼吸が乱れて苦しくなった。走っている時は走ることのみに集中しないとね。

 それから私とアキオは無言で闇の中を駆けた。



☆☆☆



「よぉキサラ、夕べは大変だったようだな」


 隊長室から出てきた私に声を掛けたのは、ハセという名の老剣士だ。

 隠密隊のアジトへ戻ってきて傷の手当を受けて、アキオの長い小言を聞き流していたら夜が明けていた。それでもまだ五時くらいのはずなのにハセはもう起きていた。老人は朝が早い。


「……どうも」


 ハセは隠密隊の最年長メンバーだ。たいていの者が四十五歳までに命を落とす中で、彼は七十六歳の今でも健在である。流石に現場は退いて今は後進の指導に当たっているが。あと掃除を積極的にやってくれるので有り難い存在だ。


「まぁ命が有りゃあ何とでもなるさ」


 現役時代のハセは殺気で常にピリピリして近寄りがたいジイさんだったが、現在の彼は一転して話しやすい好々爺こうこうやと化している。

 彼が引退する決め手となった事件は半年前だ。反乱の意を表明したイサハヤおじちゃんを暗殺しに六人の仲間と共に赴いたハセは、州央スオウ最強とうたわれるおじちゃんから見事な返り討ちにされた。おじちゃんてば超カッコイイ。

 他の仲間は死亡。ハセだけは命からがら逃走に成功したものの、斬られた傷が元で高熱を出して一昼夜、生死の狭間はざま彷徨さまようことになった。


 何と瀕死状態のその時、ハセの魂は地獄に落ちていたそうだ。当人談。


「ねぇハセさん、地獄って本当に在るの?」


 地獄での体験がハセの人生観を変えたと彼は主張している。周りの皆は「地獄なんか在るもんか。ハセもついにボケたな」と馬鹿にしている。


「お、キサラは地獄に興味が有るのかい?」

「うん。だって……私は死んだら絶対に地獄行きだろうから」


 もし本当に死後の世界が在るとしたら、沢山の人を殺めた私は極楽へは近づけないだろう。それについては諦めている。

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