眠り姫(三)

「それなら詳しく話してやろう。茶でも飲みながらな」


 ハセ爺ちゃんは私をアジトの食堂へ誘った。広い空間だが早朝なもんで誰もおらず、私達の貸し切りとなった。

 いそいそと大先輩であるハセが自ら緑茶をれてくれた。嬉しそうだな。老人は話し相手を欲しがるというから。


「いただきます」


 私は茶をすすった。温かい液体が疲れた身体に染み渡っていくようだ。


「ワシも死後の世界なんて信じていなかった。死んだらそれで終わり……そう思っていた。だがな、地獄は存在していたんだ」


 ハセは遠い目をして死にかけた時のことを語り始めた。


「ワシが落ちたのはな、地獄の入口、第一階層だった」

「ん? 地獄には階層が在るの?」

「おう。完全に死んだ人間の魂は下の階層に落ちて、生前の罪に合わせた刑罰を受けるそうだ。ワシのような瀕死状態の奴は第一階層に留まる」

「そうなんだ」

「ま、全て地獄の案内人に聞いたことなんだがな」


 案内人?


「ちょっと待ってハセさん、地獄には懇切丁寧こんせつていねいに説明してくれる人が居るの?」


 何だか私が抱く地獄のイメージと違う。子供の頃に読んだ絵本では、頭に角を生やして虎柄のパンツを穿いた鬼さんが、問答無用で亡者をいたぶる世界だった。


「居たんだよ。しかも驚くことにな、案内人は喋る鳥だったんだ! 信じられるか? 鳥が人間の言葉を話すんだぞ!?」

「それは驚きだね」


 喋る鳥なら案内じゃないじゃんというツッコミは控えた。


「やっぱり血の池とか針の山とか在ったの?」

「無かった。景色的には現世とほとんど変わらない。いつも空が曇ってどんよりとしていたが」


 ますますイメージと違うな。


「そしてな、生者の塔と呼ばれる白い建造物が在ったんだが……、そこへ行くと何とビックリ、彷徨さまよっていた魂は現世に戻ってこられるんだ」


 救済措置まで有るのか。


「地獄って別に怖い場所じゃないんだね」

「いや……ヤベェ場所だった」


 老剣士は目を細めた。


「地獄には管理人と呼ばれる死神が三人居るんだよ」

「死神……!」


 急に物騒な話になった。


「管理人は第一階層に留まる、死にぞこないの魂を刈り取ることを仕事にしているんだ。つまりワシらだな」

「ハセさんの他にも第一階層には人が居たの?」

「ああ。国で内乱が起きているせいで沢山の魂が第一階層に落ちていた。だがみんな管理人にられて下の階層に落とされていた」

「瀕死状態から完全に死んだってことだね……」


 魂を刈り取る死の神。きっと恐ろしい容貌をしているのだろう。想像して身震いした。


「瀕死の状態なら管理人から逃げられないよね」

「いやそれがな、地獄では現世で受けた傷や病気が回復しているんだ。愛用の刀も持ってた」

「え、じゃあハセさん戦えたの?」


 怪我の後遺症で今は機敏に動けないが、半年前までハセは相当に強かった。剣術稽古で私は毎回打ち負かされていた。


「戦えたよ。だが管理人はワシよりもずっと強かった。あんな化け物とまともに渡り合えるのはくらいのものだろうて」


 言ってからハセはしまったという顔をした。


「……アキオには内緒な?」


 私は頷いた。隠密隊ではシキと言う男の名前が禁句となっている。特に彼を褒めることは御法度ごはっとだ。シキは唯一、足抜けに成功した忍びであるのだ。

 私達は国の暗部に関わる仕事をしている。その忍びがよそへ行くということは、国の機密情報が外に漏れるということだ。だから隠密隊を抜けることは決して許されない。怪我や病気で戦えなくなった者も、ハセのように雑務の仕事を振り分けられて隊に残留する。

 しかしシキは抜けた。当然彼の元へは刺客が差し向けられたが、シキは追っ手を皆殺しにして州央スオウの国境を越えたという。


「シキは何処へ行ったんだろうね」

「方向としては桜里オウリらしいが、あの国は州央スオウと戦争やってるからなぁ……」


 シキは州央スオウの忍びとして長年働いてきた。そんな彼を信用して敵国が受け入れるとは思えない。よっぽど懐の広い将でも居れば話は別だが。


「シキの話はこれで終わりにしよう。アキオが聞いたらまた機嫌が悪くなる」


 シキはアキオより五つも年下でありながら、腕を見込まれて隠密隊の前の隊長を務めていた。アキオはそれが面白くないのだ。

 隊長が足抜けってことで当時は大騒動となったなぁ。


「じゃあ話を戻すね。ハセさんは今こうして生きているんだから、地獄で管理人に殺されなかったってことだよね? どうやってしのいだの?」

「情けねぇが隠れてひたすら逃げ回った。それでも見つかっちまったけど……」


 ハセは一呼吸置いてから続けた。


「ワシがられる寸前にな、管理人に待ったを掛けた男が居たんだよ」

「?…………」

「そいつは女と見間違う程の綺麗な顔をした兄ちゃんだった。美丈夫って言うんかな」

「へぇ……」


 私の反応は薄かった。だって任務で男の一番汚くてズルい面を散々見ているんだもん、今さら男に幻想を抱けないよ。あ、イサハヤおじちゃんは別ね。


「顔は綺麗だったが妙なすごみが有ったな。兄ちゃんはワシの胸倉を掴んでこう言ったんだ。おまえは生かして還してやる。現世へ戻って地獄が存在することを広めるんだ、ってな」

「へ? その人はハセさんに地獄を宣伝しろと言ったの?」

「そうだ。人はおそれの気持ちが足りないから罪を犯す、地獄が存在すると知ったら少しは己と向き合う人間が増えるだろう、ってさ」

「なるほど……。でもその男って何者? 管理人を止められるなんて」

「兄ちゃんの正体については判らん。だがワシが伝道師に選ばれたのは年寄りだからだろう。大怪我もしているしな。現世でもう人を斬れないと兄ちゃんは判断したんだ」


 実際ハセはもう戦えない。剣士としての寿命は尽きた。

 ……かなりまともな考えを持つ者が地獄には居るようだ。でもさ、私のように逃げられずに汚れ仕事をやっている人間はどうしたらいいの?


「ふぁ……」


 ここで不意にあくびが出た。


「ごめんハセさん、お話は凄く興味深いんだけど眠気が限界突破。徹夜仕事だったから」

「おう寝ろ寝ろ。起きた後の予定は?」

「今日はもう仕事が無いらしいから一日寝てる」

「ハハッ、おまえは本当にだな!」


 ハセに渾名あだなでからかわれた。私は自由時間のほとんどを眠って過ごしている。そこから眠り姫と渾名をつけられた。

 だってしょうがないじゃない。現実世界がつら過ぎるんだもん。夢の中に逃避したくなるってもんよ。


 私が家族と笑い合えるのは、もう夢の中でしかできないのだから……。

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