空に月 地のこだま

水無月礼人

現実こそが残酷で

眠り姫(一)

 ………………。

 ………………。

 ………………。


 眠ったフリをしていた裸の私は、固い寝台の上に音を立てないように身を起こした。肌の火照りはとうに消えていた。

 これまた静かに衣服を身に着けた私は、寝台で横向けになって眠る哀れな全裸男へ目をやった。娼婦に扮した私からたっぷりサービスを受けた彼は疲れたのだろう、安宿の質の悪い寝具の中でまるで起きる気配が無かった。


(こいつ、大した情報を持っていなかったな。それとも口が堅いのか)


 三十歳に届くか届かないか、男はまだ若く見えた。張りの有る筋肉に整った顔立ち。髪の毛が炎のように赤く染められていた。畳の上に放り投げられた着物のえりには、明るい色の糸で刺繡ししゅうが施されている。相当な伊達男だ。さぞかし女にモテてきたのだろう。だがそれも今日までだ。

 私は髪紐をほどいた。これからこれを使って男を絞殺する。

 男の人生を終わらせようとしている私には、躊躇ためらいも謝罪の言葉も無い。これが私のなのだ。


 私が生まれ育った州央スオウの国では、現在内乱が起きている。

 強権政治を敷いてきた現国王に対して、佐久間サクマ真木マキ御堂ミドウの三氏族が反旗をひるがえしたのだ。

 これだけでも大事件なのだが、間の悪いことに我が国は隣国と二年半前から戦争状態だったりする。

 まぁだからこその内乱かもしれない。軍事費を捻出する為に、もう何年も重税が続いているからね。国民は鬱憤うっぷんを溜め込んでいる。それでも年配者は長年続いてきた王室に忠誠を誓う者が多いが、若い世代は「今こそ国を変えよう!」という思想に傾いている。


 私だって王室は嫌いだ。嫌いどころか滅んでしまえばいいと心の中で呪っている。

 そんな私は皮肉なことに、国王の為に働く忍びの一人だ。心底うんざりするが仕方が無い。命令に逆らえば私が上司に殺される。忍びは自由意志を持てないのだから。


(抵抗しないでね。その方が苦みが短く済むよ)


 さっきまで私と肌を重ねていた赤髪の男は、寝台で穏やかな寝息を立てている。

 真木マキ一派に所属する中堅侍と思われるこの男。彼から反乱軍の情報を聞き出し、そして始末をする。それが今日私に与えられたお役目だった。


「!?」


 男の赤い髪が揺れた。

 起こしてしまったか!? 答えが出るよりも先に、髪紐を男の首へ巻き付けようとしていた私の手首が、男に掴まれて寝台へ強く押し付けられた。

 低い姿勢となった私を、上半身を起こした男が見下ろしていた。物音をさせないように気をつけたのに、いつから目覚めていたの?


「ハハハハハ、やけに上玉だと思ったらだったか」


 全く慌てる素振りを見せずに男は朗らかに笑った。状況を把握しているってことは最初から寝ていなかったんだ。野郎。


「なぁお嬢さん、あんた何処の所属?」


 ニヤけた表情で男が顔を近付けてきた。私は狙いすまして男の顎に頭突きを食らわせた。


「ぶほっ」


 った男の指から手首を抜き取った私は、寝台横に立て掛けてあった男の刀へ手を伸ばした。しかしそこに在ったのはさやのみだ。


「残念でした、中身はこっち~」


 寝台の反対側に真っ裸で立つ男の手に、抜き身の長太刀が握られていた。危険を察知して武器を移動させていた模様。……いつの間に?

 忍びである私の目を欺くなんて。してやられた悔しさを滲ませながら私は聞いた。


「……最初から私を忍びだと見抜いていたの?」

「いや? 俺さ、警戒するのが日頃の習性になってんだよね」


 男はそれなりの修羅場を経験してきた侍のようだ。


「警戒してんなら、の前に私の身体をあらためれば良かったじゃない」


 それを見越して刃物を持ってこなかったのに。


「いやいやいや、ヤル前にそんなことしたら白けるだろ。むつみ事にはムードが大切だからな」


 はぁ? 寝首をかれるかもしれないのにムード優先? 馬鹿なの?


「…………。あんたに怪しい女とは寝ないという選択肢は?」

「無い」


 男は真っ直ぐな瞳で言い切った。馬鹿だった。

 暗殺稼業に身を置いている私ではあるが、殺すと決めた時は迅速に、できるだけ相手を苦しめないように心掛けている。それが命に対する礼儀だと思っているからだ。

 しかし今は考えずにいられない。あいつの股間を蹴っ飛ばしたらさぞかし気持ちがいいんだろうな、と。


「大人しくしてな? あんた程イイ女は貴重だ。斬りたくない」


 男は太刀の切っ先を私へ向けた。こちらが丸腰だと見抜いているのだろう。余裕ぶりに更にムカついた。


の具合も良かったしさ。流石はくのいち」


 死ね。

 心底殺したいが厳しい状況だ。奴の剣の腕前はまだ不明だが、リーチの長さで既に私が圧倒的に不利だった。


「ちょっと話をしようや。俺達は仲良くできるかもしれないぞ?」

「?」


 私を仲間に引き入れようとしているのか? 隠密隊を足抜けできるならとっくにやってるよ。


「油断させて逆に私から情報を引き出したいのね? 忍びが簡単に口を割ると思われるなんて、ずいぶんと舐められたものね」

「いやそうじゃなくてさ、確認したいんだけど……」

「やめてっ、乱暴にしないで!!」


 私は急に大声を出した。


「おい何だよ、急に……」


 男の太刀先を見据えたまま、私は声を張り上げた。


「嫌っ! そんなことしたくない! やめて!!」


 深夜で壁の薄い安宿、私の悲鳴は建物内に響き渡ったはずだ。案の定、少ししたらドタドタと廊下を乱暴に歩く音がして、私達が居る部屋の扉が許可無く引き開けられた。

 そこに居たのは不機嫌そうな宿の女将おかみと用心棒らしき下男。女将は化粧を落としているが髪を綺麗に結わえたままだ。これから寝ようとしている所を邪魔してしまったようだな。


「ちょいとお客さん、揉め事は勘弁してもらいたいねぇ……あらあらあら♡」


 還暦間際と見える女将は自分がすっぴんであることも忘れ、私に刀を向ける赤髪の均整の取れた肉体へねっとりとした好色な視線を向けた。全裸の奴は太刀だけではなく股間もずっと抜き身状態だった。視姦された赤髪は「うへぇ」と顔をしかめた。

 皆の注意がれたその瞬間、私は出入口とは逆、窓に向かって全速力でダッシュした。


 ドガシャン!!!!


 私は窓へ体当たりをかまして破壊し、そのまま地上へ落下した。飛び出した部屋は二階だった。


 バンッ。


 受け身をとったものの地面との衝撃が結構有った。痛い。破壊した窓の砕けた木枠の破片が肩にいくつか刺さっている。これも地味に痛くて泣きそう。

 それでも二階でまだ良かった。万が一の逃走を考慮して、三階に部屋を取らなかった自分の判断を褒めてやりたい。


「ハハハハハ、やるなお嬢さん!」


 壊れた窓から赤髪全裸男が顔を覗かせて楽しそうに笑った。あんたに褒められても嬉しくない。いい加減に前を隠せ。そして重ねて言うが身体が痛い。

 私はヤセ我慢をして平気そうな素振りで男を睨みつけ、それからすぐにその場を立ち去った。長居したら憲兵に捕まる。


(あーあ)


 任務に失敗して無様に逃走。今夜は散々だ。空に浮かぶ満月が綺麗なことが唯一の救いだった。




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