第9話

「ギフト」  第9部

                        

                      とみき ウィズ







「誕生」





 勇斗達は学校でも落ち着かず授業が終わると一目散に小屋に行った。

 花子の様子を伺って夕方まで過ごし、翌日朝一番に小屋に通ってから学校に行く日々を過ごした。


 そして水曜日の放課後。

 ちひろが一番乗りで小屋に着くとお産箱の傍にかがみこんでいるニコピンが人差し 指を口に当てて静かにするように合図した。 

 花子はお産箱の中をそわそわと歩き回り穴を掘るような動作をした。

 そして時々ぶるぶると震えた。

 ニコピンがノートに書いた。


もうすぐ 生まれる


 ちひろが歓声を上げそうになり、再度ニコピンに静かにするようにたしなめられた。

 ニコピンとちひろは静かに後ずさり、花子の気を散らさないように土間に座った。

ちひろは用意しておいた花子のお産用の箱をそっと取り出した。

 そして、はさみ、絹糸、清潔なタオル、リボンなどがきちんと入っているかチェックした。

 ニコピンはコンロに鍋を載せてお湯を沸かした。


 尚樹が小屋に跳び込んで来て言った。


「ねぇねぇ、生まれた?」


 ニコピンとちひろが尚樹に向けて人差し指を口に当てて静かにするように合図した。

 尚樹はほうけたように口を開けてお産箱の中の花子を見た。

 そして静かに土間に座り、お産用の箱の中に必要な物が入っているか調べた。

 花子はそわそわしながら自分の腹をしきりに舐めていた。


 勇斗が息を切らせて小屋に飛び込んできた。


「生まれた?」


 ニコピンとちひろと尚樹が勇斗に向けて人差し指をくちにあてて静かにするように合図した。

 勇斗はほうけたように口をあけてお産箱の中の花子を見た。

 そして静かに土間に座り、お産用の箱の中に必要な物が入っているか調べた。

 花子はそわそわしながらしきりに自分の腹を舐めていた。

 ちひろが小声でニコピンに訊いた。


「まだ生まれない?」


 ニコピンが笑顔で顔を横に振り、ノートを出して書いた。


すぐじゃない 何時間もかかる


 ノートを覗き込んだ勇斗達はため息をついた。

 小声で勇斗が尚樹に言った。


「尚樹、のどが渇いちゃった。


 飲み物買ってきてくれない?」

 尚樹が小声で言い返した。


「嫌だよ僕だって生まれる所見たいもん」

「お願い」

「あんたたちうるさいわぁ」

「ちひろだってのど、渇かない?」

「そうねぇ…尚樹、買って来てよ」

「嫌だよう!」


 ニコピンが振り向き、勇斗達に向けて人差し指を口に当てた。

 勇斗達はそっと小屋を出た。

 そしてじゃんけんで飲み物とお菓子を買いに行く者を決めた。

 勇斗が負けた。

 悔しげに眉を寄せて勇斗はコンビニに向かって走っていった。


 15分後、勇斗が息を切らせて小屋に戻ってきた。

 勇斗がお産箱を覗き込むと花子のお尻から風船のような物が顔を覗かせていた。

 勇斗はひっと小声で悲鳴を上げ、ちひろに聞いた。


「何あれ?」

「ネットで調べたでしょ!

 羊膜よあの中に子犬が入ってるの」


 その時、花子がキャンと鳴いた。

 勇斗達がびくっとして花子を見た。

 袋が花子のお尻からするりと出た。

 花子は袋をかみ破り、中から出てきた子犬を舐めた。


「うわぁー!生まれた!」


 勇斗達は小声で言いながら小さく万歳をした。


「へその緒を切らないと…」


 ちひろが素早く子犬を手に取り、へその緒を絹糸でしっかりと縛った。

 そして勇斗達を見て言った。


「誰かへその緒を鋏で切ってよ」


 怖気づいた勇斗と尚樹は両手を小さく体の前で振りながら顔を横に振った。

 ちひろがため息をついた。


「まったく男って…」


 ニコピンが笑顔で鋏を手にしてへその緒を切った。


「あんた達、お湯を持ってきてよ。

 そのくらいできるでしょ?」


 勇斗と尚樹が慌てて鍋を持ってきた。

 ちひろが鍋の中のお湯の温度を調べると子犬を優しくつけて洗い、タオルで拭いた。


「次からはあんたたちも手伝うのよ」

「はーい」


 ちひろは乾いた子犬を花子の腹においた。

 子犬は首を振り花子の乳に吸い付いた。

 ちひろは意外に度胸がある所を見せた。

 花子が後産を出すとぺろりと食べた。

 それを見て勇斗と尚樹がウエーッとした表情を浮かべた。


 その後花子はおよそ30分に一頭のペースで子犬を産んだ。

 勇斗と尚樹もおっかなびっくりの手付きながら子犬の世話をした。

 2頭のオスと2頭のメスが生まれた。

 ニコピンは花子の腹に手を当てると勇斗達に一本の指を立てた。


「あと1頭?だよね?」


 ニコピンが頷いた。

 勇斗達は無我夢中でお産に立会い、子犬の世話をして、息を切らせて頭がぼうっとしていた。

 ニコピンは立ち上がると引き綱を花子につけた。


「え?ニコピン、花子をどうするの?」


 ニコピンがノートに書いた。


花子 さんぽ すこしやすむ あとをよろしく


 ニコピンが花子を連れて小屋を出た。

 勇斗達が慌ててお産箱のなかでミューミューと鳴く子犬達をタオルで来るんだ。

 虚脱状態の勇斗達だが、やっと子犬をまじまじと観察する余裕が出てきた。


「ちいさーい!壊れちゃいそう」


 ちひろが微笑んだ。


「本当に小さいね!おもちゃみたいだけど…本物なんだ」


 尚樹がうっとりと呟いた。

 子犬が夢中で勇斗の指をしゃぶっていた。

 勇斗は子犬をタオルでくるんでやりながら力強くしゃぶるのに驚いた。


「こんなに小さいけど…生きてる」


 勇斗の目から涙がこぼれた。

 ちひろと尚樹が勇斗の涙に気付いたが、茶化したり冷やかしたりする気分になれず、無言で優しい眼差しを勇斗に向けただけだった。

 3人はうっとりと子犬をタオルで包んだ上から優しくさすってやった。


 ニコピンが花子を連れて小屋に帰ってから1時間後に最後のオスの子犬が産まれた。

 オス3頭、メス2頭、皆はちきれそうに元気にうごめきながら花子の乳に吸い付いていた。

 花子は疲れ切ってうつろな目つきでよこたわっていた。

 日はとっぷりと暮れていたが勇斗達は気にせず、いつまでも花子と子犬たちを眺めていた。

 その夜、3人とも帰宅が遅いと親に叱られながらもなんとも幸せそうな表情でいた。


 尚樹が夕食を食べながら慶子に尋ねた。


「ママン」

「何?」

「女の子にあげるプレゼントって何がいいの?」


 豪介と慶子が口の中の食べ物を噴出し、ばあやがお盆に載せて運んできた料理を派手な音を立てて落とした。



 ちひろは裕子と食事中にうっとりとした顔で行った。


「あたし、子供生みたいわぁ」


 裕子が口の中の食べ物を噴出し唖然とした表情でちひろを見た。


「ななななに?なんなの?あんたもしかして…まさか…赤ちゃんが生まれるような… 相手は誰なのよー!」


 ちひろがくすりと笑って、夢見る目つきで呟いた。


「…犬」


 裕子は眩暈がしてこめかみを押さえた。


 勇斗は店の手伝いをしながら、早苗に尋ねた。


「かあさん」

「何?勇斗」

「僕を生んだ時も羊膜や胎盤を食べた?」


 カウンターの客が数人、料理を口から吹き出した。

 早苗は持っていた包丁を取り落とし、危うく自分の足を床に釘付けにする所だった。





「誕生会」





 土曜日の午後。

 花子の子供たちがミューミュー鳴く中、勇斗達は小屋の中を明日の誕生日会に備えて飾り付けた。

 皆なんとも幸福そうな笑顔で作業に取り掛かっていた。

 夕方になり、作業も終わって勇斗達は家路に着いた。

 帰り際に勇斗はバットがきちんと戸口においてあるか確認した。


「ニコピン、きちんと戸締りしてね。

 明日の朝にまた来るからね」


 ニコピンが頷くのを確認した勇斗は小屋を出た。


 日曜日の朝。

 勇斗達がプレゼントやバースデーケーキやお菓子や料理を持って小屋に来るとニコピンが鍋で野草を煮ていた。


「おはようニコピン! 

 何か今日はそのスープ、特別いい匂いがするねぇ」


 ニコピンが嬉しそうに頷きノートに書いた。


これとくべつ 昨日とてもめずらしい草ひろった とてもおいしい


「確かに良い匂いだなぁ。

 これなら食べれそうかも」


 尚樹が鼻をヒクヒクさせながら言った。


「本当に良い匂いだわぁ」

「今日は俺も食べようかな。

 特別な日だからね」


 勇斗達とニコピンは小屋に入った。

 花子の子供たちは全てが元気に育っていてミューミュー鳴きながらお産箱の中を這いずり回った。

 花子の肥立ちも良く、何も心配は要らなかった。

 勇斗達はケーキを出した。

 ちひろとニコピンの名前が書いてあった。

 ニコピンは自分の名前を見つけて弾けそうな笑顔になり、ちひろは早くも感動に目を潤ませていた。

 バースデーソングが歌われる中、ケーキに立てたろうそくをちひろとニコピンが吹き消して、勇斗達が拍手した。

 ちひろとニコピンが照れくさそうに笑ったのを尚樹がデジカメで取り捲った。

 プレゼントを免除されていた尚樹だが、ちひろにカシミヤのマフラー、ニコピンに手袋を贈った。

 勇斗はニコピンに新しいノートと色鉛筆、ちひろには本を何冊か贈った。

 ちひろは申し訳無さそうにニコピンに赤い小さな鉛筆削りと鉛筆を数本贈った。

 ニコピンが無邪気に喜んでくれてちひろはほっとした。

 プレゼントが済むと各自が持ち寄った料理を食べた。

 ニコピンのスープも勇斗達が恐る恐る口にしたが思いのほか美味しくてたちまち無くなった。

 それからみんなでトランプをしたり、ニコピンにも出来るような簡単なテレビゲームをしたりして幸せなひと時を過ごした。


「花子をトイレに連れてかないと…」


 勇斗が立ち上がって言った。


「それじゃぁ、私が子犬を見てるからあんた達で連れてってあげて」


 ちひろがお産箱の中の子犬を撫でながら言った。

 時々お母さんのような口ぶりになるちひろであった。

 勇斗と尚樹、ニコピンは花子を連れて散歩に出かけた。

 11月の中旬にしてはめずらしく暖かく穏やかな午後だった。


「うわぁ、暖かいね」

「こういう天気を小春日和って言うんだって」

「尚樹って結構物知りだね」

「勉強させられてるからね」

「中学はやっぱり私立に行くの?」

「うん…勇斗は公立?」

「うちは貧乏だもん」


 なんとなく2人は黙った。

 小学校卒業まであと1年あるが、やはり、ずっと一緒になるとは限らない事を2人は知っていた。


「6年の時ってクラス替えじゃん。


 同じクラスになれば良いね」


「うん、そうだね、そしたら修学旅行も一緒にいけるね」

「…僕、残りのコミック全部売ろうと思ってるんだ」

「え?なんで?」

「来月冬休みだから、ニコピンを連れて美菜を治しに行こうと思ってるんだ」

「そうか」

「だから小屋にコミックなくなるけど御免ね」

「謝る事ないよ。全然謝る事なんかないよ。

 コミックは頑張ればいつでも買えるけど、美菜ちゃんの命は取り替えようが無いもん」


 尚樹が微笑んだ。

 勇斗が感慨深げに言った。


「でも、尚樹っていい奴なんだな。

 はじめてあった時は変な奴だと思ったけど、本当は凄くやさしいいい奴だよ」

「ありがとう、美菜が治ったら小屋に連れてきてもいい?」

「いつでも大歓迎!

 ちひろも喜ぶと思うよ」


 2人は、笑顔を互いに向けた。

 勇斗が川の流れを見て顔をしかめた。


「うわっ、見てはいけないものを見てしまった」

「どうしたの?」

「あれ」


 勇斗が指差した先には川の泥の中に死んだ魚が横たわっていた。


「今日は特別な日だから…やっぱり駄目だ、お墓を作ってやろう。

 尚樹とニコピンは先に帰っていて」

「一人で大丈夫?」

「大丈夫大丈夫!」


 勇斗は川岸まで降りていった。

 ニコピンと尚樹はしばらく様子を見ていたが大丈夫そうなので小屋に向かって歩き出した。


 その頃、草むらに隠れて小屋をじっと覗っている者がいた。

 あの中学生だ。

 中学生は腰のホルスターから刃渡りが長いサバイバルナイフを抜くと辺りを覗いながら小屋に近づいた。

 中に人の気配が無いと感じた中学生はそっと小屋の戸を開けた。


「みんな、帰ってきたの?」


 お産箱から振り向いたちひろは中学生を見て固まった。


「あの犬はどこだ!」


 一瞬戸惑った中学生は、ちひろ一人だと判るとナイフを振り上げて叫んだ。

 ちひろはお産箱の前に立ちはだかると気丈に叫んだ。


「犬なんてしらない!出て行かないと人を呼ぶわよ!」


 ちひろの震える声を聞いて中学生が薄ら笑いを浮かべた。


「その後ろに何があるんだ?」

「何も無い!」

「何か隠してるだろう!」

「何も無いったら!」


 ちひろの後ろから子犬がミューミュー鳴く声が聞こえた。

 中学生がちひろの胸倉を掴んで戸口に弾き飛ばした。

 ちひろは戸口の冊子にぶつかりながら叫んだ。


「なにするの!やめてよ!」


 中学生がお産箱の中の子犬を見下ろした。


「あんな汚い野良犬がまたこんな汚いもんを生みやがって!」

「やめて!子犬を苛めないでよ!」


 中学生が子犬に向けてナイフを何回も振り下ろした。

 壁や窓に血が飛び、子犬の断末魔の悲鳴が聞こえた。


「やめて!やめてよー!」


 ちひろが子犬の断末魔の悲鳴に耳をふさぎながら金切り声で叫んだ。

 ちひろの目から涙が吹き零れた。

 中学生のナイフは止まらなかった。

 ちひろは傍にあった金属バットを持って中学生に向かって振り下ろした。

が、涙で目測を誤りバットは虚しく床を叩いた。

 振り向いた中学生は子犬の返り血を浴びて凄惨な笑顔を浮かべていた。中学生はちひろを思い切り蹴飛ばした。

 ちひろは口の辺りが切れて血を流しながら声の限りに叫んだ。


「誰か助けて!勇斗!尚樹!ニコピン!」


 花子が急にニコピンの引き綱を思い切り引っ張って吠え立てた。

 思い切りぐいぐいと引き綱を引っ張り狂ったように吠え立てた。


「何?どうしたの?」


 尚樹が花子の剣幕に怯えながらニコピンに尋ねた。

 ニコピンが遠くに見える小屋を見て花子の引き綱を離した。

 花子は勢い良く小屋に走っていった。

 ニコピンが普段は絶対に見せない厳しい表情で花子を追って走り出した。


「なんなの?何が?」


 尚樹も訳が判らないまま、つられて小屋に向かって走り出した。






「叫び、そして、祈り」





 小屋に向かって走るニコピンの目に、戸口に仁王立ちしている血まみれの中学生の姿が映った。

 ニコピンは口を開けて大声で叫んだ。

 アーともウーとも判らない叫びを上げて小屋に向かって走った。

 勇斗は苦労して魚の死骸を板切れに載せて岸に戻った。

 遠くから叫び声と犬の激しく吼える声が聞こえた。


 小屋の方角だ。

 勇斗は魚の乗った板切れを放り出して小屋に向かって走り出した。

 中学生は倒れたちひろの上に立つとナイフを逆手に持って振り下ろそうとした。

 その瞬間、牙をむき出した花子が中学生に飛び掛り、腕に噛み付いた。

 中学生と花子はもつれ合って小屋の中に倒れこんだ。

 尚樹も小屋が見えるところまで来た。


「大変だ!」


 太った尚樹には足が限界に近いが、その痛みを無視して走る速度を上げた。

 ニコピンが小屋のすぐ傍まで来た時に小屋の中から花子の悲鳴が聞こえた。

 そして小屋から骨が見えるほど腕を散々にかみ裂かれた中学生がよろよろとでてきて数歩歩いてから倒れた。

 そのすぐ傍でちひろが仰向けになって放心状態でいた。

 ニコピンはちひろに駆け寄り切れた口に手を当てた。

 ちひろの傷が見る見るふさがった。

 ジワリとニコピンの首の痣が黒ずんだ。

 ニコピンがよろめきながら小屋に入った。


 土間には花子がはらわたをはみ出させて倒れていて浅く早い息をしていた。

 そしてお産箱の中は血の海で、花子の子犬達が何頭いるかわからないほどに切り刻まれていた。

 ニコピンがお産箱に駆け寄り両手を子犬たちの死骸に突っ込んだ。

 子犬たちは元通りの体に戻りミューミューと母を求めて鳴き始めた。

 一段とニコピンの痣が黒ずんだがニコピンは子犬たちを見て微笑んだ。

 ニコピンは立ち上がろうとしたがもはや体に力が入らなかった。

 はいずりながら花子の傍に行き花子のはみ出したはらわたに手を置いた。

 はらわたは花子の腹に収まり傷口が元通りに塞がった。

 花子は立ち上がるとお産箱に飛びついて、無心に子犬たちの血を綺麗に舐め取ってやった。


 ニコピンは花子を一瞬見つめると残った力を振り絞り、小屋の外に這っていった。

 ニコピンの視線の先には夥しく出血している腕を抑えてうめいている中学生がいた。

 ニコピンの首の痣は、勇斗があの晩に見た中年の男と変わらない位に黒ずんでいた。

 尚樹がちひろを助け起こしている時、勇斗が小屋が見えるところまで息を切らせて走ってきた。

 小屋から這いずりながら血まみれの中学生に近寄るニコピンが勇斗の目に入った。


「やめろー!ニコピン!やめろー!」


 勇斗はニコピンがやろうとしている事に気が付いて大声で叫びながら全速力で小屋に向かって走った。

 ニコピンが中学生の所までたどり着くとその腕を掴んだ。

 ひどくかみ裂かれていた中学生の腕が見る見る元に戻った。

 痛みが消えて中学生が唖然として自分の腕を見つめた。

 ニコピンの首の痣は底知れぬ穴のように真っ黒になっていた。

 ニコピンはがっくりと首を垂れた。


「うわー!ニコピン!」


 勇斗はニコピンに飛びついて首の痣を見た。

 真っ黒な痣の色を見て勇斗は天を仰いだ。

 勇斗の目からは涙が噴出した。

 勇斗は空に向かい絶叫した。


「ああああああ!ニコピン!死ぬな!死ぬなよおおおお!」


 勇斗は大声で叫びながらニコピンの痣の色を消すように両手で必死にこすった。


「…一体…何が起きたんだよ?」


 中学生が誰にとも無く尋ねた。

 勇斗が涙声で中学生に叫んだ。


「ばかやろう!ニコピンはお前の怪我を治すために命を分けてくれたんだぞ!命を分けて与えてくれたんだぞ!ばかやろう!お前なんか自分勝手な不満を言いながら好き勝手に幸せや命を奪うだけじゃねぇか!ばかやろう!ニコピンはお前なんかのために!ごみみたいなお前のために自分の命を分けてくれたんだぞ!ばかやろう!ニコピンは誰かの怪我や病気を治す為にずっとずっと自分の命を分けてたんだぞ!ばかやろう!おかげでニコピンが死にそうなんだよ!ニコピンはずっとずっと命を分け与え続けてもう死にそうなんだぞ!この、ばかやろう!」


 尚樹とちひろはニコピンの秘密を知って顔を強張らせた。

 中学生が震える声で叫んだ。


「そっそんなの誰も頼んじゃいねぇよ!

 そんな事誰も!…ばかやろう!」


 中学生は立ち上がってバカヤロウバカヤロウと叫びながら逃げていった。

 尚樹とちひろがニコピンと勇斗の傍に飛びついた。


「知らなかった!ニコピンごめんね!ニコピン!」

「ニコピン死なないで!死なないでよ!」


 勇斗が必死にニコピンの痣をこすっている。

 尚樹が早口で勇斗に尋ねた。


「勇斗!どうすればいい?どうすればニコピンが助かる?」

「判らない!判らないよ!この痣の色が誰かを治すたびに黒くなるんだ真っ黒になったら死ぬんだよ!今、今は…真っ黒だ!」


 ちひろがニコピンの痣をさする勇斗の手の上に自分の手を置いた。


「ニコピンがやるみたいに私たちも手を当てようよ!私たちの命をニコピンにあげれるかもしれない!」


 勇斗達がニコピンの痣の上に手を重ねた。


「うわー!ニコピン死ぬな!僕らの命をあげるから!」

「死んじゃ駄目だよニコピン!」

「ニコピン!しっかりして!目を開けて!」


 ニコピンが小声で呟いた。


「…もう、いいにょ…」


 勇斗達は驚いて手を離した。

 そしてニコピンを仰向けにしてやった。


「…もう、しょんなことしにゃくていいにょ…」

「ニコピン!喋れるの?」

「…おばが…おくのはにゃしかた…へんにゃから…ともだひにゃんてできにゃいって…いったにょ…にゃから…ゆうとたちに…きらわれちゃくにゃいかにゃ…だまってたにょ…」


 勇斗達の目から新たに涙がこぼれた。


「ばか!そんな事でニコピンを嫌いになんてならないよ!」

「ニコピンはいい奴だよ!喋り方が変でも気にしないよ!」

「ずっと友達だよ!ニコピン!死んじゃ駄目だよ!」

「…あにゃがと~…にこぴんうれひい…にこぴんにょこと…ないひょないひょ…にこひん…しんだりゃ…ゆうとのおはかに…ゆうとのおあかにうめてね…」

「そんな事いうなよ!ニコピン!生きろ!」

「もうにゃめなの…にこひん、しってにゅ…ゆうと、ちひにょ、にゃおき…ともだち…」

「ああ!友達だよ!親友だよ!ニコピン!」

「…にこひん…ひんだら、きゃみかみゃのところにいくの…ゆうとたひ…しんせつにしてくれたきゃら…おにぇがいいって…きゃみさみゃに…いってあげりゅ」

「ニコピン!駄目だよぉ!そんな事いうなよぉ!」

「はにゃく…じきゃんにゃい…」


 勇斗もちひろも尚樹も涙声で口々に願いをニコピンに言った。


「戦争や犯罪やいじめがなくなりますように…」

「難しい病気や生まれつきの病気で苦しんでいる人たちが助かりますように…」

「動物を苛めたり、自然を壊したりする事がなくなりますように…」


 穏やかに晴れた午後の空の下、勇斗達が涙声で語る願いがニコピンの鎮魂歌のように流れた。

 実際にそれはひとつの祈りであった。

 ニコピンの言葉は一層弱々しくなった。


「…わゃったにょ…きゃみかみゃにいってみるにょ…みんにゃ…いみゃみゃであにがとう…」

「ニコピン!」

「…もう、めがみえにゃいのに…まぶしい…」


 落ちてゆきそうな真っ青な空を見つめて弱々しく微笑んだニコピンが静かに目を閉じた。


「…ニコピン?…ニコピン!」


 勇斗達がニコピンの体にすがりつき身を捩って泣いた。

 金切り声を上げて狂ったように泣いた。

 花子が勇斗達の泣き声にあわせるように遠く遠く吼えた。




 ニコピンは息を引き取った。


 ニコピンは死んだ。









続く

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