第8話

「ギフト」  第8部

                        

                      とみき ウィズ





「調達」





 夕方になり、勇斗達はそれぞれ家路に着いた。

 尚輝はラップトップパソコンを抱えて自宅の玄関を開けた。

 廊下を歩いているとリビングから慶子の泣き声が聞こえてきた。

 尚輝がリビングを覗くと珍しく家にいた尚輝の父親である豪介がソファに座って泣いている慶子を持て余していた。


「なんで、何で美菜は…」

「大丈夫だよ、日本で一番の医者に…」

「でも、直る事は保証ができないなんて…」

「ドナーが見つかれば…」

「いつになったら見つかるのよ!もう、何年も…」


 切れ切れに聞こえてくる両親の言葉に尚輝はパソコンを抱きしめて耳をそばだてた。

 豪介が尚輝に気付いてあっちに行きなさいと手振りをした。

 尚輝は足音を忍ばせて階段を上った。

 その晩来た斉藤と言う中年の男の家庭教師は、尚輝を教えている3人の家庭教師のうちで一番金に困っていたことを尚輝は知っていた。


 パチスロにはまっているのだ。

 勉強がひとしきり終わると尚輝は注意深く別口のアルバイトの事を口にした。

 斉藤は一も二も無く承諾した。

 3日後の午後、尚輝は斉藤を連れて小屋に行った。

 ニコピンは花子を連れて散歩に行っているらしくいなかった。

 ちひろのランドセルが置いてある所を見るとちひろも一緒に散歩に出かけたらしい。

 尚輝は小屋に入ると大きなリュックサックに注意深くコミックを詰め始めた。

 一冊入れるごとに尚輝は深くため息をついた。

 コミックで2つのリュックがいっぱいになってもまだ押入れの下段半分にコミックが埋まっていた。

 尚輝はもう一度リュックを開けて売る本と残す本をあれやこれや悩んだ。

 斉藤は頭を振りながら外にでて煙草に火をつけた。

 勇斗が小屋に通じる道を歩いてきて斉藤を見つけると警戒する様な目つきで近付いた。

 中から尚輝が出てきて斉藤にリュックを背負わせたので勇斗は警戒を解いた。


「こんにちは」


 勇斗は斉藤に挨拶した。


「あっ尚輝坊ちゃんのお友達ですか。

 こんにちは。」


 斉藤が卑屈な笑顔で挨拶をした。

 勇斗はこの手の大人が苦手だ。

 多少引きつった表情で頭を下げた。


「尚輝、本を売りに行くんだ」

「うん、これだけ売れば何とか足りると思うんだ。

 じゃ、行ってくるね」

「あ、ちょっと待って」


 勇斗が尚輝を小屋の中に連れ込むと小声で尋ねた。


「あの人、大丈夫?

 ここは絶対の秘密だから…」

「ああ、大丈夫だよ。

 この仕事をする時も絶対に秘密って言ってあるから」

「ふーん。

 家庭教師っていうよりも…なんか、怪しい感じだね」

「でも、東大出てるんだよ」

「へぇ~」


 尚輝は重いリュックを背負った斉藤を従えて古本屋に出かけていった。

 勇斗が墓の手入れをしているとニコピンとちひろが花子を連れて戻ってきた。


「おかえり」


 勇斗が出迎えると花子が嬉しそうに尻尾を振って勇斗に体をこすり付けた。

 勇斗が花子の頭を撫でながらニコピンを見ると、ニコピンが手に抱えているアヒルを見て表情を曇らせた。

 何日か前に中学生が殺したアヒルだ。

 ちひろが憮然とした顔で言った。


「…もう時間が経っているから治せないんだって。

 最近この辺は殺される動物が多いよ。

 ニコピンに頑張ってもらわないとね」


 ニコピンは悲しそうに頷くと裏手の墓地に歩いていった。

 勇斗は自分だけが知っているニコピンの秘密をちひろに話したくなったが危うく踏みとどまって、アヒルのお墓作りに取り掛かった。

 勇斗は墓穴を掘りながらちひろに言った。


「尚輝が本を売りに行ったよ」

「そう…でも尚輝に悪い事したね。

 あんなに大事にしてたのに…」

「あいつもなんか変わったね。

 始めて会った時はデブのヲタクみたいで今一何考えてるかわかんなかったモンね。

 自分の事以外考えてないって感じだったよ」


 ちひろが花子の頭を撫でながらくすくす笑った。


「何がおかしいんだよ」

「勇斗だって、始めはなんか危ない人みたいだったよ」

「えー!何で?」

「一瞬このお墓の生き物達は勇斗が殺したんじゃないかと思ったもん。

 声掛けるの怖かったよ」

「ひどいなー」

「勇斗、学校でも最近は良く笑うようになったよ。

 自分で気がついてない?」

「見てるの?俺の事?」

「時々」


 勇斗の顔が赤くなり、黙りこくった。


「…俺、女の子に興味ないし」

「はぁ?…勇斗…自意識過剰!エロエロだよー!」


 ちひろが笑い転げた。

 勇斗は何も言い返せずに墓穴を掘り続けた。

 掘り終えるとニコピンがそっとアヒルの死骸を墓穴に横たえた。

 ちひろも笑うのを止め、神妙な顔つきでアヒルに土を掛けるのを見守った。

 ささやかな葬儀が終わり。勇斗達が小屋に戻った。


「ちひろ、さっきの続きだけどさぁ」

「何?」

「一番変わったのはちひろかもね。」

「そうかなぁ、うん、心の余裕が出来たのかも」

「心の余裕?」

「うん、ママが言ってたの。

 心に余裕があるからかわいそうな人とか生き物のことを考えることができるんだって、よく判んないけど」

「心の余裕ねぇ…」

「心に余裕があるから他人のために頑張ったりできるらしいよ」

「俺たち皆、心に余裕が出来たって事?」

「そうなのかなぁ?」

「どうすれば心に余裕が出来るんだろう?」

「どうすれば心に余裕が出来るんだろうね…」


 その頃、心に余裕が出来たらしい尚樹はえげつない古本屋の店長とコミック買取値段の激しい攻防の火蓋を切っていた。


「ちょっとお!この漫画は全巻ここで買ったんだよ!

 確か売るときは1巻当たり850円の値段がついてたのに、何で買い取りだとこんなに安くなるわけぇ!

 えーと…5パーセントくらいじゃん!

 信じられないんだけどお!」


 尚樹が顔を赤くして声を張り上げた。

 尚樹の後ろには斉藤が無表情に立っていた。

 地方にしてはマニア向けの希少なコミックを置いている事で名高い古本屋のカウンターには、尚樹が持ち込んだプレミア付きの希少なコミック本がうずたかく積まれていた。

 古本屋の中年の店長は脂ぎった額を手で拭いながら弁明した。


「いや、だからねこれは在庫が今いっぱいあるんですよ…」

「ざいこぉ!在庫がいっぱいあるの?

 これ、全部初版で30年前の漫画だよ!

 じゃあそのいっぱいある在庫を見せてよ!

 そもそも、この店はいっぱい在庫がある本をさも貴重品みたいに高い値段を付けて売るわけぇ?」


 店長の眉がヒクヒク痙攣し、額に一筋の汗が流れた。

 店内にいる他の客達が尚樹と店長のやり取りを聞いて次第に集まってきた。

 確かに尚樹のコレクションはこの辺でも珍しいくらいに希少なものが多かったので尚更客の関心を惹いた。

 尚樹は持ち込んだ中で比較的新しいコミックを手に取った。


「このコミックは初版じゃないし多少汚れてるし、けして売れ筋じゃないけど、この30年前の不朽の名作の初版本と同じ買取値段なんて…センス無いねぇ!

 じゃあ、売るときも全部同じ値段にしないとおかしいじゃん!

 子供だと思って馬鹿にしてるんじゃないのぉ!」


 集まってきた客が尚樹の言葉に頷いたり、そうだそうだと声を上げたりし始めた。

 店長は持病の胃炎がキリキリと痛み始めた。

 尚樹の持ってきたコミック本は確かに希少で美品で店としては、のどから手が出るほど欲しいのだ。

 子供だと思い、買い叩いてやろうとしたが思わぬ反撃に会い、店長は動転した。

 脂汗を浮かべ、必死に愛想笑いをうかべ、前かがみになりながら精一杯の猫なで声で言った。


「そうですねぇ、じゃあ、これとこれは全巻揃っているから…後30円ずつ高く買いますよ。」

「さんじゅ、さんじゅ、さんじゅうえんだってぇ!

 1巻850円で売りつけておきながらそのくらいの値段ですかぁ!

 じゃあ、これを売るときは1巻300円くらいで売るって事ですかぁ?」


 客達が拍手をしたり、店長にあこぎだぞ!と叫び始めた。

 3日間の間古本の買い取り相場を調べ尽くしていた尚樹に対しては子供だましの言い訳は一切通じなかった。

 店長は引きつった笑顔で電卓をはじいた。

 客の一人の若い男が尚樹の横に立った。

 そして、尚樹の持ち込んだコミックの内、何冊かを手にとった。


「俺、これ探してたんだ1巻当たり600円で買うよ」


 若い男が尚樹に言った。


「え!本当?」

「ちょちょ、お客さん困りますよ」


 店長が慌てて客に言ったが尚樹が店長を遮った。


「ありがとう!じゃあおまけして1巻当たり500円で売ります!」

「買った!」

「毎度!」


 若い男が財布からお金を出すと尚樹に渡し、コミックを抱えて店を出て行った。


「ああー!お客さん!困りますよー!」

「僕の物を欲しいって言って値段的に折り合ったんだからしょうがないじゃないさ!」


 店長の目が霞み、尚樹が赤ら顔の小鬼の様に見えた。

 尻から生えた先のとがった尻尾が尚樹の頭の後ろでゆらゆら揺れた。

 尚輝の口から先が二股に分かれた赤い舌出てきてヘラヘラと宙をくねって回りの空間を歪めていた。


「今、すぐに計算し直す少しだけ待ってくださいね!

 あ、他のお客さんは触らないで!触らないで!

 うちが買うんだから触らない!勝手に交渉しない!

 ちょっと待った!ちょっと!…」


 店長は尚樹が納得した金額の現金を渡し、尚樹の後ろで立っていた斉藤が身分証明書を掲示して買い取り書類に記載した。

 店を出てゆく2人に何人かの客が拍手を送った。

 尚樹と斉藤が出て行った途端に店長は引きつった笑顔のまま腹を押さえて膝から崩れ落ちた。

 店を出た尚樹は斉藤に数枚の一万円札を渡した。


「これは約束のお金です。


 先生、今日見た小屋やコミックの事はこの瞬間から忘れてください」


「はい、判りました坊ちゃん。

 全てを忘れました。

 それでは失礼します。

 また何かあったらお願いいたします」


 斉藤が尚樹に深々と一礼し、尚樹が鷹揚に応えた。

 斉藤は一万円札を握り締めてパチンコ屋に向かって走って行った。

 尚樹はなお手元に残った十数枚の一万円札を財布に入れて小屋に向かった。

予定通りの金額が出来た。

 小屋に戻って来た尚樹を勇斗達が期待の目で向えた。


「尚樹!どうだった?」

「お金出来た?」


 尚樹は無表情で靴を脱ぎ、奥の間に上がった。


「駄目だったの?」

「早く言えよ!」

「…」


 尚樹が財布を取り出すと十数枚の一万円札を両手で広げて見せ、にんまりとした。


「きゃー!すごい!テレビのドラマみたい!」


 普段あまり一万円札にお目にかかれないちひろが狂喜の声を上げた。

 勇斗もちひろの興奮が伝染したように声を上げた。


「すげぇ!尚樹、すごいね!」


 尚樹はほろ苦い笑顔で呟いた。


「でもね、買った時はもっともっと高かったんだよ…」


 生まれてから一度も一万円札を手にした事が無いニコピンがポカンとして尚樹を見ていた。


「これで花子を獣医さんに連れて行けるね!」

「お誕生会も出来るよ!」

「きゃー!うれしい!

 尚樹、ありがとう!

 あなたって、最高のふとりびとよ!」


 ちひろが飛びはねながら尚樹に叫んだ。


「僕は骨太だって…」


 尚樹はほろ苦い笑顔で答えた。

 誰かに無理強いされたわけでもないのに誰かのためにこんなに頑張った事が自分でも不思議に感じていた。

 しかし、尚樹の心の中では今まで味わった事の無い満足感が広がり始めていた。

 目の前で喜んでいる勇斗達を見て、尚樹も釣られて笑顔になり、ニコピンと一緒にはしゃぎ声を上げて飛び跳ねた。

 お産箱の中で寝そべっていた花子がとろんとした目ではしゃいでいる勇斗達を眺めて大きなあくびをした。




「準備」





 週末に勇斗達は花子を連れてネットで調べた獣医医院にやってきた。

 フィラリアの検査などしてもらい、異常が無いことが判った。


「おなかに赤ちゃんが5頭入っているよ。

 狂犬病の予防注射は花子ちゃんが妊娠しているのでやめましょう。」


 口ひげを生やした人の良さそうな中年の獣医が花子の頭を撫でながら言った。


「子犬が産まれてから90日経ったら親子で連れてきなさい。

 その時に、一気に注射しよう。

 登録は…どうしようかな?

 その時にしようか。

 花子ちゃんのお産はどうする?

 君達のお母さんかお父さんで面倒見れる?」


 ニコピンが手を上げて微笑んだ。

 獣医が笑って言った。


「ああ、大丈夫ね。

 見たところ順調だから大丈夫だと思うけど、何かあったらすぐ連れてきてね。

 夜でもいつでも良いから。」


 ちひろが尋ねた。


「先生いつ頃生まれます?」

「すぐだね、あと何日か位。

 かわいいのがころころ生まれるよ」


 そういうと獣医は笑顔でウィンクをした。

 勇斗達は笑顔になってかわるがわる花子の頭を撫でた。

 獣医の支払いを済ませて勇斗達は小屋に戻った。

 小屋に着くとちひろと尚樹は生まれた子犬の目印にするためのリボンなど色々と必要な物を買いに行った。

 勇斗は裏の墓地をチェックした。

 あれから墓地は荒されていないが勇斗は不安だった。

 最近、河原では明らかに人間に殺された動物の死体が増えていた。

 ニコピンが、腕を組み考え込んでいる勇斗の後ろに立った。

 勇斗はニコピンに気付いて、首の痣の色をチェックした。

 それがニコピンと2人きりの時の勇斗の習慣になっていた。

 痣は濃くなっていないので勇斗は安堵のため息をついた。


「ニコピン、俺、何か心配だなぁ」

 ニコピンが微笑んだまま勇斗を見つめた。

「俺達、このままうまくいくのかなぁ?」


 ニコピンが笑顔で頷いた。

 勇斗はじっとニコピンの顔を見つめた。


「世の中って悪い奴がいっぱいいるし、やな事だってたくさん起きるんだよ。

 花子だって小犬達だって…」


 ニコピンが勇斗の肩を抱いてわき腹をくすぐった。


「やめろよ、やめろったら」


 勇斗が身をよじりながら仕方ないように笑った。

 ニコピンがノートを出して書いた。


ゆうと 心配しすぎ うまくいく


 ノートを見て勇斗が驚いた。


「へぇ!ニコピン、漢字書ける様になったんだ!

 すごいね!何か字も上手くなったし!」


 ニコピンが嬉しそうに頷き、書いた。


計算もできるようになった 足し算 引き算 ちひろ教えてくれた


「へぇ!ニコピンがんばったねぇ!」


 勇斗の笑顔が輝いた。

 何故かさっきまでの心配がどこかに消えてしまった。

 ニコピンが漢字を書けるというだけのことだが、何もかもがこのまま旨く行くような気分になった。



 翌日の午前中、慶子が小屋にやってきた。

 尚樹が、最近家から電気ストーブなどのつまらない物を持ち出しているのを不審に思った慶子が家庭教師の斉藤から川原の小屋の存在を聞き出したのだ。


 ニコピンが小屋の前で野草をコンロで煮ていた。

 慶子がニコピンを無視して小屋の中を覗いた。

 いつの間にか物置から消えていた電気ストーブや、尚樹に捨てるように言っていたゲームソフトなどが置いてあった。

 慶子はため息をつき、首を捻じ曲げてニコピンを見た。


「あなた、大沢尚樹って子供知ってる?」


 ニコピンが笑顔で頷き、ノートを出して書いた。


なおき ともだち


 慶子の眉間にしわが寄った。


「あなた、だれ?

 ここに住んでるの?」


僕 にこぴん ここに住んでいます


「…あなた、ホームレスでしょ?

 子供となんかと遊んでちゃ駄目じゃない!

 それに何?これ?」


 慶子がニコピンの鍋を指差した。


「こんな物、まさか尚樹に食べさせたりしてるんじゃないでしょうね?」


 ニコピンがノートに書いた。


 誕生日かいに特別なスープ出す とてもおいしい なおきもゆうともちひろも喜ぶ


「…まあああ!まああああ!まああああああ!何てことをするのよ!こんな物食べておなかでも壊したらどうするの!」


 ニコピンが笑顔でノートに書いた。


このスープ 体にとても良い


「おだまりいいい!」


 慶子がコンロを蹴飛ばした。

 ぐらぐら煮えていた鍋がコンロから外れて転がった。

 ニコピンは慌てて飛びのいたが、慶子は足に熱湯を浴びて悲鳴を上げて倒れた。


「うぎゅあああああ!あついいい!」


 パンティストッキングが変色し、めくれた足の皮から血が滲み出して慶子の足は凄まじい事になった。

 自分の足を見た慶子は目をひん剥き失神しそうになった。

 ニコピンがすかさず慶子の足に手を当てた。


「あなた!何するんですか!」


 慶子はパニックに陥り叫んだ。

 首の痣が少し黒ずみ、ニコピンは苦痛に顔をしかめた。

 慶子の足は綺麗に直っていた。

 ニコピンは首を押さえて倒れこんだ。

 足の痛みが消えた慶子は驚いて自分の足を見た。

 ストッキングは物凄い色に変色しているが足はなんとも無かった。

 慶子はふらふらと立ち上がり、首を押さえて座り込んでいるニコピンを見下ろした。


「…あなたが…治したの?」


 ニコピンが頷いた。


「あなたがあたしの怪我を治したの?」


 ニコピンがノートに書いた。


ニコピンが治した なおきのいもうとも治すやくそくした


「…そう…お鍋ごめんなさいね」


 慶子はバッグから財布を出すと一万円札をニコピンのそばに置いた。


「…でも、尚樹にはそのスープ飲ませないで下さい。

 それから子供にへんなことしないで下さい。」


 慶子はそれだけ言うと背を向けて歩いていった。

 ニコピンはしばらく慶子を見送ったあと、こぼれたスープを情け無さそうに眺めた。

 ゆだった野草の切れ端を拾い、しばらく眺めて口に入れた。

 美味しかったらしく、次々と野草を拾っては食べた。

 ニコピンは一万円札の事をすっかりわすれ、しゃがんだまま移動して野草の切れ端を食べ続けた。

 一万円札は風に飛ばされてどこかに飛んでいった。





「早起き」




 その日の午後。

 勇斗達は学校の帰りに小屋に集まって誕生日会を今度の日曜日にする事を決めた。

 獣医等のお金を出した尚樹以外はちひろとニコピンにプレゼントをあげる事や小屋の飾りつけは土曜日にする事も決めた。

 ニコピンは誕生日会に特別なスープを出すと張り切っているが、勇斗達は引きつった表情で頑張ってねと小声で言った。

 花子のお腹はははちきれそうに膨らみ、いつ生まれてもおかしくない様子になっていた。


 夕方になっても勇斗達は中々帰ろうとせずに、コミックを読んだり、ゲームをしたりしながら、ちらちらと花子の様子を伺っていた。

 勇斗達は心の中で花子の出産に立ち会いたいと思っていた。

 花子は勇斗達の思惑も知らずにお産箱の中で寝そべっていた。

 勇斗達は日が落ち暗くなってきたので名残惜しそうに家路に着いた。

 尚樹が家に着いた頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。

 廊下を歩く尚樹を台所のテーブルについていた慶子が呼び止めた。


「尚樹、ずいぶん遅いわねぇ」

「ママン、…ただいま」

「尚樹」

「な、なに?」


 手に変色したストッキングを持っている慶子がじっと尚樹を見つめた。


「…尚樹、いつもどこに…」

「!」


 尚樹の顔が仄かに強張った、が無理に笑顔を浮かべて言った。


「図書館だよ」


 慶子がじっと尚樹を見つめている。

 尚樹は慶子の顔を見れなくなって足元に視線を落とした。


「…早く手を洗いなさい。

 これからはうちに帰ってきたらすぐに手を洗うのよ」

「はーい」


 尚樹はほっとした顔で廊下を小走りに去った。

 慶子はストッキングに目を落としため息をついた。

 今日のことは自分だけの胸に収める事にした。


(あのホームレスが美菜を治してくれるかも…)


 ふと、そんな思いが心をよぎったが、すぐにバカバカしいことだと頭を振った。

 翌日、尚樹はいつもより早起きをして食事をした。

 慶子と豪介、ばあやが珍しげに尚樹を見た。


「尚樹、今日は早いのねぇ。

 いつも何度も起こさなきゃ起きないのに」

「今日から朝、校庭でサッカーをするんだ」


 尚樹が朝食を口に詰め込みながら答えた。

 豪介が新聞に目を落としながら言った。


「尚樹、サッカー嫌いだったんじゃないのか?」

「昨日から好きになったの」


 尚樹がそっけなく答えた。

 慌しく朝食を食べ終えた尚樹は急いで家を出た。


 その頃、勇斗は寝ている早苗を起こさないように昨日の夜に早苗が用意しておいた朝食を急いで食べ終えると食器を流しに片付けてそそくさと家を出た。


 また、ちひろもいつもちひろが起きるころに家を出る裕子と共に朝食を食べて家を出た。


 3人とも息を切らせながら学校ではなく小屋に向かって走った。

 途中で勇斗、ちひろ、尚樹が顔を合わせた。

 お互いに照れくさそうに笑いながら小屋に向かって走った。

 ニコピンはすでに起きていて小屋の前で川で取った魚を焼いていた。

 ニコピンは走ってきた勇斗達に気がついて手を振ったが、勇斗達はニコピンを無視して小屋に走りこんでお産箱を覗き込んだ。

 花子はだらしない格好ですやすやと寝ていた。

 勇斗達は失望のため息をついた。

 尚樹が息を切らせながらつぶやいた。


「から、体に良くないよ…」


 ちひろも息を切らせながら尚樹に言った。


「い、いいんじゃないの…やせて」

「ひ、ひどいな、僕はデブじゃなくて骨太なんだよ。

 ママンが言ってたもの」

「とにかくまだ子犬生まれてないって事」


 勇斗の呟きにちひろと尚樹がため息で答えた。


「やだなぁ、学校にいるときとか夜に生まれたら」

「だね」

「やっぱり、見たいよねぇ」

「あたし、学校ずる休みしようかなぁ」


 そう呟いたちひろを勇斗と尚樹が見つめた。

 2人の視線に気付いたちひろがわざとらしいはしゃぎ声で慌てて取り繕った。


「やぁねやぁねやぁね!冗談だよ!やぁだぁ~!」


 勇斗がため息をついた。


「ともかく、早く生まれてくれないと落ち着かないなぁ…」


 尚樹が勇斗を見てニヤニヤしながら言った。


「勇斗、始めは花子飼うのに反対してたのにずいぶん心配するんだね」


 勇斗が顔を赤らめて俯いた。

「ばかだなぁ、飼っちゃった以上しょうがないでしょ?」

「勇斗…本当は犬、好きなんでしょ?」


 ちひろがニヤニヤしながら尋ねた。

 勇斗が小声で言った。


「…好きだよ」


 勇斗が照れ隠しに咳払いをして小屋を出て行った。

 ちひろと尚樹が顔を見合わせて笑顔を浮かべた。

 小屋を出た勇斗は焼いた魚を食べているニコピンに話しかけた。


「ニコピン、俺達がいない間に花子が子犬産んでも一人で大丈夫?」


 ニコピンが魚を頬張りながら頷いた。

 ちひろが小屋から出てきて言った。


「ばかねぇ、ニコピンだったら何でも治しちゃうから、花子や子犬に何かあっても大丈夫よ」


 俺はそれが心配なんだよ!と言いたいのをぐっと堪えて勇斗は無理やり笑顔を浮かべた。


「それもそうだな。

 あっ学校に遅れちゃうよ!」


 ちひろと尚樹があっと叫ぶと学校に向かって走り出した。

 勇斗も跡を追って走り出したが、急に立ち止まり小屋に戻ってきた。

 そして小屋の裏手の武器の入った箱から金属バットを一本取り出して小屋の入り口に置いた。


「ニコピン、何かあったら花子を守ってあげてね。」


 ニコピンが魚を頬張りながら頷いた。

 勇斗も学校に向かって走り出した。










続く

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