第7話

「ギフト」  第7部

                        

                      とみき ウィズ





「告白」




 翌日の日曜日。

 勇斗はいつもより早起きして小屋に行った。

 小屋の前には、カセットコンロの上に鍋が置いてあり、草やらなにやらを鍋で煮込んだスープのような物が入っていた。

 ニコピンは小屋にいなかった。

 勇斗はニコピンを探して河原を歩いた。

 草原の一角にニコピンが腰を下ろしていた。

 ニコピンが歩み寄る勇斗を見て笑顔を浮かべた。

 ニコピンの手が何かを包んでいた。

 ニコピンが手を開くとすずめが一羽、囀りながら手の中から飛び立っていった。

 勇斗がニコピンの横に腰を下ろしながら尋ねた。


「ニコピン、すずめを治したの?」


 ニコピンが笑顔でうなずいた。


「自分の命を『分けて』『与えた』のか」


 ニコピンの笑顔が揺らぎ、勇斗の顔を見た。


「俺、知っちゃったんだ。

 ニコピンの首の痣の事。


 痣が真っ黒になると、死んじゃうんだろ?」

 ニコピンがノートを取り出して書いた。


このこと ないしょ おねがい


「ニコピン、もう他人や動物を治すのやめてよ」


どうして にこぴん なおすのすき みんなげんき だいすき


 勇斗は苛立たしげに大声を出した。


「だってニコピンが死んじゃうよ!

 

 他の人や動物を治して自分が死んだら意味無いじゃないか!」

 ニコピンが微笑んで勇斗を見つめた。


ありがとう ゆうと


「笑ってる場合じゃないよ!

 俺、真剣に怒ってるんだ!

 大体、死にそうな者が又生きて行ったって結局又辛い思いをするんだよ。

 死なない命なんて無いからね。

 死ぬのが先に伸びただけじゃん!

 静かに死なせて上げたほうが良いんだよ!

 その為に、ニコピンが死ぬのって変だよ!」


ゆうと しんぱいしてくれて うれしい


「ニコピンの心配なんてしてないよ!

 生きてたって辛い事ばかりなのに、又辛い思いをするためにニコピンが自分の命を使うのって変だって言ってるんだよ!」


いきる すてき つらいこと いたいこと さびしいこと いっぱい でも いきる すてき きれい にこぴん いきる みる だいすき


 勇斗がニコピンのノートを振り払って叫んだ。


「でも、その為にニコピンが死ぬんだよ!

ニコピン!…死ぬなよ!

ニコピンが死んだら嫌だよ!」

ニコピンがノートを拾い、書いた。


ゆうと ありがとう しんだら いや いってくれたこと はじめて ゆうと やさしい ゆうと ともだち


勇斗は目に涙をためて叫んだ。


「俺は優しくなんかないよ!


 俺はニコピンが死んだら嫌だなって思っただけだよ!

 俺は…俺は…」


 勇斗は感情が激して言葉を失った。

 そして、それだけ叫ぶと膝を抱えてしゃがみこみ、嗚咽がこぼれた。

 ニコピンが勇斗の肩を抱いて優しくゆすった。

 ニコピンが又ノートに書いた。


にこぴん しってる なおき ちひろ みんな しってる ゆうと やさしい いいこ ゆうと たいせつな ともだち


 勇斗は涙で曇った目でノートを見た。


「ニコピン、首の痣の色は薄くなったりしないの?

 後戻りは出来ないのかい?」


 ニコピンが寂しげな笑顔で首を横に振った。


「ニコピン、もうあまり治さないで、ニコピンが死んじゃ嫌だよ。

 尚輝もちひろも悲しむよ」


 ニコピンがうなずき、ノートに書いた。


あざのこと ゆうと にこぴん ないしょ おねがい


「判った、だからニコピンもあまり無茶しないでね。

 死んじゃ駄目だよ」


 ニコピンがうなずいて立ち上がるとおなかに手を当てて情け無さそうな顔をした。

 そしてノートに書いて勇斗に見せた。


おなか ぺこぺこ


 涙で濡れた勇斗の顔が少しだけほころんだ。


こや もどる あさごはん


「あの草のスープって 本当に美味しいの?」


 ニコピンが笑顔でうなずいた。


「本当かなぁ…確かにいい匂いはするけど…」


 勇斗が疑わしそうに呟いた。


ゆうと たべる おいしい


 勇斗はニコピンが差し出したノートの字を読んでしり込みした。


「ま、また今度ね」


 2人は連れ立って小屋に歩き出した。

 突然、何かの気配を察したニコピンの笑顔が消え、後ろを振り返った、が、何も見えないので小屋に向けて歩き出した。


「どうしたのニコピン?」


 勇斗が尋ねたがニコピンは笑顔で首を振った。

 この前河原でニコピンと出くわした陰惨な表情の中学生が30メートルほど離れた草むらにしゃがんでニコピンと勇斗を見つめていた。

 彼の足元には、ナイフで切り刻まれたアヒルの死骸が転がっていた。




「犬」




 小屋に帰り、美味しそうに草のスープをすするニコピンを横目に勇斗は尚輝が持ち込んだコミックを読んでいた。

 尚輝は最近何十年も前の漫画の収集に興味を持ち出し、今勇斗が読んでいる漫画は梅図かずおの「漂流教室」だった。


 今の漫画に無い「重さ」が気に入った勇斗はかなり読み込んでいる。

 やがて、尚輝とちひろが小屋にやってきた。

 妹の美菜が東京の病院に移ってしまい美菜の病気を治すチャンスを失って落ち込んでいた尚輝だが、今はニコピンと東京に行けるほどの金額を貯める為にせっせと貯金をしていた。

 ちひろはニコピンに勉強を教えているうちに将来教師になりたいなどと言い始めている。

 今日も教科書を持ってきている。

 生まれてから学校に行っていないニコピンも喜んでちひろの授業を受けていた。

 ちひろは今日、理科を教えている。

 天体の話の途中で星座の話になった。

 勇斗が獅子座、尚輝は双子座であった。

 ニコピンの星座についてはいつ生まれたのか判らないので何座かもわからなかった。

 ちひろは何故かもじもじして中々自分の星座を言わなかった。

 勇斗が痺れを切らしてちひろに詰め寄った。


「ちひろ!

 おまえ、水臭いよ!

 星座くらい教えたっていいじゃんか!」

「…さそり座」

「え?声が小さくて判んない!」

「さそり座!」

「ああ、さそり座ね。

 さそり座…あれ?誕生日っていつだよ?」

「…もう!だから言いたくなかったんだよ!

11月15日だよ!」


 尚輝が携帯を取り出して、カレンダー表示を見た。


「来週じゃんか!

 ちひろ来週誕生日だ!」

 ちひろは赤らんだ顔を膨らませてそっぽを向いて呟いた。

「プレゼントでもくれる?」


 勇斗が叫んだ。


「ここで誕生会しようよ!」


 尚輝が顔を輝かせて叫んだ。


「僕も賛成!」


 ちひろが驚いて、更に顔が赤らんだ。


「ちょっとあんたたち、本気?」

「そうだ、ニコピンの誕生日も同じってことにしてちひろとニコピンの誕生会にしようよ!」

「賛成!勇斗いい感じだよ!

 ニコピン、お前の誕生会も来週しようよ!」


 ニコピンが立ち上がり嬉しそうに部屋の中を飛び跳ねた。

 ちひろがぶすっとした顔で座っている。

 勇斗がニコピンと尚輝と飛び跳ねながらちひろに尋ねた。


「ちひろ、嬉しくないの?」

「嬉しくない」

「ウソダァ!本当は嬉しいでしょ?」

「もう、子供じゃないからあまり嬉しくない」

「嬉しいだろ?」

「嬉しくない」

「嬉しいだろ?」

「嬉しくない」

「嬉しいだろ?」

「……嬉しいわよ!」


 ちひろは嬉しかった。

 誕生会なんて数年振りだった。

 顔がまた、赤くなった。

 そして、嬉しさのあまり泣き出しそうになったので、墓地の手入れをしてくると言って小屋を出た。

 小屋の裏手の墓地の前でちひろが両手で顔を押さえてしゃがみこんだ。

 勇斗と尚輝は誕生会の手順を考えながら熱く語っていた。

 ニコピンは2人が興奮して早口で喋るのと、今までの自分のボキャブラリーに無かった、プレゼントだとか誕生ケーキだとかなどの言葉が飛び出して意味が半分くらい判らなかったがニコニコして聞いていた。

 そこへちひろが飛び込んできて叫んだ。


「ニコピン!ニコピン!来て!早く!」


 ニコピンと勇斗達が小屋の外に出ると、ちひろが墓地の横の草むらを指差して叫んだ。


「ニコピン!早く助けてあげて!

 犬が大怪我してる!早く!」


 草むらに雑種の中型犬が腰を下ろしてあえいでいた。

 後ろ足がかなり切り裂かれて夥しく血を流していた。

 犬は勇斗達を見て逃げようと腰を上げたが何歩も行かないうちにへたり込んだ。


「かわいそう、足どうしたのかな?」

「誰かがナイフかなんかでやらないとあんなにきれいに切れないよ」


 勇斗が犬の足を観察して言った。

 ちひろが手で口を覆った。


「ひどいよ!何であんな事ができるの?

 ニコピン、お願い、早く治してあげて。」


 ニコピンが犬に近付こうとすると、勇斗がニコピンの腕を掴んだ。

 ニコピンは勇斗を振り返り笑顔を浮かべるとそっと勇斗の手を解いた。

 尚輝がニコピンに言った。


「ニコピン、犬が興奮してるから目を合わせないように近付いて。

 ゆっくり、地面を見ながら行って」


 ニコピンは尚輝の指示通りにゆっくりと犬に近付いていった。

 犬は怯えて逃げようとするが足を引きずっているので、ニコピンはやすやすと犬の近くまで来た。

 そして素早くしゃがむと犬の後ろ足に触った。

 犬は驚いて、きゃん!と鳴いたが、足の傷が跡形も無く治り、痛みも消えうせたので戸惑って鼻を鳴らした。

 後ろ足を舐め、それからニコピンの手をおずおずと舐めた。

 ニコピンが頭を撫でてやると、尻尾を振ってニコピンの顔を舐めた。

 勇斗達が近寄ると、犬は一瞬警戒して空中の匂いをかいだが、危険を感じなかったので好きなように体を触らせた。

 勇斗が犬を撫でながらニコピンの首筋の痣を見たが大して色が変わっていないので安心した。

 少なくとも、昨日死んでしまった貧相な中年の男が店に入ってきた時よりは、今のニコピンの痣の色が薄いと思った。


「こんなおとなしい犬にひどいよ」

「野良犬かな?」

「首輪、無いね」

「…おなか、大きくない?」


 ちひろの疑問の声にニコピンがノートを取り出しながら書いた。


いぬのおなか あかちゃん いる 





「現実」




「えー!この犬のおなかに赤ちゃんがいるの!」


 ちひろが驚きの声を上げた。

 ニコピンが笑顔でうなずいた。


「後どれくらいで生まれるの?」


 尚輝が尋ねた。

 ニコピンがノートに書いた。


よく わからない でも もうすぐ


「すごいね!ねっ!小屋で飼おうよ!」

「そうだね!それって良いかも!」


 ちひろの提案に尚輝が賛成したが、勇斗はむっつりと押し黙ったままだった。


「ねぇ、勇斗!小屋でこの犬飼おうよ!」


 ちひろが勇斗に笑顔を向けた。


「…俺は…反対」

「えー!なんでぇ!」

「皆で面倒を見れば良いじゃないか」

「本当に面倒見れるの?

 子犬だって生まれてすぐ死んじゃうかもしれないし…小屋の裏のお墓行きかもしれないよ」

「何でそんな事言うの?」

「大丈夫だよ、ニコピンだっているし」

「…何かあった時にニコピンが治してやっても、結局は野良犬なんだよ。

 この先苦労するんだよ。

 お墓にいたずらされた事覚えてるだろ!

 俺たちだってこの先何年も小屋に来るとは限らないよ。

 来年は6年生になるし、中学に入ってもずっと小屋に来て犬の面倒を見れるの?

 ニコピンだっていつまでここにいるか…」


 勇斗の言葉がちひろと尚輝の心に刺さった。

 そう、いつまでもずっとこの小屋に来れるのか判らないのだ。

 誰か、小屋を管理している人間に見つかるかもしれないし、中学生になってもずっとこの小屋に来れるかも判らないのが本当の所だ。

 このちっぽけな楽園にいつまで居れるのか判らないのだ。

 子供はやがて成長して、色々な付き合いが増えてゆく。

 今のこの時、この思いは永遠には続かないのだ。

 その事をちひろも尚輝もうすうす感じている。

 勇斗達があえて考えないようにしてきた現実が鮮やかに目の前に現れた。

 勇斗達は重苦しく沈黙した。

 ちひろが犬に顔を舐められながら泣き出した。


「そんな事言わないでよぉ!


 そんな、悲しい事…言わないでよぉ!」

 ちひろは犬の首を抱きしめた。


「確かに先の事は誰も判らないよ。

 でも、今、ニコピンがいたり、尚輝がいたり、勇斗がいたり、それでこの犬がいたら素敵だなぁ、て思うんだよぉ!

 私、生き物を飼ったことないけど、誓うよ!

 絶対この犬の面倒をずっと見るよ!

 この犬の面倒を見れたら、きっと、きっと私は自分が良い人だと思えるんだよ!

 なんか、生きてる価値があると思うんだよ!」


 尚輝が決意を含んだ顔で勇斗に言った。


「勇斗、僕は美菜の病院にニコピンを連れてゆくのが少し遅れてもかまわない。

 犬の食べ物代とか僕が出すよ。

 面倒も見るよ。

 それでも小屋で飼っちゃ駄目だって言うのなら、僕、死ぬ気でママンに頼んでこの 犬を僕の家で飼ってもらう様に頼むよ。

 勇斗君て、今まで良い奴だと思ってたけど…なんか冷たいよ。

 ニコピンだってずっとここにいるよ。

 どこかに行ったりしないよ」

「勇斗!この犬、小屋で飼おうよ!

 ずっと、みんなでいようよ!」


 勇斗はじっと考え込んだ。

 ニコピンが勇斗の顔を見つめていた。

 勇斗の目がニコピンと合った。

 ニコピンが笑顔でうなずいた。

 勇斗が深くため息をついた。


「…皆が本当にきちんと犬の面倒を見るなら俺も賛成する。

 ただし、もうこれ以上ニコピンに甘えないように、犬が病気になったら獣医さんに見てもらう。

 獣医さんに見てもらうお金や犬の餌代とかは皆で出す事にしよう」

「やったー!」

「うれしー!」


 ちひろと尚輝がはしゃいで飛び跳ねたニコピンは犬の頭を撫でながら笑顔を浮かべていた。

 勇斗は照れくさそうに笑顔を浮かべたが、さっき言った自分の言葉に漠然とした不安を感じ、俯いて小屋に入っていった。

 午後いっぱい掛けて勇斗と尚輝は川原を歩いて犬が落ち着けるような木箱を拾ってきた。

 ちひろはコンビニに行ってドッグフードの缶詰や水の容器などを買ってきた。

 ニコピンは草をむしってきて木箱の底に敷いてやった。

 木箱は小屋の中の土間の隅に置いた。

 そして勇斗達は夕方まで、犬の名前を決める会議をしたが喧々諤々で結論が出なかった。

 日も暮れてきたので犬の名前は次の日に決める事にして勇斗達は家路に着いた。

 朝から河原をうろついて殺せる物を殺してきた陰惨な顔つきの中学生は夕方に小屋の近くを通った時、昼間に足を切りつけながらも止めをさせなかった犬を見つけた。

 確かに深手を負わせて足を引きずって逃げていった犬が元気に歩いているのを見て驚いた。

 その犬は貧弱な体型のホームレスに呼ばれて小屋に入っていった。


(あのホームレスは覚えてる、ニヤニヤしてこの辺をうろついてる奴だ)


 小屋の電気が点くのを見届けると中学生はしばらく遠くから中の様子を伺っていたが、やがて自分の家に帰っていった。





「悪意」





 翌日、尚輝は学校からまっすぐに家に帰り、ノートパソコンを持って小屋にやってきた。

 勇斗とちひろはそれぞれに古いタオルや洗面器などを持って小屋にきて犬の寝床を作り直したりしていた。

 3人が揃ったのでニコピンは犬の散歩がてらに夕食の草摘みに出かけた。


「犬のお産なんて良くわかんないからネットで調べようよ」


 尚輝がパソコンを携帯に接続しながら言った。

 パソコンが起動して勇斗達が画面を覗き込んだ。


「えーと、犬…お産…かな?」


 尚輝が呟きながら検索した。

 たちまち51万6千件もヒットした。


「わぁ、すごいね!」

「感心してないで、ノート出してメモメモ」


 勇斗達はいくつかのぺージをメモに取った。

 その結果いくつかまた必要な物が出て来て、それぞれ買い物の分担を決めた。


「なんか、パソコンて面白いねぇ。」


 ちひろが感心して呟いた。


「いろいろと調べたい時はここにキーワードを打ち込んで検索するんだ」

「ちょっとやっても良い?」

「いいよ」


 勇斗と尚輝は木箱では広さが不十分な事が判ったので新しく犬のお産箱を作り始めた。

 ちひろは時々尚輝や勇斗に操作方法を聞きながらパソコンに向かいっぱなしだった。


「きゃ!何…何これ?」


 ちひろがパソコンの前で悲鳴を上げた。

 勇斗と尚輝がお産箱作りの手を止めてちひろを見た。


「動物を助ける、だからヘルプアニマル…ヘルプアニマルって打ったんだよ…これっ  てなんか変な映画なんだよね?本当じゃないよね!」


 パソコンの画面には毛皮を取るために惨たらしく殺される犬の映像が写っていた。

 そのほかにも猫が小さな金網の籠の中に押し込められている映像など、次々と悪夢のような映像が流れた。

 勇斗達は吸い込まれるように画面を見つめていた。


「これ、本当の事だよ…」


 勇斗が青ざめた顔で言った。


「うちに飲みに来る変なおじさんがよく言ってた。

 犬の毛皮とか猫の皮とかこういう風に取るんだって…でも、今まで信じられなかった…本当なんだ」

「でもさでもさ!この人達、日本語喋ってないよ。

 アジアの国だろうけど日本人じゃないじゃん。

 だから僕らには関係ない話だよ」


 尚輝が早口で言った。


「この人たちがこんなことして作った毛皮とかって…日本とかに輸出するんだよ…関係無い訳じゃないんだ…」


 ちひろが画面を止め、他の画像をクリックした。


「これって日本の事でしょ…」


 養鶏場の悲惨な鶏の実情が画面に流れた。


「うわあああ!僕、もう見たくないよ!

 止めようよ!」


 尚輝が目を覆って叫んだ。

 しかし、ちひろの手は次々と画面の映像をクリックして行った。

 勇斗も尚輝も吸い込まれるように際限なく起きる陰惨な映像に見入った。

 演技でも作り物でもCGでもない、リアルな悪意に圧倒されたまま3人は黙りこくって画面を見つめた。


(知らなくちゃいけない事)

(知らないって言ってられない事)

(黙って通り過ぎる事ができない事)


 そんな言葉が勇斗達の心に鳴り響いた。

 ちひろがまた別の画像をクリックした。

 化粧品や医薬品に実験に使われる動物達。

 そのほか様々に何の敬意も感謝も払われずに虐殺される動物達の映像がパソコンの画面に映った。

 その手の虐殺はもちろん日本でも行われていた。


「この前授業で、ナチスがユダヤ人を収容所で虐殺した事を勉強したんだ。

 …これは動物のアウシュビッツ収容所だよ…」


 勇斗が画面を見ながら小声で言い、尚輝が吐きそうな顔で呟いた。


「…それどころじゃないよ、これはもう…地獄だよ。

 生きたまま皮を剥がされるなんて、むかし、死んだおばあちゃんが言ってた地獄の事みたいだよ」

「何故、人間がこんな事をできるの?…お金のため?…許せない、こんなこと絶対にさせない。

でも…どうすればいいんだろう…」


 日本で行われている野良犬や野良猫の殺処分の映像を見ながらちひろが呟いた。

 その頬に一筋の涙が流れた。

 そしてニコピンが必死に治そうとしたテレビのニュースの子供のことに思いを馳せた。


「人間同士でも殺し合って…何の罪もない子供を殺したりしてるよね…」


 ちひろがつぶやいた。


「人間も動物も…なんでこんなことをするんだろう?」


 尚樹はため息をついた。


「殺すのが、残酷に殺すのが人間の本能かもしれないよ・・・世界中の人がニコピンみたいになれれば良いのに・・・」


 勇斗の言葉に皆が黙り込んだ。

 パソコンを消して3人はしばらく虚脱状態に陥ったが、気を取り直して犬のために    首輪を用意する事とやはり獣医に見せて、犬の登録をする事にした。

 携帯電話を持っている事から、飼い主は尚輝という事になった。

 さて、犬の名前をどうしようかという事になったが、3人の意見が分かれてまたまた白熱する議論が行われたが、結局、生まれてきた子犬の名前をそれぞれがつけるということで、母親犬の名前は「花子」となった。

 ニコピンが犬を連れて帰ってきた時、勇斗達は犬の名前が「花子」に決まった事をニコピンに告げた。

 ニコピンが喜んで飛び跳ねた。

 ちひろが花子の頭を撫でて、急に力をこめて抱きしめた。


「花子、お前を絶対に守ってあげるから元気な子犬を産んでね」


 勇斗達はまた、パソコンを起動させて、獣医の検索をした。

 小屋の近所の獣医の電話番号を調べて、妊娠している犬の健康診断やフィラリアの検査や出産に立ち会うにはいくらかかるかなどを聞き出した。

 かなりの金額になった。


「結構お金かかるね…」


 勇斗とちひろが尚輝を見た。


「ちょちょちょ!僕だってこんな金額持って無いよ!

 大体勇斗君とかもいくらか出してくれるんでしょ?」

「うち、飲み屋だから、最近きついんだよね。

 お小遣いも減らされたし…千…2千円くらいなら何とか」


 尚輝と勇斗の視線に圧力を感じたちひろが妙にはしゃいだ声で言った。


「うち、母子家庭だし!ママ派遣だし!…500円くらいなら…」


 3人の話を聞いていたニコピンが立ち上がるとバッグから小さな金属製の菓子箱を取り出した。

 何事かと3人が見守る中でニコピンが菓子箱の蓋を開けた。

 中には、ビール瓶の蓋だとか、ピンバッジだとか、ちひろが指の傷に巻いてくれたバンドエイドだとかのガラクタが入っていた。

 その中からニコピンが小銭をいつくらか取り出した。

 

 416円。


 勇斗達はため息をついた。


「全然足りないじゃん!

 だって、来週お誕生会もやるんだよ!

 そんなお誕生会なんて余裕無いじゃん!…あ」


 尚樹の言葉にちひろとニコピンが悲しそうな顔をして彼を見つめた。

 ちひろは目にいっぱい涙をためながら小声で呟いた。


「花子のためなら…お誕生会我慢するわぁ…」


 ニコピンも辛そうな顔でノートに書いた。


にこぴんも おたんじょかいお がまんする


「あっいや、 僕、そんなつもりじゃなかったんだけど…」


 尚輝が助けを求めるように勇斗を見た。

 勇斗が頭の後ろで手を組みながら仰向けに倒れた。

 勇斗の目に戸が空いている押入れが入った。


「へ」


 勇斗がガバッと起き上がった。


「あるじゃん!…おかねになるのが、あるじゃん!」


 尚輝が勇斗の視線の先に気付いた。

 尚輝は立ち上がり、押入れの前に立ちふさがった。


「昔のコミックだとか、ゲームっていいお金になるんだって!」


 勇斗が言い、ちひろも思い出した様に叫んだ。


「そうそう!うちのママもお金に困った時、コミック売りに行ったよ!

 そんなにあれば、何万円かになるよきっと!」

「…ええええええ!えー!これだけ集めるのにどのくらい苦労したと思ってるんだよ!

 駄目だよー!」

「尚輝、全部売れとは言わないよ、大事なのだけ残しておいて他のを売れば良いじゃん。」

「全部大事なんだよー!」

「花子より?」

「うっ!」

「誕生会より?」

「誕生会より大事!」

「鬼!」

「…美菜ちゃんより?」

「え?」

「それ全部売れば、東京までニコピンと行けるんじゃない?

美菜ちゃん治せるよ?」

「うっううううう!」

「とりあえずいくつか売ったら、全部売るといくらくらいになるか判るんじゃない?

 花子の面倒も見れてお誕生会もできて、美菜ちゃんのところにもいけるよね」

「…悪魔…悪魔の囁きだ…」


 ニコピンがノートに書いた。


なおき やさしい みんな しあわせ



「わかったよ!わかったよ!売ればいいんでしょ!」


 尚輝がやけくそで叫んだ。






続く


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