第3話

「ギフト」  第3部

                        

                      とみき ウィズ




「におい」



翌日は爽やかな秋晴れで休み時間の校庭は生徒達で賑わっていた。

勇斗が校庭の隅をぶらぶらと歩いていると校庭の隅の桜の木の根元に座っているちひろを見かけた。

勇斗はちひろの隣に腰掛けた。

ちひろは勇斗を無視して校庭で駆け回る子供たちを眺めていた。


「ちひろ」


ちひろは校庭を眺めたまま物憂げに答えた。


「…なに?」

「昨日のホームレスの事だけどさぁ…」

「ニコピンの事?」

「うん」

「ここじゃ、話さないわよ。誰が聞いてるか判んないもん」

「小声で話せば良いじゃん」


ちひろが勇斗を見て、桜の木の周りを見回してから、小声で言った。


「小声なら良いか。でっニコピンがなんだって?」

「昨日、家に帰ったら母さんが俺の事臭いって言うんだ」

ちひろが勇斗を見て、やっぱり!という表情になった。

「うちもだよ!やっぱりニコピンて相当臭いよねぇ!」


 ちひろが大きな声で言ってしまってから慌てて自分の口を押さえ、周りを見回した。


「小声でって言ったのお前だろう」

「ごめん」

「…やっぱり、あの臭いはまずいよなぁ」

「うん、かなりまずいね」


 勇斗とちひろが周りを気遣いながら小声で話していると尚輝が2人を見つけて大声で名前を呼びながら走ってきた。


「勇斗!ちひろ!昨日のニコピンの事だけどさぁ!」


 勇斗とちひろは顔をこわばらせながら口に人差し指を当てて尚輝にアピールしたが、尚輝はニコニコと天真爛漫な笑顔で大声で話しながら2人に走り寄って来た。


「ニコピンの事なんだけどさぁ!ちょっと2人に…ぐはぁっ!」


 ちひろが鬼の形相になって立ち上がると、トー!と掛け声を上げて尚輝にとび蹴りを食らわせた。

 ちひろの足は見事に尚輝の腹にめり込み、尚輝が腹を押さえて蹲った。


「ライダーキック…今トー!て言ったよな今トー!て言ったよな今トー!て…」


 びっくりした勇斗が早口で呟いたがすぐに我に返り、転がっている尚輝を立ち上がらせるとちひろの腕を取り校舎の裏手の方に急いだ。

周りにいた生徒達は唖然として3人を見送った。


「まったく、秘密を守るのに、何でこんなに目立つんだよ!」

「ごめーん、だってこのデブうるさいんだもん」

「だからって蹴る事無いだろう。イテェヨォ-」


 3人は校舎の裏手にある動物小屋の陰に隠れた。


「尚輝、おなか大丈夫?」


 勇斗が尚輝のセーターの腹にくっきりとついたちひろの運動靴の跡を見て尋ねた。


「うーん、大丈夫~」

「それだけ肉が付いてるから大丈夫よ。私かなり手加減したもの」


 ちひろが拗ねて腕を組んだ。


「ちひろ、尚輝に謝れよ」

「…ごめんね」

「ちぇっ、何だよその謝り方」


 尚輝が腹についた靴の跡を払いながら呟いた。

 ちひろが尚輝の前に回り、笑顔とも怒りとも付かない複雑な顔を浮かべ、両手の指をあわせて気味の悪いしなを作ってひと言ひと言区切って尚輝に謝った。


「ご・め・ん・な・さ・い。こ・の・で・ぶ・・・」

「あー!そこまでそこまで!この話はこれで止め止め!」


 優斗が慌てて2人の中に入った。

そして尚輝に向き直った。


「尚輝、小屋の事は学校では内緒だろ」

「あっそうか、忘れてたよ」


 尚輝がすまなそうに言った。


「ちひろも、もうあんなに目立つ事するなよ」

「ごめんちゃい」

「ところで何の話だっけ?」


 尚輝の問いに勇斗が答えた。


「俺もちひろもきのう、家で言われたんだけどさ、尚輝、お前昨日家で臭いって言われなかった?」

「ううん、ニコピンの臭いだろう?

 僕、あの服捨てちゃったもん。」


 ちひろが信じられないといった顔つきで尚樹えお見た。


「ちょっと、なんてもったいない事するの!あんたってブルジョワね!」

「何?ブルジョワって?」

「尚輝がもってきた漫画に載ってたじゃない。

 いやらしい金持ちの人って意味よ!」

「あははは、だって臭いが移っちゃったんだもん、ママンが知ったら大変な 騒ぎになるもんね。」


 呆れたちひろを見ながら勇斗が言った。


「とにかく、ニコピンの臭いを何とかしなきゃ、あの小屋は大変な事になるよ」

「本当だわぁ」


 尚輝がさも名案のように言った。


「お風呂に入れようよ。洋服も新しいのを着せてさぁ」

「どこのお風呂?」


 尚輝がすかさず言った。


「僕の家は駄目だよ」

「俺んちも駄目さ」

「あたしの家もだめだわぁ」

「ちひろの家にしよう」


 勇斗の言葉にちひろが目を見開き口を大きく開けた。


「なんでよ!なんで!」

「よく聞けよ。

 俺の家も尚輝の家もいつも誰かいるもん。

 ちひろんちだったら昼間誰もいないだろう?」

「いやよ!」

「おねがい」

「いやよ!」

「おねがい」

「いやよ!」

「おねがい」

「…いやよ」

「おねがい」

「……いや」

「おねがい」

「……いや」

「おねがい」

「……いや」

「おねがい」

「………いいわ」

「サンキュ」


 ちひろは押しに弱い女の子だ。

 将来が心配だ。


「でも服とかはないわよ」

「それは俺が何とかするよ」


 勇斗が請け負った。


「じゃあ、僕はシャンプーとかを用意するよ」


 尚輝が言った。

 勇斗がじっと尚輝のお尻を見ている。


「尚輝」

「なに?勇斗」

「お尻見せて」


 尚輝が勇斗の顔をじっと見て、ため息をついた。


「判ったよ、まだ信じてないんでしょ」


 尚輝がズボンのベルトを緩めるとお尻をペロンと出した。


「わっ、何してるの!」

「尚輝のお尻が本当に治ってるか調べてるんだよ」


 勇斗がまじまじと尚輝の尻を見ながら言った。

 ちひろが顔を隠して後ろを向いた。


「あー、やだ!ホモホモホモホモ」


 尚樹の尻には傷一つ無く、栄養が行き届いた子供の尻特有のスベスベとした光沢を放っていた。


「…すごいや、本当に傷ひとつ無いよ」


 予鈴が鳴り、3人はそれぞれの教室へと戻った。

 勇斗と同じクラスの友安という女の子が廊下で勇斗を呼び止めた。


「小林君」

「何?友安さん」

「さっき、4年生の女の子と話してたでしょ?」

「…」

「あの子とあまり話さない方がいいわよ」

「なんで?」

「あの子のお父さんて、人を殺して刑務所に入ってるんだよ。

 なんか、死刑になるんだって」

「なんか関係あるの?」

「関係あるのって、人殺しよ」


 勇斗はそっぽを向き教室に入っていった。

 友安のそばに何人かの女の子が近寄りひそひそ話しこんだ。




「風呂」




 放課後、勇斗は父の服、尚輝は家から高価なシャンプーやリンスを持って小屋に集まった。

 ちひろはいまひとつ納得行かない顔だ。

 ニコピンは河原の草原でなにやら草の匂いをかいでは食べられそうなものを摘んでいた。


「ニコピン!」


 尚輝が大声でニコピンを呼んだ。

 ちひろが勇斗に囁いた。


「あのさぁ~ニコピンって名前なんとかならない?」

「仕方が無いよ、ニコピンって覚えちゃったんだもん。

 本人は結構気に入ってるみたいだし」


 ニコピンが屈託のない笑顔を浮かべて3人の前にやってきた。

 「ニコピン、何やってたの?」


 ニコピンはコンビニの袋いっぱいに摘んだ野草を自慢げに突き出した。

 勇斗達は野草をしげしげと眺めた。


「どうするの?これ」


 ニコピンがズボンのポケットから丸めたノートとちびた鉛筆を出し、なにやら書き込むと勇斗達に見せた。


たべる おいしい


「へぇぇ、これ、美味しいの?」


 尚輝がコンビニ袋を指でつつきながら尋ねた。

 ニコピンがノートの おいしい のところを指差して嬉しそうにうなずいた。

 勇斗がニコピンに話しかけた。


「ニコピン、お風呂好き?」


 ニコピンがノートに書き勇斗に見せた。


おふろ すき だいすき でも いま もう さむい みず つめたい


 今のニコピンにとってお風呂とは水に浸かることらしい。


「ちゃんとお湯になってるお風呂に入れてあげるわ」


 ちひろがニコピンに言った。

 ニコピンは顔を輝かせて飛び跳ね、またノートに書いた。


おゆのおふろ すき うれしいうれしいうれしい


 尚輝がシャンプーなどが入った袋を見せた。


「僕、ニコピンの為にシャンプーとかリンスとか持ってきたんだ」


 ちひろが尚輝の袋を覗き込んで声を上げた。


「ななななに、何これ!

 凄く高そう!やっぱ、ブルジョワだわ!」

「とにかく、早く行こうよ」


 勇斗が促してみんなが歩き始めた。

 ニコピンは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながらついていった。

 ちひろを先頭に、勇斗達が歩いてゆく。

 急にちひろが立ち止まり、後ろを振り返った。

 勇斗達を見てちひろがため息をついた。


「ちょっと、なんか目立つし…」

「そうかな?」

「しょうがないよ、僕達ちひろの家知らないもん」


 ニコピンが笑顔でうなずく。


「はぁ~、このメンバーが怪しいって言ってんの!

 もうちょっと離れて付いて来てよ。

 あたし、女の子だからさぁ、男の子とホームレス連れて歩いているの誰か に見られたらもう学校行けないよ」


 勇斗達が無言で後ずさる。

 ちひろが腕組みをして目を細める。


「…もう少し離れて、そんな感じでね。

 ニコピン、スキップしない!

 勇斗、暗い顔で俯かない!

 尚輝、アホ面でニヤニヤしない!

 …よろしい」


 ちひろが歩き出し、その10メートル後を勇斗達が神妙な顔つきで付いてゆく。

 ちひろとすれ違った主婦が勇斗達を見て心配そうな顔をしてちひろを見た。

 視線を感じて振り返るちひろが主婦と目が合った。

 主婦からすると、勇斗達がちひろを尾けている様に見えたのだ。

 ちひろは引きつった笑顔を浮かべて主婦をやり過ごした。


「やっぱ、あんたら一緒に歩いていいよ。」


 勇斗達がいそいそとちひろのそばに来て一緒に歩き出した。

 ちひろも開き直り、堂々と勇斗達を家まで案内した。

 ちひろのアパートに着くと、まずちひろが階段を上がり、鍵を開けて裕子が帰っていない事を確認すると階段の下で待機していた勇斗達を手招きして部屋に入れた。

 ニコピンと尚輝が物珍しそうに部屋の中を見回した。





「ともだち」





 「ちょっとぉ、あんまりじろじろ見ないでよ」


 ちひろがお風呂にお湯をいれながら文句を言った。


「だって、僕、アパートに入るの初めてなんだもん…狭いね!

 テレビで見たとおりだ」

「あー、なんかむかつく。あっニコピンはあまり歩き回っちゃ駄目!」


 ちひろが段ボール箱をつぶしてその上にニコピンを座らせた。

 勇斗が奥の6畳間の仏壇を見つけた。


「あ、これ」


 ちひろが慌てて仏壇の前に立ちふさがった。


「…ちひろ、俺、ちひろの父さんの事、もう知ってるから」


 勇斗の言葉にちひろが黙ったまま足元に視線を落とした。


「ちひろがやったんじゃないんだから、気にするなよ」


 尚輝が6畳間に顔を出した。


「僕も知ってるよ。勇斗の言うとおりだよ。ちひろが悪いんじゃないもの。 みんなでお菓子食べようよ、僕、いっぱい持ってきたんだ」


 勇斗とちひろが台所に戻ってくると、尚輝が袋の中から大量のお菓子をテーブルに広げた。


「じゃーん!すごいでしょ!食べようよ」


 勇斗が椅子に座ると手近のポテトチップの袋を開けた。


「ほら、ちひろが好きなコンソメ味。ほら、食べよう!」


 ちひろがいすに座り、もそもそとポテトチップを食べ始めた。

 尚輝とニコピンと勇斗がはしゃぎながら食べ始めた。


「ちひろ、何か飲み物ない?俺、何か買ってこようか?」


 ちひろの顔が見る見る赤くなり目から涙がこぼれた。

 ちひろは涙を流しながらポテトチップを口に入れた。


「パパは…私には優しかったよ…ママにも…とても優しかったんだ…なんであんな事したんだろう…」


 一同がしんと静まり返った。


「パパが他の人を殺しちゃうなんて信じられない…一家皆殺しだよ、私くらいの子も殺しちゃったんだよ…おかげでママは人気があった美容師さんだったのにお店にいられなくなって…今は派遣で家から遠い倉庫で働いてるよ…私も今は友達なんて一人もいないよ…近所の人は私やママも人殺しって思ってるよ…人生はつらいよ」


 ちひろが泣きながらポテトチップを頬ばった。


「ママは絶対弱音をはかないよ…私もママには苛められている事言わないんだよ…苛められたり意地悪されても泣かないんだよ…でも、優しい事言われると涙が出るんだよ…変だね…毎日ママと私はパパが殺しちゃった人達にごめんなさいって祈ってるんだよ…でも、どんなにごめんなさいって祈っても死んじゃった人は生き返らないし許してくれないよ、パパは絶対に死刑になるし、ママも私もずっと苛められるんだよ…つらいよ」


 ニコピンがノートに何か書いてちひろに差し出した。


にこぴん ちひろ ともだち ずっと


「そうだよ、俺や尚輝もちひろと友達だよ」

「ちひろ、もっとポテチ食べていいよ。どんどん食べてね」

ちひろはもうひとつのポテトチップの袋を開けるとまたポテトチップを口に押し込んだ。

「ありがとう、なんか泣けるとおなかが空くんだよ…変だね。

 誰か、棚に紅茶があるから淹れてちょうだい…私、のどが渇いたよ」


 勇斗と尚輝がいそいそと紅茶の支度をする間、ちひろは涙を流しながらポテトチップを食べ続けた。

 尚輝が慣れない手付きで紅茶の入ったカップを並べた。

 勇斗はお風呂のなかに首を突っ込んで湯舟のお湯を見ている。


「もう、そろそろかな?」

「あっ、先にシャワーを浴びて体を洗ってよ。

いきなり湯舟に入るとお湯が凄く汚れそうだから」

「オッケー!」

「紅茶飲んだら?」

「そうだね」


 勇斗はいすに座ると紅茶のカップを取った。

 ちひろが勇斗の顔を見つめた。


「勇斗、私のパパの事いつから知ってたの?」

「今日。クラスの女子が言ってたんだ。」

「勇斗のお父さんて仕事中に殺されたんでしょ?

 私のパパの事知って嫌な気持ちにならなかった?」

「別に…ちひろは俺の父さんを撃った奴とは違うじゃん。

 もし、俺の父さんを撃った奴の子供が目の前に現れたら…よく判んないや。

 …でも、もし俺の父さんを撃った奴の家族が今のちひろみたいな目にあってそれでも毎日父さんのために祈っててくれるなら、友達になれるよ」

「ありがと。…尚輝はいつから知ってたの?」

「僕は、パパンが弁護士だからかなり昔からちひろの事知ってたよ。

 僕は罪を犯した人の家族は被害者と一緒だってパパンから教わってたから、なんとも思わないね。

 それより、ちひろのお母さんてよく引っ越さないね。

 よくこういう時って家族の人は引っ越して他の場所に行っちゃうんだ」

「ママもあたしもここで生まれたからね、それにママが引っ越したら負けだから、いくら辛くてもここに住もうってよく言うんだ」

「へぇー。ちひろのママってえらいね。

 何か、俺尊敬しちゃうな!」


 勇斗がいすから立った。


「じゃあ、ニコピンがお風呂に入っている間にちひろはニコピンの服を洗濯してね。

 ニコピン!お風呂入ろう!」


 ニコピンが嬉しそうに立ち上がると着ている服を脱ぎ始めた。


「きゃー!女の子がいるんだから考えなさいよ!」


 ちひろが両目を隠して6畳間に逃げ込んだ。

 勇斗と尚輝がげらげら笑いながらニコピンを風呂場の中に入れた。


「シャワーを先に浴びてもらってよ!」


 ちひろが6畳間から怒鳴った。

 風呂場では勇斗と尚輝が裾をたくし上げて、ニコピンにシャワーをかけている。

 ニコピンの体を伝ったお湯が真っ黒になって排水溝に流れてゆく。


「うわー!人間の体ってこんなに汚れるんだ!」


 尚輝が何故かウキウキした口調で叫んだ。


「尚輝、シャンプーを頭にかけろ!

 ニコピン頭をこすれ!

 うわー!すげえ!

 こんなに汚れが落ちるとニコピンが無くなっちゃうんじゃない?」


 勇斗が嬉しそうに叫んだ。

 ニコピンは頭や体をかきむしって汚れを落とした。

 ちひろは風呂場の騒ぎを羨ましそうに見ながら、ニコピンの服をつまんで洗濯機に放り込み、洗剤を大量に流し込んだ。


「このままじゃ俺の服も駄目になるよ!」


 勇斗が叫んで服を脱ぐと風呂場の扉を開けて外に放り出した。

 隙間からちひろが見てぎょっとした顔つきになった。


「勇斗、何するの!このエッチ!」

「ニコピンの汚れが服に付いちゃうから俺も脱ぐんだよ!」

「僕も脱ごうっと!」


 尚輝もいそいそと服を脱ぎ始めたが風呂場が狭く、勇斗の様に器用に脱げず、台所に出てきた。


「ちひろ、6畳の方に行って!」


 尚輝がズボンを下ろしながら叫んだ。


「きゃー!行くからちょっと脱ぐの待って!」


ちひろが慌てて6畳間に逃げ込んだ。

勇斗はニコピンの髪の毛を流しながら右耳の後ろの生え際に何か付いているのに気付いた。

はじめは汚れと思ったが指でこすっても落ちない何か象形文字のような刺青がしてあった。

グレーと紫の中間色の親指の腹程度の大きさの刺青である。


「ニコピン、これ、何?」


 リラックスして、目をつぶっていたニコピンがはっとして手で刺青を隠した。


「なんだよ、刺青?子供の時にやられたの?」


 ニコピンがいつになく真剣な顔をして勇斗を見つめて口に人差し指を当てた。


「内緒なの?誰にも?…うん、内緒ね」


 勇斗はニコピンの剣幕に押されて内緒にすると言ったが、なおもニコピンが勇斗に念を押すように人差し指を唇に当てた。

 勇斗が真剣な顔でうなずいた。

 素っ裸の尚輝が入って来るとニコピンはいつもの穏やかな顔に戻ってお湯の掛け合いを始めた。

 台所に戻ったちひろが放り出された服を足で隅に寄せながら叫んだ。


「あー!、もうなんかホモホモだしぃ!」


 勇斗たちはお構いなく狭い風呂場で互いにお湯を掛け合ったりしてはしゃいでいた。

 ちひろは紅茶をすすりながら、呆れたように風呂場のドアを眺めた。


「ちゃんとニコピンを洗うのよ!」

「はーい!」


 勇斗達の元気な返事が返ってきた。

 ちひろはカップを口に持ってゆきながら、赤く泣き腫らした目を細め、おずおずと微笑を浮かべながら小声で呟いた。


「…ともだち」


 40分程で3人は風呂から上がり、ニコピンは勇斗が持ってきた服と共に6畳間に入り、新しい服を着た。

 勇斗達は台所で紅茶を飲み、尚輝が買ってきたお菓子を食べていた。

 部屋中に尚輝が持ってきた高級シャンプーの香りが立ち込めていた。


「なんか、素敵な匂いだわぁ」


 ちひろがうっとりと呟いた。

 尚輝が自慢そうに答えた。


「シャンプーとかはママンがいつも東京の銀座までいって買ってくるんだ。 ニコピンはもう全部着たかな?」


 尚輝が立ち上がると6畳間の扉を開けた。

 中を覗き込んだ途端に尚輝が笑い始めた。


「あははは!何か変な感じ!」


 どれどれといった感じで勇斗とちひろが6畳間に入った。

 ニコピンが困り顔で6畳間の中央に立っていた。

 勇斗の父親の服は明らかにニコピンには大きすぎた。

 袖も裾もおなか周りも全部サイズがオーバーだ。

 スラックスとスェットの上とコールテンの上着と言う取り合わせも変だった。

 ちひろも尚輝も勇斗も腹を抱えて笑い転げた。


「何か変な漫画のキャラクターみたい!」

「中国で作ったチャップリンだよ!」

「でもかわいいー!」


 ニコピンは苦労してズボンの裾から足を出して裾を折り返していた。

 勇斗がいきなりニコピンに抱きついた。

 戸惑い顔のニコピン、ちひろ、尚輝。

 勇斗がニコピンの胸に顔をうずめて呟いた。


「お前ともっと早くあっていたら…父さんは死ななかったのに」


 部屋がしんと静まり返った。




「裕子」




 裕子がアパートの階段を上がってきた。

 今日は早くに仕事が片付いて、いつもより早く帰されたのだ。

 もちろん、早く上がった分の時給は無い。

 今の収入は美容師をしていた頃よりもはるかに少ない。

 そして更に週末にもらう給料が少なくなった。

 裕子がため息をつきながらドアを開けた。

 狭い玄関に子供の靴2足が置いてあった。

 靴を見下ろした裕子の顔がほころんだ。


(ちひろが友達を連れてくるなんて、何年振りだろう。)


「ちひろ、お友達?」


 裕子の問いにちひろが気まずそうな顔をして6畳間から顔を出した。


「ママ、お帰り。…いつもより早くない?」

「仕事、早く終わっちゃったんだ。

 ちひろ、お友達紹介してよ」

「それが…男の子なんだよ」

「?…男の子でも良いじゃない?」

「…えーと…おっきい子もいるの…」

「はぁ?おっきくても良いじゃない」


 裕子は靴を脱いで玄関を上がった。

 なにやら高級そうな香りがする。


「何か良い匂いだわぁ~みんな、遊びに来てくれたの!」


 裕子がちひろのそばに行き6畳間を覗き込んだ。

 尚輝が妙な笑みを浮かべて立つ横に勇斗がニコピンに抱きついたまま裕子を振り返った。

 笑顔で部屋を覗き込んだ裕子はそのまま凍りついた。


「ママ、これには訳があるのよ!」


 ちひろが固まった裕子のズボンを引っ張った。

 10数分後、台所のテーブルで全員が席に着いていた。

 いすが足りないので、ちひろは6畳間のスツールに腰掛けていた。

 勇斗達は裕子にこれまでの経緯を、お墓の事や尚輝のお尻に吹き矢が刺さった事やニコピンの不思議な能力の事などを省いて説明した。

 腕を組みじっと目をつぶっていた裕子がかっ!目を見開き、叫んだ。


「えらい!あんたら、ホンマにえらいわ!」


 尚輝がちひろに囁いた。


「…大阪…弁?」

「ママは興奮すると浪速になるの…」


 裕子は感動に身を打ち震え、テーブルをバンバン叩きながら勇斗達を褒め称えた。


「今日び、世知辛い世の中、人情紙風船てぇ時に、困った人を助けるためにこういう事する子供が何人居ろうか!

 いいや!いない!全国60余州津々浦々見てもこんなに優しい子供はおらんわぁ!

 …ニコピンはんもえらい苦労したみたいだけど、こんな良い子達と出会えたんやから、これからはガンバらなあかんよぅ!」


 ニコピンが訳も判らず笑顔でうなづいた。

 勇斗達も、裕子の時代がかった早口の変な大阪弁の言葉の半分も理解できないままにあいまいに笑顔を浮かべてうなづいた。


「…しかーし!」


 裕子が腕を組み黙り込んだ。


「?」


 勇斗達が不安げに顔を見合わせた。


「…気に入らないわぁ~」

「…なにが?ママ、何が気に入らないの?」


 ちひろの問いかけに答えるように裕子はニコピンの頭を指差した。


「その髪ぃ!」


 裕子の大声に勇斗達がびくっとはねた。


「その適当な洗い方と、何年も放置されたその髪形が…気に入らないわぁ~!」


 尚輝が小声で勇斗に囁いた。


「あのさぁ、何々だわぁって言うね、親子で」


 勇斗が笑いを押し殺した無表情で尚輝の腕を肘で小突いた。


「その髪は…駄目だわぁ~」


 裕子がいきなり立ち上がり、6畳間に入ると押入れを開けて中をほじくり始めた。

 不安げに顔を見合わせる勇斗達の所に裕子が戻ってきた。

 そして、布に来るんだ整髪用の櫛や鋏をテーブルの上に置いた。


「あたしが、ニコピンはんの頭をもう少しましにしてあげましょうがな」


 元遣り手美容師(何の?)だった裕子の目が煌めいた。






続く

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