第6話 奇跡1
幼き頃から一つ屋根の下で共に暮らす蒼空と美月姫は、いつしか想いを寄せ合う仲となり親公認の許嫁となっていた。
美月姫は齢十五を迎えると、山神神社で巫女として仕えた。
それを契機に、それまで世話になった蒼空の家を出て祖父母の残してくれた家で一人暮らしを始めることにした。
蒼空と家族に強く反対されたが、いつまでも甘えるわけにはいかなかった。
早く自立して、蒼空の家族に恩返しすることが美月姫の願いでもあったから。
心配性の蒼空からいくつかの条件を提示されたが、なんとか許しを得ることができた。
不安こそあったが、大人への階段を昇る新たなる一歩を踏み出した。
山神神社の巫女として仕えるようになると、異能は力を増していった。
ある日、参拝者の心の声を聴いた美月姫は駆け寄りこう言った。
「今すぐその方の元に連れて行ってください!」
疲弊した様子の男は、美月姫の差し迫った表情に気圧され身を強張らせた。
案内された先では、虫の息となった女が横たわっている。
その女の腹の中から、桃色の光を放つ玉が弱々しく点滅して見えた。
それは、まもなく消え入るであろう赤子の命だった。
手の施しようがないのだろうか。産婦の傍らで、成す術を失い苦渋の表情を滲ませた産婆の姿があった。
美月姫は、今にも消え入りそうな儚い命の灯を消すまいと、産婦の腹を撫でながら詠い始めた。
花よ 鳥よ 風よ 光よ
水よ 空よ 月よ 大地よ
すべての生きとし生けるものよ かつことはあらず
新たに息吹く その日まで
鳥と共に歌ひ 風と共に駆けむ
やがて 時来れば
光となりて降り注ぎ
雫となりて大地を潤す
美しくもいたずらな命よ
巡るめく四季のごとく
新たなる命 芽吹くことならむ
美しい鈴の音のような声音で奏でる詠に安らぎさえ覚えた男は、妻と子がせめて安らかな最期を迎えられるように神に祈った。
突如現れ詠を歌う巫女に対し、産婆は怪訝な表情を浮かべた。
場違いな行為に対し、美月姫を睨めつけフンと鼻を鳴らした。
「産気づいて三日目だ。手の施しようがない。祈りで助かるなら産婆はいらない」
美月姫を睥睨し毒づく産婆。 男も祈りでどうにかなるものではないと、美月姫を家に連れてきたことを後悔した。
諦めたその時。産婦が苦しげな唸り声を上げた。
信じられないことに、赤子が足を覗かせたのだ。
産婆は慌てて分娩に立ち会った。
あれこれと手を尽くしたが、分娩が進まなかったのが嘘のように、ことは動き出した。
だが、逆子で首にへその緒が巻き付いたまま生れ出た赤子は、産声をあげない。
産婆は、赤子の鼻と口を拭い異物を吸い出し刺激を与えるも反応はなかった。
「赤子は死んでいる」
手遅れだった。赤子は既に息絶えていたのだ。待望の我が子を前に、夫は絶望し膝から擦れ落ちた。
それでも諦めなかった美月姫は、赤子を抱え天に向かって祈り捧げると再び詠い始めた。
焦がるるほど恋し 空のごとき君
この地に生まれしは 君とありき合ふため
我がすべてを君に捧ぐ
生きとし生けるものよ いでここに
皆 恋し愛を育まむ
ああ わびしきほど愛(いと)ほしき君を
今宵 花弁舞う月下に誘(いざな)う
羞恥より来るをたゆたう 君のさまを思ひやりつつ
我もまた十六夜(いざよい)月(つき)の下
胸を高鳴らせつつ 君の来るを待てり
まるで、想い人に贈る恋文のような詠を、鈴の音のような美しい声音で奏でる。
流石に亡くなった赤子が生き返るはずはないと思ったのか、美月姫の詠に耳を傾けつつ、母体の様子診ていた産婆は、耳を疑った。
「おんぎゃ――!」
なんと、赤子が産声をあげたのだ。
信じがたい光景を目の当たりにした産婆は、目玉が零れ落ちるのではないかと思う程見開き、口をパクパクするだけで声すらでてこない。
「愛らしい女の子ですよ」
母子を対面させると、今にも息絶えてしまいそうだった母親の目に生気が宿り、我が子を胸に抱くと感涙した。
それは、何とも言い難い美しい光景だった。
生命誕生の瞬間を初めて目の当りにした美月姫は、今は亡き母親もこのようにして自分をこのうつし世に生み出してくれたのだと思うと、感慨深いものがあった。
男は、驚愕のあまり歩き方を忘れてしまったのか、転がるように妻子のもとに駆け寄り顔をくしゃくしゃにして大号泣する。
美月姫がその様子を微笑ましく見つめていると、突如男は美月姫に向き直り、何度も何度も首を垂れて感謝を述べた。
「ああ、神様!神様――!ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
困惑した美月姫だったが、なにはともあれ瀕死の状態だった母子が無事生還したことに心から安堵した。
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