第3話 異能 

 山笑う、里の野辺。

 降り注ぐ春の陽光に照らされ、さわさわと風に揺れる葉擦れが耳に心地いい。

 足元で踊る、葉叢(はむら)が作りだしたまだら模様。その優しい影を踏み締めながら森を抜けると、そこは草花の息吹く草原。

 咲き乱れる色とりどりの花の香りに誘われて、どこからともなく集まった蝶たちが、ひらひらと戯れている。

 木々の隙間から、ひょっこり顔を覗かせる鹿の親子。楽しげに跳びはねる野うさぎたち。

 上昇気流に翼を広げ、飛び交う野鳥のさえずり。

 美月姫は、心躍らせた。

「風さん、鳥さん、お花さん、蝶々さん、鹿さん、うさぎさん、こんにちは」

 満面の笑みで、空に向かって両手を差し伸べると、蝶や小鳥たちが手や頭に止まり、鹿は鼻先を摺り寄せた。いつものように野生の動物たちと戯れる美月姫。

「あなたたちは私が怖くないの?里の人たちは皆恐れるのに・・・・・・」

 小首を傾げる動物たち。その愛らしさに、美月姫は肩を竦めてくすりと笑う。

 そこへ、見たこともない狐のような生き物が現れた。その生き物は、美月姫のもとまでやってきて、口にくわえた何かをそっと地に横たえ、訴えかけるようにじっと見つめた。

 よく見るとそれは、生まれて間もない赤ちゃんだった。

 美月姫は、すぐさま両手で掬いあげ観察するが、ぐったりとしたまま動かない。

「暖かい・・・・・・間に合うかも知れない・・・・・・」

 美月姫は、両手に乗せた生き物を天に向かって掲げると、鈴の音のような美しい声音で詠い始めた。



 花よ 鳥よ 風よ 月よ

 水よ 光よ 空よ 大地よ

 すべての生きとし生けるものよ かつことはあらず 

 新たに息吹く その日まで

 鳥と共に歌ひ 風と共に駆けむ   

 やがて 時来れば 

 光となりて降り注ぎ 

 雫となりて大地を潤す

 美しくもいたずらな命よ   

 巡るめく四季のごとく    

 新たなる命 芽吹くことならむ 



 どこか懐かしいような、それでいて魂が安らぐような、そんな不思議な詠だった。

 動物たちは、心地よい美月姫の鈴の音に耳を澄ませ、ウットリと陶酔し聴き入った。

 不思議なことに、美月姫が詠い終えると花の蕾が一斉に開花し、土で眠っていた種は、新たな生命を芽吹かせた。

 美月姫の掌でぐったりとしていた生き物は、ピクリと体動し、心臓の鼓動を躍動し始めた。

「さあ、もう大丈夫」

 この子の母親だろうか。心配な面持ちで、じっと赤ちゃんを見つめていた不思議な生き物は、美月姫にスリスリと身を寄せた。

 美月姫は、しばらく掌に乗せたまま様子を見ることにした。

 そんな最中、美月姫の肩に乗っていたリスたちの間で喧嘩が勃発した。 

 リスたちは、深い穴を掘ってどんぐりなど木の実を蓄え冬眠し、度々目覚めては貯めておいた餌を食べて冬を過ごす。

 春になり、冬眠から目覚めたリスが木の実を食べようとしたところ、埋めた場所をすっかり忘れてしまい、食べられてしまったと勘違いしたようだ。

「それならば大丈夫。今頃どこかで新しい芽が出たことでしょう」

 美月姫は、木の実を失い落胆した食いしん坊のリスを見て微笑んだ。

「そんな顔しないで。今年の秋には美味しい木の実が沢山食べられるわよ」

 リスたちは、嬉々とした表情を浮かべた。

 美月姫の詠には不思議な力が宿り、芽吹いた木々の成長は通常のそれよりはるかに早かった。

 その後も、美月姫との交流を楽しみにしていた動物たちは、次から次へと話しかけた。

 その時、ふと吹き抜けた風に耳を澄ませた美月姫は、ふわりと微笑んだ。

「え?ふふっ・・・・・・風さん、教えてくれてありがとう」

 美月姫が南の方角を見つめると、動物たちもそちらを見て耳をそばだてる。

 こちらに駆けてくる男の子の姿が見えると、動物たちは一斉に森に姿を隠した。

「美月姫!やっぱりここに居た!相変わらず動物たちに人気だね」

 美月姫は、男の子の顔を見るなり肩を揺らして笑った。

「どうかした?なんかすごく楽しそうだね」

 頬に染料がべったりと付いているが、どうやら本人は気づいていないらしい。

 教えてあげようか迷ったが、本人が気づくまで黙っていようと、かぶりを振って笑いを堪えた。

「ううん、何でもない。それで、今日のお手伝いは終わったの?」

「ああ。美月姫の手伝いをするようにと言われた」

 まだあどけなさを残すが、精悍な顔立ちの少年の名は蒼空(そら)。

 後頭部でひと括りに纏めた、漆黒の髪はうさぎの尻尾のよう。自然に下ろした前髪から覗かせる黒曜石の瞳は、柔らかな眼差しで美月姫を見つめる。

 すらりとした体躯の蒼空は、美月姫と同じ歳十二となった。

「で、その掌の生き物は何?」

 先程まで瀕死の状態だった幼き獣は、美月姫の掌の中でぶるりと身を振るい、自らの脚で立ち上がった。

 獣をまじまじと見つめる蒼空は、驚愕の声をあげる。

「えっ?後ろ脚が四本って!」

 黄金色の被毛で覆われた獣は実に奇妙で、後ろ脚が四本、尻尾が二本、鋭い爪を持つ狐のような姿形をしていた。

「この子、瀕死の状態だったの。でもね、もう大丈夫」

 美月姫は、その幼獣を地面に下ろし母親のもとに返してあげると、母親は幼い獣に顔を寄せすり寄った。

 その姿を微笑ましく見つめていると、突如、辺りは眩い閃光に包まれた。

 眩さに思わず目を瞑り再び目を開けると、不思議な獣の親子の姿は忽然と消えていた。

 突然の出来事に驚いた二人は、顔を見合わせ目を瞬かせた。

「相変わらず、美月姫の周りは不思議なことがいっぱい起こるね・・・・・・」

 蒼空が、目を真ん丸にして驚く顔があまりにも滑稽だった。

 頬に着いた染料も気になり、美月姫は声を出して笑った。

 よくわからないが、何やら楽し気な美月姫の様子に蒼空も微笑んだ。

「あ、そうだ。はい、これ。美月姫にあげる」

 蒼空は、照れくさそうに懐からとある包みを取り出し差し出した。

「これは何?」

「早く早く、開けてみて」

 蒼空に急き立てられ、麻で織った布の包みをそっと開けると瞳を輝かせた。

「ああ、なんて綺麗・・・・・・」

 それは、蒼穹を写しとったような光沢ある天色(あまいろ)の組紐だった。

 銀糸が一緒に織り込まれたそれは、帯留めにもなる高価な飾り紐だ。

「こんなに高価な物、どうしたの?」

「君への贈り物。もうじき君がこの家にやってきた頃だろ?父さんに教わりながら自分で糸から染めたんだ。これは僕たちの色でもある。君の瞳の色と僕の名から天色にした。組紐は、母さんが編んでくれたんだよ」

「蒼空・・・・・・そして、おじさま、おばさま、ありがとう・・・・・・」

 美月姫は、胸がいっぱいになり瞳を潤ませた。

 血の繋がりもない寄る辺ない美月姫を、こんなにも大切にしてくれる蒼空とその家族にこれまで救われてきた。

 いつかこのご恩を返せる日は来るのだろうか。ふと、そんなこと考えた。

「貸してみて」

 蒼空は、美月姫の髪に天色の飾り紐を結ぶと四方八方からまじまじと見つめた。

「どう?」

 蒼空があまりにも見つめるものだから、気恥ずかしさに俯く美月姫。

「すっごくかわいい!とても似合っている!」

 頬を朱に染め美月姫を見つめる蒼空は、満足げな表情をしていた。

「それじゃあ、遊びに行こう」

「頼まれた薪用の枝が足りないから、もう少しだけ拾っていくね」

 蒼空は地面に置かれた竹籠の中を覗き「そんなのいいから、早く遊ぼう!」と誘惑する。

 まだ、野山を駆け巡り遊びたい盛りの二人だったが、美月姫は家族の役に立つことを優先する。

「だったら、途中、新兵衛さん家の薪を少しだけくすねていこう」

「蒼空。悪に手を染めてはいけないんだから」

 美月姫は眉根を寄せて蒼空を睨みつけた。

「冗談に決まっているだろう。僕は美月姫と早く遊びたかっただけなんだ」

 これまで共に暮らしてきて感じたことがある。

 蒼空は美月姫を優先するあまり選択を誤ることがある。

 それだけ大事にされているということなのかもしれないが、困った点でもあった。  

「後から向かうから、待ち合わせ場所を決めよう」と言ってみたところで、素直に従う性分ではない蒼空。

「僕も手伝うからさ」

 蒼空はいつだって優しい。そんな蒼空のことが大好きだった。

 小枝でいっぱいになった背負籠を、軽々と担ぐ蒼空。

 そんな頼もしい蒼空に、手を引かれながら後をついて行くと、朱色大きな鳥居が見えてきた。

「ちょっとだけ寄り道していこう」

 そこは、古よりこの地に鎮座する山神神社。

 その名の通りこの里で最も高い山、霊峰富嶽をご神体とするこの神社は、長きにわたりこの里を見守ってきた。

 朱を基調とした社殿は、漆喰(しっくい)の白壁に木賊色(とくさいろ)の青みがかった濃い緑色が差し色の美しい神社だ。

 二人は、拝殿前で手を合わせる。

 思えば、幼き美月姫はこの神社で義母に置き去りにされ、縁あって蒼空の母親の綾乃に救われ育てられた。あれからいくつもの季節が巡り、今こうして幸せに暮らしていられるのも、すべて蒼空の家族のおかげなのだ。実の娘のように大事に育ててくれた蒼空の両親には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 恩義を忘れたことなど一度たりともない。いつか恩返しはできないか、そればかり考えてきた。

 蒼空は、ちょっぴり過保護な面もあるけれど、美月姫が唯一心許せる存在だった。

 美月姫と蒼空はいつも一緒だった。

 蒼空が好き。大好き。だから、これからもずっとこうしていられたらいいと、心から願った。

 目を開けると、美月姫を覗き込む蒼空と目が合い、心臓が跳ね躍る。

「随分長く手を合わせていたけど、何を願ったの?」

 意味深な表情で含み笑いする蒼空。

 心悟られたのではないかと焦燥に駆られた美月姫は、頬を赤らめ「内緒」とだけ答えた。

「僕はこれからもずっと、美月姫と一緒にいられますようにと願ったよ」

 願いが同じであったことに驚き、心臓がざわついた。

「見てごらん」

 拝殿の中に足を踏み入れた美月姫は、蒼空が見つめる視線の先へ視線を移した。

「うわぁ・・・・・・」

 その圧倒的な存在に、美月姫は目を見開いたまま思わず息を呑む。

 拝殿の天井には、白土(しらど)の天井に三間四方(さんけんよも)の大きさの円の中に『八方睨みの雲龍図』が描かれていた。

「龍の顔全体を見ながら天井の円に沿って歩いてごらん」

 美月姫は、蒼空の言う通りに龍の顔から目を逸らさずゆっくり歩いて回る。

 それは天を荒々しく躍動する見事な白龍。

 まるで生きているかのような強い目力の白龍は、どこから見てもこちらを睨んでいるようで恐ろしく感じたが、全てを見透かしているようなその目に、吸い込まれてしまいそうな感覚を覚えた。

 よく見れば、白龍はどこか切なげで儚く写り、突如、言いようもない感情の波が胸に押し寄せ困惑する。

 どうしたことか、涙が勝手に溢れ出し頬を伝っていくのだ。

 美月姫は、心赴くままに、ひたすら天井の白龍を見つめるばかりだった。


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