第11話 卒業式、それぞれの想い

 愛羅の両親の居場所を突き止めるのも、大学受験の勉強も、私にとっては困難至極。脳味噌が沸騰して、しゅーしゅー湯気が立ち、しょっちゅう額に氷枕を当てた。

 死ぬことを考えてるほうが、ずっと楽だった。

「大学なんか、苦労して行く必要がある? 生きてる意味も解らない。将来なんか、まるで見えないのにさ! 羅伊太は確かに可愛いかったけどさ。どんなになったか、会いたいけどさ。お兄ちゃんが愛羅の両親にあげちゃったんだよ。何で私が、ただ会うために、こんなに苦労するのさ!」

 行き詰まると、どちらもどうでも良くなった。

 本当にしたいこととか、手に入れたいもの。そもそも私には、自分にとってのそれがなんだか、解らない。

 私以外の人には、みんなちゃんと、あるのだろうか。

「これこれです!」

 って、自信を持って語れるもの。やりたいこと。大事なもの。

 大学も、羅伊太も、なにより大事で、なにより手に入れたいものでは、ない気がした。

 本当に求めていないせいか、追い続けられない。すぐに疲弊する。

(投げ出せばいいんじゃね?)

 楽に流れたい私は、うまくいかない苛立ちを、幾日も抱えてはいられない。

 だからその度に、投げ出したくなった。

 だけど、どういうわけか、逃げ出そうとするといつも、脳裏に二つの光景が出現した。

 トイレの便器の中に頭を突っ込まれている私と、首を吊った愛羅の姿だ。

 気味が悪いほどリアルで、目を背けたくなるほど残酷な絵。一番、思い出したくない過去。

 どちらも、実際には目にしていない。

 なのに、輪郭のはっきりした光景となって、色まで鮮やかに、私の脳裏に浮かぶ。

「きゃー!」

 悲鳴を上げた。その度に吐いた。ゲーゲー吐いた。

 変な話だ。脳内に出現する、二枚の絵から逃げるため、私は仕方なく、再び勉強机に向かった。

「勉強しているほうが、まだ楽だ」

 投げ出すと、嫌な絵が頭に浮かぶから、必死で集中する。限界まで集中する。

 ふらふらする。目がしぱしぱする。肩が固まる。小さな黒い文字や数字が、私の脳を占拠する。

 ベッドに身を投げ出す。目を閉じる。

「羅伊太、どこにいるんだよ?」

 頭を斬り替え、愛羅の両親へ辿り着く方法を考える。

円香まどかに聞いてみようかな……ほとんど喋ったことないけど……」

 クラスメイトの円香は、確か、帰国子女だった。ただそれだけだ。秀悦したアイディアとは、到底思えない。

「帰国子女だからって……地球上のどこにいるか解らない人達、探せる方法なんか、知らないよな」

 次の日、学校に行ったって、円香に話し掛ける勇気さえ、持ち合わせていない。

 何日も、幾つもの閃きを、温め、壊し、再構成し……

 ようやく、円香の肩を叩く。

「ねえ、円香。と、突然、ほ、本当に変な質問なんだけど、ど、ど……日本の、違った。地球上の、どこにいるか解らない知り合いを探す方法、知らない? き、帰国子女だったでしょ? だから……だからって、し、知るはず、ないよね~。ごめん。何でもない」

 円香にできの悪い言葉の団子をぶつける。円香に当たって、べちゃべちゃ崩れる。

 でも、できなんか悪くっても、壁を突破さえすればいいんだ。

「? 話がよく解らない。どういう話? ちゃんと話してみてよ」

 できの悪い言葉の団子は、少しずつ解れ、一本の線に通した、綺麗な団子となって行く。音符のように、旋律を奏でるようになる。

 言葉が旋律を奏でれば、友人は、一人、また一人と、集まった。

「そんなん、砂羽のお兄ちゃんに、聞いちゃえばいいじゃん! 恰好つけてないでさ。意地なんか張るなよ! 手っ取り早いっしょ?」

「聞きたくないんだよねえ。意地を張りたい時もあるやんかあ。どうしてもこいつだけは、今は頼りたくないってさあ。気持ち、解るわ~。あるあるだあな」

「閃いた。探偵とかに頼めば?」

「金が掛かるわ! でもまあ、みんなでカンパとかすれば、なんとかなるかも」

 一人では探せなかった。

 簡単にも探せなかった。

 見えないなにかにも、導かれた。

 勉強を頑張れば、羅伊太へも一歩近付いた。

 卒業式を明日に控えていた。

 荷造りの終わった、スーツケースの蓋を閉める。机の上に置かれた、パスポートと飛行機のチケットを確かめ、バッグに入れる。

「頑張ったよ、私。この一年と……二年近くか? さてと……」

 階段を降りる。父に、言わなければならない。

 埼玉大学に合格した。羅伊太の居場所にも辿り着いた。

 明日は、私の高校の卒業式。

 父は、新聞を読んでいた。

「お父さん、私、明日の卒業式の後、出発するから」

「どこに?……えええ? 卒業旅行って話か? 明日から行くの? 全然、知らなかったよ」

 新聞から目を上げた父は、動揺している。

「あれから、なにも話してなかったもんね。飛行機の安いチケットが、明日うまいこと、取れたんだよ。安いに越したことないでしょ?」

 相変わらずの嘘吐きだ。

 高校を卒業して、変に暇な時間を作るのが、怖かっただけだ。張り詰めていた気持ちを、緩めたくなかった。

「そ、そうか……飛行機も予約したんだね? 解ったよ……明日の卒業式の時間は、鱗太には知らせたんだろ? お父さんは、勿論、行くよ」

「お父さん、来るの? お兄ちゃんは、来ないかもよ。なにも知らせてないもん、私。卒業式なんか、お兄ちゃん、もう来なくていいもん」

 兄は、私のお母さん役から卒業したがっていた。きっと、もう卒業した気でいる。

 今度は私が、お母さん役の兄から、卒業する。

「そうだったのか……」

 父は、とても複雑な表情をした。

 ずっと見て来た、子亡き爺の顔ではない。

 父の口元が、もごもごと動いた。

「砂羽ちゃん、卒業式には、お父さんには出て欲しい?」

「へ?」

「砂羽ちゃんは、お父さんにも、来なくっていいって思ってる?」

(嘘吐きも、卒業しろ!)

 心の中で、誰かが叫ぶ。私自身かもしれない。

「来なくていいよ。でも、お父さんが来たいなら、来ればいい」

 父の細い目が、見開かれた。私の言葉に、驚いている。

「行きたいかって? 行きたいよ。でも、砂羽ちゃんが来なくっていいって思ってるなら、行かなくっていいんだよ。砂羽ちゃん、『砂羽ちゃんの好きにしたらいい』ってのは、お父さんやお兄ちゃんの望み通りじゃない時もあるだろうね。いいんだよ。しかたないんだ。お父さんも、きっと鱗太も、砂羽ちゃんには、砂羽ちゃんの好きを、一番大事にして欲しいと思ってる」

「お父さん、私きっと、まだなんだと思う。私には、まだ、自分の好きが解らないんだよ。だけどね、お父さんは、お兄ちゃんの高校の卒業式には出なかったでしょう? だからね、私の卒業式にも、来なくっていい。来ないで……欲しい。それが私の好き」

 父の目が潤む。泣き出しそうだ。

 私は慌てた。

「来たければ、来ればいいって! お父さんが悲しそうなのは嫌。私の好きは、お父さんが悲しむことではないよ! だけど……別に私は……どっちでもいいんだよ!」

 だから、嫌なんだ。だから解らない。

 素直ってなに? 嘘吐きってなに? 私の好き? なになになに。

 父を泣かせるのは、好きじゃない。自分の気持ちなんか、解りっこない。

 だけど私は、兄の高校の卒業式に、兄が明るく、私を相手に話した言葉を覚えていた。

「親父ってさ。俺の父親だって自覚、あるのかね? 俺、保育園の入園式は覚えてないんだけどさ。後はずっと、親父に式に出てもらったこと、ないんだよ。別に、俺以外の生徒の親が、全員出席してたわけじゃない。だから、子供の節目の式に、親が出席するのが当たり前って考え方を、排除した。うちの親父は出ない!」

 私は当時、小学校五年生だった。

「だけど……私の小学校の入学式には、お兄ちゃんもお父さんも、来てくれたよ?」

「そうよ。だから、家の親父は、出席する人になったのかと思った。だけど、俺の節目には、中学の卒業式も、高校の入学式も、親父はやっぱり来なかった。高校を卒業したら、俺は働くからさ。今回が、俺にとっては最後の式。でも、親父が来ることはないな。つまり親父は、砂羽の式には出るけど、俺の式には出ない。そう理解すれば、問題ない」

「お兄ちゃんも……入学式とか、卒業式とか、お父さんに出席して欲しかったの?」

「さあなあ。解んない。ただ、自分を納得させた。ああ、俺は砂羽のお母さんだから。そう思えば、納得できた。砂羽の小学校の入学式に出た時、俺、すっごい感動した。自分の式よりも感動した。なんかもう、十分って気になった。式に出る喜びは、俺は、砂羽の入学式に母親役で出席して、初めて味わった」

 兄は泣いてはいなかった。明るく、あっけらかんとしていた。

「制服を着るのも、今日でおしまい。これからは、社会人よ!」

 だけど、私が、猛烈に泣いた。その時も、自分の感情は解らなかった。

 ただもう、悲しいのか淋しいのか……涙が溢れて止まらなかった。

「私も、出てもらわない! もう二度と、式になんか出ない。誰も出ない」

 わけの解らないことを叫びながら、ワンワン泣く私に、兄は戸惑った。

 でも、それからも、私の節目の式には、父と兄は揃って、欠かさず出席した。

 卒業式なんか、どうでもいい。きっとこれが私の本心。

 誰もが同じ感情なら、物事は難しくない。

 卒業式なんか、どうでもいい。ただ、できれば誰もが、悲しかったり、苦しかったり、嫌な気持ちでは、いないで欲しい。

「鱗太は……きっとずいぶん、我慢してきたのだろうね。お父さん、お母さんがいなくって、鱗太にはつい頼って来たから。ずいぶんと助けられたよ。どうして本人に、言ってやれないのかね」

「うん……なかなか本人には言えないってことも、あるよね」

「……砂羽ちゃんも、大人になったんだね。砂羽ちゃん、卒業、おめでとう。お父さん、明日は仕事だったよ。忘れてた。式には出れない。空港にも送れない。悪いけど、一人で気を付けて出掛けてね」

 父は私に背を向けた。肩が小刻みに震えてた。

 父が泣いてる。だけど私は、ようやく少し、ほっとした。

 父に、行き先すら、告げなかった。

 愛羅の両親は、フランスに居た。

 父も、兄もいない、卒業式。

 だけど、ちっとも淋しくなかった。

 父や兄からも、卒業した気がした。

 ようやく兄と、同じ目線で、式を見た。

 高校を卒業したその日、私はパリへと、一人、飛び立った。


 

 

 


 

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