第10話 脱、他力本願

 孤独でいたって、誰かといたって、時は同じように流れる。

 だけど、何かから逃げて、逃げた時の中で、ただ膝を抱えていると、時は流れない。

 ごまかしていたって、流れない。

 流れてはいるんだけど、流れないんだ。だからその内、手首を切りたくなる。

 少しだけ、いい方法を思い付いた。逃げてる事実だけは、認める。とりあえず向き合えない難しい問題は、棚上げする。

「いつか、取り組む」

 心に誓うだけでいい。生きていれば、きっと、いつか、が来る。

 だいたい、なにから逃げてるかが、漠然としていて、解らないんだから。

 いつかがいつかは、きっと先の未来で、自分で決めるから。今はこれでいいって、自分を許す。

 嘘吐き、万歳。素直じゃない、万歳。

 私、自分の悪いとこ、ちゃんと気付いているじゃん。いい! 私、すこぶる、良好。

 頑張ろう! 

 私は頑張った。勉強を頑張った。

(お兄ちゃんからだって、安蘭からだって、強引に誘われたら、私はきっと、誘いに乗るのに! なんだよ、どっちもなんも言ってこねえ!)

 怒りのエネルギーを、勉強に向けた。

「砂羽ちゃん、やりたいことが見つからないなら、大学に行ったらいいよ」

 どこかぼんやりしている風に見えたのだろう。父に、痛いところを突かれた。

 やりたいことなんか、見付からない。父に反発できるものもない。

 兄が行かなかった大学に、行ってやろうかって気になった。

 父の勧めに乗っかった。だけど、乗っかれば受かるって物じゃない。大学は。

 だから、猛烈に勉強する羽目に陥った。

 兄にも安蘭にも会わなくて、孤独に身を浸した時間は、勉強に流れた。

 高校三年の冬だった。

 もみの木やサンタクロースなどの装飾と、どこからともなく、常に聞こえていたクリスマスソングは、気付けばすっかり、町中から消えていた。

 勉強の合間に、ココアでも飲もうと、部屋の戸を開ける。

 階下から、父の声がする。

「もしもし。鱗太か? ちっとも顔見せに来ないけど、元気にしてるんだろ? 近くに住んでいても、これじゃあ、別の星に住んでるのと、一緒だな。砂羽ちゃんとは会ってるのだろう? たまにはお父さんも、仲間に入れてくれよ。年末年始、こっちで過ごすのはどうかなって思ってさ」

 電話の相手は兄のようだ。

 直に、兄がやって来るのかもと、期待する。

「ええ? まあなあ。どうして?……砂羽ちゃんも、鱗太がいたほうが楽しいだろうからさ……そ、そうか。うん。また、電話する」

 父の声色から察するに、どうやら兄は、父の誘いには乗らなかったようだ。

 がっかりだ。

 父は、私が兄を避けているのを、知らないはずだ。避けているくせに、会いたがっているなんて、ますます以て、知らないはずだ。

 それとも案外、子泣き爺みたいにとぼけた顔をして、鋭く察知しているのだろうか。

「もしもし、鱗太か? なあ、大晦日の晩からこっちに泊まるのはどうだ? 元旦の朝は、三人で卓を囲む。おせち料理はさあ……ええ? なら、お父さんが準備するよ。だから、なあ、どうだ?……考えとくって?……わ、解った。またな」

 父は、何度も兄に電話した。父にしては珍しく、諦めが悪かった。

(来い! 来い! 来て!)

 私は、他力本願が得意だ。

 いいんだ。他力本願、万歳! 

 自分からは行動しない。父の電話に、兄がやって来るのを、ひたすら願った。

 でも、結局兄は現れなかった。

「なんだかなあ。正月まで仕事ってさ。忙しいんだってさ。顔くらい見せたらいいだろうよ。鱗太も、色々あったからなあ。砂羽ちゃん、会いたかっただろう?」

 痛いところを突かれた。

 やっぱり父は、鈍い顔をして、私が兄と会えていないのに、気付いていた。

 痛いところを突くくせに、遠回しなんだ。 

 優し過ぎる父は、私に、何も聞かない。

 私は他力本願だから、尋ねてくれるのを待っているのに。

 正月だからと買って来た、おせち料理のお重を間に、父と向き合う。

 私は、優し過ぎる父に、お尻がもそもそして、居心地が悪い。

 おせち料理のお重に、普段より一層、父と私は、よそよそしい。

 父は、まだ、気付いていないはずだ。私が、これまでと違うことに。

 いつまでも、他力本願ではいられない。兄が来なかった、その時は、新たな私を、父に見せてやるんだって決めていた。

 隠し玉だ。父にしてみたら、爆弾みたいなものに違いない。

 私は、いつ隠し玉を放つか、機会を狙った。ドキドキする。

「砂羽ちゃんも、三月には卒業だなあ。ついこの前、高校の入学式に行ったように思えるのに……あの時は……」

「お父さん。私、三月には、大学受験も済むじゃん。結果はともかく……高校は卒業でしょう? 春休みに、卒業旅行に行きたいの。いいよね?」

 父の肩が、びくっとする。

 私の変化に、怯える父だ。でも、あくまでも優しい父だ。

「旅行かあ。いいねえ。で……誰と?」

 聞いてくれて良かったよ。

「一人で」

「一人か。まあ、うん。それもいい。いいよ。で、どこに行くかは、決まってる?」

「海外、かもな」

 父の肩に、ますます力が入る。

「そりゃあ、砂羽ちゃんが行きたいなら、行ったらいいさ。お父さん、お金は出してやれるんだ。だけど、知識はなくってな。危険な国もあるらしい。お父さんも詳しくは知らない。海外旅行なんか、考えたこともない。ニュースは見るからさあ。怖ろしい国だなって、驚かされる場合もある。砂羽ちゃんが、危険な目に遭うのだけは、嫌だよ、お父さん」

「危険な国には行かないよ」

 危険な国がどこか、知らない。でも、父の肩に、もう、力を入れさせてはいけない。壊れる。

「そうだ! 鱗太に相談したらいい。兄ちゃんは、頼りになる。砂羽の頼みなら、真剣に考えてくれるよ」

 正月に現れない兄だ。

 父は明らかに、私と兄の関係も、前と違っているのに気付いている。

 だのに、私と向き合えなくなると、私に兄を宛がう。

「そうだね。お兄ちゃんに相談するよ」

 兄に相談する気など、さらさらなかった。嘘吐き、万歳!

 私は、お母さん役の兄からも、卒業したい。

 行き先は、決まっていた。

 羅伊太のいる場所。私は羅伊太に会いに行く。

 愛羅の両親が、どこにいるかも解らない。でも、突き止める。

 兄の現れない正月に、決心を固めた。

 決心を決行するのは、自殺のシナリオを実行するより大変だ。比較するのが、ずれてるのかもしれないけれど。

 逃げるのは、あんがい簡単なんだよ。

 だけど、何かを成し遂げるのは、頭だけじゃない。身体も酷使しないといけないんだよ。

 それでも、立はだかる大きな壁に、真剣に立ち向かおうとすれば、世の中、助けの手を差し伸べてくれる人は、案外いるものだ。

 愛羅の両親は、いったいどこにいる? まるで渡り鳥のような二人。私にしてみたら、異星人の二人。どこにいる? どうやって探す?

 愛羅が死んだ時、マダガスカル島から飛んで来た愛羅の両親の、娘の死の悼み方は独特だった。

「死んだものはどうにもならない。愛羅には、愛羅らしく、あの世で楽しんで欲しいと願っている」

 愛羅のお父さんの口から、言葉は迷いなく、さらりと転がった。

 素直で、ごまかしのない、心からの言葉に聞こえた。

 後は父と酒を飲み、マダガスカル島での生活が、いかに面白いかを、何時間も語った。

(一人娘が亡くなったってのに! なんてひどい父親だ!)

 愛羅の父親を睨み続けようと思った。

 不甲斐ない。あっという間に、魅力的な異国の話に惹き込まれた。

 マダガスカル島の景色が、そこに暮らす人々が、踊る少女の姿が、脳内で素敵な光景を仕上げていった。

「写真、ありますか? 見たい!」

 突然、言葉を発していた。

「写真? えっと、持ってるかな? 写真、あんまり撮らないんだ。僕達は、いつもどこの国でも、自分達の国だと思っているから。観光旅行の気分には、ならないんだよ。生活を楽しむために、観光気分は捨てるって決めてる。経験は、ここに焼き付ける。小父さんの流儀でね」

 愛羅の父親は、四本の残りの指を固く握り、一本だけ突き立てた太い右手の親指を、胸に向けた。

 きざな仕草が、恰好いい。

 横に座っていた愛羅の母親が、口を挟む。

「ねえ、マダガスカルの家の写真なら、あるわ。ほら、売りに出ていた時の写真。ジャックがくれたのを、まだ持ってるわ。ジャックと電話で話してて、ノルウェーが寒いから、そろそろ引っ越しを考えているって話したら、ジャックが直ぐに、マダガスカルに安い物件があるって。物件の資料、メールで送ってくれたのよ。プリントアウトしたじゃない」

「はあ? ああ、あの時の? 随分と前の話だね? あなた、そんなもの、後生大事に持ち歩いてんの?」

「綺麗な写真だったから、なんだか捨てられなくって。ほら、これ。砂羽ちゃんだったかしら? 差し上げるわ」

 口を開けて、自分の周りにはない会話に聞き入っていた私の手に、気付けば、一枚の紙が握らされていた。

 綺麗に折り畳まれた紙の真ん中には、異国の一軒家が、異国の景色の中に建っている。空いた場所には、住所や間取り、売値などが記されていた。全てが異国だ。

「ここに、住んでいたの?」

「そうよ。寒い国に飽きて、その家を買ったの。安かったし。買って直ぐに、ノルウェーから越したの。一年くらいになるかしら。なかなかいい場所よ。でも、そろそろまた、違う場所に住みたくなってるの。ねえ、あなた」

「そうだね。違う空気を吸いたくなったね」

 畳まれていた紙の中の家を、じっと見つめる。

 物語の中の、夢の国を見せられたみたいだった。私も、紙の中の夢の国を、現実に味わってみたい。憧れた。

 再び綺麗に折り畳んで、財布の中に丁寧に入れた。

 大事に仕舞い込んだ紙は、愛羅の両親の、唯一の手掛かりとなった。

「ジャックって人、見付かるかな? 家が人手に渡っていたら、跡を追うのも無理か……」

 兄を頼らない決心は、私の中に眠る、膨大な力を、目覚めさせた。


つづく



 

 

 

 

 

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