第8話 葬儀の後に
愛羅は煙になって、空に吸い込まれた。
兄も羅伊太も一緒に、家に帰った。父の家だ。
兄も羅伊太も、愛羅のいない家は、淋し過ぎたのだと思う。
通夜で羅伊太を抱いた人も一緒だった。
名を、
「なんか……難しい……異国情緒溢れるお名前ですね。あの……日本国籍ですか?」
漢字まで聞いた手前、なにか言わなければと口から出たのは、兄の受け売りだった。
いつも言葉がお粗末なのに、緊張するとなおさらだ。
「ええ? 想像しなかった質問だなあ……多分、日本国籍よ。改めて聞かれると、即答できないけど……そりゃあ、過去に遡って行けば、もしかしたら色々な異国の血が混じっているかもしれないけど。生まれも育ちも、日本だけど、俺、国籍とか、突き詰めて考えないからさ。『元を辿れば、人類皆、兄弟じゃん!』って思う」
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんの親友なの? 名前すら知らなかったよ、私」
通夜では、言い争っていた様子だったのに、兄に尋ねたら、あっさり親友だと紹介された。
「砂羽は、俺のことなんか、たいして知らないよ。七つも年下で、俺に面倒掛ける一方だったじゃん」
「面倒は、随分掛けたって自覚してる。だ、だけどさ……お兄ちゃんの親友なら、私ももしかしたら、会ったことくらい、あるかなって……」
相変わらず、どこか私を遠避ける兄に、なんだか恐ろしくなった。
兄が、遠い。
「砂羽ちゃん。俺、何度も君に会ってるよ。まだ、こーんな小さな頃から」
安蘭が、自分の掌を床に向けて、大袈裟に床に近付ける。
「……さすがにそこまで小さくないっしょ。母胎の中の大きさじゃん!」
「あらまあ! ちっちゃかった砂羽ちゃんも、上手いこと言って、会話に参加できるようになったのねえ。成長したわねえ」
近所の小母ちゃんみたいだ。
安蘭の言葉に、兄は鼻で笑う。
「ふんっ! 砂羽はちっとも成長しねえよ。成長したのは身長と体重だけ! ああ、あとはこの、
「放っとくわけにも行かないからって、くっついて走り回らせてたね」
「そうよ。俺達の遊び相手になんか、全然なりゃあしなかったけど。でも、よく一緒にいたよ、安蘭とは。砂羽も、散々相手してもらったのに。覚えてないんだ?」
「薄情だわぁ、砂羽ちゃん」
安蘭が、奇妙な色目を私に流す。私にない色気に、くらくらする。
「まあ、俺もずいぶんと疎遠になってたからな」
兄はしみじみ、感慨深そうだ。
「昔はさあ、安蘭と遊びたくても、砂羽が俺から離れないからさあ。あの頃の安蘭はいい奴で、砂羽が引っ付いてても、『いいよ、いいよ。一緒でいいよ』って優しく受け容れてくれたわけよ。それなのに……砂羽ってきっと、記憶力もないんだ。困ると『バッカじゃなーい?』の一つ覚え。砂羽が、バカなんだわ」
「ちょっと、お兄ちゃん! そんな
「鱗太、照れてるだろ? 砂羽ちゃんに、意地悪な振りなんかしちゃってさあ。無理無理。鱗太は砂羽ちゃんには、甘い!」
「な、なんで俺が照れるんだよ! 砂羽と安蘭相手に。バッカじゃな……あっ!」
兄のおろおろする姿は、新鮮だった。いつも、私より、数段大人だから。
安蘭は、兄が途中で止めた言葉の先を読んで、ゲラゲラ笑う。
「さっすが兄妹! 鱗太はねえ、砂羽ちゃんが可愛くって、堪らなかったんだよ。ああ、過去形じゃあないわ。今も、きっとね。心配で心配で……だから、片時も傍から離せなかったのは、鱗太のほうだよ。俺が砂羽ちゃんに構うとさ。鱗太が前に立ち
「べらべらと、知ったふうに、よう喋るわ!」
「いつも僕は、鱗太の背中に隠されちゃっていたからなあ。だから砂羽ちゃん、僕を覚えていないんだよ。もっと顔を売っとけば良かったわあ。イケメンなんだから!」
「砂羽が覚えてないのを、俺のせいにするなよ。砂羽、マジで安蘭のこと、まるっきり思い出せないの? そんなもんか? 砂羽と安蘭は、何年振りになるんだろう? 少しは覚えていても良さそうだわな」
私はどんどん縮こまる。唇はどんどん接着する。
べらべら喋る兄と安蘭の仲間に入りたい。
だが、上唇が下唇を押さえ、下唇は上唇を押さえ、もごもごするばかりである。口の中は、唾が溜まる。
安蘭が、両手を大きく広げて、大袈裟に肩を
「ああ、ああ! 僕って、僕って、相当、存在感の薄い奴だったのねぇー。泣けちゃうわぁー。写真だってあったでしょうにー。三人で写った写真よ! 俺、大事に仕舞ってあるけど、今日は持ってないわぁ。鱗太だって、持ってただろうよ。砂羽ちゃんに見せてくれよ! 俺の存在、すっかり忘れられちゃってるじゃないのさ!」
安蘭の言葉に、兄に視線を移す。
兄は、狼狽していた。急に目線が泳ぎ、手で忙しく顔を掻く。
「ああ? ああ、そ、そうね。あったね。あったっけ? 写真だよね。三人の写真だっけ? そうだっけ? 写真があれば、確かに砂羽も思い出すわ。どっかにある。確か……ある」
「ええ? 今、見せてよ、お兄ちゃん!」
「どこに仕舞ったっけな? 引っ越しで持ってったんじゃない? 今度、探すよ。今はいいだろ? せっかくみんなで話してんだから」
兄は、視線の定まらないまま、手で顔を拭う。鼻の下を擦る。落ち着かない。面白い。
「砂羽ちゃん、今度俺が見せてあげる。鱗太、どうせどこにやったか、覚えてないんだよ」
二人はどうやら、本物の親友だ。本物の親友がどんなか、解らないけど、面白い兄が見られる。
「安蘭……さんは、愛羅とも親しかったの?」
突然、嫌な空気が流れた。理由は解らない。
ほんの少しの沈黙の後、安蘭が呟いた。
「バカだよな。愛羅ちゃん。死ぬのは……バカだよ」
「人の嫁、バカ言うな!」
すかさず兄が、大きな声を出した。〝嫁〟? 兄が愛羅を〝嫁〟と呼ぶ?
意外だった。身体がむず痒い。
兄の無理が見えた。
その時を逃したら、もう一生、〝嫁〟と呼べる機会は訪れないから、なんとか口から吐き出したみたいだった。
愛羅への懺悔みたいに、私には聞こえた。
「どうして死んじゃったんだろう……」
独り言のつもりだったけど、声は漏れ出た。
「兄ちゃんがいけないんだ。〝夫〟だったのに」
兄は、また、夫婦だったと主張する。
「そうだよ。鱗太が悪いよ!」
安蘭がぶすっと兄を責める。
「お前には言われたかないな!」
「あっ、あっ、あああん、あああーん」
眠っていた羅伊太が目を覚ました。
「羅伊太、起きたか? お腹が空く頃かな? おっぱいをあげたいけどねえ……お母さんが……ミルクを作ろうね」
兄が羅伊太に話し掛ける。
私は、羅伊太に自分を重ね合わせていた。
私の複雑な想いが、兄に伝わるはずもない。
だけど、兄の言葉は、いつか遠い過去に、私が兄から聞いた台詞みたいだった。
「お母さんなら、ここだよ。僕が、お母さんだよ。これからは、僕が、羅伊太のお父さんとお母さんになるからね。両方、頑張っちゃうから。慣れたものだから。全然、へっちゃらなんだから。よーし、よしよし。いい子だ。いい子だ」
羅伊太を抱き上げ、あやす兄は、強くは見えなかった。
必死で立っている感じがした。
横を見れば、安蘭もまた、兄の姿を憂いた瞳で見詰めていた。
愛羅、どうして死んじゃったんだろう。
きっと、愛羅の自殺の理由なんか、この先もずっと、全部は解りっこない。愛羅はもう、口を開かないから。
つづく
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