第6話 窮屈な幸せ
九月になった。新学期が始まった。
ずっと連絡のなかった兄から、電話が掛かって来た。
「おう、砂羽! 久し振り。高校はちゃんと行ってる? 赤ん坊のことは、愛羅から聞いたよね? ようやく、愛羅の悪阻が落ち着いて来てさぁ。愛羅が砂羽に会いたいって。ちょ、ちょっと待って。愛羅に代わるわ」
「もしもし、砂羽ちゃん? ねぇ、この前、私……えっと、その前も……あれ? かなり前からかな。随分と意地悪だった? ごめん。妊娠するって、なにか変わるんだよ。
「ふうん。まあ……いいけど……謝ってくれたから」
「で、気持ち悪いのと苛々が落ち着いたら、今度は凄まじい食欲! 今度、お詫びも兼ねて、鱗ちゃんと三人で、外食しようかって話になって。鱗ちゃんの奢りで!」
「はぁ~? 俺の奢りなの? 愛羅のお詫びでしょ? まっ、いいけど」
電話の向こうで、兄の声がする。
兄が燥いでいる。少し不自然なくらい、甲高く大きな声で、愛羅の横から喋っている。
素直に喜べはしなかった。愛羅の意地悪は、悪阻のせいだけではない。それに、電話の兄も、愛羅も、前とはなにか違う。喉に引っ掛かった魚の小骨を、気にならない演技を強いられた、下手な役者みたいだ。
でも、二人に誘われたら、やっぱり心は弾んだ。淀みの残る本心とは裏腹に、誘いの返事は、口から勢い良く弾き出た。
「行く! いつ?」
「砂羽ちゃん、学校あるでしょう? 忙しいんじゃない? ずっと家にも来なかったし。忙しいなら、無理しなくっていいよ」
「へ? 私が忙しい?」
「高校で、新しい友達もできて、私たちなんかといるより、楽しい場所ができたんじゃない? だから、誘うのも悪いんじゃないかって思ったんだけど。忙しければいいの。無理に付き合わなくっていい。謝りたかっただけだから」
心の中の澱みは、少しずつ渦を広げる。雲行き怪しく、今にも嵐になりそうだ。
「新しい友達? えっと……いるようないないような……」
断らなければいけないのだろうか。思い
「私が砂羽ちゃんに、意地悪っぽいこと、しちゃったかもって、鱗ちゃんに打ち明けたらさ。鱗ちゃんが、『愛羅が気に病むのなら、夕飯に誘おう!』って提案してくれて。だから、鱗ちゃんから電話してもらったの。忙しいなら、断っていいのよ。砂羽ちゃんには、砂羽ちゃんの世界があるんだから」
「無理に付き合う? 私の世界? 愛羅……いったい、なんの話をしてるの?」
雲行きが怪しいどころではない。ありもしない私の世界を、勝手に愛羅に作られては敵わない。
「やっぱ、忙しいんじゃない?」
(愛羅、気色悪い! 断って欲しいなら、誘うな!)
愛羅の思惑へと、厭らしく導く愛羅に、心の中では、思い切り反撃を喰らわす。
でも、喉はカラカラで、声は出ない。
横から、兄の声がする。
「ちょっと、貸せ!」
電話口が、再び兄になった。
「忙しくないだろ? 忙しいもんか! 俺や愛羅からの電話を、ずっと待ってただろ? くよくよ悩んでも、自分からは行動できなくって。拒まれるのが怖いから、動けなかっただけだろ? だから遊びにも来なくなったんだろ?」
涙が湧き出て、ぽろぽろ零れた。
(そうだよ。お兄ちゃんの想像通りだよ。愛羅が、
言葉は、口の中で、整列してきちんと並ぶ。発車させるだけなんだ。だのに、口から吐けない。
兄は、言葉の出ない私を、知っていた。
「今度の土曜日でいい? いいよ。砂羽はいいに決まってんだ! どうせ暇だろ? 砂羽の好きな時間に、家に来たらいいさ。朝から来たって構わないよ。適当に三人で時間潰して、適当な時間になったら、みんなで夕飯に出掛けよう」
「ちょ、ちょっと、鱗ちゃん。私に代わってよ! 砂羽ちゃん? 私。何を食べに行くかは、私が、鱗ちゃんと考えるからね。鱗ちゃんはなにがいいかなぁ? お寿司? お寿司、いいよねぇ。ステーキ? 私もようやく食べられそう。やっぱ鱗ちゃんは、お肉かな? じゃ!」
プチッ
突然兄から愛羅に代わった電話は、電波で結ばれるこちら側の私を徹底的に無視して喋り捲られ、切られた。
「土曜日かぁ。お兄ちゃんと愛羅に、久しぶりに会えるじゃん!」
私は、自分に甘い。
少し成長して、自分の狡さに気付き始めていた。「知らなかった。解らなかった」では、世の中、通用しないのに、解らない振りをした。
大人ぶりたい年頃だ。でも、得する時には、まだまだ守られるだけの、子供でいたい。だって、危ないじゃない? 辛いと、手首を切っちゃうもの……
嵐になりそうな蟠りの雲は、消えはしないのに。心の奥底の、見えない部分に追い遣る。気付かない振りを貫く。
何を着て行こう。もしかしたら、泊まるかもしれない。
最近買った、お気に入りのパジャマも持って行こう。
一人で暇つぶしにする内に鍛え上げられたゲームソフトを持って行けば、愛羅と盛り上がるかもしれない。私が勝つかもしれない。兄は、わざと負けてくれるかもしれない。
ぽわんぽわんと頭の中に、空に浮かぶ雲みたいに期待を膨らませ、消化できない蟠りの渦を、すっぽり覆った。
金曜日の晩には、一体どこへ旅に出るのか、と疑われそうな、大きな荷物ができあがった。
土曜日は、朝起きたらすぐ、兄と愛羅の待つ家へ出掛けるつもりだった。
服は、デニムのスカートに、裾を前で結ぶタイプのドット柄の七分袖のシャツ。淡いピンク色のパーカーと決めていた。
だけど、朝になって気付いた。全部、愛羅が私に似合うと選んで、買った服だった。
衝撃を受けた。
「絶対に着て行かない! 着て行けない!」
どういうわけだか、解らない。でも、気付いた以上、着て行かれないと思った。
私は、開店を待って、シマ〇ラに走った。
愛羅に服で対抗しても、負けは必至だ。でも、お洒落な服を着たかった。愛羅の関わらない、私に似合う服を。
早く、兄と愛羅の待つ家に行きたい。気持ちは焦る。服選びにも、身が入らない。
秋と大人を思わせる、ワイン色のふわりとした長袖のワンピースを買った。気持ちばかり焦って、試着すらしなかった。
(痩せた私に、全然似合わない、気が、する……)
選んで買って、後悔する。家に帰って、更に後悔する。
(ワンピースに似合う、靴がなかった……)
再びシマ〇ラに走る気にはなれない。でも、古ぼけたスニーカーが、自分を惨めに感じさせる。
(途中で、靴流通センターに寄ろう)
買ったばかりのワンピースの札を外し、身体を通す。姿見の前に立つ。
(まあまあ、だと、思う)
服の中で、痩せた身体が踊っている。でも、気分は晴れやかだ。
靴流通センターで、ヒールの靴をいくつも試し履きする。どうにも歩き辛い。歩く度にスポスポ脱げて、意地悪に笑う愛羅が、頭を過る。
「笑うな! 煩い!」
店内で、大きな声が出た。
周囲を見回せば、こちらを振り向く人と眼が合う。なぜだか頭を下げる。視線を伏せる。
結局、少し踵の高い、茶色のローファーを買った。履いていたスニーカーを鞄の底に隠す。鞄はますます膨れ上がる。長袖のワンピースでは、まだ早かった。汗だくだ。
兄の家に着いたのは、正午をとっくに回っていた。朝も昼も、ろくに食べていなかったのに気付く。
ピンポーン
家の前まで行ってから、兄の家の鍵を持っていないのを思い出す。空腹の胃が、なんだかきりっと痛む。覆ったはずの蟠りの黒い渦が、広がりそうになる。
「砂羽ちゃん? もう来たの?」
玄関に出て来た愛羅に、黒い渦はボワンと広がる。
「随分とお洒落して来たね? 上から下までおニュー?」
私のワンピースを見た愛羅が、厭味半分ではあったけど、感心した表情を浮かべた。やった。心の中でピースする。
「うん! 愛羅みたいになりたい。愛羅は、お洒落が上手だよね? 別に、いつも高いブランド品ってわけじゃないのに。センスいい!」
愛羅の表情から、厭味が落っこちた。
「いやだ、砂羽ちゃん! ちょっと会わない内に、お世辞が出るまで、大人になった? 意地悪した私への、
「はあ? 愛羅が、勘ぐり深く、難しくなったんだよ。私に、難しい脳味噌は、ありません!」
「砂羽ちゃんが少し成長する間にねぇ、こっちは、ぐんと大人になったんだわ!」
黒い渦が溶けて行く。心の靄が晴れて行く。
部屋の中に入る。
兄は、窓の側で、持て余したかのように長い足をくの字に折り曲げ、窓のほうを向いて寝転がっていた。
私の気配にか、横たわったまま、ごろりとこちらに身体を向ける。
私を見た。だけど……兄の目は、私を素通りしているみたいだった。瞳に写る私を、排除したがっている気がした。
心の中の黒い渦が、再び膨らむ。
「久しぶりやん。元気そうで良かった」
まるで、見えないベールを覆っているみたいだ。兄の世界から、私を締め出したかに見えた。
「お兄ちゃん、おめでとう! 赤ちゃん、嬉しいでしょう? 赤ちゃんは順調なんでしょう? いつ、生まれるの? 愛羅のお腹、まだ目立たないね」
無難な言葉を選んで、兄に言葉を投球する。
「予定日は、三月三日なの! 雛祭り! 予定日に産まれるって、案外少ないのかもだけど、女の子なら、三月三日生まれって最高だよね! 〝姫〟って感じがする」
私の問い掛けに、まるで無関心な兄を横目で睨みながら、愛羅が捲くし立てる。
「へえ? お雛様の日なんだ! 女の子って、きっと可愛いよね。愛羅に似るのかな? 男の子でもいいじゃん! 男の子も可愛いよ! お兄ちゃんに似るのかな?」
「どうでもいいよ」
兄は、照れているのだろうか。憮然とした兄の態度に、赤ちゃんの話を止める。
「で、外食するって、なににするかは決まったの?」
「鱗ちゃんが、どうしてもハンバーグがいいって……私は、お寿司がいいんじゃないかって思ったけど……お肉がいいなら、ステーキにしたら? って勧めたけど……鱗ちゃん、どうしてもハンバーグって」
どうも様子がおかしい。
外食先なんか、本当は、どうでもいい。
みんなが、楽しければいい。
でも、すでに愛羅が、楽しそうではない。
「お兄ちゃんが、ハンバーグって決めたの? お兄ちゃん、そんなにハンバーグ好きだっけ?」
「ハンバーグ屋が、近所に開店したんだよ。美味いって評判なんだよ。俺が奢るんだ! 砂羽は、ハンバーグ、好きだろう?」
「好きだよ。だけど……愛羅は、ハンバーグでいいの?」
愛羅の顔が強張る。口がひん曲がっている。苦しそうだ。でも、なにも言わない。
「お兄ちゃん、愛羅は妊婦さんだよ! ずっと悪阻だったから、私にも辛く当たったんでしょう? ようやく食欲が出たのなら……ねえ、愛羅は、お寿司がいいのじゃない? 妊婦さんって、さっぱりした酢の物とか、好むって聞いたことあるし」
「ハンバーグ! 俺が決めたら従うって、愛羅が言った! だから、安くて美味しいって評判の、新しい店に決めたんだよ。色々考えて、決めたんだ。だいたい、愛羅は、自分が金持ってるから、贅沢に慣れ過ぎだったんだよ。いっつも自分中心で! 赤ん坊も生まれるんだ。愛羅と砂羽のことも考えて、俺が決めたんだから、従ってよ!」
(二人の間に、なにかあったんだ)
漠然とした勘ではあった。だけど、兄と愛羅の関係も、以前とは違って感じられた。
愛羅が叫んだ。
「私、なにも言ってないじゃん! 嫌だなんて、言ってない! ハンバーグでいいよ。なんで今、私を責めるのよ! 砂羽ちゃんも、変なとこで、私に気を遣わないでよ。却って私が鱗ちゃんに責められるじゃん!」
とんだとばっちりだ。
「私もハンバーグでいいよ。あ、ああ。ハンバーグがいいよ! 最高! 楽しみ!」
食事に出掛ける前から、今にも土砂降りになりそうな気配が、三人の間に漂う。
鞄の中には、履き潰したぼろいスニーカーの上に、ゲームもパジャマも入っていたが、取り出すどころじゃない。緊迫の糸が、部屋中に張り巡らされているようだ。
誰も見てないテレビでは、
「そろそろ行くか? もうすぐ開店時間だ。土曜日だし、夕飯時には、混むよ。並んで、一番で入ろう」
緊張感の漂う部屋は、空気が重い。
兄が一番、重たい空気に耐えられなくなっていたのではないだろうか。時間を持て余し、四時に家を出た。三人の歩く靴音は、まるで、無理に引き摺られて行く、囚人のようだ。
兄の選んだハンバーグ専門のレストランで、食事をした。
評判通りに、美味しかったのだと思う。
でも、砂を噛んでいるようだった。
話は弾まず、兄が会計を済ませ、家に帰る。
「じゃ、ごちそうさま。ハンバーグ、美味しかったよ! 明日ね、私ね、用事があるんだ。だから帰るわ。また今度、ご飯、誘ってね」
兄と愛羅が、大好きだった。誰より気の置けない二人だった。でももう、息が詰まりそうだった。
私が邪魔者になったのかとも考えたが、私が退散しても、二人の間に、やすらぎの時間がやって来るとは思えなかった。
「泊っていけばいいだろうが」
兄が唐突に、ぶっきらぼうに言葉を吐いた。
「へ? 泊まる? 誰が?」
「砂羽に決まってんだろ! 泊ってけよ! 明日は日曜日だぞ。砂羽に用事があるわけないんだ。変に気を回して、嘘ついただろ? 砂羽にそういう嘘は、まだ早いわ。明日もなーんもない、暇を持て余す、日曜日だろ?」
「ああ? し、失礼な」
「じゃあなに? デートか?」
「そ、そうだよ。デ、デートだよ」
「砂羽、お前、デートの意味も知らないんじゃね? 一人で家に籠って、ゲームに没頭するのは、デートって言わないんだぞ!」
「な、なーに言ってんのさ! お兄ちゃん、バッカじゃなーい?」
「あっ、出た! 砂羽のお得意の台詞。『バッカじゃなーい?』お前、四歳の頃から変わらねえなぁ。『バッカじゃなーい?』しか、言い返す言葉を知らないのな。成長してねー」
「バッカじゃ……」
「ほら! また! 言い掛けて飲み込んでやんの。砂羽こそ、バッカじゃなーい?」
「煩いなあ! 兄弟喧嘩は、外でやってよ! お腹の赤ちゃんが驚いちゃう!」
愛羅が、憤然と、割って入る。
「こんなんで驚かねーよ、俺の子は! なぁ、愛羅。砂羽は泊まって行けばいいだろ? やることなくて、暇なんだよ。憐れんでやってよ」
「別に……いいけど……」
「いいの? 迷惑じゃない?」
だんだん嬉しくて、身体がムズムズ痒くなる。
「どうせこいつ、本当は泊まる気満々で、買ったばっかのパジャマとか、持って来たんだから。昔から、パジャマの好きな奴でさ!」
「……? ええ? お兄ちゃん、私の鞄の中、見たの?」
「……? 見ねえよ! マジ? マジで、バッカじゃなーい? 本当に持って来てる? ああ、お兄ちゃんは嘆かわしいわぁ。この妹は、実に成長してない。解り易いにもほどがある」
「鱗ちゃんは、砂羽ちゃんのこと、なんでもお見通しなんだね……」
愛羅が少し、淋しそうだ。
「俺は、この、おバカな妹の母親役を、ずっと務めて参りましたから! もしかしたら砂羽は、ゲームとかも持って来てるかもしれない!」
「! やっぱ、お兄ちゃん、鞄の中、見たでしょう?」
「……? マジか……。砂羽。お前、もうちょっと成長したほうがいいぞ! ねえ愛羅。バカな妹は、愛羅とゲームがしたかったらしい。付き合ってやってよ。バカだからしょうがないんだよ。愛羅を大好きらしい」
「へ? 私とゲームをしたかったの? 砂羽ちゃんが? 本当に砂羽ちゃん、持って来てるの? なら、鱗ちゃんとしたいんじゃないの?」
「俺とゲームすると、砂羽は確実に負けるでしょ? だから、愛羅がいいんだよ」
愛羅は、少しの間、大きな目をまんまるにして、考えていた。
「ちょっと、鱗ちゃん! どういう意味? どんなゲームか知らないけど、私、負けないよ!」
兄が、にやっと笑った。
固まった重たい空気を溶かしたのは、やっぱり兄だった。
何時間も、ゲームをした。
「布団を並べて、川の字で寝よう!」
愛羅が買ったのか、以前は存在しなかったダブルベッドが置かれているのには、気付ていた。
発見した時は、胸が締め付けられた。なぜだろう。
泊まれる運びになって、身体がむず痒くなるくらい喜んだ。
でも次は、いったい三人で、どうやって寝るのか、気になった。
(どこで、誰が、誰と寝るんだろう? 私だけ、別の部屋? お兄ちゃんは、そういう意地悪はしない。でも、意地悪とは呼ばないか……夫婦が一緒に寝るのが、当たり前?……一人で布団に寝るなら、泊まる意味なんかないじゃん!)
鍛え上げたゲームで、兄にはもちろん、愛羅にまで完敗だったのは、頭の中がつまらない思考に牛耳られていたからに違いない。
「そろそろ寝ようや」
兄が、欠伸をしながら、空気と一緒に言葉を吐いた。布団を三枚くっつけて敷いて、三人で寝るという決定事項が発言された。
愛羅は思い切り顔を
「なら、私が真ん中! それだけは絶対譲らない! 鱗ちゃんにも、砂羽ちゃんにも、譲らない!」
泣き出しそうな顔で、愛羅が叫んだ。
兄と私は、顔を見合せ、プッと吹き出した。口を揃えて、私と兄の決まり文句を吐く。
「どうぞ、どうぞ!」
愛羅は、ますます、不機嫌になった。まあ、解る気はする。
「な、なに? なんなのよ! 息もぴったりじゃない! あああ、なんか、嫌!」
慌てて説明する。
「私もお兄ちゃんも、真ん中が嫌いなんだよ。昔っからね。うち、お母さんいないじゃない? たまーにお父さんが、子泣き爺みたいな顔して『みんなでたまには一緒に寝ようじゃないか!』って、張り切るんだよ。お父さんは、私が真ん中に寝たがるって、ずっと思い込んでる。『砂羽、真ん中でいいぞ!』って、いかにも気が回る、いい父親みたいに、言うわけよ」
兄が、言葉の後を継いだ。
「砂羽は、親父が気を回したのに気付く、細かい奴なんだよ。だから遠慮がちに『端がいいんだけど……』って断る。親父は次は俺に、『鱗太、たまにはお前に一番いい場所をやる!』って来る。端から、真ん中が最高の場所って思い込んでんだよ。俺も断る。端が好きだから」
「お父さんの思い込み、凄いよね? 『お父さんが真ん中で、本当にいいのか?』って、何度も聞くんだよ。私やお兄ちゃんが遠慮してるって感じるらしい。お父さん、かなりずれてる。だから、お兄ちゃんと二人で、『どうぞ、どうぞ!』って。お父さんを真ん中に寝かせるんだよ。ここにも居た! 真ん中に寝るのが好きな人!」
「……ええ? ええええええ? じゃあ、なに? 鱗ちゃんも砂羽ちゃんも、端が好きってのが、真実なわけ? 遠慮してないんだ! 驚き!」
「バッカじゃなーい? 俺は、真ん中が好きなのに驚く! あああ、なぜに親父と愛羅が、同じ好みかねえ」
愛羅は暫く、目をくりくりさせていた。
「世の中ってさ。こんな風に、好きな場所はみんな同じ。とか、それが当たり前。とか、勝手に思い込んでる連中が、きっと多いんだな」
「好みが違うと、かえってうまく行くこともあるね」
暗くした部屋で、布団の中の愛羅の声がした。
それきり、みんな黙った。
(三人の関係が、多少ぎくしゃくしても、きっと大丈夫)
真ん中に寝る愛羅は、兄のほうを向いている。安心して、私は愛羅に背を向ける。人がいる側を向いて寝るのは、苦手なんだ。誰にも言ったこと、ないけれど。
絡まったものも解れたものも、元通りに戻るばかりを望んできた。それも、他力本願で。
元に戻らないなら、捨てる。もう、見ない。稚拙な方法しか思い付かなかった。
元通りにならないものを、正面から見据える力など、まだまだ全然なかった。
だけど、辛い時は片目を瞑って、自分を誤魔化しながら、辛い時間を遣り過ごせばいい。大人と呼ばれる人たちは、誤魔化す術も身に付けて、生きているのかもしれない。ただ狡いだけでは、きっとない。
燥いだ時間が過ぎた後、底抜けに喜べるものは、もう、同じ場所にも、存在しない。
それでも、だからこそ仕方なく、形を変えたものの中に、小さな別の幸せを見付ける。
傷つくのが怖くて逃げ出したら、もう、一緒に過ごせない。
傷付くのが辛くて、死ぬのに逃げたら、もう、〝二度と〟一緒に過ごせない。
狭い部屋に布団を並べて、寝返りすらに気を遣う、窮屈な幸せを噛みしめていた。
つづく
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