第48話 心理学の真骨頂

 翌日。私は朝からクラージュ様の部屋に来ていた。

 

 どうにもこの姉弟きょうだいは几帳面であるらしく、部屋の中の掃除は行き届いていた。私の家とは大違いだ。


 部屋の中には私とクラージュ様以外いない。彼のプライベートスペースなのだろう。

 

「さて……」クラージュ様がまた紅茶を入れてくれて、「……教育係の件だが……なにから進めていくんだ?」

「そうですね……まずは、勉強に対する恐怖心を取り除いていきます。そして同時に、勉強をするという行為を習慣化させます」

「……それにはどれくらいの時間がかかる?」

「最低でも3ヶ月です」本当はもう少し短いけれど。長めに言っておこう。「ですので……次の試験で好成績を取ることは難しいです」


 焦りは禁物だ。まだエルンスト様は幼い。ゆっくりと時間をかけるべきだ。


「……なるほどな……」一晩経過して、クラージュ様もかなり落ち着いたようだった。「俺は……どうしたら良い?」

「学習中のエルンスト様に、一言だけ声をかけてあげてください」

「声を?」

「はい。何気ない日常会話で良いのです。今日は良い天気だ、とか……今日の朝食は美味しかったとか。頑張っているな、とか」

「そんなことでいいのか?」

「今のクラージュ様には難しいことかと」


 私が言うと、クラージュ様は目つきを鋭くして、


「……なにが言いたい?」

「殴りたくなると思います。怒鳴り散らしたくなると思います。クラージュ様は、その行動を学習しているのです」食事を見たら食べたくなるのと同じ。「前も申し上げましたが……学習をするのはエルンスト様だけではございません。クラージュ様も同時に学習をしていただきます」

「……学習……」

「はい。ということを3ヶ月かけて学習していただきます」


 そちらのほうが重要だ。私としてはこちらが本命。まずはクラージュ様を学習させないと話にならない。


「……もしも俺が、怒鳴りたくなった場合は?」


 少し腹が立つ。それこそ気合いや根性でなんとかしろと言いたくなる。

 しかし、そんな事を言っても解決しない。


「ご子息を傷つけてしまうことが怖いのなら……窓の外から手を降ってあげてください。声が届かない位置から、微笑んであげてください。決して怖い顔はしないように心がけてください」

「……怖い顔は生まれつきだ……」

「……」失言だった。やっちまった。「と、とにかく……最初は手紙でも良いです。とにかくエルンスト様がということを学習すればよいのです」


 まずは父親に慣れること。そして父親も子供に慣れること。それが重要だ。


「……わかった……」そう言ってくれてホッとする。「……なら次だ。私の学習はわかったが……エルはどうする? 勉強する習慣、というのはどうやって身に着けさせる? そんなことが可能なのか?」

「お任せください」それこそが心理学の真骨頂だ。「方法は――」


 私は学習方法について、一通りの説明をする。専門的な事柄は省きながら、できる限り簡潔に説明をする。


 私が説明を終えると、


「……そんなことで良いのか?」

「はい」たしかに簡単すぎて不安だろうな。「それらを実行するために、クラージュ様に用意していただきたいものがあるのです」

「……用意……? そんなもの、アルマに頼めば良いだろう」


 これはクラージュ様に用意してもらうことに意味がある。アルマ様が用意したら、クラージュ様の劣等感が増すだけだ。


 自分も息子の教育に関わっている。そう思ってもらうことが重要。 


「……アルマ様には他に頼み事をしていまして……そちらにお手を取らせてしまっています」

「……そうか。なら、なにが必要なんだ?」


 なんとかごまかせた。


「大量の厚紙が必要です。カードサイズの……そうですね。トランプくらいの大きさが好ましいです」


 大きすぎても面倒だし、小さすぎても分かりづらい。


 トランプくらいの大きさが良いだろう。

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