第44話 ギャンブル

 子は親とともに成長する。

 親は子とともに成長する。


 それを忘れて、自分こそが子供を導かなければならない……そう思ってしまうと追い詰められてしまう。成長するのが子供だけだと思ってはいけないのだ。


 ……


 ずいぶんと長話をしている。アルマ様、怒ってるだろうなぁ……

 だけれど、今はこの話のほうが大事だ。あとで私が怒られたら済む話だし、もう少し会話を続けよう。


「……それはおかしい……」……かなり小さな声になってしまったクラージュ様だった。「……私がエルを殴れば、あいつは逃げ出すこともあった。それは……好子こうしにはならないだろう?」

「……」なんと答えるべきか……「最初のうちは、言うことを聞いてくれていたのではないですか?」

「……そうだな……だが、しだいにあいつは逃げ出すようになった。すぐに泣いて、走って逃げるようになってしまった」


 なるほど……


「それもまた学習です。エルンスト様は……逃げ出せば怒鳴られない、叩かれないということを学習したのです。自分にとって悪い結果が消えることもまた、学習の要因になります」


 負の強化、とか言ったりする。


 だからエルンスト様は逃げる。そうすれば嫌子けんしがなくなるから。


「……エルが逃げる理由はわかった。ならばなぜ私は……怒鳴る、叩くという行為を学習した? あいつが言うことを聞いてくれたのは最初だけで……今は、たまにしか……」

「それです」クラージュ様が首を傾げたので、「最初は毎回のように好子こうしを与え、行動を学習させる。さらにその学習を強めるには、のが有効です」


 変動比率スケジュール、とか呼んだりする。まぁ名称は言わなくてもよいだろう。


「……? たまに……?」

「はい。クラージュ様は……ギャンブルを好みますか?」

「……」顔をそらしたところを見ると、痛いところを突かれたようだ。「……まぁ、それなりに、な……」


 大好きだな。かなりどっぷりハマっているな。ほぼ中毒状態だな。


 ちょっと空気を軽くしておこう。


「私も昔……麻雀というギャンブルにハマったことがあります。お金をかけていたわけじゃないのですが……ちょっとした報酬も与えられていました」


 勝てばレートが上がるネット麻雀だ。それが私にとっての好子こうしだった。


 私は苦笑いで、


「最初……ちょっとツキがあって勝ててしまったんですよ。ビギナーズラックというやつで……」レートが低いうちは相手も弱かったので、簡単に勝てたのだ。「それでハマって……ですが、ツキがないときもあります。負けが込んでドンドン熱くなっていって……」

「負けを取り返そうと思うわけだ」

「そういうことです……」思い出したら情けなくなってきた……「そしてたまに勝つと……それがもう嬉しくて。何度も何度も何度も勝負をして……」


 おかげさまで落単して師匠に怒られた。


 ……


 ああ……なんか思い出したら麻雀をやりたくなってきた……この世界に麻雀ってあるのかなぁ……


 ともあれ、


「それが人間がもっとも行動を学習するパターンなのです。人がギャンブルにのめり込む理由はそれです」だからこそ依存症と呼ばれるまでに熱中する。「クラージュ様にも、似たような原理が働いたのです。いわば人間の本能……自分1人の力で抗うことは難しいのです」


 意志の強さだとか根性だとか、そんな言葉は関係ない。本能として学習してしまうのだ。だからクラージュ様が悪いということではないのだ。

 ただそれが……最悪の悪循環を生んでしまうというだけ。誰もが苦しんでしまうというだけ。


「人は人生において多くの事柄を学習します。それは良い変化であることもあれば、悪い変化であることもあります。それが人間というものです」私は深々と頭を下げて、「もしよろしければ……私にその学習のお手伝いをさせていただけませんか。必ず結果を出す、なんてことは言えませんが……少しでもお力になれるのなら……」


 結果が伴わないことだってある。あくまでも理論は理論。相手によっては通用しないこともある。


 だけれど、やらないといけない。ただ怒鳴り散らすよりは効果があるはずだ。


 またしばらくの時間が経過した。それはきっと……クラージュ様が息子のことを真剣に考えているがゆえの時間だった。


「……その学習をするには、どれくらいかかる?」

「……そうですね……最低でも半年、でしょうか」

「そんなにかかるのか……」


 長いだろう。本人たちにとっては、無限にも思える時間だろう。

 

 だけれど……言っておかなければならないことがある。


「失礼ながら……クラージュ様が暴力的な指導を、そしてエルンスト様が逃走という行動を学習するのには、かなりの時間がかかっていたはずです」


 1日や2日で学習は終わらない。長いこと暴力をふるい続け、長いこと逃げ続けたのだ。だから今がある。そう考えると半年なんてのは短いほうだ。


「……そうだな……」クラージュ様は言う。「……いいだろう。半年だ。半年……息子を任せる。俺も……お前の言う事を聞こう」

「……感謝いたします」


 こうして、私はエルンスト様の教育係となったのだった。


 ……


 自信ないなぁ……

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