第43話 親もまた

「オペラント条件づけに重要なものはです。要するに報酬のことです。本人にとって喜ばしい強化子を好子こうし。そして喜ばしくないものを嫌子けんしと呼びます」


 嬉しいのが好子こうし、嬉しくないものが嫌子けんしだ。好きなものが好子こうしで嫌いなもの嫌子けんし。 


「良い行動をしたら、報酬を与える……ということか?」

「そのとおりです」当たり前のことなのだけれど、ついつい忘れてしまう。「お金や物品である必要はありません。よくやったと笑いかけて、頭を撫でてあげる。抱きしめてあげる。本人にとって嬉しいと思えることならば、なんでも良いのです」


 むしろお金とかだと逆効果になる場合もある。報酬の与え方には気をつけないといけないのだ。


「強化子を与えらることによって行動が増えることをと呼びます。逆に……負の強化子を与えられることによって行動が減ることをと呼びます」

「……」クラージュ様は自嘲気味に笑って、「……俺は……弱化を繰り返していた、ということか」


 勉強をすれば殴られる、怒られる。それらの嫌子けんしを与えられ続けたのだ。結果として勉強をするという行為は弱化された。


 レスポンデント条件づけもオペラント条件づけでも、勉強という行為に対して嫌な感覚を抱くようになってしまったのだ。


「エルンスト様にとっては、そうですね」実は別のところで強化も行われているのだが……「ですが……それは恥じることではありません。真剣になればなるほどハマってしまう罠なのですから」


 多くの親が、多くの人間がこの罠にハマってしまう。それにも理由があるのだ。


 その理由を説明する前に、


「……結局は、俺のせいか……」クラージュ様が深い溜め息をついて、「俺が無能だったから、エルを傷つけてしまったんだな」

「それは違います」


 明確に違うのだけれど……


「なにが違う……?」あ……この流れはマズイかも。ちょっと会話をしくじったかもしれない。「俺が間違った指導をしていたから、あいつは勉強が嫌いになったんだろう? 私のせいと言わずに、なんと言うんだ……?」

「それは――」


 言葉の途中で、クラージュ様が机を両手で叩いた。私を叩かなかっただけ成長しているだろう。すごいビックリするからやめてほしいけれど。


「俺が無能だと言いたいのだろう? 自分ならうまくやれると、そう言いたいのだろう?」

「それも違います。私自身も……うまくやれる自信などありません」

「だったらなんだ……!」声が大きくなってきた。「俺は失敗したんだ……! 俺は……俺のせいで……!」


 ……本当に息子さんのことを大切に想っているんだな。それが伝わってくる。だからこんなにも自分を責めてしまうのだ。


 自分のせい……そうずっと思っていたのだろう。ずっと溜め込んでいたのだろう。1人で苦しんでいたのだろう。


 その苦しみを少しでも取り除くことが、私の役目だ。


「……子供は学習をします。親の行動や周囲の行動を見て、多くの行動を学習します」勉強だって人付き合いだって、それ以外のことだってそうだ。「現状のエルンスト様は……クラージュ様を見て学習をしたのです。勉強は嫌いで怖い、だから逃げるという学習を。それは確かだと思います」

「だったら……!」

「親もまた、子を見て学習するのです」多くの人が気が付かないことだ。「子供を育てるという行為は、親にとっても初めてのことが多い。一度や二度の経験で簡単に答えなど出せません」


 だから間違える。だから後悔する。だからこそ愛する。


「オペラント条件づけによって学習をしたのは……エルンスト様だけではございません」

「……? なんだ? 他に誰が……」

「クラージュ様ご自身です」親も変わっていくのだ。「クラージュ様が最初にエルンスト様を怒鳴りつけ、叩いた。その行為に……とある好子こうしが与えられたのです」

「……好子こうし……?」


 そう。子供が学習するのと同様に、親もまた学習した。


「おそらくですが……エルンスト様に対して大きな声を出せば、勉強をしてくれた」あくまでも推測だけれど。「どうでしょうか。最初にエルンスト様を叱ったとき、叩いたとき……ご子息は泣きながらでも勉強をしたのではないですか?」

「……」クラージュ様は過去を思い返して、「……そうだ……たしか、あいつはその日……」


 推測が当たっていたようなので、続ける。


「これによりクラージュ様は好子こうしを得ました。『怒鳴るという行動をしたら、息子が勉強をする』ということを学習しました。怒鳴る行為、叩く行為が強化されたのです」


 息子が勉強をするのは親にとって喜ばしいことだ。

 だから怒鳴る人が増える。一時的にでも息子が言うことを聞いてくれたという好子こうしが、人間を行動させる。それは最終的にエスカレートして、殴るという行為に変わっていく。


 DVだって同じ。虐待だって同じ。気が付かないうちに加害者も学習をしてしまっているのだ。絶対に抜け出せない沼にハマるまで、際限なく学習をしてしまう。


 それが人間だ。人間は学習をするから成長でき、だからこそ地獄に落ちる。


「クラージュ様も成長をしないといけない時期なのです。ただそれだけです。悪いということはありません。間違いだということは決してありません」本来はあるのだろうけれど。「私は……その成長の、その変化の手助けをすることができるでしょう。クラージュ様は親として、エルンスト様は子として……お互いに成長ができる。そう信じております」

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