第38話 正解なんてありませんよ

 アルマさんが部屋を出て、私は一人取り残された。


「……はぁ……」緊張から解き放たれて、ため息をついてみる。「……また難しい……」


 親子関係の改善、成績の改善……そんなことが私にできるだろうか。


「……でも……やらないといけないんだよね……」


 結果が出ないと捨てられる。今の私がアルマ様に捨てられると、結構厳しい。話を聞いていると、教育を受けるのにもお金がいるのだ。ならばあの書庫みたいに大量の書物を読むことは難しいことなのだろう。

 

 まだ私はこの場に留まりたい。だから与えられた使命は成し遂げないといけない。


「……師匠……」私は黒猫師匠を抱き上げて、「あなたみたいにやれる自信がないですよ……」


 私にとって教師といえば師匠だ。だけれど……あの人のマネなんて私にはできない。まるでタイプが違いすぎるし、能力の差もありすぎる。


「……そもそも……私に勉強を教えられるのかな……」なんとなく文字が読め始めたくらいの状況だ。なんならエルンスト様より学力は低いだろう。「……逃げたいけど……ダメだよね。なんとかしないと……」


 でもヤダなぁ……また殴られたらどうしよう。殴られるのは痛いし怖い。それに子供との接し方もわからない。


「ウジウジしててもしょうがないか……」今日も得意技の独り言が絶好調だ。「半年で結果を出さないといけないんだから……時間がないんだよね……」

  

 目標はエルンスト様の成績向上。親子関係の改善。


 ……


 難しいなぁ……やっぱり逃げようかなぁ……


「……まぁ、とりあえずやってみるか……」


 

 ☆



「……というか……クラージュ様ってどこにいるんだろう……」


 覚悟を決めて部屋を出たは良いが、目的の人物がどこにいるかわからない。この広いお城の中を適当に探し回って見つかるものだろうか。


 まぁ……最悪兵士の誰かに聞けばわかるだろう。今はとりあえず……


「書庫、かな……」


 この時間は書庫にいる可能性が高い気がする。まだ日も出ているし、書庫で息子さんが勉強中かもしれない。


 というわけで書庫に向かうと、案の定……


「まったく……お前はやはり無能だな」絵本のタイトルみたいだな。そんな絵本は嫌だ。「そんなことでは国王は務まらん! どうしてそんなこともわからない……!」


 書庫の中からクラージュ様の怒鳴り声が聞こえてきた。


 ……クラージュ様としても自分の指導力を他の人達に認めさせたいのだろう。だからこそエキサイトして、だからこそ効果がなくなっていく。


 こうやって毎日毎日怒鳴られ続けたら、そりゃ勉強も嫌いになるだろう。家庭教師とか雇うという選択肢はないのだろうか。


 というかこの国の王族って仕事はないのかな……アルマ様も私につきっきりで勉強を教えてくれたし、クラージュ様も息子につきっきりである。


 まぁ「ヒマなんですか?」なんて怖くて聞けないけれど。


 とにかく……ずっと怒鳴られているのを黙って聞いているわけにも行かない。


 私は扉に手をかけて、深呼吸をする。


 私は大声が苦手だ。特に男性の大声が苦手。聞いているだけで心臓がバクバクしてくる。


 だけれど表情に出してはいけない。それは相手の信用を損なう行為だ。


 ポーカーフェイスポーカーフェイス……そう心に言い聞かせて、私は書庫の扉を開けた。


「失礼いたします」


 ちょっと声が震えただろうか。怖いけれど、頑張らなければ。


「……何だお前は……」クラージュ様は血走った目でこちらを見てから、「……アルマのメイドか……」


 ペットだけれど。メイドではないけれど。


 私は頭を下げて、


「お邪魔いたします」

「なんの用だ。お前は――」クラージュさんの言葉の途中で、「おいエル……!」

 

 エルンスト様がイスから立ち上がって、書庫の出口に向かって走り始めた。走ると言っても小走りで、追いかけようと思えば追いかけられる速度だった。


 書庫の出口には私がいる。このまま扉を締めたら逃走経路を塞ぐことは可能だろうけれど……


 そんなことをしても意味はない。仮にここで閉じ込めたって、さらに勉強が嫌いになるだけだ。


 というわけで、私はエルンスト様に一礼だけして、そのまま道を開けた。


「え……?」その行為に驚いたのは、逃げ出したエルンスト様本人。「……通って、いいの……?」

「はい。足元にお気をつけて」


 泣いていると前が見えづらい。そのまま転んでしまう可能性もあるだろう。


「あ、ありがとう……」


 エルンスト様は扉をくぐって、書庫の外に出ていった。


 というわけで……


「キサマ……」私はクラージュ様と2人になりました。「そういえばお前は……前もエルを逃していたな。なぜそんなことをする?」


 ……やっぱり睨まれるのって怖い……だけれど、ビビった様子を見せる訳にはいかない。


「無理やり捕まえても、勉強の効果は薄いからです」

「ほう……」なんか怒らせたようだ。「つまり……俺の教育方針が間違っていると……?」


 ……なんて答えるべきか迷ったが、


「はい」これは伝えるべきだろう。「教育に正解なんてありませんよ」

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