第32話 むしろ専門に近いですけど

 喧嘩腰で現れた弟さんだったが、相談事は真剣なもののようだった。


 少しばかり緊張した面持ちで、弟さんは続ける。こうして落ち着いていれば魅力的な男性なのにな。


「……そっちの女は……」

「安心しなさい。秘密を言いふらしたりはしないわ」私のことだろうな。「かわいい弟の頼みですもの。私も協力するわ」

「まだ頼みがあるなんて言ってないが……」

「あるのでしょう? あなたが私を訪ねてくるなんて……よっぽど追い詰められているみたい」


 他に頼る人間がいなくなってしまった。だからアルマさんのところに来た。姉に頼りに来たのだ。


「……」図星だったらしい。「俺には息子がいるんだが……まだ8歳程度の男だ」

「そうね。名前は……エルくん」

「そうだ。エルンストという名前だが、通称はエルだな」これは私に対する説明だろうな。「これがまた無能でな……なにをやらせても人並み以下なんだ。努力という言葉を知らないクズで……まったく成長しないんだよ」


 子供のことをクズとか言わないでほしいけれど。まぁ私が口を出せる状況じゃないよな。


 ともあれ弟さんは続ける。


「俺が王位を継げば……その次の王位継承権はエルにあるんだ。その時にエルは……生きていけるだろうか?」


 不安なんだ、と弟さんは続けた。


 ……不安……そうか。そうだよな。だからこそ追い詰められるんだよな。息子の成長を願うあまり暴力に手を染めてしまうんだよな。まったくもって興味がなければ捨ててしまえば良い話だ。


「厳しく育ててきたつもりだ。だが……あいつには才能がない。すぐに逃げ出して泣いて……そんなやつなんだ」逃げるのは悪いことじゃないけれど。「どうすれば……どうすればエルは成長できるんだ? 俺はどうやって……あいつに接したら良いんだ?」


 真剣に悩むがゆえに視野が狭くなる。だからこそ余裕がなくなる。暴力を振るうのは悪いことだけれど、仕方がない事情もあったのだろうな。もちろん許せる行為ではないけれど。


「ふぅん……」アルマさんが言う。「……私には、わからないわ。だって私は……愛されたことがないもの」


 愛されたことがない。そうなのだろうか。アルマさんが複雑な環境に置かれていることは推測できるけれど……


 どうしたものか……口を挟むべきかと迷っていると、


「ねぇ、あなた」アルマさんが私に、「あなたならどうする? 子供の教育は専門外かしら?」

「……むしろ専門に近いですけど……」心理学という分野の真骨頂は学習にある、と私は思っている。「学習心理学や教育心理学、認知心理学……それらの分野に該当します」

 

 意外かもしれないが、心理学は勉強とかにも役に立つ。むしろそちらのほうが強い。


「へぇ……そうなの。じゃあ――」

「心理学だと?」言葉の途中で弟さんが割り込んでくる。「レギスリーのような詐欺師の話か? その女は……」

「別にこの子は詐欺師じゃないわよ。レギスリーさんはどうか知らないけれど」

「同じ心理学を扱うのだろう? レギスリーとかいう怪しげな集団と一緒だ」


 ……結局レギスリーさんは詐欺師だったのだろうか……よくわからないまま終わってしまったからな。なんとも反応しづらい。


 それにしても……男性が怒っているのを見るのは怖い。今にも逃げ出したいが、なんとかこらえて説明をする。


「心理学というのは相手の心を読んだり、操ったりするものではありません。人間の――」

「口答えするな……!」


 殴られる、と直感した。何度も殴られているうちに、手が出るタイミングがわかるようになってしまった。


 とはいえ避けられる運動神経があるわけじゃない。


 弟さんの拳が近づいてくる。この間とは違って、今度は拳を握っていた。


 ……このガタイの男性に殴られたら痛いだろうなぁ……最悪の場合死んでしまうかもしれない。少なくともしばらくは気絶するだろう。


 なんてことを思いながら歯を食いしばると……


「……そういえば、あなた……」


 アルマさんが、弟さんの拳を受け止めていた。私の顔の直前で拳を受け止め、笑顔のまま言う。


「……少し前に……私のペットに手を出してくれたようね」

「……!」


 弟さんは拳に力を入れるが、アルマさんの腕はビクともしない。


「私のペットに手を出して……タダで済むと思ってるの?」アルマさんは弟さんの拳を、放り投げるように押し返す。「次はないわ。かわいい弟とはいえ、許さない。いいわね?」

「……なにがかわいい弟だ……」アルマさんは本気で思っているようだが。「俺のことなんて邪魔者としか思ってないクセに……!」


 だったら相談なんて受けない。もっと早く追い返している。


 弟さんは舌打ちをして、


「……こんなところに来た俺がバカだった。さっきの話は聞かなかったことにしてくれ」


 そう言い残して、弟さんは部屋をあとにした。


 ……


 あー……怖かった……

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