第23話 練習してみたら?
トレイに食事を載せたアルマさんが、
「その黒猫さん……師匠って名前にしたの?」
「……いえ……」そんなつもりじゃなかった。「ちょっと……元いた世界の人に話しかけてました」
「会話できるの?」
「……話しかけたつもりに、なっていました」通話ができるわけじゃない。「私の心理学の師匠です。変人で適当で……人間として褒められる人じゃなかったんですけど……」
人としては最低だったかもしれない。自分勝手だし約束もすっぽかすし暴言だって吐く。いつだってあの人には振り回されていた。
だけれど……なんだか私は彼女のことが好きだった。穏やかではあったし……なにより精神的に安定していた。
「その人のことを師匠って呼んでいたの?」
「いえ……先生って呼んでいました。でも……師匠って呼んでみたいと思っていました」なんとなくカッコいい響きに聞こえたのだ。「結局は恥ずかしくて言えませんでしたけど」
……昔のことを思い出すと寂しくなる。なんだか急にホームシックみたいな感覚に陥ってきた。
とはいえヘコんでばかりもいられない。すぐに私は動き出さないといけないのだから。
「練習してみたら?」
「……練習、ですか?」
「そうよ。師匠って呼ぶ練習」どんな練習だよ。「その黒猫さんを師匠って呼んでみたら? ちょっとくらい練習になるんじゃないかしら?」
というわけで……
黒猫さんの名前は師匠に決定しましたとさ。
☆
黒猫さん――師匠は毛布にくるまって寝息を立て始めた。とても幸せそうな寝顔で、見ているだけで心が温まった。
「読書はどうだった?」食事中に、アルマさんが言う。「面白い本は見つかった?」
「それが……文字が読めませんでした」
どの本を見ても同じだった。この世界の言語を私は読み取れなかったのだ。
「あら……そうなの」そうなんですよ。「……油断してたわ。会話が通じるものだから、文字も読めるものだとばかり……」
「……私もそう思っていました……」
「そうね……でも考えてみれば当然ね。あなたは別の世界から来たんだもの。こうやって会話ができているだけ、ありがたく思わないとね」
本当にその通りだった。これで言葉も通じなかったら私は泣いていた。いや、通じていても泣いたけれど。
「じゃあ、より一層不利じゃない。レギスリーさんとの勝負」
「そうですね……」
この国のことなんて何も知らない。さらに文字も書けないのだ。
敗北は必至だ。どうにかして先手を打たないといけない。
「どうやって勝負するつもりなの?」
「私なりに、です」師匠のやり方を真似させてもらおう。「アルマさんのお気に召すかどうか……それはわかりませんが」
「どんなやり方でも構わないわ。楽しませてくれるのなら、なんでも」
「お楽しみになれないかもしれない、ということです」
私が言うと、アルマさんは笑顔のまま、
「楽しみにしているわ」
そう言ったのだった。
……
プレッシャーかけないでくれ……
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