第23話 練習してみたら?

 トレイに食事を載せたアルマさんが、


「その黒猫さん……師匠って名前にしたの?」

「……いえ……」そんなつもりじゃなかった。「ちょっと……元いた世界の人に話しかけてました」

「会話できるの?」

「……話しかけたつもりに、なっていました」通話ができるわけじゃない。「私の心理学の師匠です。変人で適当で……人間として褒められる人じゃなかったんですけど……」


 人としては最低だったかもしれない。自分勝手だし約束もすっぽかすし暴言だって吐く。いつだってあの人には振り回されていた。


 だけれど……なんだか私は彼女のことが好きだった。穏やかではあったし……なにより精神的に安定していた。


「その人のことを師匠って呼んでいたの?」

「いえ……先生って呼んでいました。でも……師匠って呼んでみたいと思っていました」なんとなくカッコいい響きに聞こえたのだ。「結局は恥ずかしくて言えませんでしたけど」


 ……昔のことを思い出すと寂しくなる。なんだか急にホームシックみたいな感覚に陥ってきた。


 とはいえヘコんでばかりもいられない。すぐに私は動き出さないといけないのだから。


「練習してみたら?」

「……練習、ですか?」

「そうよ。師匠って呼ぶ練習」どんな練習だよ。「その黒猫さんを師匠って呼んでみたら? ちょっとくらい練習になるんじゃないかしら?」


 というわけで……


 黒猫さんの名前は師匠に決定しましたとさ。






 黒猫さん――師匠は毛布にくるまって寝息を立て始めた。とても幸せそうな寝顔で、見ているだけで心が温まった。


「読書はどうだった?」食事中に、アルマさんが言う。「面白い本は見つかった?」

「それが……文字が読めませんでした」


 どの本を見ても同じだった。この世界の言語を私は読み取れなかったのだ。


「あら……そうなの」そうなんですよ。「……油断してたわ。会話が通じるものだから、文字も読めるものだとばかり……」

「……私もそう思っていました……」

「そうね……でも考えてみれば当然ね。あなたは別の世界から来たんだもの。こうやって会話ができているだけ、ありがたく思わないとね」


 本当にその通りだった。これで言葉も通じなかったら私は泣いていた。いや、通じていても泣いたけれど。


「じゃあ、より一層不利じゃない。レギスリーさんとの勝負」

「そうですね……」


 この国のことなんて何も知らない。さらに文字も書けないのだ。


 敗北は必至だ。どうにかして先手を打たないといけない。


「どうやって勝負するつもりなの?」

「私なりに、です」師匠のやり方を真似させてもらおう。「アルマさんのお気に召すかどうか……それはわかりませんが」

「どんなやり方でも構わないわ。楽しませてくれるのなら、なんでも」

「お楽しみになれないかもしれない、ということです」 


 私が言うと、アルマさんは笑顔のまま、


「楽しみにしているわ」


 そう言ったのだった。


 ……


 プレッシャーかけないでくれ……

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