第18話 無能

 書庫に行きたいと告げたのには2つ理由がある。


 1つは本当に歴史とか地理とかを勉強したかったから。この世界にとっての一般的な知識を身に着けておいて損はないと思ったから。


 もう一つは……


 読書が好きだからである。本を読んでいると落ち着けるので、とにかく何かしらの字が読みたかったのだ。


 もう少しで書庫。もう少しで書庫。本が大量にある。そう思うと、つい顔がニヤけてしまう。通りすがる兵士に怪しまれたが、そんなことは些細な問題だ。


 というわけでアルマさんに説明された場所にたどり着いた。結構大きな建物が書庫ということで、すぐに見つかった。


 さて扉を開けようかと思った瞬間だった。


「はぁ……」特大のため息が聞こえてきた。「お前は……本当に無能だな。そんなことで生きていけるのか?」


 男性の声だった。かなりイライラしているようで、声が大きかった。


「なぜこんなことも覚えられない? なぜ成長しない? 他の人間はできている事柄だ。なぜお前だけができないんだ?」他にもできない人はいるだろう。なにをやっているのかは知らないが。「おい……! 待て!」


 ……待て? どういうことだろう。なにか室内であったのかと思っていると、


「あ……」突然書庫の扉が、勢いよく開け放たれた。「ご、ごめんなさい……」


 思わず謝った。別に盗み聞きをしていたつもりはないのだが……盗み聞きになっていたことは事実だ。謝ったほうが良いだろうと思った。


 書庫の中から扉を開けたのは……


「……!」その人物は私を見て怯えた表情を……いや、違う。扉を開ける前から、彼は何かに怯えていた。「……ごめんなさい……!」


 なぜか謝られた。謝るのはこっちだろうに。


 扉から怯えきった表情で飛び出してきたのは……小さな少年だった。10歳にも満たないであろう少年。8歳くらい、だろうか。もっと小さいのだろうか。いまいち年齢がわからない。


 美しい少年だった。もしかしたら少女かもしれない。肌のハリも髪質も……すべてが美しかった。少しアルマさんに似ているだろうか。


 その小さな少年は泣き腫らした顔で、


「すいません……!」


 そう言って走り去っていった。とても苦しそうで悲しそうな表情だった。あんな小さな子供が浮かべて良い表情ではなかった。絶望というか恐怖というか……そんなものに見えた。


 しかも……頬が赤く腫れていた。殴られていたのだと察するのに時間はかからなかった。


 いったい書庫で何があったのだろう……そう思っていると、


「まったく……!」書庫の中から声が聞こえた。「あの無能が……! なにかあればすぐに逃げる。あんな根性なしがこの世にいるとはな……!」


 書庫の中に仁王立ちしていたのは……体躯の良い男性だった。髭をはやして目つきの鋭い……良く言えば迫力のある男性だった。

 悪く言えば……イライラしていて精神的に安定しない人。そんな印象だった。さっきの怒鳴り声を聞いている限り、感情がコントロールできない人なのだろうか。


 服装を見る限り兵士ではない。おそらく貴族寄りの権力者。


 その男性は私に気づいて、


「なんだお前は」

「あ……私、は……」私は男性が苦手だ。小学生の頃に担任の先生に殴られてから、必要以上に怯えてしまう。「申し訳ありません……盗み聞きをするつもりはなかったのですが、少し話が聞こえてしまいました……」

「……」男性は私を睨みつけて、「無能だな」

「……?」

「なぜ取り押さえなかった?」さっきの少年のことだろうな。「あんな子供を取り押さえることなど、造作もないだろう」


 ……どうだろう……運動不足のこの身体だ。小学生を取り押さえられるかどうか怪しいぞ。むしろ負けそう。普通に負けそう。というか負ける。


「……身体的拘束が必要な場面には見えませんでしたが……」


 ときには拘束が必要になる場合もあるかもしれない。どうしても避けられない場面はあるかもしれない。それは否定しないが、さっきの少年には必要ないように思えた。


「メイド風情が偉そうに……」メイドだと勘違いされてる。私はペットなのに。「どけ」

「どい――」


 どいたら、さっきの少年を追いかけるんですか?と言おうとした瞬間だった


 顔の左側に、強い衝撃が走った。

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