第6話 ずいぶん可愛らしい暗殺者なのね

 せっかく兵士が部屋を離れたというのに、また誰かが近づいてくる。


 兵士がこの部屋を調べようとしているのだろうか? だとしたら……どうする? 探される前に逃げるべきか? それともここは息を殺してやり過ごすか……?


「……」


 私はそのまま足音に耳を澄ます。


 ……


 兵士の足音には聞こえない。優雅でゆったりとした、焦りをまったく感じない歩行だった。私を探している兵士の足音なら、もっとドタバタしているだろう。


 ……まったく……暗闇で音だけ聞いていると恐怖ばっかり増幅される。包丁を持った殺人鬼でもうろついているのではないかと想像してしまう。


 大丈夫……きっと大丈夫だ。この部屋は空き部屋なようだし、まずクローゼットが開けられることもない。


 きっと足音は部屋を素通りする。それを待てば良い。


 ……


 しかし……


 足音はしっかりとこちらに近づいてきていた。しかも……なんだか室内に入ってきたような気がする。


 掃除係の人……? いや、そんな人がいるならもっと部屋はキレイだろう。この部屋に住んでいる人だったとしても同じだ。


 じゃあ誰だ……? やっぱり兵士さんだろうか……?


 私が迷っているうちに、足音は部屋の中をウロウロと動き回っていた。たまに立ち止まったりして、まるで何かを探しているようだった。

 

 ……黒猫さんの飼い主だろうか……? いるはずの黒猫を探している……? だとしたら悪いことをしてしまった。あとで黒猫さんは返すので勘弁してください。


「ここで暗殺者を見つけたって聞いたのだけれど」


 不意に足音の主が言った。女性の声だった。


「どう? もう逃げてしまったと思う?」他にも人がいるのだろうか……? 誰に話しかけているのだろう。「そりゃそうよね。兵士に追われて、逃げない人はいない。黙って捕まるのなら別だけれど」


 なんとも優雅な声だった。朗々としていて踊るようで、不安なんてものは一切感じさせない。自信に満ち溢れた声。


「それで考えてみたのよ。もしも私がこの部屋で兵士に見つかったらどうするか」私ならクローゼットに隠れる。というか、隠れた。「このお城の中で兵士から逃げ切ることは難しいでしょう。それに暗殺者は黒猫を連れていた。そんな目立つ状態で外まで逃げ切れるとは思えない」


 誰からも返事はなかった。ただの独り言のように、彼女は続けた。


「でも暗殺者は捕まっていない。相当な運動能力を誇る暗殺者なのかしら。たとえばお城の天井を張り付いて移動して、門を飛び越えるくらいの」どこかの大泥棒じゃないんだぞ。「そんな曲芸も見てみたいけれど……だったらこの部屋で大人しく見つかるなんてありえないわよ。見つかる前に逃げたほうが良いのだから」


 そりゃそうだ。見つかってわざわざ警備を警戒させることはない。


 というかさっきから……この人は誰に話しかけているのだろう。私と同じで独り言が多い人なのだろうか。それとも無口な人が聞いているのだろうか。あるいは……ペットとかに話しかけている?


「暗殺者の身体能力が高くなかったとして、じゃあそれでも見つからないのはなぜ?」……それは――「それはきっと……兵士の予想もつかないところに隠れているから」


 そう。そのとおりだ。私は見つかった部屋の中にとどまったのだ。そんなことは通常ありえない。だからこそ兵士をごまかすことができた。


 ……


 ……


 ……

 

 ちょっと待て……この人、もしかして……


「たとえば……」足音がさらに近づいてくる。近づいてくるというより、直前まで来ているように聞こえた。「見つかった部屋にとどまっているとか」


 心臓を鷲掴みにされる感覚、とは今の感覚のことを言うのだろう。

 痛みはなかった。ただ心臓の鼓動が不規則になったような気がした。心臓が止まったのかと思うくらい鼓動しないと思ったら、今度は一気に鼓動が早まった。

 そう感じているだけで、実際は一定のリズムを刻んでいるのだろう。


 要するに……時間感覚もメチャクチャになっていた。真っ暗な視界で方向感覚も失われて、完全に私の感覚は壊れかけていた。


「この部屋で隠れるとしたら、それはどこかしら」


 ……この人……やっぱり、……! 声の方向が、私に向いている。


「それは1つしかないわよね。地下通路とかがあるなら別だけれど、この部屋にそんなものはない」つまり……結論は……「クローゼットの中」


 次の瞬間、無造作にクローゼットの扉が開かれた。


 光が差し込んできた。眩しかったけれど、瞬きなんてできなかった。


「あら……ずいぶん可愛らしい暗殺者なのね」逆光の中に映る彼女の姿から目が離せなかった。「ごきげんよう暗殺者さん。あなたは私を楽しませてくれる存在なのかしら」

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