第5話 微塵も感じませんでしたが
命を狙われるようなことをした覚えはない。完全に冤罪だ。
だけれど関係ない。真実じゃなくても相手が真実だと信じていれば同じことだ。
兵士たちにとって私は暗殺者。黒猫は不吉の象徴。見つかれば即刻殺される。
クローゼットの中に隠れて見つからないことを祈るしかない。他にできることはない。
「……頼むから、鳴かないでね……」
私は黒猫さんを抱きしめて、ただただ息を殺していた。
少しして、
「ここか?」知らない声が聞こえてきた。さっきの兵士さんとは違う声だった。「ここに暗殺者がいたのか?」
「はい」これがさっきの兵士さん、に聞こえる。聞こえるだけで別人かもしれない。「この部屋に潜んでおり、黒猫を連れていました」
「黒猫だと……? やはりこの部屋は呪われているな。そんな不吉なものがいるとは……」そんなに黒猫が嫌いか。「暗殺者はどこに逃げた?」
「窓を開けて外へ」
足音が近づいてくる。外がまったく見えないので、どこを歩いているのかわからない。
……結構な人数がいるようだった。10人は超えているだろうか……それとも恐怖で大人数に聞こえるだけだろうか。
もしかしたら……次の瞬間この場所が開けられるかもしれない。隠れていることがバレるかもしれない。そう考えると寿命が縮まる思いだった。
猫さんの口……塞いだほうがいいかな……? いや、ヘタに触って暴れられるほうが面倒だ。今は静かにしてくれているし、このままにしておこう。
足音が止まる。クローゼットからは離れている、と思う。思うだけで実際の位置は分からないが。
「バカ者が」突然、叱責の声が聞こえた。「なぜ逃した? 見つけたのなら地の果てまで追いかけろ!」
「も、申し訳ございません……!」この人が怒られてるのって、私のせいだよな……悪いことをしてしまった……「しかし……あの場面では、他の兵士を連れてくることが最良の選択かと……」
「……それほどの手練だったのか?」
「いえ……戦闘力は微塵も感じませんでしたが……」
そりゃそうだ。だって私はただの大学生なのだから。格闘技も護身術も習ってない。とくに体も鍛えていない。というか運動音痴だし、戦えば秒殺されるだろう。
「ならば追いかければよかっただろう!」怖いから大声出さないで……「なぜわざわざ逃げるチャンスを与えるような真似を……!」
「そ、それは……」困っているのが伝わってくる。ごめんなさい。「私にもよく、わかりません……なぜかあいつと会話していると、考えが捻じ曲げられて……」
「……妖術使いだとでも言うのか……? レギスリー殿のような使い手が、他にもいるのか……?」
レギスリー……? 誰のことだろう。さっきのアルマ様といい、知らない人だらけだ。
妖術使い……私のは妖術じゃないんだけどな。心理学の応用というかなんというか……
というか私は兵士さんの考えは捻じ曲げてないのだけれど。ちょっと誘導しただけで……
しかし妖術使いか……兵士さんが私を警戒してくれたのは、他に妖術使いがいたかららしい。ちょっとその妖術使いに感謝しないとな。
「今すぐ追いかけろ!」壁が強く叩かれた音がした。「もうかなり遠くまで逃げているはずだ! さっさと追いかけてひっ捕らえろ!」
そんな命令を受けて、兵士たちはどこかに走っていく。おそらく私が逃げたであろう方向に走り去っていったのだろう。
……
……
……
しばらくして、部屋から人の気配がなくなった。まさか私がこの部屋の中に潜んでいるなんて夢にも思わなかったのだろう。とくに調べもせずに部屋を離れてくれた。
しかも上司らしき人が『遠くに逃げたはず』という言葉を発してくれた。その結果として、兵士たちはかなり遠くまで行ってくれたようだ。なんとも好都合なこと。
「……ふぅ……」
そこで、ようやく私はしっかりと息を吐いた。ずっと息を殺していたので、酸欠で失神してしまいそうだった。こんな狭苦しいスペースにいたのでは、遠くないうちに酸素が足りなくなるかもしれない。
兵士がいなくなったのなら、さっさとクローゼットを出よう。
そう思った瞬間だった。
……
誰かの、足音が近づいてきた。
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