第一章
空からふってきたロボット
村に近い森で、ノアとタテガミは今日も朝から虫殻などを集めては遊んでいたが、ここは目を瞑っても歩けるほど親しんだ森。
もうすぐお昼だ。いつもとはちょっと違うものが食べたい。血色のよい白い肌、茶色の瞳に、縮れた黒髪を一つに束ねたノアは、刺激を求めてどんどん先へ進んでいく。
「なあ、まだ奥まで行くのかよ」
「ねえ、タテガミ、私あれが食べたい!」
指した先に、馴染みのない緑色の実がなっていた。
「またかよ。毎回おいらにばっかりやらせて、たまには自分で登ったらどうだ?」
タテガミは不満そうに口を尖らせた。茶虎模様の毛で覆われた肌、金色の丸い瞳。猫のような鼻と口元には髭が生えていて、顔の周りにはライオンのような立派な鬣があった。
「だってタテガミのが木登り得意でしょ? こういうのを適材適所って言うのよ。長老が言ってたわ」
「ハイハイ、わかったよ。ノアにまで長老の蘊蓄を聞かされたんじゃ堪んないよ」
ブツブツ言いながらも木に爪を立て器用に登るタテガミを、ノアは満足そうに見上げた。そびえる木々の隙間から青空が見える。茂った葉から差しこむ光が水飛沫のように美しい。
ノアがねだった実はかなり上だ。枝の位置を確認しながらタテガミが登っていくと、ふと上空で違和感のある光がギラッと反射したように見えた。
目をこらすがよく見えない。気のせいだったのだろうか。
「おーい! タテガミ、どうしたの?」
「なんでもない! 揺らすから離れてろよ!」枝に掴まり全身を揺らす。
すると縦に遥かに伸びた木がふり子のように揺れ始めた。ザワザワと葉がこすれ合う音と共に木の幹や枝が大きくしなると、ボトボトと熟れた果実がふりほどかれて地面へと落ちていく。
「えへへ。おいしそう」
ノアが眺めていると、次の瞬間、そこへ果実ではない別の〝何か〟が落ちてきた。
ガシャン! ピピピピピガー! ……。
「なんだ⁉ ノア! 大丈夫か?」
「あ……そ、あ……な――」
ノアは腰をぬかした。口を開き、声を出そうとしたが言葉にならなかった。
「え、なんだって⁉ ノア聞こえないぞ?」
「そ、空から何かふってきた!」
落ちてきたのは、五〇〇年前にこの場所で停止したロボットだった。天高くつきあげられていた筐体が落下してきたのだ。衝撃でわずかにネジが回り、瞬間的に動力が戻って激しい音を立てる。しかし目の奥で白い光が二、三度点滅すると再び静止して動かなくなった。
「タ、タテガミ! 早く来て!」
驚く声に、タテガミが慌てて下りると、そこにはごろりと横たわる錆だらけのロボットと顔面蒼白で座り込むノアがいた。
「さ、さっき、一瞬動いてしゃべったよ!」
「ノアは離れてろ!」
タテガミは村で誰よりも耳がよかった。森で地面を這う蛇のような動物がたてる微かな音も耳を澄ませば聴こえるほどだ。さっき一瞬聞こえたガガガという音は一度も聞いたことがない。
タテガミは、グースーの牙を研磨し加工したナイフを腰から抜いて手に持つと、不思議な素材で出来たそれをじっと見た。
ノアは立ちあがり、ロボットの背面に回ってかがみ込むと大きな蝶型のネジを食い入るように見る。
なんだろう、これ。さっき一瞬動いたような気がする。
考えながらさらに見るが一向に動く気配はない。思い切って巨大な蝶のような物を掴んで叩いてみると、バンバンと固い音がした。黒ずんでおり煤や苔が一面についているが所々光るような面が見える。ノアの白い手を黒い煤が汚した。
「お、おい! ノア⁉」
「ねえ! タテガミちょっと手伝って!」
「やめろって! そんな得体のしれないもん、ほっとけよ!」
「固くて一人じゃ回らないのよ!」
「全くおまえってやつは……」
タテガミもびくびくと横に立つと、意を決してその大きなネジを両手で掴んだ。
「大袈裟ねぇ。じゃ、私の方に回して! せーの!」
ノアのかけ声で、一緒になって回すがびくともしない。
「なあ、ノア、もういいだろ? 気味が悪いぜ。早く行こう」
タテガミは内心ほっとしていたが、ノアはまだ考えこんでいる。
「もう一回! 今度は逆に回してみよう!」
幼い頃からノアを知るタテガミは、大きくため息をつき、渋々力を貸した。
「動きそうだよ!」
……カチ。
ロボットの内側から音が鳴った。その震動がはっきり伝わる。
――やった!
二人は、目を見開いて視線を交わすと、そのまま回し続けた。
カチ…カチ…カチ…カチ…カチ……。
ゼンマイが巻かれる音が響く。二人は何度もネジを掴み直しながら、左へ左へと回した。しかしいつまでも巻き終わる気配がない。
「なんだよこれ? どこまで回すんだよ。腕が痺れてきちまった!」
「わかんないけど! まだ回せる!」
ノアは興奮して汗を滲ませ、夢中で回す。随分長く続けていると、徐々にネジにかかる負荷が強くなっていき力が足りなくなりかけた。
「……もう、無理!」
限界に達して手を放すと、ネジはゆっくりと右旋回を始めた。
「お、おい! 動いちゃったよ!」
「シッ! 黙って!」
暫くすると、ピッ…ピー…と掠れる音を立て、ロボットが小刻みに動き始めた。
「ガガ…ガガ…ガガ……。起動…。視界不明瞭、音声異常ナシ、感知器異常ナシ、ボディー異常アリ……錆ノタメ可動域ニ障害アリ。オイルノ注入ガ必要デス」
しゃべった⁉ 二人は驚き後ずさる。
「生体反応アリ……。コチラ型式CWDTT#12。マザーアマル、停止後カラノ現在マデノ時間ヲ、送信シテクダサイ……」
横向きに倒れたままのロボットは、その場でガタガタと頭を動かして、視界の端に入ったノアを認識すると何やらブツブツ呟いた。
「応答ナシ……」
ロボットの白い目の光がゆっくりと点滅している。その人工的な顔からは、どこを見ているのか、何を考えているのか全くわからなかった。
「おい! おまえ! 何者だ!」
タテガミがナイフを向ける。周りを見るために回そうとしたロボットの頭はガタガタとひっかかり、右へ左へとはね返された。
その様子を好奇に満ちた目で覗きこむノアに気づいたロボットは、動きを止めて話しかけた。
「コンニチハ。アナタハ〝キメラ〟デスネ? 言葉ハ通ジマスカ?」
話し方は平坦で聞き取りづらい。それでもこの金属の塊がノアにわかる言葉で話しかけてきたことはわかった。
「キメラって一体何のこと? あなたは何? どうして空からふってきたの?」
「言葉ハ通ジルヨウデスネ……」
ロボットは転がったまま再び空を仰いで、状況判断に努めた。
「空カラ降ッテキタノデハアリマセン。……コノ木ニ、引ッカカッテイタダケデス」
少女の言うように自分が空からふってきたのだとしたら、この聳える木に絡めとられていたとしか判断できない。ロボットの最後の記憶、それはようやく幼木の生え始めた荒れ果てた場所だった。動力をなくして停止した後、とてつもない時間が経過し、育つ木と共に上空へ持ちあげられたのだろう。目覚めたとき回収もされていなかった。
マザーアマルから応答はない。他の仲間からも……。先ほどからアンテナでもある背中のネジから信号を送信しているが、どこからも応答はない。
一体どれほど時間が過ぎたのか。計画はどうなったのか。自分がマザーの元を出発してからの方角と距離の記録は残っている。ロボットは辺りをもっとよく観察しようとして、うまく動かない頭をガタガタと揺らしながら狭い視界の中で考えていた。
積年の汚れから視界がくぐもっていて見づらい。
ロボットは、少女の横にもう一体の生物がいるのを発見した。横にいた少年――タテガミに視点を移した途端、ロボットは意味のわからない言葉を並べ始める。
少年の肌は全て茶虎の短い毛に包まれている。背中が軽く曲がっていて、見るからに獣人のようだ。ロボットはタテガミの毛に覆われた姿を見て、ひどく驚いた。
「ソ、ソンナ! 獣人キメラ? キメラ計画ニハ、ソノ予定ハナカッタハズ! マザーアマル、応答シテクダサイ! 応答シテクダサイ!」
気味悪くなったタテガミは、尻ごみして言った。
「お、おい、早く帰ろうぜ……」
それを聞いたロボットが反応を見せる。頭をガタガタと動かし、タテガミの方を向いた。
「帰ル? 近クニアナタタチノ、コミュニティーガアルノデスネ! ワタシモ連レテッテモラエマセンカ?」
二人は驚いて顔を見合わせたが、すぐにノアの目が楽しそうに光った。
「ダメだぞ! 危険なやつかもしれない。絶対に連れてけないぞ?」
ノアは横たわったロボットに釘付けだ。
「このままにしておけない! タテガミお願い! 責任は私が持つから!」
タテガミは大きくため息をついて頭を垂れた。
ノアは生まれて初めて見たロボットに、臆すことなく親し気に話しかける。
「ねえあのさ、そのしゃべり方すごく聞き取りにくいんだけど、なんとかならない? どこから来たの? あなたって生きてるの?」
怖いもの知らずのノアは、次々と語りかけた。
タテガミはノアの向こう見ずな性格にいつもふり回されていたが、先入観を持つことなく、何に対してもまっすぐ向きあう姿勢を尊敬してもいた。
ノアはやっぱり長老の孫だ。代々おいら達の村を治めてきた家系の娘。それにしてもこの奇妙な奴を村につれていくとして、一体どこをどう持ったら運べるんだ?
タテガミはロボットの体をつつきながらげんなりして、二人の会話を聞いていた。
いくら尊敬はしていても、こういつも面倒事に付き合わされるのは疲れる。
「ナルホド。ゴモットモデス。電力消費ガ激シクナリマスガ、仕方アリマセンネ」
ロボットはなにやらよくわからないことを呟いた。
「コミュニケーション機能オン……。会話モードオン――」
「なあ、これどうやって運ぶんだよ。転がしてくか?」
ロボットの腕と足を持って、なんとか胴体を浮かそうとしていると、
「できれば転がすのはやめていただけると助かります」
突如、自然な調子で話し始めたロボットに驚いて、二人は思わず手を放した。浮かびかけていたロボットの体が地面にドシンと落ちる。
「できれば、落とすのもやめていただけると助かります……」
ロボットの目が、困ったように点滅した。
気を取り直してロボットを背負うと二人は歩き出した。かなり重いが、ノアはどうしても村に連れていきたがった。必死でロボットの頭を支えるノアを心配しながら、タテガミも足を持つ。少しずつ休みながら、森の中を村に向かって進んだ。
「それで、あなたはどこから来たの?」
「地球という惑星からです」
「チキュー? ワクセイって何?」
「そうですね。あなた達が暮らしているこの土地から遥か遠い所です。惑星というのは――太陽の周りを回る巨大な星なのですが――あなたのような姿の人達がたくさん暮らしていました。私は彼らに作られたロボットです」
「ロボット?」
「はい。人の手助けをするために作られました。私達は新しく住む場所を探して、遠く旅をしてきたのです。しかしこの惑星の調査中に停止してしまいまして……」
「旅をしてきたってことは他にもいるのね。その人達はどうしているの?」
「実はわからないのです……。私が停止してからどれほど時間が過ぎたかもわかりません。大地の様子を見る限り、相当の時が経過したようです。私がこの惑星におりたったときには、あなたのような方々は誰一人としていませんでした。そしてキメラ計画も……。マザーアマルからの応答がないので私にはこれ以上のことがわからないのです」
――こんなに重いのに、よく平気で話ができるな。
タテガミは黙って成り行きを見守っていた。
「ねえ、そのキメラって何? それにマザーアマルって?」
「困りました。〝キメラ計画〟について、私には話す権限がありません。マザーアマルは私の上司、わかりやすく言い変えるなら監督者です」
「ふうん、それってお爺ちゃんみたいなのかしら。私のお爺ちゃんもきっとその監督者よ! 村の長老を任されてるから」
ノアが村のことを話し始めたのを聞いて、タテガミはふてくされて口を挟んだ。
まったく、ノアには警戒心ってものがない。
「なあ、ノア! こんな得体のしれないやつに、何でもかんでも村のこと話すなよ!」
「……ノア? それがあなたの名前なのですか?」
うっかりノアの名を口にしてしまったタテガミは、気まずそうにしたが、ノアはそんなことは気にも留めずに話し続ける。
「そうよ、忘却の都〝ノア〟。私の名前はそこからつけられたの。いい名前でしょ」
「忘却の都?」
「そっか、あなたはよそ者だからカノンの伝説を知らないのね」
「カノン? あの音楽のカノンですか?」
ロボットが不思議そうにするのを見て、ノアとタテガミは笑った。
「違うわよ。カノンってのはこの地上全てのことよ。その上で暮らす私達はカノンの民。あなたの言う、そのキメラとかってのじゃないわ」
「『この地上全て』ですか……」
この星に住む知能を持つ生物は、この大地を〝カノン〟と呼んでいた。いつ、誰がそう名づけたのかは知る由もなかったが、とにかく祖先を愛し慈しむのと同じようにそう呼び、そこに暮らす自らをカノンの民と呼んだ。
「そうさ。忘却の都〝ノア〟ってのは伝説で語りつがれてるんだ。カノンの民の祖先は、そのノアってとこからやって来て、カノンの各地に散らばったっていうお伽話さ」
「お伽話なんかじゃないわよ! ノアの都は絶対にどこかにあるはずよ!」
むきになるノアに、タテガミは笑い出した。
「まあ、もうすぐわかるよ! 随分前に伝説のノアを探しに村を出ていったノアの親父さんが帰ってくればさ」
ノアの家系は代々開拓者であり、冒険家でもあった。彼女のひいお爺さんは、数十人の仲間を引き連れ、この森の傍らに村を興した。現在の長老と呼ばれる人物は、彼女のお爺さんにあたる。長老も若い頃は冒険家で、伝説のノアの都を探し求めてこの世界を旅して回っていた。現在その夢は、息子、つまりノアの父に委ねられ、彼女の父は何年も前から伝説の〝ノアの都〟を探して家を出ている。
茶化すタテガミに、口を尖らせるノア――そんな二人にロボットが言った。
「あなた達の話を聞いて理解しました。どうやら私はあなた達の言う〝ノアの都〟の場所を知っていて、私の見立て通りあなた達は、〝マザーアマル〟によって生まれた〝キメラ計画の子孫〟のようです」
「ええ⁉ 〝ノア〟の場所を知ってるの? それにマザーアマルって、さっきあなたの監督者だって言わなかった? その人が私達を産んだって言うの?」
伝説の〝ノア〟の場所を知っている? 自分達を産んだ祖先が生きている?
二人の常識をひっくり返すようなことを、さも当たり前のように話すロボットに、二人は夢中になった。タテガミの鬣が、抑えられない興奮を示すように逆立って、顔の輪郭が一周りも大きくなっている。
「おい! ノア! これが全部本当だったらものすごいことだぞ?」
「ねえ! あなたの来た伝説のノアはここから遠いのかしら。伝説通り、ノアは言葉では表現できないほどきらびやかな都なの? 私達を産んだマザーアマルってどんな人? 私のように髪は縮れて黒色かしら、それともタテガミのような顔かしら」
ノアは目を輝かせながら、取りとめなく質問をしていく。
「ああ! やっぱり言わないで! 自分の目で確かめたいもの!」
ロボットはおかしいとでも言いたげに、目をチカチカと交互に光らせると頭を揺らした。
「ハハハ。ノアさんは、忙しい人ですね」
一人盛りあがっているノアに水を差すように、タテガミは言った。
「おい、まさか行くつもりじゃないだろうな? 長老が絶対許してくれないぞ!」
「そんなことないよ。それより、ねえ、さっきあなたが話してた音楽のカノンって一体どんなものなの?」
ノア達にとって音楽とは、儀式や狩りのときに大人が鳴らすドーンドーンと空に響く威厳のある音だったり、村人が亡くなったときに森で流す静かな音のつながりだ。
旅人がたまに見たこともない楽器を持っていると、ノアはいつもこっそりお願いして聴かせてもらった。ノアには興味があった。
ロボットは昔の記憶を思い出していた。カノンを再生するのは本当に久しぶりだ。
「ミュージック、カノン、再生」
美しい旋律がロボットの口から流れ始める。優しい日差しの当たる緩やかな坂道をゆっくりと登っていく……。
心の中は穏やかな静けさに包まれていても、内側に秘めた期待感にも似たエネルギーは今にも器から溢れ出しそうだ。ゆるやかな坂道を登った先には、眼下に広がる真っ青な海と真上には雲一つない青空。弧を描きながら舞い落ちていく花びらと、弧を描きながら舞いあがっていく綿毛。舞いおりているのか? 舞いあがっているのか?
説明のつかない感覚に包まれていく……。様々な色を持った光……十二色の光のかけらが互いに絡まり合い、一つの道筋へと流れていった……。
気がつくと二人はロボットを担いだまま、ぼんやり立ちつくしていた。
二人の目からは涙が流れていた。
「〝カノン〟は、マザーアマルの部屋でいつも流れていた音楽。彼女のお気に入りです」
音楽が鳴りやんでも二人は動けなかった。初めて聴いたはずなのに、ずっとこの音楽を知っていたような気がする。とても懐かしく、そして色あせることなく脈々と自分の中で流れ続ける……そんな感覚に二人は捉われていた。
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