黄泉道反・後編(参)

 


 

「わたしがひとりの術師として三狭山の特異点を封じたとき、彼女は既に千の年を過ごした魔人として名が知られていたよ」


 臨時休業の札を下げたカレーショップ「しばた」の店内。

 温かい茶を湯呑み一杯分口にして、村上光司朗はそんな昔話を始めた。


「千寿の御子。彼女は特異点を封じることによりわたしの身に起こる変異について警告した。それが経験に基づくものだと知ったのは……この身が魔人と化した後だったよ」


 膝の上には幼子のように抱きついたまま眠る妻深雪の姿。

 光司朗の話を聞いているのは屋島英美をはじめとする三課職員と娘である村上小雪。文彦が健在であるという光司朗の言葉を信じたいものの確証を持てずにいる彼女達に、彼は唐突も言える昔語りを始めたのである。


「先の戦争で疎開先として犬上の地が拓かれるまでの数百年の間、わたしと彼女は霊脈鎮守の主として交代で此処に留まり遺跡を管理した。とはいっても霊脈の制御は三狭山の遺跡に奉じた神剣が行っていたのだが」

「神剣?」驚く英美「こちらの調査では霊槍、比良坂道標逆鉾こそ因素の武具であり三叉山の霊力を制御したものだと」


 資料担当の職員が慌てて手持ちの端末を操作し、関係者へ指示を飛ばそうとする。

 もしも神楽聖士の持つ法具が三狭山制御の要でなければ、文彦の仕掛けも犠牲も無駄だったということになる。その焦りを理解した光司朗は咳払いを一つ、彼らの動揺を抑えるべく話を続けた。


「霊槍と精剣を総じて神剣と呼んでいる。わたしが所有し村上一族に預けた逆鉾も、もちろん三狭山の霊脈を制御するための道具だ。だが三狭山の封印を施した術師が二名いたように、法具も二つある。黄泉道反の名を冠する因素の精剣は逆鉾に拮抗し、霊脈の流れを管理する」


 光司朗としては彼らを安心させたかったに違いない。しかし結果として彼らの関心は千寿の御子なる女魔人と、彼女が持つとされるもう一つの法具に向けられる形となった。国内の術師組織に関しては相当の情報網を構築しているとの自負があった三課が掴めなかった存在である、場合によっては彼女とも戦わねばなるまい。


「千寿の御子は、今どこに」

「中学校で息子をからかって遊んでいたところまでは覚えているよ。今もそうじゃないのかね」


 光司朗はあっさりと答え、英美は凍りつき、事情を知らないパトリシアは文彦の経歴書類に目を通し、小雪は目を丸くした。


「千の年を生きたということは、千の秋を過ごしたということ。その長い人生で構築した人脈を駆使すれば、できて十年そこらの組織の目を欺くことも不可能ではないだろう」

(まして素養はあれど覚醒を果たしていなかった思春期の文彦に、あの年増の演技は見破れないだろうさ)


 わが息子ながら不憫な奴。

 とは思うものの、決して口に出すことはしない光司朗である。

 



◇◇◇




 笠間千秋という少女が死んだ時、村上文彦は術師としてあまりに未熟だった。技術も経験も。


 魔人である父・光司朗が神楽によって封印された。

 北の特異点都市に放り込まれ術師としての異能に覚醒しても、その技術と経験が実戦で通用するまでに半年以上の時間を必要とした。旧世紀末期に大量発生した覚醒型の即席術師達に比べればきちんとした修業を受けているが、術師として生きていくには何もかも足りない環境で文彦は生きることを余儀なくされた。

 母は勿論、魔人の血をひく妹を討とうとする同業者もいた。

 家族を護るため父の眷属と契約し、力の大半を母に押し付けた。師匠筋に当たる者は仙骨すら譲渡す気かと呆れたほどで、犬上の街に戻った直後は一般人で通用するほどまで弱体化し。

 笠間千秋の死を目撃した。

 仕組まれたと言われれば否定できないような事故だった。

 だから文彦の存在に目をつけた組織が千秋の死を警告として提示した時、たとえそれがハッタリにすぎなかったとしても文彦は戯言と聞き流すことができなかった。


(術師として生きていくということは、そういうことなんだ。当時のおれはそうやって自分を誤魔化した)


 術師の力を求める者は、術師の周囲を巻き込むことも辞さない。中には魔人の血肉が不死の妙薬と考えて襲ってくるものもいる。そういった連中が手段を選ばないことも知っている。かつて文彦が桐山沙穂に対して距離を置こうとしていたのも、そういう意味がある。

 自分の油断が、心得違いが初恋の少女を殺したのだと。

 が。


「それは悪いことしたわね、うん」


 牛乳パンを頬張りつつ、千秋はしみじみ頷いた。他人事のように。

 三叉山で投げ捨てたはずの文彦の携帯端末と一緒にコンビニのカツサンドとコーヒー牛乳を押し付ける。いい仕事したわとさわやかな笑顔さえ浮かべている。

 死を偽装した当人なのに開き直りですらない。レトロ包装の牛乳パンをもっちゃもっちゃと頬張る姿は中学時代と全く変わらない。なのに完璧に制御し表には出さないものの文彦に相当する量の魔力、そして妖気としか形容できない力。父である光司朗に匹敵するどころか、圧倒するほどの質と量。

 魔人。

 単なる異形ではない。

 認めざるを得ない。石杜で出会った連中よりも、ひょっとしたら勝るのではないかと思う程濃密な気配。素養のない人間でも気付けるほどのそれを、彼女は今は隠そうともしない。

 見てくれは可愛らしい女子中学生のまま。

 それを見つめる文彦の貌はさながら宇宙猫の如く。


「よし、後でしゃぶったげるから許して」


 魚肉ソーセージのビニールを剥がしながら、にひひと笑う千秋。

 とても可愛い。

 魔人にあるまじき気安さである。


「ジョークよ、ジョーク。千秋さんは安くないからね。知ってるでしょ、文彦なら――あー、うん」


 文彦は沈黙している。

 千秋に背を向け、膝を抱えてうずくまっている。ひょっとしたら泣いているのかもしれない、そういえば肩が小刻みに震えている。


「まさか特殊なプレイとか、お好みですかあ?」


 反応はない。


「あー、あー、あー」


 思案の後に何かに気付いたのだろう、千秋は僅かに頬を赤らめ手を叩く。


「そっかー文彦ってば男に目覚めちゃったかあ。あっはっはっは、まいったなー。多様性社会ってやつかあ。でも同じ穴なら女にもついてるわけだし、きっと大」


 丈夫。

 そう続けるべき言葉は、振り返った文彦の恨めしげな視線に止められた。千秋としては半ば本気だったのだが、引きつった笑顔で「あは、ジョークよジョーク」と済ませるに留まった。

 千秋は文彦と背中合わせに腰を下ろし、会話を止めた。食べかけの牛乳パンを胃に流し込み、イチゴ牛乳で咽を潤す。そういう味の嗜好だったと思い出しながら、この魔人の少女が紛れもなく自分にとって初恋の相手なのだと文彦は認めざるを得なかった。


 永いのか短いのか分からない時間、二人は言葉も交わさず背と背を重ねたまま床に座っていた。


「聞きたいことは山のようにある。あった。あったと思う」


 辛うじて文彦の口から出たのは、それだった。


「あたしもね、言っとく事がたくさんあるんだ」


 千秋も、外見からは想像できないほどの大人びた声で返した。

 自分が千数百年を生きた魔人であること。何度も何度も自分の死を演出しては新しい人生を送ろうとしていること。綺麗な生き方だけではない。欲にも呑まれた。モノのように獣のように扱われたこともあった。幸せな事もあった。忌まわしいこともあった。それらを文彦に伝えようとして、それが何の意味も持たないのだと分かっていて、彼女は結局沈黙を選んだ。

 文彦を笑えぬ臆病さだった。

 自分は文彦の前で「死」を演出し、消えた。今ここで現れ文彦を助けたのも、恋愛感情のためではない。妥協と使命が混じった複雑な事情の産物に過ぎない。

 言葉を交わさずとも伝わるものがある。

 少なくとも笠間千秋と村上文彦はそういう仲であった。そうして文彦の動揺が鎮まり意識の濁りが消え、仕切り直すように口を開いた。


「おれは神楽の持っていた逆鉾の力に捕らえられて、訳わかんねえ空間で虚無に還ろうとしていた。だけど、どういう訳かそこを離脱してここに来た」


 疑問への回答は言葉ではなかった。


 凛。


 空間が軋む。収束する魔力特有の音と共に文彦の前に現れたのは、一振りの両刃剣。逆鉾と同じ材質の、古式の刀剣だ。儀礼用とも見えるのは、刀身に掘り込まれた精緻な紋様と、刀身から鍔そして柄に至るまで一つの地金より削り出したと思しき造りのためである。


「あげる。それ、精剣・黄泉道反っていうんだけど」


 千秋の言葉と共に剣は文彦の手に納まり、同時に身体に押しとどめられていた文彦の魔力が、際限なく増幅されながら堰を切ったように周囲に解き放たれた。遠く雷鳴にも似た地響きが聞こえてくる。復活した感知能力が、音の発生源が三叉山周辺と教えてくれた。


「霊槍たる比良坂道標と対をなし、三狭山の霊脈を司っていた因素の武具よ。逆鉾は光司朗が管理し、剣はあたしが預かった」


 あんたの親父とは何百年前も前からの付き合いでねと、バツが悪そうに呟く千秋。いや肉体関係とかは一切ないんだけど、本当にプラトニックですらないビジネス的なやつぅと弱弱しく否定を重ねるあたりが怪しいが。


「笠間が作ったのか、これ?」

「むぅりぃ~。因素の加工とか仙界だって必死にやってたけど製法が判明した途端に禁忌指定されたって聞いてるわ」


 千秋の言葉に嘘はないことを文彦は知っている。

 因素。

 緑青色のそれは厳密には金属ですらなく、基本的に不壊。熱で融けることもなく、他の物質と反応することもない。魔力に反応し、増幅と絶縁という矛盾めいた力を発揮する。何者かが作った武具法具が極稀に術師界隈に流出すると言われているが、神楽の持っていた逆鉾や手にある直剣ほどの代物は文彦でも滅多に見ないもの。だからこそ文彦は直剣を手放した。床に落ちると思いきや剣は宙に浮いたまま文彦の傍を離れようとしない。


「剣と鉾は対をなし同時に相反する代物。剣に選ばれた者はいかなる様であろうと死より解き放たれる。もっとも文彦は自力で生還したから、異空間から呼び寄せついでに逆鉾からの干渉を断ち切るくらいしか役立たなかったけど」

「いや十分だって。まっとうな手段ではあの野郎に対抗するの難しかったから、真正面から潰せる」


 因素の武具は術師の天敵だ。

 まさか本土に現存する品が残っていたことに文彦は驚きを通り越して感心すらしていた。しかしただ倒すだけならば不可能ではない。それに対処できる者が既に動いていることも察知している。先刻より思念伝達で小学生並みの煽りメッセージが関係者多数より文彦に届いており、暇を持て余した超越者達による神楽一派への容赦ない仕打ちの数々が明らかとなっていた。


 なにこれひどい。


 思わず顔をしかめてしまうレベルのものばかりだ。

 桐山沙穂の転移罠に干渉し、三叉山に踏み込んだ戦闘員や車輛を水深百メートル以下に転送。魔界屈指の女剣客が何故かフリーランスの術師という体で屋島英美の護衛に就いている。綾代家は華門どころか五大衆まで駆り出しているし、首都圏は北の石杜よりやってきた物好き共が大暴れの真っ最中。一課と二課の代表から懇願と抗議の連絡まで様々なものを経由して文彦に届いており、これは虚空より回収した携帯端末に溢れていた。三叉山で神楽と対峙した際の会話と映像は各所に滞りなく中継されたためか、関係諸国の主に国防関係の偉い人達が頭を抱えている。


 直剣の影響なのか、大河の如き霊脈の奔流を身近に感じる。

 金剛杵を遺跡の要に突き立てているので機能停止しているが、直剣を経由していつでも再起動できそうだ。そして恐ろしいことに霊脈の制御器というのは、この直剣にとっては副次的な機能らしい。千秋が言っていた能力も含めて。

 

「これ、地上にあったら確実にまずい奴だ」

「使い手次第よ」あっさりと、千秋「だから使いこなせる相手を待ってた訳よ、二代目影法師さん」


 にししと笑う千秋。

 中学生の頃、キワモノと評判の新作スイーツをコンビニで買ってきた彼女の顔を文彦はふと思い出した。マサラましまし豆乳紅茶プリンというギリギリで美味しいかもしれないが迂闊に手を出したくないそれを、千秋はものすごい笑顔で文彦に押し付けたのだ。一般受けしそうにないけど文彦の好みに合ってたそれと、己の周囲に漂い必死に有能アピールしてくる精剣黄泉道反の姿が重なって見えるのは果たして文彦の錯覚なのか。


「今度は逃げないし隠れもしないから、待ってる。千秋さんイイ女だけどヤキモチ焼きだから。今付き合ってる娘がいるならその子が寿命迎えるくらいまでは余裕で待てちゃうアピールもするけど、ヤキモチは焼くぜえ」

「それはヤキモチとかそういう可愛い表現で済ませられるモノなのか?」

「さあ」


 会話はそれで終了、とばかりに文彦の傍らに浮く直剣が輝き始める。

 対となる武具、逆鉾の場所を探り当てたのかそこを目指すのだなと文彦は剣の柄を握る。霊脈の力を用いた空間跳躍なので座標把握や転移術の起動に魔力を消費せずに済むのは、運用できる魔力量に限度のある一般の術師ならば有難い機能である。元より莫大な魔力を有し複数の術系統で転移術を修めている文彦にとっては選択肢が一つ増えた程度の話に過ぎないが。


「ところで文彦、ひとつ言っておくことがあるの」

「?」

「吹き飛んだあんたの身体が再生して、下半身も新品になったじゃない。つまり」

「つまり?」

「二度目の童貞、御馳走様でしたっ!」


 テヘペロと千秋は謎の勝利宣言と共に拳を天に突き上げ。

 呆気にとられた文彦はそのまま虚空に消えてしまった。

 

   


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