黄泉道反・後編(弐)




 息子が行方不明になったと聞かされても村上深雪は動揺を面に出さなかった。

 

 現在では半ば縁を切っているとはいえ、魔術師の名家である村上の一族として生を受け最低限ではあるが素養ある者として術式を学んだ。

 彼女は術師としては凡庸で、才能も野心もなかった。最低限身を守るだけの技術は修めていたが、それを生業とする意思は無かった。そういう「落ちこぼれ」は少なくないし、術師が人間社会と乖離しないための繋役として軽んじられることはない。

 犬上の街は、そういう術師崩れが一般人の真似事をしてもボロが出にくい場所として知られていた。

 関東一帯の大都市圏だと中学二年生的万能感と妄想に支配された人たちが常時世紀末マインドで異能力バトルを吹っ掛けてくるので、安穏とした生活は望めないのだ。学生ならまだしも社会人でそれは非常に辛い。学生でも御断り案件なのだけれど。


 義務教育を終えた深雪は本家からの戦力外通告を受け取ると犬上市へと移り住んだ。進学するか就職するかで悩む間もなく魔人に出会い、口説かれ、ショットガンマリッジを敢行する未来は全く想像できなかったが。

 夫である光司朗が魔人と呼ばれる存在なのは最初から知っていた。

 村上の一族は過去にも人外の嫁を貰ったり婿を迎えている血筋なので、然程の拒絶感は無かった。イケメンなのにロリコンとは残念な魔人という思いもあったが、互いに一目惚れに近かったので己も年上趣味きわまったかと自嘲しながら求婚を受け入れた。


 最初に生まれた子供が、割ととんでもなかった。

 夫に似たと言えばそれまでだが、その夫をしてドン引きさせたのだから大した息子である。

 三叉山遺跡の管理者から「こいつ次代ね」と即座に指名される程の息子の存在を隠し通せる道理など無く、神楽聖士という厄物を引き寄せた。本家でも半ばゴキブリ扱いされるような妖物で、見た目だけならば光のイケメンというのが始末に悪い。

 夫は神楽に封印され、息子は北の特異点都市に修業という名目での追放。事実上の処刑だったが、なんとかして生かして返すという屋島査察官の言葉通り……いや、少しばかり斜め上に超進化した形で息子は還ってきた。神楽すら真正面からの戦闘を避けるような「二代目」影法師として。


 アレは、理由がなくなれば人間社会を捨てられる子だ。

 深雪は文彦の内にある絶望を少しだけ理解できる。魔人の血が目覚めた息子は人間よりも遥かに永い時間を過ごすことになる。自分はもちろん、娘である小雪も息子ほどは長生きできないだろう。

 押しかけ弟子のベルという少女や同級生の桐山という少女もまた。それが人という生き物なのだから仕方ないと言えばそれまでだけど。望んでもいないのに輪廻の外側に立っている文彦は、本当の意味で神楽とは分かり合えないだろう。

 

 今回の騒動が収拾した後、文彦は家族の元に帰ってこないかもしれない。

 深雪は漠然とそう考える。

 アレは家族への執着が薄い訳ではない。父である光司朗の奪還を諦めていないから三課という組織に協力しているだけだ。必要と考えたら家どころか国や世界すら切り捨てて何処かに旅立つ危うさがある。妹の小雪は文彦と違い人間の要素が強く、小雪がいれば自分は不要だと考えているところもある。


(御伽噺に出てくる仙人のような気質は、光司朗さんによく似たのかもしれない)


 もはや鏡の中にしか面影を見出せない良人に想いを馳せようとし、店のドアが開く音で我に返ろうとして硬直した。

 今の深雪と同じ背丈。

 着ている服こそ違うが手足の造作や面立ちなど細部に至るまで良く似た青年が、疲労の跡こそ隠せないものの柔らかく穏やかな眼差しを深雪に向けている。

 店内にいた他の客――フリーランスの術師や深雪の熱狂的ファンの女性客が椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、現れた青年と深雪を交互に見て絶句し、


「……ダー、リン?」

「ただいま、ハニー」


 二人の最初の会話をうっかり聞いてしまった小雪は抱えていたトレーを無意識に床へと叩きつけてしまった。

 幼い頃に失踪した父と、それから女手一つで家族を支えてくれた母。

 一卵性双生児にしか見えないイケメン二人が熱く熱く抱擁している。

 片方が、おそらくは母である深雪はメスの貌で。

 女性客たちが黄色い悲鳴をあげながら携帯端末のカメラで幾度も幾度も撮影のボタンを押し、電子的なシャッター音が店内に鳴り響く。誰も止めない。女性客の半数以上が鼻血を噴きながら撮影ボタンを連打する姿を止められる者はいないのだ。


 そろそろ客から見物料を徴収すべきでは、と小雪が考え始めた頃。


 抱擁していたイケメンの片割れ、つまり深雪の全身に亀裂が生まれた。鏡が砕けるように、安っぽい立体映像のテクスチャが解けるように、卵の殻が割れるように深雪の体表が砕け散り。


 凛。


 そこにはイケメンにしがみついて泣きながら頭をぐりぐりと押し付けている小柄な女の子の姿があった。

 小雪とよく似た面影の、いささか目つきが険しいものの幼さを残す面立ちである。実年齢三十歳越えとはいえ通報待ったなしの絵面だった。


 なるほど野心はあったかもしれないが神楽がこの男を逮捕封印した判断は間違っていなかったのかもしれない、という言葉を何とか呑み込んで三課職員達は夫婦の再会を沈黙という形で祝福することにした。


(おかーさんがオトコマエだったのは、コレのせいなのね)


 両親の感動的()な再会を冷ややかな目で見ていた小雪が、母の身体を包んでいたモノの残骸を爪先で軽く蹴りながら感心する。

 生物どころか物質なのかも怪しいソレは、母の身体より分離すると少しずつ集まって一つの形に戻ろうとしている。父親らしきイケメンと抱き合っている推定母親からは、今まで感じたオーラというか圧倒的な雄性が消えている。


「……兄さん?」

「家族を護るために己の半身を分け与えていたんだね、文彦」


 イケメンの言葉に、形を取り戻したソレ――文彦によく似た姿のソレは姿を消した。


「成仏したのかしら、兄さん」

「本体に戻ったんじゃないかなあ」


 どこまでもドライな小雪の感想に、文彦の生存を確信しつつも思春期女子の難しさを痛感する光司朗であった。





◇◇◇ 





 意識と共に視覚が回復した。

 痛みはないが両手両足が動かないので視線を動かせば両手両足が消えていた。

 正確に言えば、彼の身体で人間と判別できるものは頭部と上半身の一部だった。その状態で彼は生きていた。


(死人の方が幾分マシかね)


 心臓が動いている気配もない。

 いいや、そもそも心臓が存在しない。血液も流れず、肺も膨らまない。できの悪いスプラッタムービーでもお目にかかれないような、そういうシチュエーションである。常人ならば正気を失っている。ひょっとしたら自分も正気を失っているのかもしれないが、訓練を重ね実戦経験を積んだ術師である文彦の精神は、これに耐えていた。

 自分はどういうわけか生きている。それを生と呼んでいいのか疑問ではあるが、死んでいるという実感もない。術師として行動する度に鬱陶しく現れる死神の気配もない。結印も詠唱もできないが、それで魔術が封じられたわけではない。


(こんな状態で騎乗位なんで無意味だよな)


 文彦は苦笑する余裕さえあった。

 一度だけ意識を取り戻した時、少女はそんな冗談を口にした。視覚は回復せず言葉も断片的にしか聞こえなかったが、覚えのある声だった。


(覚えがある、どころの話じゃねえ)


 忘れてはいけない声と気配だった。

 驚きと腹立たしさ、それ以上に自分自身の間抜けさ無力さへの怒りがこみ上げてくる。

 死にかけのまま倒れていることなど許容できるはずもない。魔人として、術師として。

 死んだことは幾度もある。肉体が消滅したことも一度や二度ではない。神楽により送り込まれた北の大地、特異点都市石杜での日々を思い出す。きっと学園の連中は今の文彦の有様を知れば笑い転げるだろうし、既に笑っているかもしれない。政府の封鎖を突破して煽り散らしに来そうな奴も多分いる。


 たかが因素武具を相手に完封されたとか、貴方ひょっとしてニセ村上君ですか?


 とか真顔で詰問しそうな奴にも心当たりがある。

 学園上層部あたり全員該当するが。再現映像を肴に三日くらい弄り倒される自信もある。しばらく北には行きたくない。父親を救出するためとはいえ、おそらく綾代の一族にも借りを作ってしまった。

 ああ面倒くさい。

 魔力の放出が上手くいかないのか周辺の状況を探査できない。何らかの建物、おそらく建築途中で廃棄されたビルの一室ではないかと思われる剥き出しのコンクリート壁や錆びた配管の露出した天井を見上げて察することができるが、此処が犬上の市街地どころか日本であるという確証も持てない。影使いとしての能力は封じられたままと考えていい。

 ボヤきと共に吐き出した言霊を触媒とし、虚空より符を呼ぶ。

 影使いの術式ではない。

 森羅万象の理に基づいた、おそろしく原始的な仙術だ。異形や妖魔を討つために細分特化した一般術師達の技術体系では切り捨てられている、無駄が多いが故に拡張性が高く術師の力量が大きく反映されるモノ。本来は霊薬や地脈の力を借りて行使すべき秘術が、一枚の符で再現されているのだから、万が一にも三課職員に見つかった日には三叉山遺跡とは無関係に騒動を招き寄せるだろう。

 だがそれは今ではない。

 未来にしわ寄せが確実に来ることを分かった上で、文彦は呪符を起動させた。


「術式起動、五行創鍛法」


 凛。


 呪符が光の粒子になって消え、それに併せて文彦の身体が再生する。いや再生というよりは、3Dプリンタのように欠損した部位が少しずつ出力されていく。高度な再生魔法や文彦が得意とする影を用いた修復術に比べれば鈍重とすら言えるが、ものの十秒で元通りになるのだから尋常な業ではない。一般的な治療魔法では身体欠損の修復は難しいし、肉体再生ともなれば本来なら全身の癌化を引き起こすリスクもある。骨や神経どころか内臓に主だった体液もまとめて作り出すなど術師としても非常識の領域であり、三課にも明かされていない技術だ。


 体外への魔力放出は未だ成されず。


 身体を動かし、体内に循環し始める魔力に問題がないことを再確認。あくまで身体の外への魔力干渉が難しいのであって、仙術や法力の類が封じられている訳ではない。さりとて地上で迂闊に仙術など多用すれば大騒ぎになることは必定。特に人間至上主義を抱える連中にとって、仙術とは人の身で不老不死へと至る技術体系の手掛かりでもある。神楽が追い求めて結局得られず、外法に手を出し三叉山遺跡を奪取せんと決起するに至った挫折こそが仙術の存在なのだ。


 現在、地上に仙界の者はいない。

 森羅万象より力を得て永劫の生を過ごす彼らにとって、瘴気や負の想念が一定量ある地上で過ごすとそれらを身体に吸収蓄積してしまい濃縮した悪意に呑み込まれてしまうのだ。魔堕ちするならばマシな方で、欲求と衝動に支配された永久機関と化して世界を呑み込みかねない。魔人の子として生を受け影使いとして負の想念をも力の根源として扱える文彦とて、地上での長時間の仙術行使は大きな負担となる。故に五行創鍛の呪符は文字通り切り札の一つだった。


(魔力は相変わらず外に使えねえ。ここがそういう土地か、誰かがおれの魔力を封じ込めているのか)


 敵対する術師の力を封じるのは、基本戦略の一つだ。

 非術師ならばシンプルに魔力を阻害する工夫をするが、術師同士となると相性や力量差の問題もある。少なくとも犬上市に戻って以降こうまで完封されたことなど記憶にない。

 だとすれば、厄介なことだ。

 文彦が知る限り「彼女」にそんな真似ができたなど聞いたことはない。それどころか「彼女」がここにいる理由がない。


「あーもう訳わかんねえ」

「ならば説明せねばなるまいっ」


 馬鹿馬鹿しいほど明るく投げやりな少女の声が文彦の後頭部に突き刺さった。

 文彦は反応しない。できない。

 これまでの事を考えたり、術師として能力に覚醒する前の己の迂闊さを呪ったり、これからどんな顔で振り向けばいいのか途方に暮れていたり。葛藤と言えば聞こえはいいが、普段の彼を知るものが見れば驚くほどに文彦は狼狽えていた。笑えるほどに。


「……ねー、こういう時はさあ。どうでもいいからリアクションかましてくれないと困るのよ、せっかく明るくネタふりしていたんだし。旧交あたためよーぜえ」


 文彦の態度を怒りによるものと誤解したのか、やや不貞腐れた口調と共に少女は姿を見せた。

 ベル・七枝が通っている青蘭女子中等部の制服に袖を通しており、艶のある黒髪をボブカットに整えている。どこかのコンビニで買ってきたのだろう、調理パンや飲み物の入った袋を手に少女は小走りに駆け寄り、ぐるりと文彦の周囲を仔犬のように駆けた後で背中を叩く。


「おっす、文彦」

「……笠間」

「いまは佐久間って名乗ってるの。やー、これでも社会生活送るのに気を遣っててね」


 かつて文彦の想い人だった少女――かつて笠間千秋と名乗っていた彼女は、妖気を一切隠すことなく心底楽しそうに再会を喜んでいた。それが文彦の情緒を最も強く破壊する行為だと知り尽くした上で。

 

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