第二十話 黄泉道反・後編

黄泉道反・後編(壱)




 

 その術師は後悔していた。


 三課創設のひとりである神楽聖士が唱える人類至上主義は、彼にとっては胡散臭く何の魅力も感じられない主張だった。

 なるほど異形や魔と呼ばれるものは人類の天敵という側面もあるが、人に歩み寄り共生しようとする者も少なからずいる。なにより三課が設立する以前、数少ない人間の術師に魔術の手ほどきをし法具と呼ばれる魔術道具の製法を授けた者がいかなる存在なのか。術師として生きていれば直ぐにわかる事である。

 その術師が神楽の誘いに従ったのは、利害関係の一致というよりも仕えている家の都合であった。


 現実を知らぬ非術師でありコスト削減で出世したという男を迎えて経営を立て直したという主家は、現場に意見を求める前に神楽の提案に飛びついた。

 異形を封じたメダルを身体に埋め込むという外法こそ必死の説得で思いとどまらせたものの、犬上市を封鎖し三叉山の霊力をもって不老不死の肉体を手に入れると聞かされた時には正気を疑った。霊脈を一介の人間が制御できるなど信じられないし、莫大な量の霊気に晒されれば運がよくても魔人に成り果てる。確かにそれで疑似的な不死の身を得られるだろうが、術師の素養もなく魔人となれば生存欲求のみに衝き動かされるバケモノと化す。


 幾度の説得も意味を持たず、まっとうな術師連中に伝えたところ縁切りを承知で任務を拒否した。この術師とて主家への恩義があればこそ、これが最後の奉公という認識で同行している。


「どういうことだ、三課は我々の味方ではなかったのか」

「味方なのは神楽とその信奉者ですよ御屋形様」


 屋島英美査察官により三課上層部が「処分」されたと知り、主家の者は今になって自分の選択肢がどういう意味を持つのか気付き始めたようだ。

 なるほど神楽聖士は一廉の武人であり魔術にも通じている。百余年を生きてなお二十未満に見える姿は、永劫の命や不滅の美貌に憧れる金満家共を惑わせるに足る説得力があったのだろう。そして彼が一部の政財界関係者に施した外法は、国内のみならず海外の欲深い者達を強く惹きつけた。今回犬上の街を封鎖し三叉山を襲撃した人材機材は、そこから派遣されたという。


「人間という枠組みでならば神楽聖士は最強格の一人です」

「人間、では?」


 次々と入ってくる、不利を通り越して絶望的な情報。もはや逃げることすら叶わぬと察した主家の者が、初めて知ったとでも言わんばかりの表情で術師の男に掴みかかる。


「人間以外の術師がいるというのか。バケモノがこの国を守ってきたとでもいうのか!」

「この国の象徴とて始まりまで辿れば神様でしょうし、狐だって鶴だって雪女だって恩ある相手に嫁いで子を残す民話は其処彼処にあるでしょう。社に祀られ神と成ったのは人に限らない」


 与太話と思ってましたかと、表情も変えずにいる術師。掴まれた手を振りほどくこともしない。

 神楽が三課で権力を固めていくにつれて混じりモノたちは組織を離れ、フリーの術師として活動するようになった。人外の血は物騒な衝動を抱え込みがちだが、霊力に満ちた特異点都市である犬上市であればごく普通のヒトとして生きていくことが出来る。

 そんな場所に神楽は攻め込んだのだ。

 三叉山遺跡を手に入れ莫大な霊力をものにするという事は、それら市井の異能者達が牙を剥くことになる。神楽の企みが成功しても、失敗しても。


「神楽は影法師のみを倒してしまえば残るは有象無象と考えていたかもしれませんがね」


 名家と呼ばれる集団もまた、その血脈に様々な存在を受け入れてきた。神楽の主張が全て罷り通るのであれば、国内に活動する名家のほとんどが排除ないし討伐対象となるだろう。

 そんな事になれば三課がいかに連合国軍の組織であろうと、国内外の名家や魔術組織を敵に廻すことになる。神楽もこれまでは直接の対立を避けていた筈だ。


 それが何らかの後ろ盾を得たのか今回の事態を引き起こした。

 電撃的に三叉山を攻略し遺跡の力を我が物にしていたら、あるいは神楽の思い描く形で決着していたかもしれない。しかし現実として三課本部は既に屋島英美査察官によって押さえ込まれ、神楽の企みの半分以上が潰されている。三課そのものが機能停止に陥ったとしても、事実上の上部組織である一課と二課――異形ではなく人間の術師や能力者を取り締まり管理する組織が動き出すことは必至である。


「結果論ですが、神楽の甘言に惑わされた時点でこの結末は予想できていました。ですが我らは後方に待機し、一発の弾丸も放たず誰も傷つけず控えています。屋島査察官へ弁明が通れば生命だけは助かる可能性が僅かにあるかもしれません」

「その通りだね」


 闇の中から、声。

 振り返る間もなく、麻の黒衣に身を包んだ若者が術師の前に現れる。蓮の華の紋章を黒衣に見出した術師は、若者が何者かを理解した。

 華門。

 魂を喰らうものとも呼ばれる人外の存在。

 彼が現れた途端、一切の術も異能も封じ込められている。逃走も自決もできない。黒衣の若者の背後に五つの仮面が浮かび上がる。

 獣を模した、異形の面であった。術師として業界に身を置くものならば見間違えようもない、

 


「綾代の家が動いたようです。御屋形様、残念ですが我らは此処で仕舞いです」


 返事は無い。

 主家の者は意識を失い崩れ落ち、術師は彼が頭を打たないよう支えてから静かに地面に寝かせた。

 武装を解除する。

 元より戦う意思は無かったが最低限自衛のためにと用意していたものを投げ捨て、神楽聖士の破滅を確信した。


 


◇◇◇




 村上文彦が虚無に飲み込まれ姿を消してから二日目の朝を迎えていた。

 

 犬上市内は相変わらず封鎖されていたが、それを行っているのは神楽一派ではなく三課関係者であり、緊急車輌が市内中を走り回っている。警察消防に加えて市役所などの施設が襲撃により破壊されているものの市民に犠牲者はいない。

 三叉山を中心に市内に展開した異形ハヤテによる風の結界は銃火器と内燃機関を無力化したが、今はその結界も消えている。


「市街地での戦闘はほぼ終了。非術師の戦闘員は無力化もしくは投降済みです。一課と二課からの応援部隊が拘束した者達を監視しています」


 警官の一人――神楽を嫌厭して組織を離れた無所属の術師が、三課犬上支局を暫定的にまとめているパトリシア・マッケインに報告する。魔術や異能力を行使するテロリストへの対処など普通の警察組織には不可能で、本来は一課と二課が対応すべき事案だった。


「一課と二課は屋島査察官の指揮下で三叉山一帯を封鎖する結界の構築に動いています」


 パトリシアの背後で作業していた三課職員が、彼女の思考を読んだのか釘をさす。

 本来彼女は技術屋であり科学者である。魔術研究のために特異点都市へと転属希望し、犬上支局へとやってきた。技術屋としてよりも中間管理職として振り回されている現状に思うところはあるけれど、犬上の街への愛着はあったし三叉山遺跡の解析は彼女のここ数年のテーマでもある。


「文彦が三叉山の霊脈を遮断して二日、遺跡が解放された気配はなし。神楽元査察官の動向はドーですか」

「フリーランスの皆さんが色々と鬱憤溜まってたみたいです」


 三課職員の返答に、パトリシア達は色々と察した。

 市内の秩序は回復しつつあり、警察機能の回復も近い。

 三課以外の名家やフリーランスの術師たちは滅多にない戦場であると想定以上の数が犬上市に入ろうとして、一課や二課が振り回されているという声もある。つまり以前からの住民として活動している術師や遊行的な異形らが自主的に神楽一派の残党を追跡しているという状況で、屋島査察官による三課上層部拘束の房用とも言えた。


 現状、国内の法で魔術犯罪を裁くことは難しい。

 そもそも魔術師や異形など人外の存在を大っぴらに認めていないし、科学的に魔術や異能を解析できるわけでもない。

 三課はそのための布石としての意味もあるのだが、術師たちの秩序を保っているのは古来からある名家や力ある異形達による自治によるところが大きい。その気になれば既存の国家など容易に滅ぼせるだけの力を有する者が人間社会の維持に協力的なのは、パトリシアには違和感を拭えないものの厚意に甘えるしかない状況だ。

 術師の咎人は、重い罰を受ける。

 ただし裁くのは国でも三課でもない。

 

 綾代の家が動いた以上、彼らの決定を覆す力を三課は持たない。三課以外でも、だが。


「未だ逃走中の神楽聖士は、再び三狭山を目指すのでしょうか」


 その問いを発したのは果たして誰だったのか。


「この地球上に逃げ場が無い以上、力を手に入れるしか生き残る術がないですもの」

「はあ」

「三狭山を囲む多重の防護結界展開について一課と二課に協力しマス。周辺住民の避難を予定通りに完了させて」


 神楽一人が暴れたところで被害はたかが知れている。

 しかし三叉山の遺跡を制御する鍵の一つ、比良坂道標逆鉾が彼の手にある以上、三叉山の地脈霊脈が再度解放される可能性はある。

 その場合、日本各地に封じた複数の特異点が同時に暴走すると彼女達は危惧している。


(もっとも三課上層部を制圧し初代の影法師が解放された以上、特異点の再封印はできるでしょう――どれだけの犠牲を要するのかは未知数ですが。それと神楽の手に因素の槍がある以上こちらの魔術も法具も通用しないでしょうが)


 その辺は文彦が帰還できればなんとかしてくれるだろう。

 数刻前に届いた屋島査察官の伝言も似たようなものだった。同僚として文彦がそう簡単には死なないと知っているし、たとえ死んだとしてもタダでは死なない性格と言うのを理解している。他の三課職員も同じ気持ちだ。



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