黄泉道反・中編(弐)

 

 


 その日、犬上市は静かだった。


 午前中に公的機関より発表された緊急警報、つまり凶暴な猛獣が数頭逃走したという情報が行き渡っていたからである。市役所などごく一部の公共機関を除いて市内は完全に封鎖され、害獣駆除にしては武装過剰な部隊が市内各所に展開する。


 市民の何割かは「猛獣とはなんだろう」と素直に脅え、

 別の何割かは無関心を装い、

 何割かは警報の裏にある真実に気付き、

 残りは行動に移した。


「これじゃあ商売あがったりなんだ、せめて出前くらい届けさせてくれよ」


 小料理屋に下宿している伊井田晋也は、使い慣れた岡持ちを手に文句をつけた。間違っても人間に向けてはいけない大口径の突撃銃を背負った男たちは、予想もしなかった晋也の抗議に困惑しつつもガイガーカウンターのようなものを近付ける。


「放出妖力ゼロ、完全な一般人です」


 一分ほど経ってから後方にいた隊員が声を出し、軍服の男たちは一様に胸を撫で下ろした。彼らはすぐさま敬礼の姿勢をとり、小型の軍用車輌が駆けつける。


「一般市民の御協力に感謝しております。皆さんには不自由を強いておりますが、全ては市民の生命健康を守るためであります」


 用意されたような台詞を通り一遍口にすると、お店まで御送りしますので御勘弁を、と別の一人が申し出る。仕方ねえと晋也は頷き、そのまま小料理屋に帰還した。

 車輌が完全に去ったのを確認して店に戻る。


「お疲れ」


 出迎えるのは小料理屋の女将ではなく、同級生の柄口鳴美だ。他にも数名の同級生が小料理屋のカウンターに座っている。


「どうだった?」

「北区の住宅街、特に大学に向かう道が重点的に封鎖されていたみたいだ」


 テーブルの一つに広げられた市内の地図に×印を何箇所か書き込みながら、晋也は証言する。


「駅や高速道路のインターも封鎖されてた。幹線道路もだ」


 仲森浩之が地図の端に書き込まれた×印を指す。


「でっかい車が何台も三狭山に向かって行ったわ」

「市役所じゃ職員ともめてたぜ」


 彼らは犬上北高校で補習を受けたり部活の早朝練習をしようとして、その途中で封鎖部隊によって追い返されていたのだ。そのまま帰宅しようとするも、今度は自宅への道が封鎖されていたため彼らは晋也の下宿先に飛び込んできた。

 そうして出来上がった市内の封鎖箇所の地図は、奇妙な情報を彼らにもたらした。


「猛獣ってのは電車を使ったり車に乗ったりするのか?」

「三狭山や犬上大の近辺にいるとも解釈できますがね」


 同級生たちが色々な意見をぶつけているが、晋也は封鎖部隊の対応に釈然としないものを感じていた。


(連中は俺にも疑いの目を向けていた。あのヘンな機械を使って初めて俺を一般人と認識していた)


 つまり、封鎖部隊が言う猛獣とは人間と区別の出来ない存在である。彼らは、人間と見た目が変わらぬであろうものに対して、あの銃器の引き金を引くのではないかと晋也は考えた。だとすれば到底許されるものではない。


(大学近くの住宅街が完全封鎖か、あそこには村上の家があったっけ)


 早い内に連絡した方が良いかもしれない。

 晋也は携帯を手に呼び出しをかけた。コール5回、出たのは聞いたこともない少女の声だ。


『はいはいはーい、佐久間っす』

「……誰だ、あんた」


 電話機越しに相手が息を呑んでいるのがわかった。


『あ、あ、あー、あー。オレっすよ、オレ。村上文彦に決まっているッスよー』


 鼻でも摘んで出したような声色で、先ほどの少女が返答する。口調を含めて文彦の声色に似せようという努力は微塵も感じられない。


『いやだなー、オレは村上文彦じゃないッスかー。なんなら証拠を見せてもいいッスよー、電話じゃ見せようもないけどー』

「だったら付き合ってる女の名前を言ってくれ、それで判断する」


 再び沈黙。

 ただし、遠くから打撲音が聞こえたような気がした。晋也は携帯の回線を切り、とりあえず何も聞かなかったことにした。




◇◇◇




 三叉山の特異点は、交差する二つの霊脈が生み出したものである。


 本来は交わるはずのない地脈と霊脈。古代と呼ばれる時期に人為的に路を整えられた二つの力が交差し、三叉山の遺跡を介することで瘴気を含まない力が発生する。数万を越える異形がいるにも関わらず犬上の街が人間の都市として機能しているのは、異形の衝動と欲求を満たすだけの力が満たされているからだ。

 また特異点のある地に生まれ育った溢れ出る力の影響で人間は魔術能力に覚醒しやすいのだが。


(遺跡によって地脈霊脈の力が安定供給されていること、そこに定住する異形たちがそれを消費することで犬上の市民が異能に覚醒することを防いでいる。皮肉なことに、この街では人類の天敵となりえる者達が守護者として平穏を保ってきた)


 かつて屋島英美査察官が犬上市の保護を訴えた時、彼女はそう主張した。

 都市で行われる人の営み、異形の存在が共に三狭山を中心とする特異点の暴走を防ぎ、奇妙な共生関係を成立させている。それは人間至上主義に凝り固まった三課の上層部にとっては衝撃的な内容で、同時に特異点都市石杜に住まう連中の興味を惹く報告となった。


 各所より噴き出す霊気に依存している限り、異形は本来の凶暴性を表に出さない。他所で凶暴化した異形でさえ犬上市内の特異点で安置すれば瘴気が抜け、異形が無害化する可能性さえある。それらは以前より各種の術組織などでも繰り返し訴えられていたことである。


(犬上の地に旧くからの異形封印がたくさん安置されていたのは、そういう理由からだ)


 良質の霊気は、すなわち良質の精気である。

 無尽蔵の霊気が供給される犬上の地は、組織的な犯罪活動を行う異形の手に落ちれば恐ろしい事になる。だからこそ日本に幾箇所か存在が確認されている特異点は旧来の術組織によって厳重に封印が施されていた……犬上もまた例外ではない。


(いや)


 霊脈を制御する遺跡を目指して三狭山の斜面を登り、神楽聖士は奥歯を強く噛みしめた。文彦に相対するより先に派遣した配下の者から連絡が途絶えており、あるべき気配もない。逆鉾を手に入れ余計な策など無用と力押しを決めたことを、神楽は苛立ちつつ認めていた。


(奴らの戯言を鵜呑みにするな束、犬上の霊脈は魔人によって永く管理されてきたものだ。東夷と呼ばれる魔族どもを従え、明王の名さえ与えられた強大な魔人にだ)


 戦前まで、犬上の街は一種の隠れ里として扱われていた。戦争末期の疎開先として人々が押し寄せ街が開かれて、犬上の地が特異点だと広く知られるようになったのだ。百余年を術師として過ごしていた神楽がそれを知ったのは、三課という組織を立ち上げる前後だった。


(魔人が統べる特異点ならば、奪っても問題はない。いいや、そのようなものが存在してはいけない。人間至上主義者どもを味方につける理由にもなる。比良坂道標逆鉾は、あらゆる魔力を遮断する因素の武具だ。あの生意気な村上文彦さえ戦うことを最初から放棄し、虚無の穴へと吸い込まれて消えた)


 阻むものはなかったはずだ。

 百余年を生き、神楽は様々なものを見た。人を超えるもの、人より外れしもの。ただ生きることに特化し五感を喪い蠢く肉塊と成り果てたものを見た。魔力を増やし純度を高めれば長く生きられることも知っていた。近親交配を重ね、蛭子と忌み畏れられる人工の異形を生み出す名家が滅ぶ様を見届けたこともあった。

 練気を修め、術理を学び、神楽は若い姿で百余年を生きることに成功した。

 だが、そこが限界だった。

 そこから先を生きるには力が足りなかった。魔力も術理も権力も。自ら生み出すものだけでは及ばぬ世界に生きる、怪物のような連中がいた。仙界に引きこもる超越者。その窓口として君臨する綾代の家。幾つもの国を巻き込み戦勝国の後ろ盾を得て設立したはずの三課が、まるで新参の格安業者と扱われる現実。

 認めれば心が折れる。

 認めねば命は遠からず尽きる。

 故に神楽は善意の協力者たちの力を借り、三叉山の実効支配を決意した。


(わたしは死ねぬ。死にたくない。これ以上衰えることも、異形どもに殺されることも我慢できん。鍛え抜いた力と技を存分に振るい、わたしがわたしである証をこの地に残すのだ)


 斜面を登る神楽の足に無数の草が絡みつく。まるで神楽が山を登るを阻止せんと動いているようだ。逆鉾の穂先で払おうとすれば更なる草が足下に絡み、真夏の不快な熱風が肌に貼り付く。


(そもそも特異点が暴走して何が起こるというのだ)


 屋島英美や他組織の出した報告は半分以上が出鱈目だと神楽は確信している。

 そもそも過去に特異点が暴走した記録が残っていない。石杜のそれは出鱈目と、届いたその場で処分した。まともな記録が存在しない以上、彼女たちの主張は当て推量に他ならない。ならば、術師として百余年を生きてきた自身の感覚の方がよほど信用できる。そして神楽の術師としての勘は、彼の欲求を肯定した。


(地の経絡に多少の乱れはあるだろうが、それもわたしが活ける土地神となれば数年と経たずに安定するはずだ)


 わたしは正しい。間違うことはない。

 逆鉾さえあれば文彦の施した封印など直ぐに解けるはずだ。

 遺跡の要である巨石のある中腹へと足を進め、草を掻き分け――


 ざぶん。


 神楽は何故か海の中にいた。

 見れば、三叉山を制圧すべく先に派遣した装甲車輌や重武装の部隊も一緒に沈んでいる。彼らの多くは我が身に起こった事を把握できずに海水を呑み、過剰武装の象徴である大口径の銃火器を外すことも忘れて手足を動かそうとして力尽きていく。泳ぎ達者なものも例外なく。強大な異形を相手にすることを想定して防護服も重厚なものを着用させたのだ、たとえ武装を外したとしても底が見えぬ沖に放り込まれたのであれば助かる見込みは極めて低い。


(……転移の罠、だと!)


 逆鉾の力は魔術的な干渉を排除できる。無自覚でもその力場が有効なのは文彦と対峙した際に確認できた。

 だというのに三叉山に侵入した器物が例外なく海中に飛ばされた。

 術理の及ばぬ仕掛けが三叉山と遺跡を守っている。

 気付いたところで神楽に出来るのは、水底に沈み救いの手を求める部下を見捨てて一人浮上することだけである。




◇◇◇




 草むらに隠れるように、地を這うように。無数の影が三叉山の遺跡を中心に展開していた。

 それらは蜘蛛の巣のように、あるいは蜻蛉の羽根の葉脈のように斜面を覆っていたので、斜面の全てを網羅しているわけではない。運が良ければ、あるいは運がとことん悪ければ、草原に沈む罠を踏まずに突破することができるかもしれない。二足歩行に限るが。

 車輪と無限軌道で動くものは軒並み影に囚われ海中に放り込まれて消えた。

 無人操作で飛来する各種ドローンも、地に影が落ちればそこから引きずり降ろされて消える。


「こういうの、きちんとした戦争屋さんなら幾らでも攻略の道筋が立てられるのでは」

『きちんとした戦争屋さんは文彦の旦那を敵に廻すと知ったら襲ってこないよ』


 霊脈の交点を分断するべく巨石に突き立てられた金剛杵を背に、ベル・七枝が暢気な質問を口にする。

 その頭上を異形ハヤテが隼の姿のまま縦横に飛び、風の結界を展開する。三叉山一帯の空気が粘度に等しい重さと密度を獲得し、四方八方より発射された飛翔体や弾丸を無力化させるだけでなく内燃機関もまた停止させた。銃火器は弾丸が発射されず、変色した煙がヘビ花火のように銃口や隙間から漏れていくばかり。完全電動式の車両はないようで、事態を打開するためには徒歩で侵入するしかない。

 

「んん、第四次世界大戦って感じ」


 かの高名な物理学者の言葉を思い出すベル。終末戦争後、文明の滅びた世界では原始的な投石などが闘争の主役となるという予言だ。


「なるほど、きちんとしていない戦争屋さんでも私らよりは対人戦闘の場数踏んでるよね」


 そんなベルの呟きに反応したのか。

 空気の密度が変化したためか、何らかの魔術器具で姿を隠していた兵士達が這いつくばった形で彼女の周囲に現れる。敵意を持った相手は呼吸すら困難となる風の結界内では、高度な体術を誇る暗殺者も無事では済まない。そして彼らは姿を見せる直前にベルの放った蹴りで顎骨を砕かれていた。


「私らか弱いJCとJKなんで、ヒキョーの限りを尽くして迎撃するんでヨロシクゥ」

『返事しなくていいよ! ゆっくり死んで逝ってね』


 襲撃者たちに正常な意識が残っていたら訴訟も辞さぬほど怒り狂ったかもしれない。

 事前情報と異なり一切の支援がない状態で三叉山遺跡付近まで接近「できてしまった」彼らは、科学と魔術の粋を尽くして開発された秘匿装備を総動員した上で神楽の悲願を達成すべく侵入を果たした。万が一に捕虜の身となったとしても時間を稼ぎ徹底的に邪魔をする心積もりでいた。

 それがどうだ。

 三叉山に至るまで犬上在住の異形達が襲い掛かり、開発された機材はほぼすべてが使用不能となり、半数以上のメンバーが影の罠に捕まって姿を消した。幸運なごく一部の精鋭が遺跡の要である巨石の前に到達したと思えば、呼吸すら不可能となり年端もいかない少女の蹴りで戦闘不能に陥る始末。

 肝心の神楽は最初期に飛ばされて以降、戻ってくる気配もない。


(ハヤテがいる以上、超長距離からの狙撃も不可能。三叉山ごと吹き飛ばすくらいしか対処法がないけど、それをやったら遺跡の接収以前の話だものね)


 ベルとしては襲撃者の無力化で相手の生命維持をあまり考慮していない。

 致死性のガスすら携行している連中にラブ&ピースで無力化するなど、フィクションの世界ですら与太話扱いされる御時世である。それでなくとも文彦を殺そうとした神楽の手先に配慮する理由などベルには一切存在しないのだ。


「他に侵入できる可能性としては、ええと」


 宙を見つめ、ベルは軽くステップを踏むと跳躍と共に後ろ回し蹴りでかかとを振り上げた。


 凛。


 空間の震えと共に出現した――転移術で現れた男の顔面を、魔術の炎を宿したベルの右足が砕く。転移術を使って不意を衝くはずが逆に不意を討たれた神楽配下の術師は、そのまま蹴り転がされた勢いのまま影の網に飲み込まれて消えた。

 探知魔術を用いず地図や航空写真を頼りに転移するのなら、障害物のない場所しか選べないのが一般的な魔術師たちの空間転移法だ。そのような場所は巨石の周辺では限られており、魔力で強化増幅されたベルの脚力を持ってすれば即座に対応できる範囲だった。


「サホねーさん、もう少し頑張って。こっちも存分に蹴り殺しまくるから」


 文彦が虚無の穴に取り込まれ消えたことを、使い魔であるハヤテたちを通じて知っている。

 そのためのベル達であり、そのための転移罠なのだ。


 桐山サホからの返事はない。


 金剛杵を突き立てた巨石のそばに座るサホは、大狼ジンライに身体を預けながら必死に術式の制御をしていた。三叉山に展開した影の罠。捕まえたものを水底へと送り込むそれはただの転移術ではなく、二つの空間を接続する一種の「門」だ。魔力制御ができる限り「門」は触れたものを目的地に問答無用で送り込む。そして影使いの特性上、実体ではなく影が触れても引きずり込んで飛ばしてしまう。

 水底に飛ばされたものがどうなるのか、わからぬサホではない。


「……大丈夫っすよ、お師匠なら殺したって死なないし」


 そう言うベルとて、文彦が無事だと断じれる確証はない。そうと信じるしか彼女にはできないし、術師たるものいつ死を迎えても不思議ではないという覚悟がベルにはある。事前に文彦に「三日持ちこたえてくれ」と頼まれたからには、何があっても三日間は三狭山を守ろうと決めているのだ。

 泣くのも怒りに我を失うのも、その後でいい。

 







 同時刻。

 身体再生中の文彦は「この浮気者ぉ」という叫びと共に謎の殴打を受けて再び意識を混濁させていた。 


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