極界の地にて(弐)
物事には順序がある。
「欲しくて奪ったわけじゃないんですよ」
石杜の中枢にて指揮を執る夜野孔太は、誤解が無いようにと念を押した上で息を吐いた。そこは彼ら「学園」の生徒が事務ようにと使用している建物の中庭で、丁寧に刈り込まれた芝生は市民にも公園として開放されていた。
三課本部より託された書状を孔太に手渡した村上文彦は、まあ仕方ない話だよなと芝生に腰を下ろした。
「今のところ返還に応じる気はありませんけどね」
極界都市。
住民の大部分を占める術師はそう呼んでいる。この世とあの世の境目がこの街なのだと、呼んでいるのだ。
かつて石杜市の特異点が解放された時、都市を中心として莫大な量の霊気が周囲に放出された。特異点の開放期間は僅か数分間だったが、霊気は北海道の大地を変質させおびただしい数の異形を一瞬で生み出した。文字通り生態系が変容してしまった北の大地、中でも当時石杜に滞在していた人間は致命的な変質を強いられた。
犬上市において桐山沙穂が体験した変質を凌駕するものをだ。
特異点の解放に際し、都市では一般市民のほとんどが避難を完了させていた。特異点開放の直接的原因は北海道の領有権放棄に絡む陰謀劇であり、公式には事件の存在そのものが隠匿されていた。しかし事件解決に尽力していた術師集団と工作員、そして事件の中心にあったひとつの学園が特異点開放の被害を食い止めるために石杜に留まっていたのだ。彼らの活躍がなければ石杜で開放された特異点の霊気は東アジア全域に及び、それらの地で封じられていた特異点を連鎖的に暴走させていただろう……事件後、多くの組織や専門機関が石杜に留まった者達の覚悟と行動を称賛している。
そして変異が彼らの運命を変えた。
魔力の操作に長けた術師たちは、その変容を肯定的なものに導くことが出来た。身体能力の増強や魔力の飛躍的な上昇、本来ならば仙骨を有し肉体を棄て登仙をもって初めて獲得できる強大な力を、彼らは肉の器を維持したまま手にすることができた。その力たるや実体を得た魔物に等しく、土地神の類さえ調伏できるほどの法力を有する術師も少なくない。
しかし、魔力操作を識らぬ者にとって変質は文字通り混沌として働いた。
魔力を獲得するだけで済んだ者。
精神感応や念動力など擬似的な超能力に覚醒した者。
身体能力のみが極限まで上昇した者。
人にあらざる容姿を獲得した者。
そう。
変質を受けた者の内、少なくない数が異形に近しい姿となった。術師による魔力の補正の結果彼らは人としての姿を辛うじて取り戻したが、日常生活を送るために少なからぬ精気を必要とし、人にあらざる身体器官や能力を獲得したのだ。
「彼らは、変質した環境に対して強制的に適応させられてしまいました。あの日避難が遅れて都市に留まっていた数万人の市民、人形姫計画を阻止すべく集った数千の有志、そして特異点の暴走を食い止めようとしていた学園生徒……DNAレベルでは人間と断定されながら、彼らは人間を超越したんです。物質化寸前にまで凝縮したエーテルが肉体と完全同化を果たし、生命維持の機能さえ一部有している」
額に硬質の角を有した子供たちが文彦の横を走っていく。角は感情の起伏によって伸縮し、普段ならば目立たぬほど小さなものが、泣いたり笑ったりすると勃起する海綿体のように怒張していた。孔太は、あの角は知られている限り全ての病原体に対して絶大に働く抗体を宿していると告げた。
「過去の記録から類似する事例が幾つも発見されました。誕生した変異体に与えられた名称も」
「魔族、だろ」
転んだ子供のひとりを抱き起こす文彦。孔太は頷く。
「名称は様々ですが、その本質は超常の能力と不死に近しい身体構造。異形を従えたり、逆に狩る者も。僕達は彼らとの接触を試み、対策を練っています……魔族を元に戻す方法と、彼らが普通の生活を送るための方法を一刻も早く見つけねばならないのです」
「だから、この地の統治を日本政府には戻せねえってか」
「人形姫計画の支持者は政府中枢にもいますから」
特異点開放を誘導したと言われる人物は、事件後の術師統制や技術開発でイニシアチブを握ろうとしていた。だが人形姫に関する内部事情が公にされた結果、国連と三課は事態を重く見て北海道の領有権を戻さず国連の直轄地とした。特異点の暴走による汚染地域の拡大を食い止めるための力は、皮肉なことだが石杜の住民が最適だったのだ。一騎当千の術師が北米などの地域で活躍することにより、かの地域での異形の被害を食い止める役にも立っている。
もっとも、
「いろいろ小細工はしたんだろ」
「ま、人並ですけどね」
一国を用意に滅ぼす術師集団を指揮する孔太は、それこそ控えめに肩をすくめると芝生に寝転がった。
◇◇◇
誰が呼んだか、秘密結社・石杜学園。
「だって、文部省が認可するはずありませんからね」
夜野孔太は当たり前のように言いのけると、分厚い書類の束を次々と片付けていった。そこは学園の中枢で、同時に石杜が都市としての機能を維持するための要所だった。名称こそ生徒会執行委員会だったが、その雰囲気は市役所や三課の事務局に近い。
(それ以上だよな)
処理されていく書類を一目見て村上文彦は唖然とした。日本語で書かれた書類は半分もなく、英語以外の言語で記されたものも多い。一枚の書類に三つ以上の言語が入り乱れるものも少なくはなく、走り書きのような判読不能なものも確実に存在している。まっとうな役場ならば即座に突っ返すようなものを孔太は瞬時に判読し、的確な指示を様々な言語を駆使して下していく。
「補佐官、合衆国の陸軍研究所から施設破壊に関する抗議と賠償請求が来ていますが」
「西サハラ戦線で術師の不足が指摘されているので、北米で活動している術師の45%を配置換えによって移送派遣してください。それと実験データのコピーを三課の総本部会議で緊急動議、非合法の人体実験と術師の生体解剖に関する条約の締結について周辺国家を動員。応じない場合には、残り55%の人員についてもエルサレムの防衛に。霊的防衛という意味で合衆国の重要度は下から数えた方が早いですから」
「西新宿および旧スターリングラードの新興宗教団体が当学園を支配下に置いたと吹聴していますが」
「Cクラス能力者を派遣して12時間以内に壊滅させてください、不愉快です」
「与党幹事長が面談を求めています、何でも首相より密命を帯びた特命大使だそうですが」
「三課の詰め所に御案内を、彼が新しい責任者となるでしょう。政府関係者との面談は三課を通じてのみと通告しているはずです」
一呼吸分の間が空いた。
「デンマーク王室警護のSPに政府転覆を企む術師組織のシンパが紛れています。4番回線を使用して3分以内に現地のEクラス要員に連絡して対処してください」
「かしこまりました」
発言は唐突だったが秘書官と思しき生徒は即座に頷いて近場の回線を開いて指示を飛ばす。あれほど溜まっていた書類はものの数分で片付いて、孔太が使用しているデスクにはコーヒーカップが二つと真新しいファイルが用意される。
「ようやく本題です」
先刻までの話は前座に過ぎないと、孔太はファイルを開く。出てくるのは犬上市周辺の古地図と衛星写真、それに文献を翻訳したものだ。
「Sクラス要員を派遣して調べましたが、結論は今までのものと大差ありませんでした」
もったいぶった言い回しは、孔太の好みではない。だが別件で来たとはいえ文彦の来訪は彼にとって都合が良かったのだろう、先刻よりも力のこもった口調で孔太は断言した。
「三狭山の遺跡が封じていた特異点は半年以内に暴走します」
犬上市は三課の管轄下にある唯一の特異点都市だ。
霊脈の交点という意味では日本国内に多数の特異点都市が存在するのだが、それらの多くは古代から近世にかけて力ある術師たちが設けた封印によって機能を制限されている。
「ですが三狭山の封印は失われて久しく、術式でこれを抑えていた魔族も三課の独走により処分されてしまいました。制御を司る祭器を取り戻さない限り、石杜の悲劇が繰り返されます」
こういう場で冗談を言うような性格ではない。
それほど長い付き合いではないが、この裏稼業での信頼はある。だから文彦は孔太の言葉が真実であると素直に考えた。嘘を言って得することはあるだろうが、文彦という術師とのつながりを棄てるに値するほどではない。
「以前聞いた時には、あと五年は保つって話だったぞ」
「犬上で交差している霊脈だけが異常なまでに活性化しています」淡々と事実を告げる孔太「要因として推測されるものは、確証の無い与太話を含めて七十二件。共通しているのは」
「人為的に引き起こされた、異常活性」
心当たりはある。
任侠集団である音原組の構成員が可憐な少女に変身した。術式を刻んだ石板が素養ある子供たちに与えられ、暴走しかけた。県外から犬上に侵入を果たそうとする異形の数はこの一ヶ月で急速に増加し、本来研修中で弟子を自称する女子中学生が最前線に駆り出されている。そもそも桐山沙穂の特異点暴走も、普通の被害者より程度が重く加速的に症状が進んでいたではないか?
「暴走を食い止める方法は二つだな」絞り出すような、掠れた声で文彦が呻く「特異点を制御していた祭器を何とかして見つけ出す」
「あるいは特異点を管理する術を知る魔族、村上光司朗氏を三課急進派の封印から取り戻す事です」
気付けば執行委員会の部屋は静かになっていた。幾人かの生徒が気遣うような目で文彦を見ている。彼らは文彦が三課に協力している理由を知っており、村上光司朗なる存在と文彦の関係も把握している。
「……親父のことは、まあ考えとくよ」
感情の起伏を気取られぬよう掠れた声で返すと、文彦は必要な書類を受け取った。
校舎を出て間もなく、三課より連絡があった。
「帰還命令かい」
端末の向こうの職員は不可解かつ申し訳無さそうに答える。神楽査察官経由で下された命令が、それより上の圧力で撤回されたという。
『とにかくこっちは慢性的な人手不足なんですから、早いところ』
戻ってくださいな。
端末ごしに聞こえてくるのは相変わらずの賑やかさだ。学園のようなどこか張り詰めた感じではなく、忙しい割にどこか呑気な雰囲気がある。
「忙しいのは商売人としては結構なことじゃないか」
背後に唐突に現れた気配。その主が呑気な声を上げるのだから振り返ってみれば、墨染めの麻服を着た若者が立っている。およそ術師の業界にあって知らぬ者などいない、蓮華の紋章を戴く存在。魂を喰らうものと呼ばれる魔人は首を廻してばきばきと音を立て、それから思い出したように麻服の内懐からステンレス製のアタッシュケースを取り出す。
バイオリンやトランペットが入りそうな中型のケースは、若者の懐に入っていたとは到底信じられない大きさだ。
(この男に常識が通じるはずねえよな)
「失礼な」
文彦の黙考に若者は顔をしかめ口を尖らせる。もちろん普通の人間に出来る真似ではない。
「これでも先代には色々世話になったと考えているから、君にも力を貸しているじゃないか」
「……だったら犬上の特異点も何とかしてくれよ」
「無理無理」爽やかな顔で首を振る若者「これでも石杜の特異点を取り込むので精一杯でね。地上から消し飛ばすってので良ければ」
今すぐにでも。
笑顔を崩さずとんでもないことを口にした若者の顔面に、文彦はアタッシュケースをフルスイングで叩きつけた。
犬上市へ帰還すべく、文彦は空間転移の術を使用した。アタッシュケースの中から金色の軌跡が現れ文彦を追いかけるようにして消えた。
「ふむ」
魂を喰らうものと呼ばれる若者は一部始終を観察していたが、ただ唸るだけでそれ以上を追及しなかった。
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