ひのきのけん(参)
「海岸近くの国道で異形発生、鋼玉と思しき硬質のバケモノです」
スポーツドリンクと携帯食を用意した三課職員が、強張った顔で緊急事態を告げた。
「はがねだま?」
それが何物かを知らないサホはジンライに物を尋ね、理解しているベルは即座に反応した。
「師匠は?」
「影法師は蛟川上流のダム工事現場で、同種の鋼玉数体と戦闘中です。県境の数箇所から同時に侵入を果たそうとしています。西方の検問箇所ではハヤテに動いてもらってます」
「そう」
「……あと、これは未確認情報なのですが」言いにくそうに咽を詰まらせる職員「今回の鋼玉の襲撃、神楽査察官側が誘導したという噂が」
「確認取ってから話して。それと証拠集めお願い」
驚くほど素っ気なくベルは言い、それからサホを見た。鋼玉なる異形がいかなる存在なのか説明を受けたサホは顔色が悪い。鋼玉が、文字通り鋼鉄の塊とも言うべき巨大な異形だと理解したからだろう。普通の弾丸ではまともに通用しないのだから、サホは全くの役立たずではないか。
「ジンライ君、何とかできる?」
『サホ殿が天哮砲を引き出せるのなら』
と、どうしようもない会話を横目で見つつ。
(まあ、やるしかないか)
ベルは自分にしか分からない覚悟を決めて、その日最後の仕事に臨むことにした。
鋼玉。
名付けた者のやる気の無さとセンスが窺える異形は、一種の憑物神と考えられている。群体としての性質を有すこの異形は、天然物人工物を問わず鉱物を義体の素材として取り込み、ひとつにまとまる。古の記録によれば合戦場にしばしば出現し、鎧兜や折れた刀を次々と取り込んで膨らんだという。
鎧玉という異名は、その姿よりつけられたとか。
「昔の人はどうやって倒したのよ」
『錆びるまで逃げ、後に焼き滅ぼしたとか』
桐山沙穂の投げやりな問い掛けに、少年の姿に化けた大狼ジンライも同様に返した。
『金物に通じている地の術師、水を呼び酸を操る水の術師ならば対処もできましょう。空間そのものに干渉する術の使い手ならば、金鉄の鎧に覆われ届かぬ異形の核を撃ち抜き滅ぼすのも可能でしょう』
しかしながら。
大狼ジンライは申し訳無さそうに進言した。視線の先には、元素術師ではあるものの地術も水術も専門ではなく、もちろん空間そのものに干渉する術のないベル七枝が立っていた。
彼女はぼろぼろになった制服ではなく、体操服であるスパッツとシャツの上に硬陶製の手甲と脛当てを装着し、はるか前方の黒松林で転がっている鋼玉を睨んでいる。ジンライの言葉に耳を貸す様子はない。
にもかかわらずジンライは言葉を続けた。
『浄炎をもって異形を焼き尽くすベル殿の術は、土や鋼に対しては無力。それどころか鋼に烈火の力を与え敵を強大なる物に変える恐れがあります』
ただでさえ手がつけられない鋼玉が火の玉となって郊外を飛び回り、犬上の街を破壊することになる。
『かといって沙穂殿の銃撃は通用しませぬ。やはり影法師様の到着まで時間を稼ぐしか』
「そういう後ろ向きな展開、あたしは嫌」
あっさり拒絶するベル。
彼女たちの後方では見慣れぬ制服姿の男たちが数名控えており、好奇の目をサホに向けている。彼らは鋼玉の襲撃をわざわざ直接伝えに来た三課本部の人間で、神楽査察官の配下だった。本部に所属していた頃、彼らと仕事を組んだこともある。
(人間至上主義者の、権威主義者)
口は達者だが身体を動かさない連中だった。彼らは今もベルと沙穂を見ては何かを話しているが、その会話内容に興味は持てない。ろくでもない下世話なものだろうと予想できたし、事実その通りだった。
「やるだけの事をやってからにするわ」
『しかしベル殿、火の元素魔術は』
「スコットランド仕込みの魔法」
見せたげると鼻を鳴らし、ベルは駆け出した。
元素魔術。
中国の流れを汲むのは木火土金水の五行に、三課で広く使われているものは地水火風空の五大に。いずれも世界の本質を限りなくシンプルに捉え、それを操作する魔術である。物質として触媒が存在するため、奥義を究めれば万物より無尽蔵の魔力を引き出せるとも言われている。
『東洋的なものとは、ちょいと概念が変わるんだがねぇ』
かつて。
樽のような身体を揺らせながら、ベルに魔法を教えたスコットランドの魔女は奇妙な本を見せた。薄く薄く削った黒石の頁に白石の文字が埋め込まれた奇妙な本だ。書かれている文字も、幼いベルにはさっぱり理解できなものだった。その本を開き、指で文字をなぞり色々のことを語る。
『万物に宿るのは、究極的には元素ではなくてエーテル』
魔力の伝達物質であるエーテルが様々な形をとって万物に含まれる。光には光素たるフォトンが、炎には燃素フロギストンが。科学者が否定した理屈がそこには存在する。魔女は光と炎を虚空に生み出し、消した。そこには発光や燃焼に必要なものが存在しなかったのに、それらは唐突に現れたのだ。
続いて魔女はコップの水の底に炎を生み出した。水の中に宿るエーテルを燃素に変換したと魔女は説明するが、冷たい水を沸騰させず炎が揺れる様は奇妙極まりない。
『お前さんが覚えた炎の魔法ってのは、炎の元素を直接操るわけじゃない。万物に宿るエーテルを燃素に変換して炎を生むのさ。だから、おまえさんの手足から生まれた炎が自分を焼くことはない。術者が生み出したエーテルの炎はバケモノたちの義体を燃素に変換させて、文字通り焼き尽くすけどねぇ』
「直接触れて相手を燃素に変換できないの?」
幼いベルは、それが素晴らしい思いつきであるように手を叩いて声を上げた。スコットランドの魔女は顔をしかめ、生み出した炎を消した。
『エーテルってのは人の想いや念も吸い寄せているからね、耐性のない人間が直に触れたら取り込まれるのさ』
「耐性のある人間って?」
『……ソウルイーターだよ』
魂を喰らうもの。
触れてはいけないものを口にしたかのように、魔女はその名を口にした。地獄の悪魔を茶化す時さえ平然としている
魔女が、その時ばかりは真剣な顔だったのをベルは覚えている。
エーテルを仲介する元素魔術。
それがどれほど特異な体系に基づいているのか、ベルは日本に来て自覚した。
樹齢四十年を越える黒松を次々となぎ倒し、それはベルたちの前に現れた。
鉄筋コンクリートなどの建築廃材やスクラップ待ちの廃車、それら硬質にして無骨なものが集まっている。漆喰やワイヤーで固定しているのではない、奇妙なる球体。
それが鋼玉だ。
「でか」
間近に迫る鋼玉は優に直径5メートルを越え、それが少しずつ膨らみながら迫る。黒松を根元より倒すような勢いで、警官や三課職員達が検問を構える道路に乗り上げた。
立ちふさがるのはベルただ一人。
肩幅に歩を開き、適度に力を抜く。覚悟はあるが気負いはない。
(理屈は簡単)
鋼玉の迫る勢いは早いが、驚くほどではない。動体視力に自身のある人間なら、それこそ何の訓練も受けていなくても動きを追いかけられるだろう。無論、動きを見切るのと走って逃れるのとでは勝手が違う。たとえオリンピック選手が全力疾走したとしても直ぐに追いつかれてしまうほどのスピードが、他に何の特技もない鋼玉にこれ以上ないほどの破壊力を与えている。
「火蓮」
唸るように呟けば、鋼玉の内側より巨大な炎が生まれ動きが止まる。それは一本の火柱ではなく、蓮の花弁を思わせる幾条もの炎だった。鉄筋コンクリートや自動車の廃材という、可燃物が全く含まれていない鋼玉が内側より炎を噴き出したので、三課職員も神楽査察官の部下も驚き言葉を失う。
『鋼玉を構成しているエーテルを、直接燃素に変換したでござる』それを理解したジンライの声も震えている『剥き出しの瘴気に触れるようなものでござるよ……』
術師の力量が無ければ一瞬の内に異形に取り込まれてしまうだろう。
万が一の時にはベルを始末しなければならないと身構えるジンライの後頭部を、桐山沙穂は叩く。
「寝言なら寝てから聞くわ」
『サホ殿』
三歩動き、ベルの後方に立つ沙穂。
腕を交差させるようにして二丁の拳銃を構え、ベルに問う。
「ベル、タイミングは」
「あと三十秒」
振り返りもせず即答するベル。
エーテルの炎に包まれた鋼玉は自らが発する炎によって鉄の部分が融解を始める。しかしそれはコンクリートを溶かすには至らず、逆に融解した鉄が漆喰のようにコンクリートを固める働きさえ見せていた。
ガラクタの集まりが、前衛芸術のごとき彫刻に変わっただけの違い。エーテルの炎は群体を構成する異形の一つ二つを焼いてはいるが、それらは群体の構成員の働きにより消滅寸前の状態から一気に回復する。拠り所となる鉄やコンクリートを破壊しない限り、鋼玉は瞬時に再生するのだ。
いまや鋼玉は火蓮により灼熱の紅玉と化し、夜闇は明るく照らされている。
『やはり炎では鋼玉は倒せないでござるよサホ殿~っ』
「黙っててバター犬は」
『うわぁん』
振り向きもせず物凄いことを口にするサホ。視線は鋼玉に向けられたままだ。
背後での漫才を無視しつつ、ベルは自身の魔力と気力を限界まで振り絞る。一つはベルの心身に侵入しようとする鋼玉の瘴気の排除のため、そしてもう一つは術式を完成させるためだ。
宣告より二十五秒、遂にベルは術式を解放した。
「焔雀」
蛍火より小さな炎がベルの左手の甲に現れる。ベルは鋼玉に駆け寄り、空いた右手を手刀に鋼玉を一閃。
凛。
硬く乾いた鈴の音が響き、濁っていた闇が透き通る。
ベルとサホを除く全員が言葉を失った。左手の甲には白色の光を発する炎の猛禽が現れ、対照的に鋼玉は今まで発していた熱と炎の一切が消え去っていたのだ。
いや。単に炎が消えたのではない。
驚くべきことに鋼玉の表面には霜が張り付き、無数の亀裂が生じている。エーテルそのものを操作できないベルは鋼玉のエーテルを燃素に変換し、過熱するだけ加熱した後に燃素の全てを奪い去ったのだ。それは単純な冷却のレベルを超え、群体を構成していた鋼玉の異形たちは自らの拠り所となるべき石と鉄が限りなく脆くなっていることを理解した。
動くことも出来ない。
僅かでも転がれば鉄も石もボロボロの砂のようになって崩れてしまう。たとえ砂粒でも彼らの依り代にはなり得るが、砂粒ではたとえ一千の鋼玉が集まっても泥団子にさえならないのだ。
ほぼ全員が事態を正確に把握して。
ベルの宣告より三十秒が過ぎた。
二丁の拳銃より放たれた十発あまりの弾丸は、それほど特別な代物ではない。しかし弾丸が命中するごとに、鋼玉は薄皮が剥がれるように縮んでいった。異形は自身の力が及ぶ領域を必死に維持しようとするが、銃弾の衝撃は崩壊寸前の鉄とコンクリートにとって致命的だった。
削るように、磨くように。
鋼玉は小さくなる。命中しなくとも衝撃波が球体を削る。
「後は任せたわ」
宙に浮かぶ一握りの砂球を睨み、サホは己の仕事を終えた。5メートルを越え松林を蹂躙した鋼玉は見る陰もなく、砂玉はいかなる魔力の働きか宙に浮かんでいる。
「焔雀」
ベルが再び呼びかければ炎の猛禽は姿を変え、硬質の柄が左の手甲上に現れる。これを引き抜けば焔雀は炎をかたどる真紅の直剣と化し、ベルは剣の切っ先を砂玉に突き立てた。
「奥義・緋炎凰爪撃!」
叫ぶや剣は白色の火柱を吹き出し、砂玉と化した異形を飲み込んだ。火柱は砂玉を飲み込む程度の大きさだったがまばゆい白色の輝きを放ち、その一瞬後には剣と共に消滅していた。砂玉は無垢の硝子玉となり、術式の刻まれた硝子の内部には鋼玉を構成していた異形が封じ込められている。
「……これなら文句ないでしょ」
硝子玉を拾い、振り返るベル。
「?」
後ろにいた連中は、警察から三課職員から神楽査察官の配下に至るまでひっくり返っていた。ジンライは力なく笑い、サホは腰を抜かしつつも肩を震わせている。
「なんかあったの、サホ?」
「恥ずかしい名前の技を叫びながら使うんじゃなぁぁぁぁぁいっ!」
おそらくその場にいた全員の心の叫びを込めて、サホは会心のかかと落しをベルの後頭部に叩き込んだ。
◇◇◇
夜が明けるまでの短い時間を睡眠に廻し、染み付いた様々な匂いを石鹸で洗い落とす。
恐れていた瘴気の流入もなく、疲労もない。犬上の街に移り住んでからは、こういう日が多いのだ。自分からそれを望んでいたし、既にこの生活にも慣れてしまった。
(早く義務教育終わらないかな)
中高一貫校とはいえ、学校の生活にそれほどの興味はない。
術師として身を立てることを決めていたし、それだけの実力もある。今は事情があって三課に身を寄せているが、ゆくゆくは故郷のスコットランドに帰還するのもいい。
日本への未練はあまりない。
あったとしても、それは奪って持って行けばいいのだ。
(師匠は現場から『北』の特異点都市に直行か)
日本でありながら日本ではない、世界でも有数の特異点都市に影法師は一時的に出向した。沙穂の身柄を確保しようとして失敗した神楽査察官が、八つ当たり気味に影法師を危険地域に送り込んだのだ。並の術師ならば半日も耐えられないだろうが、影法師ならば大した脅威にもならないだろう。元より北の特異点都市とは縁も深いし知人も多いという、かえって修業になるのではないかとベルは考えている。
土産話が楽しみだ。
ひょっとしたら、少しばかり気を利かせた土産の品も貰えるかもしれない。自分は従順な弟子ではないが、無能者でもない。影法師の補佐くらいはできるとの自負もある。少なくとも三課の犬上支局は認めてくれている。
後は本人にいかに認めてもらうかだ。
そのためには、学校に通う時間が惜しい。師匠の言葉がなければ、登校拒否を口実に街中を駆け回って働きたいのだ。
そんなことを考えながら、ベルは朝食を摂るべくリビングに顔を出す。
すると。
「……ベルちゃんは本当は素直で優しい娘なんだ。人見知りするところがあるけど、あの娘の友達になって欲しいんだ」
ホストクラブが総力を挙げても引き分けに持ち込めるかどうかという男前な家主、村上深雪が女子中学生と思しき少女の手を握り甘い声で囁いている。囁かれた少女は頭のてっぺんまで真っ赤になっており、間近に囁かれる頃には視線が宙を泳ぐ有様。
「お願い、聞いてくれるかな」
「ま、まかせてくらさい……おねぇさま」
蕩けるような表情でがくがく何度も頷く少女の顔に見覚えがある。
(森崎、蛍さん?)
昨夜成り行きとはいえ妖魔から助け出した同級生だ。ベルを嫌って排除しようとしていた彼女が自分の下宿先に来た事に、彼女は少しばかり驚いた。
どうして。
何のために。
しばし黙考しても、的確な答えは導き出されない。とはいえ、朝食の時間は限られている。
(まあ、そういう日もあるわよね)
それほど深刻なことを考えず。
ベル七枝にとっていつものような一日が始まった。
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