砂浜の魔人(参)




 多くの術師は政府の管理下にはない。


 特定企業や団体が抱える術師も、一つの団体が過半数を超えることはない。代々の家系であったり、あるいは高い素質を持つ個人が術師に見出されて訓練を受ける。最適というべき訓練方法が確立されていないので、極論すれば術師の数だけ流儀がある。流儀というのは厄介なものであり、一つにまとめようとすれば必ずと言っていいほど軋轢を生じる。三課が仲介を行っているのも、その難しさ厳しさを理解しているからだ。


 フランチャイズの料理屋のように、マニュアル通りに指示して均一な力の術師を育てることなど不可能に近い。職人気質の家内工業、間違っても金型に材料を押し込んで超人が生まれるわけがない現実を知っているからこそ、政府は術師の養成を半ば諦めている。

 養成せずとも十分な数の術師が揃うという現実。

 強引に統制しようとして、酷い目に遭ったこともある。

 人の法を外れて暴れるものに対峙しているのだから、術師というのは必要以上に法で縛られることを嫌うのかもしれない。各省庁の管理下にあるという術師も、実際には雇用契約を交わしているだけである。それ以上の拘束力を政府は有していないのだ。それでも何とかなっているのだから、下手に術師を敵に廻したくないというのが日本政府の見解である。

 あくまでも日本政府の見解だ。

 つまり。


「わが国の術師不足は深刻です」


 それは日本語ではなかった。

 豪華な内装の会議室、赤と青を基調とし星がたくさんついた国旗が嫌味にならない程度に飾られている。国旗は彼らの誇りであり、愛国心の象徴でもある。虐殺や陰謀を肯定するための免罪符だと罵る者が世界に数多く存在することを、会議室にいるものは勿論知っている。

 知った上で、これを様々な力で叩き潰し屈服させることで彼らは自らの正義と主義主張を貫いてきた。

 彼らはそのための努力を惜しまず躊躇もしなかった。それは戦いというものを誰よりも理解しているという自負、何より自らの国が世界を滅ぼしうる力を持つ超大国であるという認識が背後にあったからだ。

 あるいは現在では、その力を持つ国は他に無いのかも知れない。だとすれば、彼らの国は唯一絶対の力を有すことになる。彼らが理不尽なる振る舞いを周辺の国にしてきたのも、その絶対性があったためである。

 故に。

 魔物の存在は彼らを恐怖させた。

 銃弾もナイフも、成型炸薬も化学物質も、感染力の強い微生物も。

 核でさえも。

 魔物の本質を滅ぼすことは出来なかった。三課より派遣される新米術師がなんとか封じられる低級の魔物一体を仕留めるため太平洋を航行する艦隊が支払った犠牲を報告した時、かの国の大統領は危うく脳溢血で自らの政治生命を絶つところだったという。


「純銀の弾丸や聖別したナイフがある程度の効果を発揮することは確認されています」


 先刻と同じ声の主、おそらく三十代と思われる女性がプロジェクターの画面を切り替えながら淡々と告げる。

 画面に映し出されるのは冗談のような映像だ。


「光剣の量産をハリウッドに急がせたまえ」


 将校と思しき壮年男性の声。

 本気か冗談かも分からない発言だが、笑うものは誰もいない。十名以上の人がいるはずなのに、呼吸音さえ聞こえてこないのだ。


「本国にも術師は多数いたはずだ」


 別の男の声。


「彼らを徴集することは不可能なのか」

「本国にて魔女狩り紛いの事件が多発したのはご存知ですか?」

「……」


 女性の言葉に、男は沈黙する。魔物が大量に出現し現地の術師がこれを何とか退治した時、キリスト教系の政治団体が中心となって彼らを徹底的に迫害した。多くは国外に脱出したが、家族などを人質にされて惨殺された術師も決して少ない数ではなかった。それらの事件は表沙汰にもされず闇に葬られ、しかし結果的に彼らの国から術師のほとんどが姿を消した。


「わが国が魔物を滅ぼせる装備を開発できれば、状況は激変する」

「一年前も同じ言葉を聞きました」

「あと半年あれば完成すると言っているではないか!」

「その台詞も、やはり一年前に」


 プロジェクターは、兵器研究所と思しき場所を映した。莫大な犠牲を払って捕獲した魔物と人間を外科手術で融合させようとしたり、あるいは機械を組み込んだ人間を兵士として完成させようとしていた研究所が破壊される様子が克明に映し出されている。銃弾や手榴弾、果ては大出力のレーザーまで持ち出して迎撃をしたにもかかわらず、研究所は土台さえ残さずに破壊されていく。


 仮にも兵器研究所である。

 テロリストどころか暴走する軍が攻めて来ても、ある程度は持ち堪えられるような設備と人員を備えている施設だ。


「この施設が侵入者によって壊滅するまで要した時間は七十三秒です」


 誰かが息を呑んだ。


「魔物か」

「魔物より恐ろしい存在かと」


 画面の一部が拡大して、一人の若者が姿を大きく映し出した。

 墨染めの麻服を身につけ、魔物や機械と融合した人間たちを塩に変えていく。攻撃を仕掛ける者、逃げるものを問わず全ての人間が塩となり、建造物は砂となって崩れた。

 薄暗い闇の中で、誰かが十字を切る。


「人間の仕業とはとても思えない」

「ソウルイーターと、術師たちの間で呼ばれている魔人です」


 魔人という表現に、会議室が騒然とする。この魔人が彼らの国が行っている兵器開発を邪魔していると知り、そんな愚かで邪悪な事はないと意識しながらなす術もない無力さを嘆くのだ。


「現行の兵器では対抗できないというのか」

「残念ながら。強力な術師がいれば話は別ですが」


 その術師がいないのですから、どうにもなりません。

 女性の淡々とした言葉には説得力がある。


「日本政府に協力を要請して術師を確保できないのか」

「仲介はしてもらいましたが、交渉はことごとく失敗しています。多くの術師にとって件の魔人は鬼門のようなものですから」


 女は政府と術師の関係について述べ、それが大きな失望による溜息を招いた。


「多少強引な方法を使っても構わん、条件に見合った術師をスカウトできないのかね」

「若干一名、なんとか交渉できそうな術師が」


 それが本題であるかのように、女は画面を変えた。

 小学生のような幼い容姿を持つ東洋人の少年がそこにあわられた時、女が艶っぽく息を吐き唾を飲み込んだのを周囲の男たちは理解していたが、あえて突っ込まないことにした。




◇◇◇




 犬上市の上空を、数機のヘリコプターが飛んでいく。

 普段は近付くこともない、在日米軍の輸送ヘリである。


「無粋な」


 浜茶屋で焼きそばをかき混ぜていた若者が、砂浜に轟音と突風を招いたヘリを見上げて呟いた。


(仕返しに来たわけではないだろうな)


 あの程度の装備や人員で何とかできると思うほど、愚かでもあるまい。

 彼我の戦力を慎重なまでに考えて過剰戦力を投入するのが、かの国の「美徳」なのだから。慎ましさや侘び寂びという言葉、ついでに繊細な味覚というものがDNAより欠如しているのではないのかと疑問を抱かざるを得ない国民性である。

 ヘリは浜茶屋を通り過ぎ、桐山沙穂と村上文彦が走り去った岩場へと急行していった。


「ああ」


 そういうことか。

 それだけ確認すると、若者は再び焼きそばに意識を向け闖入者たちの事を記憶から消去した。





◇◇◇





 現状を整理することは、とても大切だ。

 僅かに残った理性を総動員して村上文彦は黙考した。


(おれは、委員長を追いかけている)


 最も重要な事項を、まず脳裏に浮かべる。

 クラス委員長である桐山沙穂を追いかける、その理由や結果は大きな意味を持たない。追いかけること、その行為が文彦の理性を維持しているので余計なことを考えたくないというのもある。


(委員長は、岩場に駆け込んで姿を消した。直線距離にして、約400メートル先の岩陰。委員長は、そこで体育座りの姿勢でべそをかいている)


 文彦は沙穂の位置と様子を探り、認識する。視覚聴覚では捉えられない情報を、術を使って理解する。感情は動かず、機械的に思考が情報をまとめ、文彦に幾つかの決断を促す。

 目の前には、真夏というのに黒服黒眼鏡の集団。

 小麦色の肌をした連中は、全盛期のアーノルド・シュ■ルツネッガーかシルベスタ・スタ□ーンを連想させる、筋肉質の大男。黒色の肌をした連中は、NBAで活躍していたという禿頭の巨漢に似ている。もっとも、日本で生まれ育った文彦に、様々な人種が入り交じった米国人の個体識別などという器用な真似が出来るはずもない。

 十名程度が横一列になり、全く表情を変えることなく直立し、文彦の行く手を塞いでいる。

 迂回しようとすれば、列は動く。丘の方にも、海の方にもだ。上等のスーツが砂や海水に汚れようと、彼らは全く意に介していない様子である。


(距離は変わらず400メートル、泣き疲れて寝ている可能性あり)


 だとすれば追いつく好機である。

 好機ではあるが故に、この屈強なる男たちが邪魔だ。如何なる目的で文彦を通せんぼしているのか、術師とはいえ読みきれるものではない。

 黒服の男たちは、訝しげに自分たちを睨む文彦の姿を見て、歯茎を剥き出しにするような笑みを浮かべる。ヤスリで磨いたような、真っ白の歯が真夏の陽光に照り返る。その不自然極まりない歯の輝きに文彦が僅かに怯むと、黒服黒眼鏡の男たちは生地を破らんほどの筋肉を一気に膨張させ、名乗りを上げた。


「マッスル1!」

「マッスル2!」

「マッスル3!」

「マッスル4!」

「マッスル5!」

「マッスル6!」

「マッスル7!」

「マッスル8!」

「マッスル9!」

「マッスル10!」

『十人揃って――』


 選手宣誓のように片手を揚げ、唱和する黒服の男たち。

 文彦は引きつった顔のまま、指を鳴らす。途端に彼らの足下で地面が爆発し、黒服の男たちは沖まで吹き飛ばされてしまった。


「話を聞いて、シャドウ・キッド」

「そんな愉快な名前を持った覚えはねえ!」


 爆音が止む頃現れた金髪女性が日本語で叫び、文彦もまた負けずに叫び返した。先刻吹き飛ばした連中と同じく黒服黒眼鏡の女は、真夏の日差しに負けないよう分厚いファウンデーションを塗り、砂浜に踵が沈むのも構わずハイヒールを履いている。

 年齢は分からないが、口元や目じりの「隠そうとした跡」を見るに、三課のパトリシア・マッケインより確実に年上だろうと文彦は判断した。


「私たちは、あなたをスカウトしに来たの」

「筋肉変態集団に招かれる覚えもない!」


 やけに流暢な金髪女の日本語に多少の違和感を抱く文彦。

 数分前に、民間機とは思えぬ大型ヘリコプターが頭上を越えて着陸したのを文彦は覚えている。そのヘリから彼らがやってきたことも、理解している。


「帰れ、変態に用はねえ」

「あら他人のこと、言えて?」


 何もかも見通しているかのような、女の微笑み。

 無視して通り過ぎようとした文彦は露骨に硬直し、真夏というのに血の気のない表情で、女を見る。


「押しかけ弟子の女の子に寝込みを襲われて、そのまま……うふふ、素敵よね。デーモンを相手に凛と立ち向かうシャドウ・キッドが、あんな可愛い声で鳴くなんて」

「なっ」


 女は文彦の反応を楽しむように、笑う。興奮しているのか息は荒く、胸も肩も上下している。


「日本各所に、あのデータは流したわ。私たちの組織が動けば、国連の安保理であのビデオを上映する事だって可能。術師として、それ以前に人として――」


 言い終わらぬ内に、地面が爆発して女は部下同様に沖合いに吹き飛び、派手な水柱を上げる。

 その軌跡を視線で追い、肩を大きく上下した後、文彦は重い足取りで岩場の沙穂に追いつこうとする。

 が。


「待ちなサーイ、シャドウ・キッド!」

「コレコレ、この小娘を見るデェェェス!」

「ユーのステディでーす!」

「我々が確保しましター!」

「我々と一緒に正義をしなサーイ!」

「さもなくば、ユーのステディは大変なことになるデース!」

「我々は正義デース!」

「共に悪と戦うデース!」

「とりあえず、打倒ソウルイーター、デェェェス!」

「力を貸しなサーイ!」


 沖合いより泳いできたのだろう、黒服黒眼鏡の男たちが海水を吐きながら現れた。

 着衣のまま泳ぐということがどれほど困難なのか、文彦は知っている。爆発の衝撃で衣服のあちこちが焦げ破れたので多少の動きやすさがあったのかもしれないが、それにしても尋常ではない。

 そして。

 この屈強なる男たちは、一人の少女を頭上に掲げていた。

 金茶の髪をポニーテールにした、ハーフの娘だ。しなやかな肢体は健康的な色気を帯び、まだまだ発育途中でありながら、この年頃にしか出せぬ魅力を醸し出している。未成熟であるが故に完成した美。小悪魔的と表現する者もいる、その魅力。


 少女の名は、ベル・七枝。


 三課より派遣された炎術師であり、文彦の家に下宿している女子中学生だ。

 炎術師としての実力は、この数日で急激に上昇している。事情を知らぬ者が見れば、別人ではないかと思うほど、進化という言葉を用いたくなるほどの変化だ。それでも彼女が炎術師である事実に変わりはなく、炎術師であるが故の弱点も宿命的に抱えている。

 つまり。

 水辺における炎術師ほど無力な存在はないという、そういう宿命だ。


「文彦さぁぁぁぁぁんっ!」


 バーベルのように、胴上げされた野球選手のような格好でベルは叫ぶ。おそらく詳しい事情を把握していないのだろう、それを言ったら文彦も似たようなものだったが、ベルは困惑しているように見えた。


「私に構わず逃げて、逃げてくださいっ文彦さぁぁん!」


 事情は分からぬが。

 シチュエーションに酔っていた。


「私の事を愛しているのなら、逃げて下さいっ」

「じゃあ逃げねえ」


 間髪いれずに発した呟きは小さかったが、しっかりベルの耳にも届いた。

 露骨にベルが硬直したので黒服の男たちも言葉を失い、バツの悪そうな顔で文彦を見る。


「ヘイ、シャドウ・キッド。それはあんまりデース」

「イエスイエス、こういう時は義理でも迷ってみせるものデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」

「右に同じデース」


 口々に叫ぶ黒服の男たち。

 ぷちん、と文彦の中で何かが弾けたのはその時だった。


「ジンライ」

『ここに』


 文彦の言葉と共に、足下の影より大狼ジンライが姿を現す。虎ほどもある巨大な姿に男たちは驚き、ベルは文彦の意図するものを察して慌てる。


「あれ、全部吹き飛ばせ」

『……七枝殿も、ですか?』

「既に命は伝えた」

『――御意』


 直後、幾条もの雷が晴天を引き裂くように降ってくる。腰まで海水に浸かっていた男たちは逃げ場もなく、その直撃を受けて再び沖合いに吹き飛んだ。その中にベルが含まれていたかもしれないが、確認することさえ疲れた文彦は、沙穂を追いかける事を優先させた。




◇◇◇




 桐山沙穂は、いじけていた。

 優等生という人種は、得てして過剰な思い込みと早合点を繰り返すものだ。沙穂もまたその例に漏れず、数多くの失敗を繰り返している。旧くは幼稚園で遠足の日を一日早く間違えたことに始まり、今でも年に数回は似たような間違いを犯す。経験が人間を育てるとは言っても、十数年という半生は、沙穂にポーカーフェイスを与えるには短すぎる。

 まして思春期の娘が、ほのかに想いを寄せる少年のアレな場面を目撃して平静さを保てるはずもない。

 アレである。

 姉の水鳥が買ったり読んだり、場合によっては売り買いしている書物の内容を思い出す。美しい少年と青年が糸を引くような口付けを交わし、アレにソレを出したり入れたりかじったり舐めたりするのだ。


(吸ったりしゃぶったり、口に入れてもごもごしたり)


 体育座りの姿勢で岩場にうずくまっていた沙穂は、妙に生々しい映像を思い浮かべてしまう。。


「村上くんが、村上くんが、村上くんが……男の人とあんなことしたり、こんなことしたり」

「しねえよ」

「ひゃあっ」


 背後より、村上文彦の不機嫌そうな声。気配さえ感じていなかった沙穂は過剰に反応し、背筋を勢いよく伸ばす。


「なに想像していたんだ」


 振り向くより先に、どこか疲れた様子の文彦が沙穂の前に現れた。目の下には隈があり、呼吸も荒い。足場の悪い砂浜を数キロ全力疾走すれば、プロスポーツ選手でもない限り、大抵の人間は途中で力尽きる。しかも、この炎天下で、得体の知れない連中を吹き飛ばしてきたのだ。

 たとえ術師としての訓練を受け、数え切れぬほどの実戦をかいくぐってきた文彦であっても例外ではない。膝に手をつき上体を屈め、咳き込むように文彦は息を整えていた。


「村上、くん?」

「おう」


 しばらく後に。

 なんとなくバツの悪そうな沙穂は、座ったまま文彦を上目遣いに見た。文彦はというと、そもそも沙穂に追いつくことを目的に動いていただけである。短く返事する以外にすることはない。そういう素っ気ない対応をされてしまうと、沙穂も言葉の続けようがない。

 再び、どうしようもない沈黙が二人の間に訪れる。


「あー」


 目的を達成し落ち着いた文彦は、ようやく現状を認識するだけの理性を回復した。

 沙穂が、何かを期待する目でこちらを見つめているのも知る。


(私を追いかけてきてくれたって、自惚れてもいいの?)


 沙穂の目は、そう語っている。おそらくは先刻から、ずっとだ。

 文彦は、自分がどういう立場にあるのかを理解した。


「あー」


 人気のない岩場の陰に、文字通り二人きり。

 沙穂を追いかけてきた、その事に違いはない。誤魔化しようもない。下手なことを言えば沙穂が傷つくのは目に見えていたし、最悪、誤解を一層深める結果になりかねない。

 逡巡の後、文彦は覚悟を決めた。


「委員長、聞いて欲しいことがあるんだ」


 そう言いながらも、文彦は自分が何を語るべきか自覚していなかった。焦燥感に近い衝動が、起こる。この気まずい沈黙よりいち早く逃れたいという欲求を満たすべく、文彦の口を動かしているような錯覚さえあった。


「はい」


 沙穂は慌てて立ち上がり、脚や水着についた砂を払い落とす。理由を問うわけでもなく、反抗するわけでもない。驚くほど素直かつ従順な沙穂の振る舞いに、文彦は面に出さないまでも狼狽する。


「おれ、委員長に隠していたことが幾つかあるんだ」


 言葉を間違えれば、沙穂が今まで以上にいじけてしまうのは目に見えている。


「すっげー大事なことなんだ」

「はい」

「……別に聞き流しても構わねえんだけど……いや、やっぱり言わない方が」

「とっとと言わんかいゴルァ」


 一瞬だけ物凄い形相になって文彦を睨む沙穂。

 文彦はぎょっとして数歩退くが、すぐさま笑みを浮かべる沙穂に見つめられ、動きを止める。


「他に人はいないもの、どんな恥ずかしいことを口にしても平気」

「わかった」


 今度こそ覚悟を決めて、文彦は頷く。

 沙穂も、小さく頷く。不安を上回る期待に、隆起がまるでない胸も膨らむ。


「おれは」

「はい」

「待ってくだサーイ!」


 野太い声、たどたどしい日本語による絶叫が文彦の言葉を止めた。

 聞き覚えのある文彦は振り向きもせず頭を抱え、覚えのない沙穂はとにかく邪魔者の正体を知るべく視線を動かし。

 絶句した。

 先刻まで着用していた黒服は爆発と落雷で全て燃え尽き、今は股間を覆う漆黒のビキニパンツが唯一の着衣。外れた黒眼鏡の下にあったのは、一昔前の少女漫画を髣髴とさせる、つぶらな瞳。盛り上がった筋肉は、岩場に打ち寄せる波しぶきなど、ものともしない。

 海水をも弾く、ぬらぬらてかてかした筋肉の美。

 ロダンの彫刻にも通じる、リアリティのないほど大胆に盛り上がった筋肉を宿す十人の米国人。


「シャドウ・キッド! カムバーック!」

「アイ・ニーヂュウウ!」

「アァァァァアァァイ・ウォンチュゥゥゥゥゥゥゥゥゥウッ!」

「ぷりーづ・ぷりーづ・かむうぃづ・みー!」

「一緒に来てくれたら全てを捧げマース!」

「ユーが欲しいデース!」

「我々を好きにしてイイデェェェェス、だから一緒に来てくだサァァァァァイ!」

「我々にはユーが必要なんデース!」

「優しくしてクダサァァァァァイ!」

「見捨てないでクダサァァァイ!」


 筋骨隆々とした男十人が。

 小麦色ないし黒色の、ぬらぬらてらてらした素肌を露出させ。

 えぐい黒色のビキニパンツの食い込みがかなり厳しい腰を振りつつ。

 波をかき分け、彼らは文彦と沙穂のいる岩場を目指した。


「……」


 文彦は、沙穂を見つめていた。だから、沙穂の表情が変化していくさまを、文彦は観察することができた。つまり、何かを期待していた笑顔が強張り、引きつり、曇り、もはや表現しようのない悲しみと怒りと拒絶感が入り交じった形相となった沙穂の顔をだ。

 ああ、やっぱり。

 その呟きを発したのは、沙穂か文彦か。

 追及することさえ面倒くさくなった文彦の前で、沙穂の両目に涙が浮かんだ。


「う、うぅ……うわぁぁぁぁぁぁんっ!」


 来た時以上の踏み込みで、岩場から砂浜へと駆け出していく沙穂。

 もはや追いかける気さえ喪失していた文彦は、とりあえず駆け寄ってくる男共に術を叩き込むことにした。







 閉店間際の浜茶屋で、一人の若者が焼きそばを仕上げていた。

 既に海水浴客の多くは帰り支度を始めており、若者は臨時のバイト代がわりに山ほどの焼きそばを頂くことで店主との交渉を済ませていたのだ。


「それで、誤解されたまま彼女を帰したのかい」

「伊井田や柄口が一緒にいたから」


 浜茶屋のテーブルに突っ伏したまま、文彦は呻いた。ひょっとしたら悔しさと情けなさで涙を流しているのかもしれないが、若者はそこまで知ろうとは思わなかったので触れずに済ませた。


「あんたが米国の施設を中途半端に壊さなかったら、連中も反撃しようなんて思わなかったんだ」

「政治屋や軍人の意向など、僕らには関係ないよ。バケモノと術師の業界に首を突っ込まない限り、虐殺しようが戦争を起そうが勝手にすればいい」

「……三課に入った情報じゃ、各地の術師を徴集しようって動きもあるじゃねえか」


 しくしくと嘆く文彦。麻服を着た若者は、どこからか取り出した大型のタッパーに焼きそばをぎゅうぎゅうと詰め込んで頷く。


「じゃあ今度から容赦せずに潰すさ。それなら君も障害なく彼女と愛を語らえるというものだ」

「……多分、そんな機会は二度とねえよ」


 そこから先は言葉にならない。

 若者は肩をすくめると浜茶屋を去り、一人残った文彦は日が暮れるまで浜茶屋にて落ち込み続けた。



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