当世物ノ怪事情(参)




 ある種の人間は、特定の言い回しを何よりも尊ぶ。


 それは彼らにとって最高の美学であり、美学であるがゆえに、その言葉を口にするための資質と時機について誰よりもこだわる。村上文彦は、目の前にいる若く聡明な女性もまたその資質を持ち美学を抱く人種であることを理解している。

 理解しているので。

 次に彼女が何を言うのか予想できていた。


「こんなこともあろうかと用意した物があるデース!」


 眉のない技術者のオーラを背後に漂わせて。

 パトリシア・マッケインは感激の涙を流しつつ拳を震わせた。


(めちゃめちゃ活き活きしてるな)


 言葉には出さず、妙に悟った表情でパトリシアを見る文彦。その隣ではパトリシアがなぜ感涙を流しているのかさっぱり理解できない桐山沙穂が、「え、ええええっ?」とただひたすら困惑しつつ様子を見守っている。


「確か、ここにあった筈デース」


 自分の机を引っ掻き回すようにして何かを探しているパトリシアの姿に、三課の事務職員は乾いた笑い声を上げた。

 そういう時の彼女が何を考え、何をしでかしたのか。

 身をもって知っている彼らは笑いながらも全力で現在の仕事を片付け、貴重品を安全な場所へと避難させる。それを横目に見つつ村上文彦が無言で視線を動かせば、姿を隠して控えていた大狼ジンライと隼ハヤテが沙穂を保護すべく身構える。


「ありましたデース!」


 とパトリシアが叫んだ時、三課職員と文彦の精神および肉体の緊張はまさに戦場におけるそれに等しかった。

 が。

 意外にもパトリシアが取り出したのは模造紙を束ねた筒だった。特に何の仕掛けも見られないそれを開いてホワイトボードに貼り付けると、丸文字でびっしりと家系図のようなものが全面に書き込まれているのがあらわとなった。


「はい、これ。国内組織の系列図をまとめてみたの」

「……こんなに、組織があるんですか?」


 一通り眺めた後、絶句する沙穂。

 ざっと見ただけでも百を下らない数の組織名称が、沢山の矢印や棒線と組み合わさって書き込まれている。一見すると家系図だが、無秩序にして複雑なる配置は生物の進化系統図を連想させる。特に害はないと判断した三課の職員たちは、ホワイトボードの前に集まりだす。


「警察庁が抱える組織だけで十二部門と三十の出張所、自衛隊は陸海空で妙にいがみ合っててそれぞれ独立した戦闘部隊を展開しているし、文部科学省と宮内庁は警察庁と対立しているけどそれぞれやっぱり独立した組織を設立して主導権争いを展開しています。厚生労働省は合衆国の圧力で最新危機を応用した特務機関を設立しているという話だけど当然のように自衛隊が黙って無くて予算委員会ではいつも取っ組み合いの喧嘩だし、三代前の総理大臣が内閣調査室内でバケモノ対策の部隊を構成しようとして途中で政権交代したんだけど……ああ、今の総理になって復活したのよね。京都、奈良、島根、東京都では各種地方自治体が独自にバケモノ対策組織を運営しているんだけど、彼らの方が国の機関より成果を上げているので地方交付税をちらつかせて組織の行動制限に走ったり。そうそう、文部科学省では術師の養成機関を学校形式で開設しようとしたんだけど公安委員会が何故か横槍入れて結局彼らの天下り先になって数年で実質上の廃校。それで、それぞれの国の組織ってのは大臣が交代したり年度末の予算調整時期に差し掛かる度に適当な理由をでっち上げて新しい部門とかそういうのが増やされてしまうから」


 アルミ製の指示棒を忙しく動かしながらパトリシアが説明するのは、模造紙に書き込まれた組織のおよそ二割程度だった。おそらく民間系列とされる混沌領域には、一切触れていない。

 何より恐ろしいのは。

(……今の、一息で?)


 肺活量には自信のある沙穂だが、これほどの長い台詞をこれほどの声量で喋ることはとてもできない。やや驚くべき点を勘違いしつつ戦慄を覚える沙穂の様子に、得意満面のパトリシア。


「国と地方公共団体が抱える同系統の組織は、カタログ通りのデータだと合計四十万八千人の術師を擁していることになりますデース」

「そんなに、いるんですか」

「いるわけないデース」


 感心しかけた沙穂に、ちちちと指を振るパトリシア。


「日本政府が専属で抱えている術師は研修生を含めて百名にも達していないデース」


 えへんぷいと胸を張るパトリシア。

 その背後で三課職員が全員がっくり肩を落としたのだが、沙穂はとりあえずそれについて質問しないことにした。




 民間を含めて数百の組織が、異形や術師に関わっている。

 表立っていない組織も少なからずある。

 村上文彦は、ホワイトボードに貼り付けられた組織相関図を眺めてこう言った。


「組織の数だけ主義主張があって、目的もある。思いつく限りの用途で術師に要求するから、術師は特定の組織に加担して行動することを極端に嫌うんだ……血族とか信条による縛りがない限りは」


 血族という部分で文彦の表情はわずかに硬くなっていた。

 三課職員も、何人かが反応していた。彼らは文彦よりあからさまに硬直していたので、説明を受けていた桐山沙穂は何かあったのかと視線を彼らへと向ける。職員達はそれに気付き慌てて咳払いなどをして、視線を外す。


「だから三課は、依頼する組織と術師を仲介しているの」


 それを察したパトリシア・マッケインが、受付に山積みにしていた「申し込み案内」「入会パンフレット」を束にして沙穂に押し付ける。


「国家機関だけでなく、民間からの依頼も個人レベルから受け付けているデース。国連で助成金が支給されているから、文彦クラスの術師でも二千九百八十円(税込み)で丸一日好き放題デース!」

「買った」


 真顔で千円札を九枚取り出した沙穂の後頭部をべしっと叩き、ようやく文彦は普段通りの表情に戻った。




「それで、最後の質問は」


 後頭部を押さえてうずくまっていた沙穂に、パトリシアは優しく声をかけた。


「魔術の原理? それとも、バケモノ封印のメカニズムについて解説する?」


 うきうきしながら怪しいファイルを抱えるパトリシア。


「……その、バケモノが人間を襲う理由を教えてください」

「ふむ」


 確かにその質問も大事よね。

 ばさばさとファイルを落としつつパトリシアは頷く。彼女なりに平静を装っていたのだが、その質問はよほど彼女にとっては面白くないものだったらしく、視線が左右に動いており定まろうとしない。それでも引きつった頬を叩いてほぐし、営業スマイルの維持に努める。

 あくまで、パトリシア個人としての努力だったが。


「まーねぇ、連中が人間を襲う理由にもいろいろあって……単なる私怨とか、国家転覆とか、そういうのもあるんだけど。すっごいありきたりの解答しか出てこないわけで、今からでも構わないから別の質問にしてみない?」

「襲われる側としては、その辺をしっかりしておきたいんですけど」


 しなって妙に色っぽく迫るパトリシア、しかし沙穂はむっつり顔で返すのでパトリシアは奇妙なポーズのまま固まる。


「今ならステキな発明品をセットでプレゼントするわよ、キャスターつき三十連収納ボックス」

「間に合ってますから」

「ルナチタニウムもらくらく切断できるミラクル万能包丁セットとか」

「結構です」

「一日十五分の使用で半年以内のDカップを約束する美乳養成ギプスは?」


 若干反応が遅れた。


「いりません」

「じゃあ、三課が総力を挙げてかき集めた文彦の恥ずかしい生写真セット」


 返答は直ぐだった。


「来週までにバッチリすっごいの撮るからいいです」

「おい待てそこの二人」


 慌てて声を上げる文彦。二人は文彦を一瞥すると何事も無かったかのように交渉を続ける。


「つまんない理由よ? 賭けてもいいけど、聞いたら十中八九『ああ、やっぱりそうだった』って頷きながら意外性のない展開に舌打ちするわよ」

「奇抜すぎる理由で何度もバケモノに狙われるほど波乱万丈な人生を送っていませんから、どうか教えてください。どうしてバケモノがこの半月に何度も私に襲い掛かってきたのか」

「どうしても知りたいの?」

「ええ」


 沙穂の決意は固い。

 パトリシアは沙穂を説得してくれないものかと肘先で文彦を小突くのだが、これと決めた沙穂の頑固さというか一途さというものを身をもって知っている文彦は、気付かぬふりをしている。説得は無理だと判断したパトリシアはソファーに深々と身体を沈めてしばし沈黙し、そうして説明を始めた。


「バケモノ――つまり安定した実体を持たない精神体である異形は、義体を構成しているエーテルを維持するために常に一定量の魔力を消費しているの。魔力が満ちている土地や器物に寄り添えば問題ないけど、そういう『特異点』は数が限られているし先客が多いから定員一杯っていうケースも少なくないわ」


 資料を持たず、身振り手振りで説明する。少しばかり投げやりな説明かもしれないが、謎の用語が減ったので沙穂はそれを歓迎することにした。


「だからバケモノは手っ取り早く魔力を回復するために、人間の身体に『特異点』を発生させるの。生命や精神の力を増幅させて、生み出された魔力をバケモノたちは利用する」

「利用された人間は……やっぱり?」

「死んだり死ななかったり、色々ね」苦笑するパトリシア「多くの人は原因不明の疲労や病気で片付けられるし、相性がいい宿主を見つけてから人間を守る変り種も少なくないし。そういう意味ではバケモノも絶対的な悪ではないけど、迷惑なやつが多いのは事実よ」

『げほげほげほ』


 パトリシアの言葉に使い魔ハヤテが激しく咳き込むのだが、沙穂には姿が見えないので「ふーん」と反応するに留まった。




◇◇◇




「わかったような、わからなかったような」


 その日の夜。

 三課で貰ったパンフレットや資料などに目を通しつつ、沙穂は机に肘をつき考えていた。

 知りたいと思っていた事については、一応の回答を得た。

 説明を聞いた帰りに文彦と一緒に昼食を摂ったのは、沙穂としては予想外の幸運だった。事実を理解するためにはもうしばらくの時間が必要だろうと文彦は言っていたし、沙穂もそう考えている。


「ねえジンライさん、私がバケモノに狙われる理由って『特異点』が関係しているの?」

『その通りでござる』


 ベランダより顔を出す、大狼ジンライ。


『沙穂殿を最初に襲った異形が、沙穂殿の心に闇を植えつけました。それは沙穂殿の奥にあった衝動を増幅し、行き場のない魔力を生み出しつつあります』


 表情の読めないジンライの言葉に、息を呑む沙穂。


「それって、結構危険なのかしら」

『高まりすぎた魔力は生命の本質を歪めます』短く頷くジンライ『文彦様もそれを問題視されているので、いずれ沙穂殿の内に根付きつつある心の闇を処理されるでしょう。ご安心くだされ』

「そう」


 文彦が自分のことを心配してくれている。

 それだけで沙穂の胸は心地良い痛みでいっぱいになっていた。思わずヌイグルミがわりにジンライの頭を抱き寄せてしまうが、意外にも柔らかい大狼の毛皮は抱き心地が良い。


「その『特異点』を処理すると、どうなるのかしら」

『増幅対象となる衝動が特異点と共に消滅しますが、あくまで限られたものへの衝動ですので日常生活への支障は最低限に留まるかと』

「ふうん」


 首を絞められているので少し苦しそうな声を上げるジンライ。


「やっぱり、あのバケモノへの恐怖心とかが消えちゃうのかしら」


 それって便利よねと沙穂。

 ジンライは何も言わない。沙穂は無言で机の引き出しから虫刺されの塗り薬を取り出して、刺激臭たっぷりのそれをジンライの鼻面に近づける。いやいやと首を振り逃げようとするジンライだが、沙穂の腕はジンライの首にしっかり極まっているので逃れることはできない。


「教えて、ジンライさん」

『沙穂殿の心に宿った闇は、その……』

「その?」









『――文彦様への慕情に宿り、これを爆発的に増幅させました。沙穂殿が文彦様へ寄せている想いは、いわば異形が生み出した偽りの恋なのです』


 知らず沙穂は床に膝をつき。

 そのまま呆然とした気持ちでしばらくの時間を過ごした。

 瞬きすることさえ忘れ、呼吸さえ止まりかけていたので。

 ジンライは沙穂をベッドへと放り込み布団をかけると、傍らで見守り続けることにした。

 

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る