当世物ノ怪事情(弐)




「急に呼び出して悪かったな、委員長」


 村上文彦は、いつも通りの態度で桐山沙穂に接した。


「……ってジンライ。確かに急ぎの用事とは言ったが、寝間着のまま連れて来てどーすんだよ」

『これは失念していたでござる』


 いつも通りである。


「仕方ねえ、ハヤテ」

『へい』

「小雪かルディから服借りてきてくれ、それと来客用のスリッパも」


 悟りきったかのように平然と。

 笑顔を浮かべるのでもなく、緊張で動きが固まるのでもなく。もちろん無視するわけでも、言動に妙な点があるわけでもない。朝の仕込みなのだろう、数十個はある玉葱の皮を剥きつつ応対する文彦の姿には清清しささえあった。

 それはもう、腹立たしいほどに。


「委員長?」


 厨房で着ているコックコート姿ではなく、普段着にエプロンを重ねた文彦は今更ながらに沙穂の様子に気付く。


「……」


 パジャマ姿の沙穂は拳を震わせている。


(手強いわ)


 沙穂の顔は、そう言いたげだった。

 昨晩色々考えたり妙に昂ぶった自分が、とても阿呆らしくなった。つまるところ公衆の面前で唇を奪った程度では、文彦の心は微動だにしないということだ。


(もっと過激に、えげつなく)


 違う、それは違う。

 とりあえず自制心を振り絞り、沙穂は大きく溜息をついた。

 事件に巻き込まれるようになって沙穂は文彦に何度も尋ねたことがある。


「バケモノがいて、魔法使いがいて。それで、世の中って結局どうなっているの」


 そう。

 何度も理不尽な出来事に巻き込まれ、おまけに想い人は化け物退治の専門家。しかし沙穂としては諦める気持ちなど微塵もなく、だとすれば突き進むしかない。


「俺、説明下手だからなあ」


 問われる度に、困ったように文彦は唸っていた。あの終業式の朝も、そんな事を言った。


「実際に体験している分、普通の人よりも説明は簡単だとは思う。でも俺では説明できないことも、沢山ある」


 優等生の沙穂は、興味を持った事柄に対しては徹底的に質問する。

 同級生として、そういう沙穂の性格を文彦は知っている。


「だから説明してくれる人に頼んだ」

「……だれ?」


 なんとなく嫌なものを感じて問う沙穂。

 そこは駅裏の比較的大きな雑居ビルで、高校生には縁遠い企業名が並んでいる。買い物に出かけたりするときに、このビル前を通ることも少なくないから沙穂は意外な印象を受けた。自動ドアを潜り多目的展示場と化したロビーに入り、文彦はエレベーター横の壁に設けられた看板表示の一つを無言で指差した。


 国連平和維持軍特務第三課 犬上駅前支局


 色々言いたい事はあったのだけど。

 とりあえず沙穂は倒れこむように壁に手をついた。


「委員長?」

「秘密組織が、こんな堂々としててどーするのよっ」

「秘密じゃねえよ」


 もっとも知っている人は少ないけどね。

 唖然とする沙穂の背を押して、文彦はエレベーターに乗り込んだ。




◇◇◇




 ほんの半月前まで、桐山沙穂はバケモノの存在を信じなかった。

 ほんの半月前まで、村上文彦が術師だと気付かなかった。

 ほんの半月前まで。


「世の中がこんなに非常識だとは思わなかったわ」


 エレベーターの中で沙穂は唸る。

 隣で文彦が


「引き返すなら今だぞ、委員長」


 と言えば、ぶんぶんと首を振って沙穂は文彦を見る。


「カレシが非常識なら、それに付き合わなきゃ」

「なんだ。委員長には彼氏がいたのか」


 全く悪気のない笑顔の文彦。


「彼氏がいるのに俺に声かけてどーすんだよ、委員長も人が悪いなあ。はっはっはっ」

「あははははー」

「はははははー」

「でいっ」


 額に青筋浮かべたまま一緒に笑っていた沙穂が、文彦の爪先を思い切り踏んだ。




 同時刻、駅前の予備校にて。


(……あ)


 柄口鳴美はペンケースを開いて声を出しそうになった。犬のイラストがプリントされた若草色のシャープペンシルが、真ん中で折れていたのだ。

 それは同級生の文彦に借りたものであり、絵柄がなんとなく気に入っていたので彼に無理を言って譲ってもらった品だった。軽い割に頑丈な作りなので重宝していたのだが、軸の一点が粉々に砕けているので修繕のしようもない。まるで全体重を乗せて踏み砕かれてしまったかのようなシャープペンシルの無残な最期に、思わず息を呑む鳴美。


(まさか、ふみ君の身に何かが起こったの?)


 折れたシャープペンシルを手にする鳴美。

 が。


「そんな訳ないわよね」


 気のせい、気のせい。

 と、折れたシャープペンシルをティッシュに包み、鳴美は授業に集中することにした。




◇◇◇




「パトリシア・マッケイン博士?」


 聞き慣れない名前だったので沙穂はその名を繰り返した。


「パトリシアってことは、女性よね」


 胡散臭そうに、眉間にしわを寄せる沙穂。

 そもそもバケモノや魔術に関して学問が成立しているなど聞いたこともないし、そういう専門家にまっとうな人物がいるとは到底考えられない。


「多分……今までのパターンから予測すると、若くしてマサチューセッツ工科大学を首席で卒業した天才肌」


 文彦は何も答えず、沙穂の推測に耳を傾けている。


「バケモノに関わる仕事をしているって事は、まず間違いなく怪しい日本語のマッド技術者。四六時中とんでもない発明品を製造しては、周囲に甚大なる被害をもたらしているかも」


 文彦はやはり何も言わない。少しばかり引きつった笑顔で沙穂の推測を黙って聞いているが、彼女はそんな文彦の様子には気付かない。


「仕事に支障のない程度でキテレツな趣味  たとえば白衣の下に警察の制服を着てたり、エレベーターの前で私たちを待ち伏せしてて『説明しようっ!』って開口一番叫んだりしたら」

「ら?」


 文彦が相槌を打ち、直後にエレベーターが止まり扉が開く。

 そこには。


「ううううっ……」


 沙穂がまさに描写した通り、白衣の下に警察の制服を着用したイギリス系金髪美女が、エレベーターの前でしゃがみこんで泣いていた。


「……せ……せっかく、一生懸命……練習したのに、ひどいデース。あんまりデース、台本まで用意したデース」


 その先は言葉にならない。

 故に。


「とりあえず、帰っていい?」


 やけに冷たい声で呟く沙穂に、思わず頷きそうになった文彦だった。




◇◇◇




 応接用のソファーに腰掛けて、パトリシア・マッケインは桐山沙穂を見た。

 頭の回転も早そうだし、意思も強そうだ。

 ひと目で理解できる知性。それに、隠そうともしない村上文彦への好意。


(意外ね)


 言葉に出さず、感心する。

 パトリシアが知る限り、文彦という少年は恋愛事を無意識的に避ける傾向がある。それが彼の家庭事情に起因しているのか、それとも数年前に失ったという初恋の相手を今も想い続けているためなのか。それはわからない。

 その文彦が、腰掛けてなお手を握らせているのである。


(意外すぎるわ)


 よくよく観察すれば文彦の表情に諦めにも似た悟りの境地がうかがい知れるのだが、状況のインパクトが強烈だったのでパトリシアはただひたすら驚くばかりである。もっともそれは三課の事務局にいる全員が思っていることなのだろう、ごくごく普通の商社マンを思わせる彼らは特に用事があるわけでもないのに応接スペースを通り過ぎ、沙穂と文彦の様子をちらと見ては「ああ、あれが噂の」と他の同僚たちとなにやら話をしているのだ。


「質問は、三つだけ受け付けるわね」


 薬品や機械油で汚れた指を三本立て、パトリシア。


「三つだけ?」

「そう」微笑んで、小さく頷く「人間は一度にたくさんの事柄を理解できないから、いちばん大切なことを三つ。本当に知りたいことを、まず三つだけ答えてあげる」


 その代わり、出来る限りの質問に答えましょう。

 優雅とさえ思える仕草で手を動かし、備え付けの端末を操作するパトリシア。沙穂は最初こそ呆気にとられたがパトリシアの言葉ももっともだと考えたのだろう、横に座る文彦の顔を一瞥し、握っていた手を放して正面からパトリシアを見つめた。

 自分の中の、疑問をまとめる。

 どうしても知っておきたい事を、三つに絞る。逡巡はわずか数秒で終わり、沙穂は深呼吸した後にこう尋ねた。


「皆さんが相手にしているバケモノたちは、いったい何者なんですか」


 と。




 それは予測の範囲内にある質問で、同時にもっとも答えにくいものだった。

 あくまでも基本。

 しかし基本だからこそ、その本質を同時に問いかけている。沙穂が言うバケモノが何者なのかを説明するということは、そのままパトリシアたち三課だけでなく世の術師たちがいかなる存在なのかを語ることに等しい。考えなしに問いを出してもそこに行き着くこともあるだろう、だが沙穂の目を見るとそういう推測は成り立たなくなる。


「彼らの出自は色々、それこそ千差万別ね」


 慎重に言葉を選び、幾つかの映像を近くの画面に表示する。

 映し出されるのは、様々だ。TVゲームに出てきそうな怪物から、明滅を繰り返し宙を漂う埃球まで、パトリシアが言うように千差万別としか言いようのない。


「有害なもの、有益なもの、知性の有無、種族としての安定。分類学者は彼らが何者であるのか調査しているけど、何とか把握しているのは全体の一握り。生命としての定義さえ当てはまらないヤツもいるから、外見や性状から名前を適当に決めているのが現状よ」


 たとえばと画面に表示されたのは、数日前に文彦が封印した豚頭の悪魔オルクスだった。ただ、それは北高校の屋上で出会った異形とは微妙に姿形が異なっており、同一の存在とは思えなかった。


「豚の頭がついてれば、とりあえずオルクス型悪魔って三課では呼ぶことにしてるの」

「……すっごい、いい加減ですね」

「だって下手すればDNAすら無い連中だもの、見た目で判断するしかないわよ」


 けらけらと笑うパトリシア。

 そういうものなのかと沙穂は受け止めるのだが、納得するまでには至っていない。なるほど、こんな調子で説明を幾つも聞いても身にはつかない。パトリシアがなぜ質問を三つに絞ったのか、その理由を理解した。


「こいつらは、凝縮したエーテルで義体を形成し実体化を果たしているの。でも実体化能力には個体差が大きいから生物の機構を模倣しているのもいれば、単に自分の力を行使するための器官しか備えていないような奴もいて。そうね、そういう意味では彼らには構造上の共通点があるのかしら」


 同意を求めるように、あるいは「この程度のことなら理解できるわよね?」とでも言いたげに、いったん言葉を区切って沙穂を見つめる。

 ところが。

 既に沙穂の表情は固まっていた。

 うっかり「エーテル」という耳慣れた単語を耳にしたばかりに、その後に続く非常識かつ非科学的な単語の羅列に沙穂の思考は停止した。理性が、理系を志す者としての良識がパトリシアの解説を拒絶したのかもしれない。

 まばたきさえしない沙穂を前に、パトリシアは慌てる。


「つまりエーテルってのは、魔力とか精神波を伝達するモノで……術師なら認識できるみたいなんだけど、科学的に証明されてない代物で。バケモノたちは、そのエーテルで身体を構成して世界に出現しているから、物理的な手法では倒すこと……って、沙穂? 聞いてるデスかー、沙穂! まだ最初の説明も終わってないデースよっ」

「いや、委員長聞いてねえし」


 沙穂の肩を掴んでがっくんがくん前後に振るパトリシアに、なんとなく疲れてしまった文彦が短く突っ込んだ。




 差し出されたスポーツ飲料を一気に飲み干して、ようやく沙穂は人心地ついたかのように大きく大きく息を吐いた。


「結局、バケモノってのは何なの?」

「魔術以外では倒しにくい連中。敵対するヤツもいるし、そうでないヤツもいる」


 自販機から良く冷えた缶を持ってきた文彦が、できるだけ誤解を抱かないよう考えながら答えた。文彦の回答を、渋い顔で聞いていたパトリシアは「まあ間違ってはいないですけど」と頷いているのが印象的だ。


「ただ、連中の多くは人間の法律なんて守ろうとしないし、人間が作った法律で処理することも出来ねえ。だから俺たち術師が、そういうバケモノを相手に色々やってるんだよ」

「……色々、って?」

「説明しましょうっ!」


 沙穂が発したさりげない質問に。

 実に嬉しそうにパトリシアは叫び、立ち上がるのだった。



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