第三話 クラス委員長はベルを二度泣かす

クラス委員長はベルを二度泣かす(壱)




 夏休み前日の事だった。


「村上、文彦くん」


 いつもより数分長いホームルームが終わった後、クラス委員長の桐山沙穂は村上文彦を呼び止めた。教室には既に生徒の姿はなく、その実廊下には少なくない数の生徒達が潜んでおり事の成り行きに固唾を呑んで傍耳だてていたのだが、沙穂はそれに気付いていなかった。


「……なんだよ委員長」


 普段とは違った雰囲気の沙穂を前にしても文彦は動じなかった。彼の視線は携帯端末の文面に向けられており、地元警察からの依頼を告げる内容に顔をしかめている。


「あなたのことが好きです、私の恋人になってください」


 沈黙が生じた。

 沙穂は文彦の返事を待っていたし、文彦は端末に返事を打ち込むのに専念していたから一言も発しない。

 それでも沙穂は辛抱強く文彦の返事を待った。

 文彦は見た目こそ幼いが、意図的に相手の言葉を無視するような幼稚な真似をしない。沙穂はそれを知っているから、待った。高校に入学してから文彦が特定の女子と付き合った形跡がないこと、沙穂に対する印象が基本的に悪くないこと、この十日あまりで沙穂が積極的に文彦と会話したり学校での行動を共にしていること、文彦がそれを基本的に拒絶しないこと。諸々のことが勝算の礎として沙穂の中に存在している。


 自分と文彦は恋人になる。


 一緒に遊びに出かけたり、休日を共に過ごすのだ。もちろん高校生だから勉強もしないといけないが、一緒に勉強すればはかどるはずだ。幸い文彦は沙穂が苦手とする文系科目が得意だから、互いに足りないものを補い合える。クラス委員長としての責任感もあるが、任期は基本的に半年間だから夏休み明けになったらバスケ部の仲森浩之に職務を継いでもらおう。なにしろ文彦はどれほど親しくなっても沙穂のことを「委員長」と呼んでいるのだ、夏休みの間中に何としても名前で呼んで欲しいものだ。


 そういうことを考えながら、沙穂は文彦の返事を待った。

 心臓が高鳴り、眼球が圧迫される。息が詰まるような苦しさが心地良い。これが恋愛の痛みなのだとすれば何と甘美なものだろう。

 やがて。

 携帯端末を学生鞄に突っ込んだ文彦が沙穂を見た。いつものように淡々とした、しかしどこか面倒そうな顔で。


(来たッ)


 そのときが、来たのだ。

 喉が渇く。心臓の鼓動が最高潮に達する。それでも沙穂は冷静を装って文彦を真剣に見つめ返す。

 時間にして数秒の沈黙。だが沙穂にとっては限りなく永遠に近い時間の後。


「恋人なら間に合っている」


 あっさりと。

 それはもう疑問を挟む余地もなく。

 桐山沙穂の告白は失敗に終わった。





「なーっとく、できませんっ!」


 それより一時間後。

 机を叩くだけでブルンブルン揺れる乳を強調しつつ、柄口鳴美は叫んだ。そこは駅前通の古風な甘味処で、北高校のみならず市内の甘党が隠れた名店として認めている場所だった。その日は北高二年C組の生徒が十数名押しかけており、中心には未だに泣きじゃくる沙穂の姿があった。


「ふみ君は、沙穂ちんのこと嫌っていないはずなんです」


 ついでに言えば文彦に恋人がいたという話も聞いたことがない。


「ふみ君は、沙穂ちんのはじめての人になりたくないから嘘ついて逃げたんです! 男として卑怯なんです、見損なったんです!」


 鳴美の叫びに、主に女子が賛同の声を上げる。ついてきた男子の一部も「あの断り方は良くない」と、文彦を批難する。

 ただ一人を除いて。


「村上の好きな人、心当たりあるぞ」


 同じ中学だった仲森浩之が、ぜんざいを啜りつつぼそりと呟いた。視線が一気に浩之に向けられるが、バスケ部副主将を務め後輩の信頼も篤い好青年は黙って椀を呷るだけだ。


「……仲森くん?」

「もっとも、村上は委員長を嫌っているとは言ってねえしな。望みは捨てないことだと俺は思うぞ」

「どういう事なの」


 自分の口からは、これ以上は言えない。

 テーブルに小銭を置いて、浩之は席を立った。




◇◇◇




 そうして桐山沙穂の長い夏休みが始まった。

 かくして桐山沙穂の夏休みは最悪の精神状態で幕を開けた。


「そりゃあ見事に振られたものよね」


 水曜定休のデパートに勤務している姉・水鳥は、普段より七時間ほど遅く起きてそう言った。少しばかり焦げたトーストに、手製のマーマレードをちょいとばかし塗って一気にかじる。口うるさい母は婦人会の集まりとかで朝から出かけており、午後一時のリビングにはパジャマ姿の水鳥と、夏期講習の入学式より帰ってきた沙穂しかいない。

 姉の言葉が、ずしーんと頭に重い。


「用意周到、タイミングを見計らった上で告白して。それで振られた訳でしょ?」

「恋人は間に合ってるって……そう言われただけだもん、嫌いって断言されたわけじゃないもん!」

「普通それは拒絶されたようなものなんだけどね」


 はて自分の妹はこうも物分りが悪かったか?

 言葉に出さずとも、水鳥の顔にはそういう台詞が浮かんでいた。どのような状況下であろうとも営業スマイルを絶やさず、かつ男たちの視線に晒されるデパート勤務を続けているためか、自宅での水鳥は言動に毒が多い。


「まあ沙穂の場合、致命的に胸ない上に成長の見込みゼロだもんね。彼氏が巨乳マニアだったら、あんたなんか眼中にも無いわ」

「村上くんが巨乳マニアだなんて聞いてないわ!」


 本当にマニアだったら胸にシリコン突っ込みそうな勢いで叫ぶ沙穂。耳まで赤い。

 しかし。

 水鳥は沙穂の言葉に動きを止め、食べかけのトーストを取り落としていた。マーマレードを塗った側がべちっと床に落ちたのにも気付かず、口だけがパクパクと動いている。


「お姉ちゃん?」

「……め、珍しい名前よね。村上って」

「そうかな」


 取り繕うような水鳥の台詞。

 沙穂は不審そうな目を姉に向けるが、追及する気力もないのか深く深く息を吐くだけだ。見ている側が切なくなってしまいそうな、そんな悲しい姿に水鳥もさすがにうろたえる。思えば四月より気になる同級生がいるという話は聞いていたが、まさかまさか、と沙穂に聞こえぬほどの小さな言葉で呟く水鳥。


「ね、ねえ沙穂。その村上くんって、背ぇ高いの?」

「学校で一番ちっちゃい」


 涙目で答える沙穂、対照的に水鳥の笑顔は固まる。


「うちの総務課に村上係長っているけど、その御子息かしらね。あはははー」

「ううん。彼のお父さんは三年前に事故で亡くなられてて、家はカレー屋さんなの」

「は……」


 馬鹿笑いをしようとしていた水鳥がいよいよ引きつってくる。

 それにしても、好きになった男とはいえそこまでの家庭事情を調べるとは我が妹ながら恐ろしいヤツと、水鳥は戦慄を覚える。


「村上文彦くん……夏休み明けになんて顔で会えばいいのか分からないよ、お姉ちゃん」

「げふっ」


 沙穂が悲しそうに俯き水鳥が鼻血を噴出した直後。

 やけに呑気な調子で玄関のチャイムが鳴り響いた。



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