沙穂と文彦(肆)





 たとえば手妻の使い手を連想しても、ド派手なトリックスター奇術師から話芸巧みなマジシャン手品師まで多岐にわたる。

 エッフェル塔を一瞬で消し去る者もいればハンカチーフの柄を瞬時に変える者まで、実に様々。

 活躍の場も世界的なカジノ都市ベガスやマカオから新年のかくし芸大会まで


「かくし芸……」


 桐山沙穂は深く深く突っ伏して、そのまま沈んでしまいたかった。

 本来ならば数日寝込んでも仕方がない状況下にありながら半ば執念に近い精神的強さで行動し、今まで「ただの同級生」だった村上文彦との関係を「それとなく話題を振れば会話が成立する」ところまで引き上げたのだから。


 彼女のここ数日の努力を知る女友達クラスメイトは始業ベルギリギリで同伴登校した沙穂と文彦の姿に内心で喝采を送り、当事者そっちのけで乙女回線携帯端末が大いに盛り上がった。寝不足気味のやや疲れた沙穂の表情が女子高生たちの妄想力を甚だしく刺激し、電脳世界においてドラマチックな物語が構築される有様だ。しかし沙穂はそんな盛り上がりにすら気付かずに午前を過ごし、マシンガントークのような質問攻めをのらりくらりと回避しつつ現在に至る。


 地味だよね、村上君。


 道祖神の石を割った事。

 その中から不思議なカエルが出てきたこと。カエルが人の言葉を喋った挙句にパトカーに護送された。両生類なのに妙に人間味があって、生きた蠅よりも桜餅を食いてぇなと冗談交じりで村上文彦に軽口をたたくような存在。

 村上文彦が言うには、あれは土地神の類であるらしい。

 沙穂は神というものをよく知らない。

 いや、知っているものは殆どいないだろう。哲学者たちは神社や仏閣というものが神仏とやらに関わる何らかの建物と推測を立てて碑文や古文書を調べているが、ごく最近まで世界中に存在し自分たちの生活に根付いていたという状況証拠だけが判明している。

 

 不意に、沙穂はあの夜にいたモノが自分に何故呼びかけたのか分かったような気がした。

 自分たちは、多くの人間は忘れているのだ。

 空想物語フィクション御伽噺おとぎばなしの中に数多に存在する、超常のモノ達。描かれているのに知覚できない・・・・・・絵画や彫刻。聖典や伝承の中に明記されているはずなのに、誰もが目を話した途端に忘れてしまう名前。


 そして自分たちは、その異常事態を知覚していない。

 十二月二十五日に日本や欧米などで馬鹿騒ぎをするのは何故だろう。一月一日に神社と呼ばれる施設を訪ねるのは何故だろう。二月十四日にチョコレートを用意するのは製菓会社の陰謀で──だけど今年は彼らの悪巧みに従おう。去年はいきなり自作しようとして何一つ完成できなかったから。

 沙穂の思考が急速に濁る。

 昨日からの疲労と精神的な衝撃を考慮すれば、授業中に眠っても仕方がない状況だった。

 もちろん昼食後の現代国語という沙穂にとってこの上なく眠い授業の存在も原因には違いないが、早朝における村上文彦とカエルのやり取りを見ていて「かくし芸大会」という単語が脳裏に浮かんでしまう現実から逃避したくもあった。ほんの十数秒で沙穂は神魔へ思考を巡らせていた事さえ忘却し、告白さえできない同級生へと意識を向けていた。


(――癒し系の拝み屋とでも言うのかしら)


 空想物語の中で禿頭の哲学者・・・・・・達がそんな風に呼ばれていた。

 超能力を使う突然変異の怪物ミュータント達を、過去の偉人達の言葉を借りて説得し、時に同じく超能力を駆使して戦う哲学者達。

 きっと、あんな感じの仕事ばかりを請け負っているのだろう。村上文彦という少年は。

 とりあえずそう結論付け、沙穂はクラス委員としての責務や規範を放棄し意識を泥の底へと沈めていった。


 なにしろ沙穂は疲れていた。


 さもなければ、沙穂どころか教室の生徒全員に加え現国教師までもがいつの間にか眠っていたという事態に、沙穂が気付かぬはずがないのだから。

 教室の全員が眠っていた。

 いや、眠るにしては彼らの様子は奇妙だった。

 誰も寝息を立てていないし、身体も微動だにしない。教師は黒板に向かいチョークを掲げたままの姿勢で眠っている。


 眠っているというのに。


 教室の扉や窓がひとりでに震え、それが教師の声となって廊下に響く。それが何かの質問に及べば生徒の声が応じる。もちろんそれも教室の窓が震えて出した偽りの声だ。だから前後の教室にて授業を受ける生徒や教師たちは「異変」に気付くことはなかった。

 それは「呪」という名の異変だった。


 教室にいるすべての者が眠った後。

 黒板に水面のような波紋が生じ、波紋の中心より舌が現れる。鞭のようにしなやかで長く、筋肉質の舌だ。それは宙に伸びても垂れることなくするすると動き、教室前列に座る沙穂に向かう。舌は、年頃の娘が放つ「匂い」とも言うべきものを嗅ぎ付けたのか、大蛇ほどもあるそれを沙穂の首筋に近付ける。


 沙穂は動かない。

 舌は沙穂を捕らえるべく身体に巻きつこうとして、


「させるかよ」


 次の瞬間、虚空より伸びた手が舌を掴み、その手が現れた場所より鏡が砕けるように文彦の全身が現れる。

 小柄な学生服姿。

 教室の片隅で居眠りをしていたもう一人の文彦・・・・・・・の姿は黒い霞となって消える。

 文彦が縄を手繰り寄せるように舌を引けば、黒板の波紋より人の赤子ほどもある大蛙が現れる。それは大きさこそ違えど早朝に文彦が石片より取り出した土地神たるカエルと瓜二つであり、大蛙は教壇の上に着地して文彦を睨む。


「随分膨らんだな、カエル殿。素肌で外気に触れ、人界の陰気に中ったか?」

『ここが人界であるとは戯言を! 千々に裂かれたものを繋ぎ合わせた不完全な空間! 人の意識と認識を誘導して排除された神々と悪魔! 貴様と背後にいるモノがなにを考えているのかは問わぬが、我らは我らのやり方で人々に神魔の存在を植え付け世界を修復する』

「あー、うん。悪い、雑な修復で」


 大蛙の邪視など涼しく受け流し、八重歯が剥き出しになるほど凄みのある笑みを文彦は浮かべる。

 どこか素惚すっとぼけたところのあった早朝とは人相から異なる。大蛙もまた油断することなく教壇の上で四肢を踏ん張り更に睨みつける。


『退けい小童。我は此奴らの魂に種を張り揺さぶるだけよ、畏れと敬いを取り戻したい。小さくも神域を築き直せば、貴様ら仙界の使い走り共にとっても益となるであろうが!』

「理屈ごもっともだが訂正したい事が幾つかある」


 大蛙の言葉に、文彦は舌を掴む手に力を込める。

 小さな手から想像できぬほどの握力を発揮したそれは、粘液にまみれ掴み所のない大蛙の舌に爪を食いこませる。大蛙の舌を守る粘膜が破れ筋肉が裂け、赤黒い体液のようなもの──つまり大蛙が身の内に取り入れてしまった瘴気が噴き出す。

 瘴気は傷口より猛烈な噴き出し、しかし何かを汚すということもなく宙に散れば溶けて消える。大蛙の悲鳴と共に。


『おおおおおおおおおおおおおおおお!』

「人界が修復中なのは事実だ。一昔前に外敵・・と派手にやり合って、木端微塵に砕ける寸前まで行って──とりあえず人類が住む環境だけ間に合わせで修復した状態なんだ。今はカエル殿みたいな小さい神性を少しずつ呼び戻している最中で、大物連中は異界に退避している」


 大蛙は叫ぶ。

 叫ぶ、叫ぶ。

 それこそ窓枠の震えどころかガラスそのものを割り砕かんほど大蛙は叫ぶというのに教室の面々は一向に目が覚めず、周囲の教室も全く反応しない。悲鳴を上げた時点で教室を一種異界と化した大蛙の「呪」は解けたというのに、教室や生徒達の様子に変化はない。


『な、なして。なして解けぬ、戻らぬ!』


 生徒達が我に返れば騒ぎとなる。騒ぎに乗じ逃げ出そうと考えていた大蛙は文彦を睨みつつも狼狽し、文彦はというと握りつぶした舌をぐいと引き寄せ大蛙の姿勢を崩す。拳の届く間合いではないが、空いた手を突きつける。その掌より浮き上がるようにして宙に現れるのは、漆黒の線で描かれた複雑怪奇な魔法円。

 三角四角五角の組み合わせに、この世界に存在しない文字と記号が描き込まれている。


「結界なら俺が張り直したからな」

『小童。そいつは真っ当な人には扱えねえシロモノだ、道士崩れにも出来ねえ芸当だぞ! 化生のすえが人に手を貸して世直しとは、どういう事情だ』

「その辺はお互い様だろ」


 大蛙は今度こそ驚愕し、文彦の掌より魔法円が弾丸のように放たれて大蛙の身を拘束しながら宙へと吹き飛ばす。


「後で事情を説明するから、とっとと毒気抜いちまえ」


 くるくると空中で回転する大蛙が視線を文彦に向ければ、その足下に広がる影より漆黒の棘が無数に飛び出す。

 背丈の倍以上ある漆黒の棘は空気を裂き、未だ宙にある大蛙の身体と舌を一瞬で貫いた。棘は限りなく細く限りなく鋭く、それが束となり螺旋を描き大蛙の胴を中央より撃ち抜いたのだ。その様は「百舌のはやにえ」を連想させるのだが、刺し貫かれている大蛙が気付くはずもない。代わりに血にも似た瘴気を身体中の穴という穴より噴出し、絶叫する。


『貴様は「影」の使い手かあ!』

「知るか」


 ひどく不機嫌そうに呟くと文彦は短く印を結んだ。




◇◇◇




「私が思うにね、スーパー銭湯とかも悪くないと思うの。結構好きだし、気楽に行けるし」


 だから気にすることないよ。

 授業が終わった後、沙穂はうんうんと頷いて文彦の肩を叩く。文彦はというと露骨に「何考えているんだこの女」と不思議そうな表情で沙穂を見ていたが、彼女がにこにこと文彦の後をついて来るので気取られぬよう嘆息する。


『苦労しとるな』


 学生服の胸ポケットで。

 腹に絆創膏を貼った小さなカエルがケロケロと愉快そうに鳴いた。







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