沙穂と文彦(参)
人にあらざるものがいる。
それらは人ではなく、それどころかまっとうな生命の定義に当てはめることさえ難しい存在だ。彼らは旧き時代より人々の間で知られ、畏怖または信仰の対象となって人々と関わり、そのために人の法で裁くことが難しい。人の友でありながら同時に天敵であり、人の築き上げた力を受け付けない存在。
異形。
魔物。
呼び名は様々。寺社や教会を管理する
「天敵、ねえ」
つい先日耳にした言葉を繰り返し、桐山沙穂は村上文彦の数歩後に続いた。
少なくとも沙穂は、
それが貌に出ていたのか、では何でついてくるのさと文彦に訊ねられたので「別にいいじゃない、私って被害者だし」としれっとした顔で返した。
人にあらざるものがいる。
「土地神の石かな、これ」
北高校からパトカーに乗って十数分。
平野部を抜けて丘陵地帯に近い
そうして現場に案内されて間もなく、砕けた道祖神の石片の中でもっとも大きなものに触れて村上文彦は頷いた。
非常線を張ってごく少数の野次馬を排除していた警官たちは文彦を見るや敬礼し、現場責任者と思しき刑事がバツの悪そうな顔で幾度か短い言葉を交わした後、真っ二つに割れた五芒星の刻まれた石片を文彦に手渡した。
凶悪犯を前にしても一歩も退かない勇敢なる警官たちが、文彦に対してはどこか緊張した面持ちで接してくるので「これは本当に何かあるんだ」と沙穂は納得し、その先の展開を固唾を呑んで見守った。一方で警官たちといえば、文彦についてきた沙穂の存在になにやら衝撃を請け色々話し合っていたのだが、とりあえず文彦が何も言ってこないので沙穂について文彦に問いただすことはしなかった。
そんな沙穂と警官たちを無視するかのように。
欠片とは言えずしりと重いそれを手に文彦は口中で短く何事かを呟き、吐息と共に印を切った。すると五芒星を刻まれた石片の一つが真二つに割れ、中から手の平ほどのカエルが一匹現れた。
どよめく警官たち。
沙穂は、表情が凍りついた。
「祟るか?」
掌にカエルを乗せ真顔で問う文彦。土色のカエルは水かきのついた手で己の顔をぺちぺちと叩きながら、ケロケロと気持ちよさそうに鳴いた。
『近くに池か川があれば、そこへ連れて行け。別に恨む事もねえぞ』
「農家の溜池で構わないか?」
『だったら石像の一つも拵えておくれ。馴染みの連中に報せにゃあならんのでな』
文彦が視線を警官に向ければ、彼らは委細承知とばかりに水槽を調達する。盛大にサイレン鳴らして近場のホームセンターより購入したと思しき熱帯魚用の水槽に、土地神と称されたカエルは『おお、おお。見事なギヤマンの箱じゃねえか奮発してくれやがって嬉しいねェ』と水かきを叩きながらケロケロと鳴く。早速警官たちは丁重にカエルを入れた水槽をパトカーに載せ、静かに発進する。
現場に残ったのは文彦と数人の警官、そして沙穂だった。
「……」
安堵した警官たちが現場整理を進めていく中、沙穂は唖然としながら文彦を見ていた。
「なによこれ」
「だから、説明しただろ」
げんなりとしながら答える文彦。沙穂はいやいやと首と腕をぶんぶん振る。現場に行くまでに文彦から受けた簡単な説明は、一応理解している。現場に到着して傍にいた警察官から簡単な事情も聞いた。人にあらざるもの、時には人に仇なすもの。時には人の精を喰らい、あるいは血肉をすする魔物さえいるという。それらに対峙する者がいることを、文彦がその一人であることを沙穂は初めて知った。
それが。
「人外の魔物……」
「普通のカエルは喋らないだろ」
「魔物退治……」
「しないで済むなら楽だよな」
地味。
あまりにも地味である。
呪符が飛び交いハリウッドの特殊撮影も裸足で逃げ出すような凄絶なる古の魔術合戦を予想していた沙穂は、呆気ない結末を見て露骨に不満そうな表情を浮かべる。もちろん死傷者が出るような大惨事は嫌だが、警察が助力を求めるという文彦の「術」とやらを見たかったのも正直な気持ちだ。
「うううううう」
「……委員長?」
始業前に学校に戻れそうだと喜ぶ文彦とは対照的に、沙穂は送迎のパトカー内で始終膨れ面だった。
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