第2話 星詠みの魔術師
これは、今より随分と昔の話。
王国の近くの洞窟に、一匹の竜が住み着いていた。
竜は夜な夜な洞窟から這い出てきては、通りがかる人々や近くの村を襲っていた。
これを憂いた王は、国中の猛者達へ向けて御触れを出した。
“この竜を討った者には、褒美をとらせる”
しかし、相手は恐ろしい竜。多くの者が尻込みをする中、それでも王の前に歩み出し、跪いた者がただ一人。
“その
その者は、王国に仕える戦士達の中でも最強と名高い騎士、名をベオ。彼は、王家に伝わる竜殺しの剣を王から授かり、竜の潜む洞窟へと向かった。
戦いは壮絶を極めた。暴れ狂う竜はベオの体力を奪い、ベオもまた、その手に持った竜殺しの剣で、鉄壁かに思えた竜の身体を幾度となく切り裂いた。
そしてついに、竜はその巨体を大地に伏した。偉業を成し遂げた騎士ベオであったが、彼もまた同じく満身創痍であった。
“この竜が、もう二度と暴れぬように”
ベオは最後の力を振り絞り、竜殺しの剣を竜の身体へと突き立て、力尽きた。
竜殺しの剣は、英雄の墓標に。かくして、英雄騎士ベオの伝説は成されたのである――
◇
「アークトゥルス様」
声をかけられ、古びた絵本に落としていた視線を上げる。馬車の小さな窓越しに見える後ろ姿の御者さんは、行く先を見据えたまま言葉を続けた。
「じき王城に着きます。降車のご準備を」
「分かりました。……私一人のために、いつもありがとうございます」
膝の上に広げていた本を閉じて鞄に仕舞いつつ、感謝の言葉を述べる。私が今乗っているこの馬車はなんでも、国の偉い人や重要な来賓のために使われているものらしい。別に大した事をしているわけでもない自分が、毎回この馬車で送迎をされるのはちょっと気が引ける。そんな私からの言葉に、御者さんは小さく笑った。
「いえ、王国占星魔術師様のお客様ともなれば当然の待遇かと。それに、私自身こうしてアークトゥルス様をお運びできるのは、ここ最近の楽しみですので」
「……ふふ、お上手ですね」
馬車が止まり、御者さんによって扉が開けられる。まだ小さな私にはやや高い車高から軽く跳ぶようにして降りれば、そこは城壁の中、城門前の広場だった。
「それでは、お戻りになるまでお待ちしております」
頭を下げる御者さんに改めてお礼をして、眼前にそびえ建つ王城を見上げ、歩を進める。この王城へと足を運んだ回数は、そろそろ二桁になるくらいだっただろうか。とはいえ、こんな大層な場所にはやはり自分は不釣り合いに感じてしまい、未だに慣れられそうにない。
そして、そう感じているのは私自身だけではなく、周りから見ても同じなようだ。
「また――、――魔術師様――……」
解放されている正面門を通れば、以前来た時より随分と厳重に配備されているように見える王国兵士達が、こちらを見ながら話す声が僅かに聞こえてくる。それもそうだろう、王族でも貴族でもないこんな小娘が、あんな立派な馬車に乗って王城まで定期的にやってきているのだから。しかもそれが、あの王国占星魔術師の客ともなれば尚更だ。
――占星魔術。星の位置や動きを読み、それに応じて魔術を行使する、古から存在する魔術形態の一つだ。魔力を消費し現象を発生させるという根本的な部分は他の魔術と変わらないが、魔力の流れと密接にかかわっているとされている星を観測しつつ魔術を成立させる、即ち魔力の流れを広範に把握できるという性質上、自由度が劣る代わりに確実性が高く、大規模に行使しやすい魔術形態だ。
その特性から古より重宝されてきた魔術であり、高い才能と技術を持つ占星魔術師は統治者となったり、はたまた国お抱えの魔術師として国営の補佐を行っていたりする事も多い。私が今から会いに行く人物、王国占星魔術師と呼ばれているあの人も、そのような人物の一人だ。
各所で入場許可証を提示しながら進み、とある部屋の前で立ち止まる。愛用の懐中時計を見れば、丁度予定の時間だった。
少しの緊張と共に扉をノックすると、どうぞ、という若い男性の声がその向こうから聞こえてきた。
「あぁ、ベルギアさん。よく来てくださいました」
扉を開けると見えるのは、多くの書物と天文機材が置かれた部屋。そしてその中で書斎机に向かう、一人の若い男性の姿だった。
「お邪魔いたします、王国占星魔術師様」
「ふふ、そんな堅苦しい呼び方はお止め下さいと以前言ったつもりですよ。どうぞ、フォーマルハウトとお呼びください」
その男性は眼鏡をくいと直して立ち上がり、歩み寄ってくる。すらりとした高い背丈に、眼鏡の似合う端正な顔立ち。きっと誰に対してもそうなのであろう物腰柔らかな態度を見れば、王城内外に彼のファンが多くいるというのも納得がいく。王国占星魔術師にして、強い信頼から事実上の国王の側近となった稀代の天才占星魔術師、フォーマルハウトさんその人だった。
「は、はい。その、今日はやけにお城が慌ただしいですね。警備も厳重でしたし……」
部屋の扉を閉めようとすれば、まさにすぐ目の前を使用人さんが足早に何人か通ってゆくのが見える。警備兵の数もいつにも増して多いし、何とも王城全体がピリピリした空気に包まれているような気がしていた。
「あぁ、今日は妙に畏まっていたのはそういう事でしたか。実はしばらく後に国賓が予定されていましてね、その歓待の準備や調整等で色々と」
「ああ、なるほど。となれば、フォーマルハウトさんもお忙しそうですね」
ちらりと彼が座っていた書斎机に視線を向けると、そこには大量の書類が積み上がっている。ああいった事務作業というものは王国付きとはいえ魔術師がやる事ではないように思えるが……これも国王からの信頼の結果という事だろうか。
「えぇ、まぁそれなりに。ですから私と同じ“星色の髪”を持つ貴女にお手伝い頂きたくお呼び立てしたのですよ、ベルギア・アークトゥルスさん」
勿論、貴女自身の実力を見込んでいるからでもありますがね、と付け足しながら、彼は自身のよく整えられた雪のように白い髪に手を添える。それに釣られるように私も視線を落とし、自分の青みがかった長い白髪を指にかけて見つめた。
遥か古から占星魔術を得意としてきた私の家――アークトゥルス家の人間は、ほとんどの場合、闇夜のような深い黒髪で生まれてくる。が、本当にごく稀に、白に近い色の髪を持つ人間が生まれてくるのだ。“星色の髪”と呼ばれるそのような人間は特に占星魔術に秀で、過去に生まれた星色の髪を持つ者はみな歴史に名を遺すような偉大な占星魔術師となったのだとか。
そして今、この場にいる二人。王国占星魔術師であるフォーマルハウトさんと、私、ベルギア・アークトゥルスが、今時代における星色の髪持ちのアークトゥルス家だった。歴代の記録を見ても、同じ時に二人の星色の髪持ちが生まれた前例はない。母はよく、そんな私が生まれた事を“奇跡”だと言っていた。
「さて、そろそろ本題に入りましょう。事前にお送りした書状にも書いておきましたが、今回依頼させて頂きたいのは“竜の洞窟”の調査です」
「竜の洞窟……。実在、するんですね」
私は鞄を開いて、先程馬車で眺めていた一冊の本――“英雄ベオの伝説”と題された本を取り出す。英雄ベオの伝説といえば、この国ではどの家庭でも親が子に読み聞かせている程には浸透しているおとぎ話だ。この本も、我が家の本棚で埃を被っていたものを今朝、引っ張り出してきたものである。
時折関連性を伺わせる噂が流れたりする事こそあれ、この話が本当にあった話だと思っている人間はあまりいないだろう。
私の取り出した古びたその本を見たフォーマルハウトさんはぽんと手をたたくと、本をお持ちでしたか、と呟く。
「えぇ、私も知った時は驚きました。しかし国の正式な記録に残っているので、確かに史実のようです」
くるりと踵を返したフォーマルハウトさんは、そのまま窓際まで歩いてゆき、空を見上げた。占星魔術師はその職業柄、空を見上げる事が多い。昼下がりの今は日の光に隠れて星は見えないが、普段からああして星を観測しているのだろう。
「星の動きと地上の魔力の流れの相関を調査していたところ、偶然にも魔力の集まる地点を見つけましてね。どうやら件の竜の洞窟が、その中心へと続いているようなのですよ」
「なるほど、それで。そういったところを調査するとなれば、星から魔力の流れを読める者……貴方や私のような占星魔術師が適任、という事ですね」
えぇまさしく、と言いながら振り返るフォーマルハウトさん。その目と口元は相変わらず微笑みを浮かべている一方で、眉は困ったように寄せられていた。
「できればもう少し余裕のある時に、私が直接調査したかったのですがね。どうやら他の国の者達が嗅ぎつけたようでして。我が国の潜在的な魔力リソースを奪われるのは勿論のこと、あんな場所にもし魔術工房基地など作られてしまったら国防にも関わってきます」
再びこちらへ歩み寄ってくる彼が書斎机から手に取ったのは、筒状に丸められたやや大き目の紙。手渡されたそれを開くと、王国周辺の地形、そして件の洞窟の場所が記された地図だった。
「護衛には、私の部下を二人つけましょう。お願いできますでしょうか?」
「……分かりました。ベルギア・アークトゥルス、そのご依頼承ります」
私の応えに、フォーマルハウトさんの表情が一段と明るくなる。流石に今回の依頼は断られるかもしれないと思っていたのだろうか。
確かに、不安のある依頼だ。前回の、隣町で開かれる競りで魔力触媒になる素材を競り落としてきてほしい、なんて依頼と比べれば危険度も未知さも段違い。……あの依頼も別の方向性でハードではあったけれど。
――どの道、受ける以外の選択は、私にはないのだから。
◇
一礼をしながら部屋を退出する白い少女へにこやかに手を振っていた魔術師は、その姿が見えなくなると再び窓へとその顔を向ける。眼鏡にかかりかけた白髪を手で払うと、白い少女が持っていたものと同じ本――否、あの本の原本を書斎机から拾い上げ、ぱらりと開いた。
「“この竜が、もう二度と暴れぬように”」
古くなり今にも綻びそうな紙を、指でそっと撫でながら読み上げてゆく。
「“竜殺しの剣は、英雄の墓標に。かくして、英雄騎士ベオの伝説は成されたのである”」
ぱらりと開くのは、最後の頁。添えられた挿絵に描かれた、倒れ伏した竜の絵を見た魔術師は、僅かに目を細める。
「“だが、努々忘るるなかれ。今もなお竜の心臓は脈打ち――復讐の時を待っているのだから”」
本を閉じる音だけが、部屋に響いた。
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