第34話「どうして人間は、生まれて死ぬのを繰り返すんだ?」 「――めぐり逢うためです」

 先輩が、震えていた。おびえていた。

 くわえているタバコを緊張きんちょうのためにみ切りはしないだろうかと、ボクが不安になったほどだった。


「お前……どうして、これ・・のことを……」

「同僚の業務の記録はボクの端末たんまつからでも自由に調べられます。どれかがそう・・じゃないかと思ってましたが、まさかというか……いえ、やはり・・・というか……」

「そうか……」


 ふぅっ、と、先輩の中から力が抜けた。

 長年素性すじょういつわり逃げ回っていた者が、不意にその正体を見破られた時に、そんな表情をするのだろうかとボクは、頭の片隅かたすみで思った。


「IDも当てましょうか」

らないよ。合ってるだろ。そこまで調べていれば……」


 観念しきった表情で先輩はボクの二通目の封筒を左ポケットに入れ、握り込んだ右手を右ポケットから抜く。

 呼吸を合わせてボクも右のポケットに入っていたものを拳の中に納め、取り出した。


「せーの、だ」

「はい」


 右手と右手を差し出し合って、開き合った。

 ボクと先輩の手のひらに、同じものではあるが、違うものがっていた。

 ボクの手にはプラスチック製の、先輩の手にはもう角が丸くなって色もげた木製の。


「嫌いなんだよ、このタグ。使い終わったものは、こうして記念に残っちまうから……」


 ――回収した魂を入れる容器の、タグだった。


「先輩、言いましたよね。現世で霊体のボクたちをえる人間とったら、面倒なことになるって」

「言ったな……」

「――先輩も、逢ったんですね……自分を視えてしまう相手に」


 先輩は口からタバコを離し、さびしげに微笑ほほえんだ。

 それが、回答の全てだった。



   ◇   ◇   ◇



「最初の最初、お前と同じド新人の時だったよ」


 ベランダから見える大空に視線を向けて、先輩は話し始めた。


「今と違ってあたしはもう初々ういういしい真面目新人でな。最初に任された案件を何とか成功させようとイキッてて、阿呆あほうなことに魂を回収する相手の、死ぬ二週間前にそいつの様子を見に行ったんだよ。……そんなことしなければよかったのに……」

「そこで……」

「バッチリ視られたよ」


 自嘲じちょうの笑いが咲いた。


「庄屋の息子だった。二十歳になろうかっていう、歌舞伎かぶき女形おやまれそうな美形だったよ。……あ、女形って、知ってるか?」

「男性で女性の役をやる……」

「でも、幼い頃の流行病はやりやまいで顔の半分がつぶれて、それを恥じた親によって座敷牢ざしきろうに閉じ込められていた。土倉どそうの一角を使った、簡易の牢屋ろうやさ」

「昔の話ですよね……」

「いつの話かは、記録にあったろ。だからタグもこんな木製だ。プラスチックなんて洒落しゃれたものはなかったからな。カプセルだってガラス製だったんだ。たまに落として割ってたバカドジがいたな。まああたしも何回か落として割ったけど」


 ははは、と先輩は笑い声を上げ――自分の笑いが静まるのを、待った。


「だから出入りもできない。扉には外からかぎがかかってる。――そんな所に、ヌッとあたしが顔を見せたんだ。驚くだろ」

「ボクも高層階の彼女の病室に入って、鉢合はちあわせして、驚かれました」

「あたしも驚いたよ……相手から視られる心配はないって聞かされていたからな……」


 先輩の手の中で、木のタグがもてあそばれている。


「十何年も閉じ込められてた。下働きの下女げじょかゆを一日一回運んで、ちょっとした片付けをするだけだ。あたしの鼻が利いていたらひん曲がっていたと思う。……ひどい環境で、そのせいで体が弱って死にかかってた……医者も呼んでもらえず……それが」


 その腹で木のタグの角をでていた親指の動きが、止まった。


「……あたしの姿を視た途端に、それまで死人のように見えていた顔が、ぱぁっと明るくなって……『死神様だ、死神様がおいでになった』って……喜ぶんだよ……あたしは、死神じゃないっていうのに……」


 先輩の震える声に、ボクは視線を誘われた。

 つつ、つ……と、先輩の白い頬を、大粒の涙が伝っていた。


「『これで死ねる。痛いのからも苦しいのからも、寂しいのからも逃れられる。死神様、どうか早く殺してください』って……あたしには、殺すことなんてできないんだ。死ぬのはまだ二週間も先だ。けど、二週間後には死ぬって教えてやったら、喜んでたな……」

「それから……」

「でも、早ければ早いほどいい、短くならないかって、満足に起き上がれやしないのに土下座されて、おがみ倒されて……何とかしようとしたよ。要するに事後処理をする時までに魂がてばいい。その保ついっぱいいっぱいの期間はって、方々に問い合わせて……」

「……何日、早められました?」

「一週間だ。それ以上は魂が保管できないってな。早めた方法は、知ってるだろ」

「残りの寿命を、凝縮ぎょうしゅくさせたんですね……」

「二週間分を巻いてやった。――死ぬまでの一週間、あたしはずっと側についてやったよ。もう子どもの頃に閉じ込められたから彼は、外の世界を何にも知らないんだ。窓は高いところに明かり取りが小さくひとつ……景色なんか見えない。空の色だけだったさ。


 あたしは外の景色のことを教えてやったよ。

 デタラメだったけどな。

 でも、デタラメでもよかったんだ。あたしが話すことは、ふたりの間では、全部本当のことだったんだ。


 外にはどんな景色があるか……どんなきれいな山があり、どんなきれいな川があり、どんなきれいな野原が広がっているか……もう、繰り返し、繰り返ししてやった……。ほとんど砂の色一色の荒野になっていますだなんて、言えないだろ」

「そうですね……」

「――最後まで、最期の瞬間まで、看取みとってやった……。その時には、あたしの心に彼の心が食い込んでいて……」


 涙のすじが、川の流れが増える。勢いを増す。


「きれいな心の人間だった。親をうらんでないかって質問してやったよ。復讐ふくしゅうを代行してやろうかって聞いたよ。……要らないって言っていた。復讐なんかよりも、あたしにここにいて欲しいって。――生まれ変わることができるなら、生まれ変わった先で、あたしと出逢であいたいって……」


 やっぱり、そうか。

 子どものように泣きじゃくりたいのを必死にこらえている先輩の姿に、思った。

 先輩も、ボクと同じような恋をしたのか――。


「もう少し、もう少し何かしてやれなかったのかって……あたしは彼が死ぬのを見ていただけじゃないか……。あたしはバカだから、何も思いつかなかったんだ。今でも思いつかないけれどさ……」

「先輩……泣かないでください……」

「お前が泣かせたんだろうが」


 先輩がそでで目をぬぐう。それでも、涙は止まらない――。


「なあ、なんで、人は死んでしまうんだろうなぁ?」


 嗚咽おえつゆがむ声をおさえられない先輩が、目を覆った手の指の隙間すきまからも涙をこぼしながら言った。


「もう、数え切れないほどの人間の魂を回収してきたけど、わかんないんだよ……。

 どうして人間は、生まれて死ぬのを繰り返すんだ?」

「――めぐり逢うためです」


 迷いのない答え。

 それが悲しみに折れそうになっていた先輩の姿勢を、跳ね上げさせた。


「誰かとめぐり逢うために、ボクたちは生と死を繰り返すんです。……ただ一回の生涯しょうがいでは邂逅かいこうできないかも知れないから、何度も何度も繰り返すんです。

 多くの人生を、たったひとつの魂で。

 生まれ変われなくなるまで、生まれ変わって……」

「めぐり逢うため……か……」

「今回の回収の書類をまとめていると、面白いことに気づきました。

 ボクが彼女と目と目が合った瞬間から、彼女が息を引き取るまで……。

 ちょうど、二十万秒だったんです」


 ――二十万秒。


「二十万秒。時間にして五十五時間と三十三分。

 ボクと彼女との恋は、たったこれだけだったんです。

 たったこんな短い時間で終わったんです。

 ――だから」


 だから。


「ボクはまた始めます。

 彼女を恋し続けます。

『恋』という言葉は、『う』から来ているといいます。

 ボクはこれからも、彼女を乞い、恋し続けます」

「……長くなるぞ。ひょっとしたら、永遠に終わらないかも……」

「二十万年だろうが、二十億年だろうがかまいません。

 どれだけの時を超えても、彼女とめぐり逢って見せます。

 ――ですから」


 ボクは、三通目・・・の封筒を先輩に渡した。


「この中に、転生すると先輩が転生をこころみた場合、めぐり逢える最短の計算と、その結果が載っています。――最短の可能性と言うべきものですが。最初に結論が書いています。読んでください」

「…………この試行回数、けたがいくつか多くないか……?」


 封筒の中から紙片の頭を出して目を走らせた先輩が、またひとつ泣いた。


「どれだけ計算をやり直しても、それより短くなりませんでした。すみません」

「宇宙を何万光年も離れて回る星と星とが、ぶつかる可能性を計算するようなもんだな」

「人間の運命が星にたとえられるのは、公転を続ける天体が輪廻りんねを表しているからという話もありますね……」

「そんな星を見つける旅に、あたしにも出ろってか……?」

「先輩。勇気を持ってください」


 頭を下げて、ボクは言った。


「先輩が想う人をさがす旅に、出てあげてください。――その人も、きっと、先輩を待っていると思います」

「……逢えると思うか……?」

「ボクも先輩も、視えないはずのの人に視られたわけじゃないですか」


 先輩の震える瞳が、きゅっと収縮した。


「きっと、逢えます。奇跡は起こります」

「…………」


 涙を流しながら、先輩は三通目の封筒を見つめていた。

 どれほどの逡巡しゅんじゅんがあっただろうか。

 止めどもないはずの涙がれたころ、フッと先輩は笑って、それをポケットに入れた。


「……考えておくよ……」

猶予ゆうよはさほどありません。決断は、早く」

「ああ。……ありがとうよ。これで、貸しはチャラだな」

「短い間ですが、お世話になりました」


 最敬礼する。四十五度を超えて、腰を折った。

 この素晴らしい先輩に、最大限の敬意を込めて。


「それでは、お先に失礼します。色々と、ありがとうございました」

「がんばれよ。――彼女に、よろしくな」

「はい」


 ボクは先輩に背を向け、歩き出した。

 オフィスを抜けずに外に出られる扉に向かって、確かな歩で歩む。

 これからの長く、長く、永遠と思える旅路を想像してでも、ひるむことはない。


 いつか、いつの日か、ボクは彼女にたどり着く。

 遠ざかる星を追う旅の果てにたどり着く。


 奇跡と奇跡と奇跡が重なり合う、本当にわずかな確率を引き当てられて、彼女とふたたびめぐり逢えたら。

 その時は、きっと、きっと、絶対に、絶対に。


 ――ボクの方から、彼女にキスをしよう。

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