第27話「兄ちゃんさー。あの姉ちゃんのこと、好きなんだろ?」

 ばふん! と音を弾けさせてビーチボールがボクとしおりの間に突き刺さるように落ちて、腕を限界まで伸ばしてそれを追っていたボクと栞が砂を吹き飛ばす勢いで倒れ込んだ。


「わぷっ」

「くはっ」

「あー、またかよ」


 身長に似合わない強烈なアタックを決めた日焼けの男の子があきれた声を出す。ただ、その小学生の割には筋肉質な体には相応ふさわしい、稲妻いなずまのようなスパイクだった。


「これでもう五回目だぜ。兄ちゃんと姉ちゃんもそろそろ学習しなよ」

「がんばれー」

「あんまり弱いとつまんないよ。へたっぴだなぁ」


 男の子の後ろで女の子とメガネの男の子が声を出す。『へたっぴ』という言葉にもさして腹が立つこともなかった。

 本当に二人してへたっぴだったからだ。


「もー。しょーがないからアドバイスしてやるよ」

「お、お願いします……」


 ボクは立ち上がり、頭を下げて教えをうた。


「兄ちゃんと姉ちゃん、全然連携れんけいがなってないんだよ」

としの割に難しい言葉使うね……」

「俺は兄ちゃんと姉ちゃんのどちらがレシーブするかで迷うところにスパイク利かせてるんだからさ、自分か仲間かどっちがそれを拾うかで迷ったらダメなのさ。迷った時間だけ反応が遅れるからなー。それに自分が担当するエリアの分け方もダメなんだよ」

「ちゃんと横半分で分けてるわよ?」

「単純に四角で分けてんじゃん。それじゃ真ん中に打ち込まれた時に迷いやすいんだよ。コートに対角線引いた三角で分けなきゃ」

「対角線とかますます難しい言葉使うなぁ」

「四年で習うじゃんか。兄ちゃん算数も忘れたのかよ」

「…………」


 単純に言い返せなかった。


「姉ちゃんが右前に出て、兄ちゃんが左後ろに着くんだ。それでちょうど中間に来るものは後ろの兄ちゃんが拾うようにしたらいいんだよ」

「なるほど……」

「じゃあ、試してみましょうか」


 ボクと栞は日焼けの少年のアドバイス通りのポジションについた。


「あと、声かけな! 自分がやれると声出さないと仲間を迷わせるだけだぜ! よーし、こっちのサーブいくぞー」

「いくよー!」


 メガネの男の子がバン! と音を響かせてネット越しにボールを浮かせる。こちらのエリアの左寄りの後ろ寄り――ボクが構えるエリアに落ちる軌道を描いてそれは飛んだ。


「ボクが行く!」


 握り拳と肩の間で二等辺三角形を作るように腕を伸ばし、手首の真ん中でボールを受けた。軽いが弾みやすいボールが大きく浮き上がる。


「わ、トスしやすい!」


 確実に栞のエリアに送ることのできたボールを栞がトスで打ち上げる。ネットぎりぎり、ボクがまっすぐ走り込める絶好の位置だ。

 乾いた砂を裸足で蹴ってボクは走り込み、ボールが頂点に達したタイミングに合わせて、跳んだ。


「それっ!」


 手のひらがボールを打つ衝撃がずばん! という強烈な音に変換された。相手コートの真ん中――子どもたち三人のちょうど中心点を狙ってボールを打ち落とす。


「きゃっ!」


 後衛こうえいの女の子がレシーブしようと腕を伸ばすが、ボールは拳に当たってコートの外に飛んでいった。

 初得点ではないが、初めてのサーブ権移行だった。


「やったやった!」


 栞が飛び跳ねるようにはしゃぐ。波打ち際で止まったボールを拾って日焼けの男の子が戻ってきた。


「ふーん、やっぱり大人だなぁ。やるじゃんか」

「キミの教え方がいいんだよ」

「大人の割に素直じゃんか。俺たちみたいな子どもなんかバカにするのに」

「実際キミはすごいからね」

「へへへ」


 白い歯を見せ、癖なのか鼻の下を指の背でこすって日焼けの男の子は笑った。


「兄ちゃんたち変わってんなぁ。ま、その変わってるところが好きなんだけどさ」

「ありがとう」

「んでも、お世辞言ったって俺は手加減しねーよ。今度は俺がサーブだ、覚悟しろよー」


 日焼けの男の子がボールを抱えてコートの外に出る。ラインまで数歩の距離を空けた。


「兄ちゃん姉ちゃん、ちゃんと受けろよー!」


 左手のボールを軽く斜め前に浮かし、三歩の助走で大きくジャンプして、跳躍ちょうやくの最高点でボールを全力でたたいた。


「私!」


 低めに張られたネットの上をほとんどかすめるライナーのサーブを、声を出した栞が手のひらで下から叩き真上に打ち上げた。それでも強烈な力で叩き出されたサーブの勢いは殺せず、後ろ山なりの放物線を描くようにボールは大きく浮く。


「行くよ! 右端!」


 その落下点に入ったボクが声を上げながら的確な短いトスをした。ボクの意図を拾った栞がネットの側、コートの左端に、ボールが来る前に駆け寄っている。

 ボールが送られるのと、それを打ち出すために栞が位置についたのはほぼ同時。


 コートのラインにほぼ乗るような際どい線をねらうように、白いワンピースの水着を輝かせて、栞が跳んだ。


「そーれっ!」


 声とボール、そして栞の心が同時に心地よい音を弾かせた。


「うわ!」


 棒で線を刻んだだけのラインが示すコートのほぼすみに栞のアタックが突き刺さる。それを拾おうとした日焼けの男の子が体の全部で跳ぶが、伸ばした手も届かない。


「わぁっ! かっこいい!」

「すごいな姉ちゃん!」


 反応ができなかった女の子とメガネの男の子が感嘆の声を上げた。


「やったやった! 私ってばすごい!」

「わああ」


 その気持ちよすぎる会心のアタックを決めた喜びに興奮した栞が、ネット際で跳んだ気持ちの勢いのままボクに飛びついてくる。自分で着地することを考えていないそんなダイビングを、ボクは体で受け止めるしかなかった。


「兄ちゃんと姉ちゃんさー、いちゃつくなら試合が終わった後にしてくれよなー。仲がいいのは全然いいんだからさー」

「いちゃついててもいいじゃない。あたしうらやましい」

「僕も彼女ほしーなー」

「あはは」


 子どもたちの声を受けながら栞が笑う。顔が真っ赤になっているボクに抱きついたまま体を振って反動をつけ、回転する柱から離れるように着地した。


「ごめんごめん。さあ、続けましょ! テンポよくやらないとね! じゃあ、次は私のサーブ!」

「姉ちゃん、ボール行ったぞー!」

「はーい!」


 日焼けの少年が投げたボールを受けた栞が、それを手の中で叩きながらコート外に出る。


「じゃあ、私もジャンピングサーブ! いっくよー!」


 もう夕日・・になってしまったオレンジの低く差してくる光を浴びながら、彼女が跳ぶ。

 その伸びやかなジャンプできらめく彼女の姿を見るボクは一瞬、これがビーチバレーの途中だということを忘れた。



   ◇   ◇   ◇



「疲れたー!」


 最初から点数もつけていない、サーブ権だけをやり取りするプレーを繰り返し、ボクたちは五人同時に砂浜におしりを落とした。


「最後の方、完全に互角ごかくになってたなー。ちょっとコツつかめば上手くなるじゃんか」

「あはは」


 日焼けの男の子が額から汗を垂らしながら言った言葉に栞が笑う。


「そろそろ帰らないと遅くなっちゃう」

「もう完全に夕方だねぇ」


 女の子とメガネの男の子の言葉に、ボクは西の空を見やった。

 日中は白かった砂浜を淡い茜色あかねいろに染める夕日が、かなり高度を落としている。もう一時間もすればその尻を水平線に着けてしまうような低さだった。


「んじゃ、お開きにすっか。兄ちゃん姉ちゃんありがとうよ! すっげぇ楽しかった!」

「私たちも楽しかったわ! 本当にいい汗いた! ねえ!」

「うん」


 楽しかった。


「楽しかったよ。本当に楽しかった」


 もう、一時間後に迫る自分たちの運命を、ひとときでも忘れてしまえるくらいには。


「じゃ、ネットしまうの手伝ってくれよ」

「私、ちょっと持ってくるものある! みんな待っててね!」

「あ」


 ボクが止める間もなく、ボクたちのビーチパラソルの方に栞が駆け出す。全速力で風のように走る彼女の姿はすぐに遠くなった。


「兄ちゃん、ネット外してくれー!」

「うん」


 メガネの男の子と女の子がポールを折りたたんでいく。そんなふたりに挟まれるようにして、ボクはネットを丸めながら近づく日焼けの男の子を待った。


「兄ちゃんさー」

「うん?」


 何気ない呼びかけだったから、ボクは少年の切り込みに無防備でいてしまっていた。


「あの姉ちゃんのこと、好きなんだろ?」


 想いが拡散してぼやけていたボクの心の中で、何かが収縮する感じがした。

 顔を上げて無意識に目をらせば、太陽に焼かれて真っ黒くなった顔の中で、白目が目立つ目がこちらをじっと見つめているのが見えた。

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