第15話「ひとつだけ言っとくぞ」

「待たせたな」


 時間貸しの駐車場としか思えない無人の駐車場から先輩が出てきて、先に下りていたボクは振り向いた。


「最近は本当になんでも便利になったな。少し前はこんな真夜中にレンタカーなんて借りられなかった」

「……先輩が手伝ってくれて、本当に助かりました……」

「そうだろ。先輩をもっと敬っていいんだぞ。お前の実体化を申請しんせいしてやったのもあたしなんだから。これだって結構な手間なんだ。ああ、実体化するってちょっと体にくるよなぁ。明日もお前の監督かんとく実地じっちでしないといけないんだ。せっかくの休暇きゅうかだったのにわざわざ返上してなぁ」

「したくてしてるんじゃないですか、先輩は」

「ふふふ」


 火のいていないタバコを口の端にくわえて、先輩は笑った。

 真っ黒いタイトなスーツが夜の市街地によく似合う。ボクもいつもの黒いスーツだけど、この先輩のなんというか……外見の『迫力』には圧倒される。


 中身は本当に、ぽんこつな先輩なんだけど。


「自分の分のハイレグ水着やらビーチパラソルやビーチデッキやら、クーラーボックスには保冷剤を入れて缶ビールをぎっしりじゃないですか」

「お前を監督するのに、この格好で海水浴場の真ん中に立ってろっていうのか?」


 ニヤニヤと笑いながら先輩が言った。

 真っ白な砂浜。照りつける白い陽光。真っ青な空と海。

 そんなロケーションに真っ黒なスーツの女性が立っていたら、千人のうち千人が注目するだろう。


「これも擬態ぎたいってやつだな、ははは」

「苦労しましたよ。その擬態のための小道具を運ぶのに……」

「軽トラを浜辺の近くまで転がしてやったんだ。お前の準備のための荷物だって相当だったろう。あれを自転車で何往復もする苦労を考えたら、妥当だとうなとこさ」

「そのことについては、本当に感謝しています……先輩、監督って言いますけど、もしかしてボクらの目の届く所にいるわけじゃないですよね?」

「当たり前だ。海できゃっきゃうふふしているしている若いふたりの視界に入るほど、あたしの心臓は強くない」

「それじゃ監督にならないんじゃないですか?」

「監督してほしいのか?」

りません」


 時刻はすでに、夜の十時を回っている。深夜まで営業している大型ストアで、明日の海水浴に必要なもの――必要でないものも多数あったけど――を買い込み、それを数キロ離れた海水浴場に運ぶまで自動車の手配が必要だったのだ。


 そんなボクの苦労を先読みしていたように、先輩は段取りを組んでいてくれた。明日に必要なもののリストアップ、それを買うべき最適な店、運搬うんぱん方法……ここだけ抜き取ればなんて有能な先輩だろうと思う。


「この無人レンタカーショップだって、事前の登録とか……そもそも登録に必要な書類とか、現世のものが色々要るんでしょう?」

「言ってるだろ。あたしはベテランだって。こういうのはれてるんだ。すきを見て遊ばないとな」


 不良職員だ。すぐにクビにすべきだ。


「ま、実体化してる間は死後世界に戻れないからな。ま、この時間には実体化も解けるんだが――ほれ、お前のねぐら。今夜のお前のお宿はあそこだ」


 先輩は視線を一棟ひとむねのビルに向けながら、一枚の黒いカードをボクに差し出した。


「カプセルホテルのカードキー……」

「一泊三千円のな。一晩明かすだけだったら十分過ぎるだろ。贅沢ぜいたくは敵だ」

「別にそれはいいんですが、先輩はどこに泊まるんですか?」

「向こうにある一泊三万円のホテル。せっかくの一夜楽しまないとな。贅沢は素敵だ」

「先輩、とことん楽しむ気でしょう」


 あきれも軽蔑けいべつもなくボクは言った。

 もう笑うしかなかった。


「当たり前だ。実体化して現世に降りれるなんてそうそうチャンスはないんだよ。久しぶりの命の洗濯せんたくだからなー、楽しまないとな」

「死んでますけどね、ボクたち」

「お前も言うようになったな」


 いつもの余裕のある笑いだ。相変わらず右手のポケットに片手を突っ込んでいる。


「これもサービスだ。渡しておいてやるよ」


 先輩は左手のポケットから小さなものを取り出して、ボクの手のひらに乗せた。

 個包装されたカプセルだった。


「これは?」

眠剤みんざいさ。どうせ今夜は眠りにくいだろう。ホテルに着いたらすぐに飲め。命令だぞ」

「…………そうですね…………」


 ボクはそのカプセルを握り込んで、ポケットに入れた。


「ありがとうございます。これがないと本当に眠れなかったかも知れません。色々考えてしまうでしょうから……」

「どうだ? なんなら、あたしの部屋に泊まってもいいんだぞ。せっかく実体化してるんだ。そういうこと・・・・・・もできるしな……。何も考えられなくなるまで派手に遊んで、ついでに先輩と後輩で信頼と、信頼よりも強いきずなはぐくんでだな……」

「じゃあ、おやすみなさい」

「つれない奴だな、お前は」


 その言葉面ことばづらとは裏腹に、先輩は『満点だ』という顔を見せた。

 ボクもこの先輩との付き合い方がわかってきたのかも知れない。


「ひとつだけ言っとくぞ」


 先輩に背を見せて歩き出したボクに、先輩は言った。


「あまり考えるな。お前も楽しめ」


 ボクの足が、止まった。


「考えたところで、結末は変わらないんだ。だったらお前としてもいい想い出を作れ。お前が難しい顔をしていても、彼女は楽しめないぞ。――いい一日にしろ」

「先輩……」


 振り返ると、先輩のスーツ姿が夜の街の奥に向かって歩いていた。

 そのスラッとしたかっこいい印象にかれて近づいてきた男をぶん殴って払い、先輩は一度も振り返らないまま、ボクの視界の中で消えた。


「…………ボクも……」


 消えた先輩の姿をいつまでも見つめ続け、ボクは時間が経つのも忘れてその場に立ち尽くし続け、吹いてきた風に頬をでられた拍子に、我に返った。


「――ボクも寝ないと。もう夜も遅い……」


 明日は早いんだ。早く寝よう。

 後悔のないように。後悔を作らないように。

 その時、その時にできることを。


 せいいっぱい、せいいっぱいに、できるように。

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