第09話「ありがとう、この本を好きにさせてくれて」

「それで……」

「それで?」

「男の子は、どうなったんだい……」


 存在しているだけで、人々の命を吸ってしまう女の子。

 その女の子と、手をつないでいた男の子

 命を吸われると、知りながら。

 その時の、その瞬間瞬間の男の子の気持ちは、どうだったんだろうか。

 それは多分、本文にも書かれていないに違いない――。


「彼はもう、消え行く運命だったんだろう……?」

「男の子は、死んだわ」


 ボクは、自分の死を宣告されたような気がした。


「女の子と出会って、二日後の夜に。男の子は最後に言い残したの。

 僕は、こうなることを知っていて君と出逢った。君に逢いたかった。

 死ぬのはこわかったけど、たったひとりで死んでいくのはもっとこわかった。

 君をやり過ごしたとしても、いずれ死んでいくには違いはないんだ。

 君から逃げ続けて二十年後にひとりで死んでいくくらいなら、僕は君と楽しく過ごして、二日後に死にたい。

 君としあわせになってから、死んでいきたい。

 僕が死んだら、僕の遺体は光になるよ。

 その光を君が吸い込んだら、君は永遠の命が得られるんだ。

 君は、永遠に生きて――」


 彼女は、言葉を句切った。その目に懐かしさを見る色があって、薄くうるんでいた。


「……それで、女の子はその男の子の遺体が光になったのを……」

「吸い込まなかったわ」


 ――え?


「女の子は男の子が死んですぐ、光に変わってしまう前に、銀のひつぎに納めてふたをしたの。自分が吸い込んでしまわないように」

「…………」

「そして、女の子は男の子の棺をめ、お墓を作り、そのお墓にすがりついて、泣いたの。

 いつまでもいつまでも、泣いたの。

 宇宙が生まれて死ぬまでの長い時間くらい、泣いて、泣いて、泣いたのよ。

 女の子が流した涙は山を流れる川となり、海に注ぎ込んで、海の水を増やしたの。

 陸地が海に飲まれてしまうくらい、たくさん、たくさん増やしたのよ。

 やがて、山の頂上が小さな島になったころ、男の子の墓にすがりついたまま、涙を流したまま女の子は死んだの。

 女の子が死んでも涙は流れ続けて、世界は海だけになった。

 ――それで、このお話はおしまいなの」


 ――――――――。


「……悲しい……お話だね……」

「そうね……」

「バッドエンドっていうことになるのかな……」

「私は、そうは思わないわ」

「……え、でも、だって……」

「女の子は、永遠にひとりで生きるよりも、男の子のあとを追って死にたかったのよ。

 男の子の墓を作ったのだって、決して忘れないためにそうしたのよ」

「忘れないと、いつまでも悲しいよ……」

「悲しくありたかったのよ、女の子は」


 彼女は答えた。

 その答えが来ると思っていたから、ボクもああつぶやいたようなものだった。


「悲しむのは、心の中に男の子がいるからなんだわ。――心の中から男の子が去ってしまえば、涙は止まる……でも、女の子は男の子に、心の中にいつまでもいてほしかったのよ。

 そうしないと、ひとりぼっちになってしまうから。

 ひとりぼっちはこわいのだと、いやなのだと、女の子は知ったのよ。

 だから、永遠の命を得る条件である男の子の光を、吸い込まなかった。

 吸い込めないようにした。

 ――自分の意思で」


 あ…………。


「そうしたら男の子に追いついて、追いつけて、いっしょになれると思った。

 その自分の望みをかなえるために、死ぬことができたの。

 自分がやりたいことができたなら、それは、祝福するべきことなんじゃないかな……」

「それが、死という結末を迎えても……?」

「死ぬことでみんな不幸になるのなら、この世に、しあわせになれる人はひとりとしていないわ。みんな、最後には必ず死んじゃうんですもの。

 不幸にしかならない世界に生まれてきたなんて、それは、とてもとても、悲しいことなんだと思うの……」

「そうか……」


 そうかも……知れない。

 同じ事柄ことがらを、同じ事象じしょうを見る角度を、少しだけ変える。

 それで、物事はちがった面を見せるのだろう。

 ボクと彼女では、同じ物を見ていても、視点が違うのだから――。


「――昨日までは私も、これは不幸なお話だと思っていたのよ」

「え……」


 ボクは、目をまばたかせた。


「女の子は、男の子の遺体が光になってしまったのを吸って、永遠の命を得ればいい。いつまでも死なない存在になればいい。生きていれば、他の楽しいことも見つかるかも知れない……。私が、もうすぐ死んでしまう短い命だから、余計にそう思ったの。

 でも、あなたにってから、考えが変わったのよ。

 長く生きるよりも、もっと意味があることがある、そう思えた。

 このベッドでじっと朝と昼と夜を眺めて終わるだけより、もっと価値のあることが。

 それを教えてくれたのは、あなたなのよ……私の死神さん」


 ぱたり、と文庫本が閉じられた。

 その文庫本の上に手を乗せて、彼女が微笑んでいた。


「たった今、いちばんのお気に入りになった本、と言ったでしょ?」


 あ…………。


「あなたに逢えたから、大好きになれた本なの。

 あなたが、私にこの本を好きにさせてくれたの。

 ありがとう、この本を好きにさせてくれて……。

 私、本当に、あなたに感謝している……」


 ボクは、そんな彼女が見つめてくる目に、吸い込まそうになっている。

 いや、もう、吸い込まれている。


『万が一にもあり得ないことなんだがな』


 彼女に初めて会いに行く前、世間話のように先輩が――あのとことん使えないポンコツな先輩がつぶやいた言葉が、頭の中によみがえった。


『お前を見える相手にってしまったら、とてもとてもやっかいなことになるぞ。ま、その時はあきらめろ――』


 これがその『やっかいなこと』ということか。

 ボクはどうなってしまうんだ。

 ボクは。

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