第08話「『君に、逢いたかったから』」

「小さな世界のお話なの」


 彼女――しおりはその文庫本のページをぱらぱらとめくりながら、語り出した。


「大きな島か、ちっちゃな大陸くらいしか陸地がない、本当に小さな世界。

 その世界の真ん中で、ひとりの女の子がひつぎの中で目を覚ますの。

 はいされた教会か修道院みたいな古い古い建物の、深い深い地下室で。

 女の子は生き返った死人のように目を覚ますの」

「――それで?」

「女の子はしばらく、起き上がったままでじっとしていたの。五日か六日か、七日か……。

 最初はおなかがすごく減って動けなかったのだけど、何故かそのうちに空腹じゃなくなった。その後は全然食べなくても、お腹が空かないようになった。

 女の子は自分が誰であったのかも覚えてなくて、知っている人がいることも記憶になくて、やりたいことも思いつかないからぼうっとしていたのね。その女の子の元に近づく人も、ひとりもいなかった。地下室の外に誰かがいる気配も全然なかったのよ。

 だから、女の子は退屈たいくつになって、やっと棺から出たの。

 それが、女の子の短く、そして長い旅の始まりだったのよ――」


 棺、地下室。

 ボクにはそれが、今、彼女が腰を下ろしているベッドと、この病室を暗喩あんゆしているかのように思えた。


「眠っていた建物から出ても、街には誰もいなかった。みんな一斉に逃げ出してしまったかのように、いなかった。女の子は誰か他の人がいないかを探すために、街を離れて野をめぐったの。

 でも、いくつかある他の街にも誰もいなかった。

 自分が目を覚ました街と同じように。

 小さな村も同じ。

 陸地を全部歩き回った女の子はがっかりして――したあとに、気がついたの。

 陸地の真ん中にある、高い山にはまだ登ってないことに」

「――そして、登ったのかい」

「うん」

「登った先に、誰かいたんだろう……?」


 彼女はにっこりと笑った。その山の頂上に登った女の子がそこで笑ったかのように。


「いたの。男の子が、ひとり。頂上に作られた小さな聖堂せいどうに住む男の子が、ひとり」

「男の子が、ひとり……」


 ぞくりとした。何故かはわからなかったけど。


「その男の子は、女の子の他では、その世界で生き残った、最後のひとりだったの。女の子がやってくるのを知っていたのか、笑顔で迎えてごちそうを振る舞って、とてもあたたかく女の子と接したわ。

 女の子もそんな男の子のことをすぐに好きになって、仲良くなって、小屋にふたりで暮らし始めたの。

 楽しい、本当に楽しい時間が流れたわ。

 ふたりはもう、百年もいっしょにいた恋人たちのように、笑いながら手をつないで、歌を歌って、夜は肩を寄せ合いながら眠って――。

 そんな幸せな日も、二日と続かなかった」


 お腹にずしりと何かが落とされる重い感じに、ボクは小さくうめいてしまった。


「男の子は次の日から、見てわかるくらいにおとろえだしたのよ……。なにか、ものすごく悪い病気におかされているように、あっという間に立てなくなって……。

 女の子は驚いて、もう頭が変になるくらいに悲しんだの。病気なら、治す方法はないのか、男の子に何度も聞いたわ。

 ――男の子は、全部を知っているようだったから。

 でも、男の子はそれを話さなかった。話さないまま死のうとしているようだった。

 ……女の子が、本当に必死に聞いてくるから、とうとう男の子は話したの」

「それは…………」


 ボクにはわかった。何故、男の子が話そうとしなかったのか、おおまかなことが。

 そのボクの心を読んだように、彼女はうなずいた。


「男の子が死にそうになっているのは、女の子のせいだった」

「やっぱり……」

「女の子は、その世界を創った女神様だったのよ。世界を創ってお腹が空いたから、自分があとで食べられるものの種をいて、眠りについた。それを食べることで、永遠の命を得られるようにした。あんまりに長い眠りだったから、そのことを忘れていたんだけどね……」

「その、種を蒔かれて、芽吹めぶいて、食べられたのが……」

「世界に住む、人々だったのよ」


 彼女の目が、見せたことのないくもり色にけむった。


「女の子が目覚めた瞬間に、地上にいる人たちの命を吸い始めたの。命を吸われた人たちは、亡骸なきがらも光に変えられて、それも吸われた……どんなに離れていても、女の子は人の心と体を吸うことができた。女の子は自分がそんなことをしているだなんて、全然気がつかなかったんだけど……」

「――男の子が生き残れたのは、山の上……高いところにいたから?」

「そう」

「そんな、山の上にいる男の子の元に……」

「自分と違う人を探して、女の子はやってきたのよ」

「……男の子は逃げなかった、逃げられなかったのか。山の上じゃ、追い詰められるだけだものね……」

「逃げる方法は、あったのよ」


 ――え?


「女の子がいずれ目を覚ますことは、ひとりの予言者が予言していたの。銀の棺を作ってその中に入れば、女の子から命を吸われることからも逃げられることも。

 でも、人ひとりを納まるだけの棺を作れる銀なんて、集められないわ」

「……男の子は持っていたんだろう? その、銀の棺を」

「頂上の聖堂は、聖人の亡骸をまつる建物だったのよ。その聖人の亡骸は、銀の棺に納められていた……」

「……女の子から逃げられる手段を持っていて、どうして……」

「『キミに、逢いたかったから』」


 ――あ……。


「男の子は言ったわ。頂上から望遠鏡で、人々が力尽き倒れ、遺体が光となって消えるのを見ていたって。

 自分が、女の子以外では、世界における最後のひとりになったことも見ていた。

 だから、女の子を迎えたのよ。

 この女の子をやり過ごしたら、本当に自分は、この世界でひとりになってしまうから。

 男の子にとっても、その女の子は、世界で最後の他人だったのよ……。

 自分をひとりにしないために。

 間もなく、死ぬことがわかっていても。

 男の子は、女の子と逢う決心をしたんだわ……」

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