第07話「みんな短編なの?」「好きだから」

「いっしょに、いてくれるの?」


 ボクの目をつらぬき、心にまで突き刺さるくらいの真剣な眼差まなざしを受け、ボクは心の中で半歩、たじろいだ。

 取り返しのつかないことをしゃべった、という予感がした。


「いいの? 忙しくないの?」

「ど、どうせ、キミの案件が解決するまでは、他の案件を持たせてもらえないんだ」


 死んだ彼女の元におもむいて、その魂を回収する――それと、その前の準備だけの、一日に何件もこなそうと思えばできる、そんな何でもない案件のはずだったんだ。

 はず、だったんだ。


「二ヶ月間、キミの案件に拘束こうそくされるんだ……ボクもひまだし、話し相手くらいにはなれると思うから……」

「あ…………」


 何故か言い訳がましく漏れるボクの言葉に、彼女は自分の口を手でふさぎ――その目が、途端にうるんだ。

 あっ、とボクが思う前に、その目の端からつつつ、と涙の粒がこぼれていった。


「あ……あ、ああ、だいじょうぶ? ど、どうかした?」

「嬉しくて……」


 ぐしぐし、と彼女は涙を払う。払ったあとに、空をめていた全部の雨雲が風で吹き飛ばされ、一点のすみもない真っ青な青空のような、まぶしすぎる笑顔があった。


「ごめんなさい、泣いちゃって……ありがとう、死神さん……」

「謝るか感謝するか、どっちかにしてよ……」

「えへへ。――怒るかも知れないけど。私、あなたの先輩さんにすっごく感謝してる」

「先輩に?」

「その先輩さんがミスしてくれたから、私、あなたとこうしてえたんだもの」


 ――――。


「それがなかったら、あなたはもう死にかけている私の前に立って、私が死んだのを確かめて、魂を持っていくだけだったんでしょうね」


 ――そうだ。それだけの仕事だったんだ。本来は。

 この早川栞という彼女の、うわつらの情報だけを読んで、彼女を知った気になって。

 それで魂を回収し、忙しさの中で一ヶ月もすれば、そんな仕事をしたことも忘れている。


 それだけのことだったんだ。

 ――なのに。

 ボクは――沼に引きずり込まれるかのように、彼女に引き込まれている……。


「よかったぁ。そんなことにならなくて」

「うん……」


 ボクは笑顔を作って、応えた。自分でも情けない、頼りない笑顔だったのは、鏡を見なくてもわかった。


「いっぱいお話しましょうね」

「うん……」


 彼女が死ぬまで、いっしょにいる。

 たった二ヶ月の間だ。あっという間だろう。

 ――あっという間のはずなんだ。


 今、この永遠に続くかと思える夏がいつの間にか過ぎ去り、気がつけば秋になっているのと、同じくらいに。



   ◇   ◇   ◇



「本をよく読むんだね」

「これ?」


 座って、とすすめられてボクは彼女のベッド近くに置かれた椅子に腰掛こしかけた。いや、正しくは座ったように見せただけだけど。


 サイドテーブルの上に積まれている五冊の文庫本。一冊一冊はあまり厚くもない本の背表紙がこちらに向いている。日本や外国の作家の……少し古い本。読み込まれているのか、いたんだカバーからもそれがわかる。


「そこの棚の中にもあるのよ」

「うわぁ」


 壁に取り付けられたガラス戸の棚、取り出しやすい日用品を入れておく棚なんだろうけど、そこも何十冊の文庫本でぎっしりとめられている。読書家の本棚としては大したことがない量かも知れないけど、病院にこれだけの本を持ち込む人も珍しいだろう。


 きちんと並んでいる文庫本たちのタイトルを目で追って、ボクは言った。


「みんな短編なの?」

「好きだから」


 作家もジャンルもバラバラだけど、長編が一冊もないというルールだけはあるようだ。


「私の、たったひとつの趣味しゅみ。他にはなんにもないの。私、本が好き。これだけは世界を広げてくれるから。ページをめくると、この病室の外に私を連れて行ってくれるのよ」

「ふぅん……」

「これが今、私のいちばんのお気に入りの本」


 サイドテーブルに積まれていた五冊のうち、いちばん上の文庫本を彼女は手に取った。

 背表紙には『永遠』とタイトルが打たれていた。


「――ううん。たった今、いちばんのお気に入りになった本、なのかな……」

「たった、今?」

「うん、たった今」


 そのカバーをいとおしげになでて、彼女は言った。


「あなたに逢えたから、大好きになれた本。――あらすじを知りたい?」


 知りたい、とボクは素直に思ったんだ。

 思わないはずが、ないじゃないか。

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