第06話「――やだな、寂しいのは」

 彼女に『どうやって死んでもらうか』。

 考えていなかった。

 死んでもらえるかどうか、で頭がいっぱいだったからだ。


「死神さん、私の病気、知ってる?」

「いや、あのファイルには『難病』としか書いてなかった。あのファイルには医学用語は使われないから……」

「私も正しい病気の名前、忘れちゃった」


 忘れるものなのか。そうかも知れないけど……。


「ただ、生まれつき血管に問題がある病気なの。私の体中の血管、すごく弱いの。体の成長と一緒に強くなってくれないんだって。だから体が小さいうちはまだなんとかなるんだけど、成長期になるともう血管が限界になって、血を送れなくなるんだって。だから」

「――小学校を卒業したくらいで、もう入院するしかなくなった……」

「それはファイルにあるんだ。激しい運動なんかしたら死にかねないからずっと安静にしていて、小学校でも入院したり退院したりを繰り返して、半分は病院にいたようなものだし。私もう、四年もずっとこの病院なの。本当につまんない。

 いつだってきれいな海を見られるのに、一度も泳げないの、本当につまんない。

 一度でいいから、一度だけでいいから、本当に思いっきり泳いでみたいのに……」

「だろうね……」


 きれいで機能的で、病室は見晴らしのいい高層にまとめられている新しい病院――でも、こんな場所に四年も閉じ込められていれば、気も滅入めいるだろう。しかも、出られる望みがないとくれば……。


「でも、がんばればなんとかなる!」

「えっ?」


 ふさぎ込みかけていた彼女が、いきなり元気な声を出した。


「私、がんばって死ぬ! そこの窓をパーンと割って、飛び降りればいいんだから!」

「ちょっと待って!!」


 思わず大声が出た。


「自殺はダメだ! 本当にダメだ!」

「何で?」

「自殺と他の死は扱いが全然変わってくるんだ! 魂にもものすごいダメージがあるし、死んだ後の処理が全く違う! ボクのいう死んだことにはならないんだ!」

「そうなの? うーん……あ、じゃあ、こういうのはどう!」


 彼女はベッドから床にするりと下りた。


「私、運動する! そうしたらあっという間に具合が悪くなって死んじゃうわ! これなら自殺にカウントされないかも知れない!」


 彼女は駆け出そうとして――二歩で膝を着いた。


「わわわわ!」

「あ……だめ……すっかり足がえちゃって……」

「無茶だよ。何のために歩行器を使っているのか考えないと」

「ごめんなさい……」


 病室のすみには歩行器も車椅子くるまいすも置いてある。走るどころかまともに歩くこともできないのはわかりきっていた。


「私ったら本当に役立たず……今度は役に立てるかなって思ったけど、全然ダメ……」

「悪いのも、謝らないといけないのも、ボクの方だよ……」


 しょんぼりとしてうなだれている彼女の姿に、胸が痛んできた。


「ゴメン。全部こっちのミスのせいなのに、いきなり押しかけて『すぐ死んでほしい』なんて無茶苦茶いって。ボクも初仕事のすぐに解決させないといけない案件で、本当にあせっていたんだ……。だから、キミがどう思うかを真剣に考えてなかった……」

「――くすくす……」


 重い罪悪感に自然に下がっていた顔を上げると、彼女が笑っていた。


「……何か、面白い?」

「だって死神さんが私の命を取りに来て、取れないことに謝ってるんだもの。おかしい」

「だからボクは、死神じゃないんだってば……」


 ふううう、と息が体かられた。

 あの『7』と『9』の取り違えのせいで、そんなことだけでこんなことになってるんだ。


「いいよ、無理しないで」

「……死神さん?」


 しんどそうにベッドに戻った彼女が、小首を傾げてみせた。


「責任はボクが取るよ……」


 あの無責任な先輩に任せても、何もしてくれないだろう。


「なに、関係各署に頭を下げて回ればいいだけなんだ。多分、雷が落ちたみたいにこっぴどくしかられるけど、殺されるわけじゃない……もう死んでるしね……」

「かわいそう…………」

「いいんだ。……本当にゴメン。らないことまでキミに話しちゃった。キミが死ぬ本当の予定日も口が滑っちゃったし。あと二ヶ月で死んでしまうとか、知りたくなかったよね……」

「そんなことないよ」


 ――え?


「余命二ヶ月って宣告されたけど、時期って結構ズレるんだもの。一ヶ月後か三ヶ月後か、それくらいの振り幅があるんだったら、わからないのと同じでしょ? 自分がいつ死ぬかわからないっていうだけで、頭がずっともやもやするんだもの。だから、九月二十二日って教えてもらえただけでも、嬉しいの」

「…………」

「わかってたけど、これが最後の夏なのね……」


 彼女が窓に目を向ける。ボクは無意識のうちに、その視線をかわすように身を引いた。


「死ぬのは秋……」


 彼女の、今まではしゃいでいたような瞳の色が、違う輝きに見えた。


「秋の海は冬の海よりさびしいの。わけはわからないけど、そう感じる。――やだな、寂しいのは」

「キミは……」

「私、友達いないから。この部屋、来るのは看護師さんだけよ」

「……ご家族は……」

「来ないよ」


 ファイルでわかっていた。彼女が両親と上手くいっていないということは。


滅多めったに来ないの。月に一度、本当にねだったものを持ってきてくれるくらい。会話もほとんどないし……もう、最近は春から全然……私の顔を見ると苦しくなるんだって。わかるから、それには何にも言えないんだけどね……」


 ボクは、だまっていた。

 彼女の瞳に浮かんでいる、秋の海の幻影を見つめていた。


「寂しいと、悲しくなる。慣れたけど、慣れても、いやなものだよね……」

「キミは……」


 死ぬとか死なない以前に、彼女の心をくもらせているものが初めて見えた気がする。

 だから、言ってしまっていたんだろう。


 とても、迂闊うかつなことを。


「……寂しくないと思うよ」

「え?」


 彼女がまばたく。

 考えるよりも先に、ボクは言葉にして言っていた。

 ボクの運命を変える言葉を。


「ボクが、いっしょにいてあげるよ。キミが死ぬまで、ずっと」


 ――そして、ボクの魂に、永遠の呪いを刻み込む言葉を。

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