第05話「どうやって死んだらいいのかな?」

「こんにちは……」

「あっ」


 二十五階を超える高層ビルの病院、その二十階。

 前回と同じく窓から入ってきたボクを見つけて、栞は軽く声を上げた。


「おかえりなさい、死神さん!」


 ――――。


「早かったね。嬉しい」


 その言葉どおり、彼女はにっこりと笑った。


「あのさ」

「なぁに?」

「その、『死神さん』っていう呼び方は」

「だって、あなた、名前がないんでしょう?」

「そうだけど」

「名前がないと呼びにくいもの。何か呼べる名前は要ると思うから。だから、『死神さん』でいいじゃない。あ、それともそう呼ばれるのイヤ? だったらなんか考えるけど」

「……………………それでいいよ」


 ボクはあきらめた。彼女の言う理屈と、その笑顔に押し切られた。


「上司さんになんか言われたの? 暗い顔してるみたいだけど」

「いや、大して、大したことは言われてないよ」


 ほんとにね。


「そう。よかった」

「それで、死んでほしいっていう件なんだけど」

「うん。どうやって今すぐ死ねばいい?」

「――――――――」


 そうだ、もう了解は取れているんだ。

 問題は……。


「あのさ、ボクはちょっとあせって『今すぐ』なんて言ったんだけど、正確には明後日あさってなんだよね」

「じゃ、明後日まで待たないといけないのかぁ。でも、今日と明日、あなたとお話できるんだ。嬉しいなぁ」

「――死神と話ができるのが、そんなに楽しい?」

「死神さん、いいひとに見えるもの」


 いいひと。

 死んでから初めて聞かされる言葉だった。

 ボクはいいひとに見えるのか。いや、悪い人であるつもりもないんだけど。


「ね。たくさんお話聞かせて。死後の世界ってどうなってるの?」

「秘密だよ。秘密にしないといけないんだ。さっきは考えなしに色々しゃべっちゃったけど、あれだって本当は今すぐに忘れてほしんいだ。本当はこの世にもあの世にも神様や仏様もいないんだってバレたら、大変なことになるよ」

「そこらへんはだいじょうぶでしょ」


 声の響きだけで、めちゃくちゃ説得力があった。


「だって、私が死神さんに実際に会って、死後の世界はこんな風だって教えられた――なんていう話を他の誰かにして、それを誰かひとりでも信じてくれると思う?」


 …………。


「でしょ?」

「……確かに。でも、キミはそもそもボクの話を信じるのかい?」

「どうしてうたがうの? 今でもちょっとふよふよ浮いているのに」


 ボクの、文字通りの地に足がついていないことを言っているのか。


「それに私、わかるの。なんでかわからないけど、死神さんはうそなんてけない人だって」

「嘘を吐けるほどかしこそうに見えないってことなのかな」

「あはは。――ね、死神さんは死ぬ前、この世ではどんな人だったの? 今の死神さんのまま?」

「回収された魂は、再利用するために浄化じょうかされるっていったじゃないか。その時に記憶も失われるんだ。だからボクは現世にいた頃のことを、なぁんにも覚えていないよ」

「そうなんだ」

「今のキミの魂だって、色んな人生を送ってきた人の魂の再利用なんだよ」

「そっか……」


 まるで素直に聞いてくれているのが、ボクの舌をとことんすべらせてくれた。


「私も、何度も転生して今の自分があるんだ。へぇ」

「新しく造られた魂の一回目の可能性だってあるけれどね。でも、そんなの詮索せんさくしたところで、大した意味はないよ」

「調べることってできないの? 管理されてるんでしょ?」

「トップシークレットだよ。現世だって色んな情報はあるけれど、一般人がアクセスできない情報であふれてる。そんなもんさ」

「死神さんは、自分の前世って興味ないのかな?」


 興味……。


「考えたこともなかった……。気がついたら死後世界にいたから。気がついてからそんなに時間もってないし」


 そういえば、死ぬ前のボクはどんな人間だったんだろう。

 魂が新造される場合もあるとはいえ、死後世界で活動している人々はみな、現世で死んだ人間の魂が人の形を取っている姿だ。


 あの使えない先輩だって、前世があるはずなんだ。


「じゃあ、死神さんもまたこの世に転生するんだ」

「うん。死後世界で仕事をしたらね。そうしないと人手が足りないからさ……」

「仕事? あ、魂の回収のことか」

「一件でも成立させることができれば、める資格ができるんだ。そしてしかるべき時が来たら、現世に送られて新しい人間になる。早く戻りたいと希望すれば、前倒しで戻れるらしいよ。でも、あんまりいないけどね」

「死神さんは、早く現世に戻りたい?」

「いや、いいかな。まだ死後世界の方が気楽だし……戻りたいっていう動機がないよ。死後世界だって食欲や、せ」


 ごほん、と咳払せきばらいしてボクはにごした。


「物欲とか、いろいろな欲望から解放されている分、気楽かな。死後の世界は取りあえず、生きるためにせかせかしないでいいんだ。与えられた役割をこなしていればいいんだから。食べることを考えなくっていいだけで、楽なものなんだろうさ」

「そうなんだぁ。じゃあ、いいところみたいね」

「いいところ……かな……」


 死後世界がいいところとか悪いところとか、考えたこともなかった。

 彼女が現世に生きている人間だから、そう思うことなのだろうか?


「私も早く死んでみたいな」

「――――」


 口があんぐりと開いてしまい、頭がくらくらとする。

 わからない、わからない、わからない。

 わからないのは、こわい……。


「それで、私――どうやって死んだらいいのかな?」


 ――あ。


「私、このままじっとしていても死ねないよ。余命がまだ二ヶ月もあるんだから。本来の死亡予定日も、そうなんでしょ?」

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